top
Original Intellectual Record Shop COOL HAND are go!
COOL HAND

古物商許可番号
第731269400017号
(広島公安委員会)

Shopping
Profile
Policy
Amusement
Club60's
E-mail
ぷろふぃ〜る

Cool Hand Records
Tel 082-962-0094

出張買取や出荷等で不在の場合も多々ありますよ
E-mail 
info@coolhand-records.com

事業内容 : 中古レコードの販売
営業時間 : 14:00〜20:00
開店日  : 1995/04/21
(開店日に私は在米中だったので推測月日)

Before

After
  代表者竹内 義彦 Yoshi Takeuchi
 
映画「仁義なき戦い」のタイトルバックで見せる
原爆ドームの右後ろに当店が在ったビルが映ってます!
しかも私が生まれた正岡産婦人科も映ってた。
良く見りゃウチのお母ちゃん役のシーンも
「仁義なき戦い」に収録されてた。ぎゃあああ!!

原爆ドームを眺められるレコードショップ
市民球場から場外ホームランは飛んできません
OUR TRUE STORY
私(竹内義彦)と新田謙二郎は小さい頃からの幼なじみの同級生だ。
私は幼稚園迄は大手町や観音町といった治安の悪い地域で育った。
その後、安古市(今も住んでいる)に引っ越した。新田は北九州で
生まれ幼稚園迄はそこで過ごし若干私よりも早く安古市に引っ越していた。
二人は歩いて50歩100歩ぐらいの近所に住んでいて、我々の近所は何故か
同級生の男の子ばかりが住んでいた。通常私が生まれた昭和41年は
丙午だから(新田は昭和42年生まれ)子供の出生率は低い。
特に丙午の女は男も食い殺すと言われ我の強い人間が多いからだ。
しかし我々の近所は何故だか同じ年の子供達が集まっていて悪さをするには
恰好の環境だった。私と言えば安古市に引っ越す前の幼稚園時代から
「がんぼう」で(広島ではきかん坊の事をがんぼうと言う)小さい頃から世間を
騒がす事ばかりしていた。子分を連れて幼稚園を脱走し平和公園の慰霊碑
に覚えたてのひらがなをクレヨンで書いた。その日に覚えたひらがなが
「し」と「す」だったので慰霊碑に「しす」と書いて隣にかけてあった千羽鶴を
取って燃やしたりしてたところを警察に捕まった事もある。
子供の頃から自分で想像出来る事は何でもお構い無しに行動に移して
大人達に睨まれていた。

私は安古市に引っ越してきて直ぐに新田と知り合った。新田も大人しい子供
では無く、直ぐに意気投合した二人は閉鎖されたパン工場でいろんな薬品や
材料を見つけてきては団子にしたり燃やしたりして遊んでいた。
日曜日になれば休日のセメント工場に忍び込んではベルトコンベアーから
セメントに飛び降りたり勝手に機械をいじくったりして遊んだ。
我々の近所の同級生達も今思えばかなりの悪がきばかりで走っている車
めがけて石を投げ付けたり、酷いのになると自分が出したばかりのうんこを
紙にくるんで走ってる車に投げつける馬鹿たれもいた。
我々の子供の頃は本当に何でもありの時代だった。その遊びや楽しみも
実に独創的で、また転校生が持ち込んで来た HIP な遊びは直ぐに自分達で
工夫改良され危険な遊びへと進化した。そしてこの時期に遊んでいた仲間達
はそのまま大きくなり今でもみんなで集まっては大騒ぎをする一生の友人達だ。




中学校に入った頃から不遇な家庭環境の為か新田の素行は悪くなり
学校で1番の悪党になった。
勿論新田の家にたむろする悪党共は同級生だけに留まらず先輩達も集まり、
ありとあらゆる悪行は新田の家から発生した。我々が中学に入った頃は
「暴力教室」よろしく荒んだ中学生の暴力が社会問題になっていた。
私の姉は3才年上でその為か私は早くから年上の人達が聴いていた CAROL や
COOLS に影響され同級生よりはませた音楽ばかり聴いていた。
私の姉の先輩達の時代が一番荒れていて、姉の話によると中学校の
男便所は覚醒剤やシンナーが売買され、女便所では妊娠した女子中学生が
苦しんでいたそうだ。
何処で手に入れたのか中学生なのに外車を運転して通学する人もいたようで
それらの問題はNHKの特別番組で討論されていたのを覚えている。
親がやくざや右翼だった人も多く、一度他校と喧嘩になってその日の夜に
殴り込みをかける為に新田の家に集まった時に本物の日本刀を持って来て
振り回していた先輩達もいた。我々の通っていた広島市立安佐中学校は
昔からバレーと柔道が盛んな為に(有名なバレー選手で亡くなられた猫田氏
も安佐中卒業生、ミュンヘン五輪で柔道軽量級金メダリストの川口孝男先生も
安佐中卒業生)そこら辺の大人達が束になってもかなわない大きな
中学生が我々の学校にはいた。中学校には相撲部屋からスカウトが来たり
オリンピック関係者が顔を見せる事も多々あった。我々の学校の番長クラス
になれば一般学生とは桁違いの猛者が多く、裏世界での有名人を過去多数
輩出してる。(因みに我々の番長も現在でも広島では有名な大物だ)

