そもそもが FLORIDA に来た理由はプロレスの神様カールゴッチに会う為だった。しかしなんのコンタクトもなしにこの広大な
FLORIDA で一人の老人を探しだすのは不可能だった。
記憶とイメージだけを頼りに探したが1日だけで諦めた。しかしカールゴッチ探しのお陰で FLORIDA の
持つ違った側面を知る事ができたのは事実だ。
私は MAIAMI から TAMPA に移動する時に10時間以上も1本道を走った。延々と続く一本道は風景も
変わる事なくまっすぐに伸びていた。勢いよくスタートした一本道ツアーだが途中疲れて車を脇に
停車させた。その時カーラジオから流れてきた BEACH BOYS「GOD ONLY KNOWS」で私は深い眠りに落ちた。その間、何回かのスコールがあっただろう。雨上がりの目覚めはとても心地よく、長旅の決意を改めるには最適な時間だった。
FLORIDA は犯罪率が高い、その理由は湿度に関係しているように思える。私はアメリカ大陸最南端で
ある KEY WEST を車で走らせた。かの文豪ヘミングウェイが最期の地として余生を送った所で、カリブ海に点在する小さな島々を
MIAMI から一本の橋で結んでいった先が KEY WEST だ。10分毎に凄まじい
スコールに襲われながら海上の一本橋を南下する。たどり着くとリゾート地として繁栄している陽気な
ラテンパラダイスがそこに在る。FLORIDA は土地柄、キューバ移民が多く、アフリカ系の黒人と違って
赤黒く焼けた人々が多い。私がスーパーマーケットのレジの近くに立ってると、「YOU ARE LINE ? あんた並んでんの?」と赤黒く大きな女性に睨まれた時に、「ああこれがフロリダか」と思ったものだ。
FLORIDA は至るところに湿地帯があり、その沼には巨大なワニがいる。
水産物は豊富で、特にロブスターは激安だ。¥2000も払えばロブスター食べ放題が出来るのだから、私にとっては天国のような所だった。しかしと言うか、やはりと言うか、昼間は一見大丈夫でも夜は危険となる地域も多い。結局は犯罪の多くがフラストレーションである。
一般的にはイギリス人の夢物語は余生を FLORIDA で過ごす事らしく、やはり BEATLES もアメリカ滞在中に FLORIDA
に訪れている。イギリス人プロレスラーの DYNAMITE KID も「引退したらフロリダで余生を過ごしたい」と言ってた。寒い島に住むイギリス人の無いもの強請り的な発想だろうが、私にはイギリス人が余生を有意義に過ごせるとは到底考え難い。敢えて言うならイギリス人は曇った空が好きなのかもしれない。建物はアールデコ調のものが多く、基本的にアメリカの南は白壁、北はレンガ壁とも言える。
カリプソも含め風光明媚なラテンサウンドがポピュラーで KC AND THE SUNSHINE BAND の成功で70年代半ばからは
T.K.RECORDS を中心に FLORIDA FUNK が脚光を浴びた。これは同様に ATLANTA FUNK にも言える事だが、アメリカにおいて公民権運動がなければ依然として保守的な
SOUND しか
市場の成長は出来なかっただろう。FLORIDA や ATLANTA は60年代に革新的な動きがミュージック
シーンで興っていないとも思える。
私が ATLANTA で生活していた頃は、オリンピック開催より前ではあったが開催に向けて活気があった。日曜日に白人は教会に行き、黒人は過酷な労働を続けていた。
映画「風と共に去りぬ」の舞台、大農園、黒人奴隷、公民権運動の MARTIN LUTHER KING 牧師。
そして ATLANTA と言えば COCA COLA、CNN、と黒人の運動と白人の搾取の歴史でもある。
保守的な土地柄故に音楽的な起爆剤に欠けていた州でもある。
やはり御当地だけに COCA COLA に関するコレクターは多く、古いビンを売買してる店も珍しくはない。緩やかな勾配を持ちながらも中心地から郊外へと伸びていく
PEACHTREE STREET はピーナッツ畑の
農場主から合衆国大統領へとなった JIMMY CARTER の生地へと向かう。
この辺りで初めて「アトランタは広いなあ」と実感し、照り返す道路の熱で黒人奴隷の長い歴史を知る。
外から見聞きする南部と、中に入って体験する南部は全く異なる。風土、習慣、歴史を重んじる体質それらの全てに覆われた土地だ。私は
ATLANTA の古本屋で無造作に積まれていた中古レコードの中からMILLENIUM の SEALED と SALT WATER
TAFFY の SEALED を見つけた。ATLANTA では意味のない
レコードなのだろう、2枚とも$5だった。