私は姉の影響もあって当時の流行洋楽は早くから聴いていたが
あまり好きではなかった。DISCO BOOM の頃に姉の友人で
LONDON であった DISCO DANCE 世界大会で優勝した人もいる。
(今この人は DANCE SCHOOL を経営されており広島 DANCE SCENE の
祖と言われる)この頃からGRITTER MUSIC も含めて流行音楽としての
洋楽は聴かず AMERICAN OLDIES ばかりを聴いていた。
だからどちらかと言えばみんなが U.K.PUNKを聴いていても自分だけは
頑なに AMERICAN OLDIESばかり聴いていた為に人と話は合わなかった。
新田は自分の家がたまり場だった為に当代の HIT MUSIC を中心に聴いて
いたが彼本人は PUNK MUSIC FAN だった。中学校を卒業してみんな互いに
選んだ進路に進み、高校に行く者も働きに行く者も夜に集まっては
酒ばかり飲んでいた。夜間の高校に行っていた者も退学を選んで働き
だした頃には同じ遊ぶ時でも金を持ってる者とそうでない者に別れた。
私はカンニングが上手く名門広島県立商業に(広商)入学したものの
入学早々先生を授業中に殴ったり、やたらと学校内で悪い事ばかりして
停学ばかりになっていた。あまりに停学が重なり出席日数も足りなく
なっていた。その為に担任は夏休み中にも夏季授業を設けてくれて私に
単位を与えようと努力してくれたが、私はそんなものにも目をくれず先輩の
家に居候して肉体労働のアルバイトばかりやっていた。
その頃には殆ど学校に行かなくなり遂に落第してしまった。
私としては「あっそう」ぐらいにしか思ってなかった。
落第の報告を受けて自主退学を伝えに学校に行ったら当時教頭だった
畠山先生(当時高野連のえらい人で広島高校野球の神様)がいきなり
私に向かって「お前、逃げるんか!」と言って来た。
私も「何じゃと〜!誰が逃げる言うたんなら!こらっ!わしが逃げると
でも思うとんかあ!」と二つ返事で留年生を受け入れて高校2年生を
もう一回する事になった。その頃新田は定時制の高校を辞めて遊びと
仕事の毎日を送っていた。
私は留年して初めて倶楽部活動に参加させられる事になった。
それで選んだのがこれも名門だけに歴史のある広商応援団だった。
下積みも無くいきなり応援団に入って親衛隊長になって威張り
散らかした。私が落第しても本当の同級生の悪党達は無免許で車を
転がしている奴らばかりだった。やくざの先輩から奪いあげた外車に
乗ってる友人もいたし新田が家を留守にする事が多かった為に
私の部屋がたまり場となり、落第生でありながら他方面の悪党が集まる
たまり場を運営していた。

喧嘩に女に博打、そして夜遊びの連日で私もあいも変わらず定期的に
停学になっては家で遊び疲れた体を癒していた。それでも何故か退学は
しなかった。既に私は16才の時にバイクの無免許運転で捕まり免許取得
出来る点数は持っていなかった。(因みにその逮捕された時は飲酒だった
のだが警察の行ったアルコール反応試験で何遍やってもアルコール反応が
出ないので飲酒運転で私を逮捕出来なかった。警察によると1万人に一人
ぐらいの割合でアルコール反応摘出出来ない特別な肝臓機能を持った人が
いるらしく私もその一人だった。それがあって私はその後飲酒運転の王様と
なっている)だからバイトで稼いだ金で憧れの箱スカを買って在学中は
無免許なのに所有していた。学校では応援団の若手を連れて訓練を
行っていた。所謂度胸試しである。私が個別に若手を連れ出し
「そこら辺の生意気なのを見つけて因縁を吹っかけて殴って来い。
事が大きくなったらわしが出て行ってかたずけてやるけえ心配すんな。
ええか、しごして来いよ」(しご - 広島の汚い方言の一つで元々漁師が
釣った魚をしばいてしごいて型にしてしまう事から来ている。意味としては
殺して型にしてしまえの意味)そして最終試験として文化祭の時に
やって来る他校の生徒を相手に戦わせた。校内でのもめ事に対しては
我々応援団は教員達から絶大なる信用を持っていた。だから名目上は
学校内に現れた暴徒の始末を暗黙の了解でやっていた。
それを迎え撃つ若手を応援団が育てていたのだ。
今考えれば中学生の喧嘩は悪いと強いが同居していた。そして高校生の
喧嘩はずるいと強いが同居していた様に思える。それは経験から来る
場の読み方や、心得のある者との距離感であったりする。
それを通して応援団としての適正も判断しなければいけない。
我々の言う「押忍」とは自分を犠牲にして耐え忍び、そしてかつ自分を主張
しなければいけない。我々はそれを学生の範囲の喧嘩で真面目に
学んでいた。そして危ないところを救われる若手は先輩の大きな愛を知る。



私が高校留年生活を謳歌していた頃に新田は殆ど家に帰らない生活を
してた。元々好奇心旺盛な彼は私と違って何でも新しい可能性に手を
出していた。当時はレンタルレコード店が流行してた頃で久しぶりに出会った
彼はレンタルレコード店で働いていた。その為に流行とそれらの在庫の
判断は見抜ける力を持っていたようだった。益々 PUNK 魂に磨きをかけて
その容姿格好たるや周囲の度肝を抜いていた。
私も当時モヒカン刈りを何回かした事あるが新田のスタイルは完全な
LONDON PUNK だった。
私は19才迄高校に行き(あれ程出席日数が足りなかったのに高校在籍
4年間で下手なぼんくらよりも合計出席日数だけは勝った)
追い出されるように卒業させて貰い、予てから誘いのあった家屋解体業に
就職した。私は高校1年の時から殆どの時間を家屋解体のバイトで
費やしていた。この職種は荒くれ者の集まる危険な仕事で昔から広島の
裏社会で名を馳せた有名人が多数いた。今考えれば建物を壊すのは
新しく建物が建つからであって、バブル経済の前に既に我々は次から次へと
建物を壊し将来の土地開発の青写真を見つめていた。
私はこの頃にはいっぱしの RECORD COLLECTOR だったが本当に欲しい
RECORD は広島で捜しても見つからず、当初は東京に出向いて捜したが
やはり東京でも見つける事は出来ない事を薄々感じていた。
民家等を解体する場合、特に大きな古い家屋の場合は工事初日には
通称「屋捜し」と言う行為が行われる。施主(家の持ち主)があらかじめ
持ち去った家具や骨董の他にもお金になる物は山程ある。
充分に時間を与えて貰えるのなら我々は自分の日給より高い金額を
生み出す事が出来る。だから経営者は「工期が長引かない程度」での
屋捜しをたまに認めてくれた。
実際に解体工事の見積りには明記されていないが解体する家屋から
出るのは何も産業廃棄物ばかりでは無くサッシ等のアルミや雨戸井や
水切り等の銅は高い値段でスクラップ屋が買ってくれる。
庭石や灯篭、庭木の全てだって庭師に売れるし家屋に使われた欅や無垢の
材料なら材木店や大工さんが高い値段で買ってくれる。
それらで儲けた金は親方が職人達の苦労を労って焼き肉を食いに出る時の
金になるのが通例だ。我々職人も何が金になるか知っている。
RECORD なんかよりも蓄音機の方が高く売れていたし、壷よりも絵画の方が
良い場合もあった。ブリキの玩具から雑誌、日本刀、軍刀、守り刀から
甲冑、古い瓶から江戸初期の便器等、何から何まで煤もぐれになって
屋捜しした。その家の人が中途半端な収集家ならなお良い。
切手だろうが古銭だろうが勿論 RECORD だって当時の買取値は
安かったけど捜す事自体が楽しかった。畳をはぐると封筒があり、
その中には本人も忘れてしまったへそくりが入っていたり、天井裏をはぐると
未亡人が使用してたエロい道具から夫婦のエロビデオまであった。
知り合いの業者は取り壊す前の家屋から絵画を3つ発見しそれは凄まじい
値段で売れた。また違う業者は戦国時代の鎧兜一式を発見、広島市はそれに
破格の値段を付けた。表で流通する古物は表の買取査定と販売される
市場価格を持っている。しかし何にでも一度も表に出す必要無く裏から裏へと
高い金額で流れる物がある。私は解体工をしている時にそれを知った。
そして収集対象の広い物は少数で出た時より束になって出た時の方が
高い値段が付けれる。特に古い書物等はその値段が凄かった。

私は金の無い時には新田を呼んで二人で解体現場に夜忍び込んでは
持ち出せる古物の類を持ち出しては売りに行った。
ある日私は現場で出てきた RECORD を持って行き付けの
中古 RECORD 屋に売りに行った。その時にその店の店主が私を店の外に
呼び出し「昨夜聴いたんじゃが放送局が大量に所有してた RECORD を処分
したらしい。それもダンプカーを借りて市の廃棄埋立場に捨てに行ったらしい。
竹内は解体屋じゃけえ良く知っとるじゃろ?多分野ざらしになっとるん
じゃろうし昨夜の大雨で駄目になっとるんかのお?」「社長、そりゃあ駄目じゃ。
あそこは廃棄された物は全てキャタピラーでぐちゃぐちゃに踏み潰して
大きな穴に捨てるんじゃ。雨が振ったのもあるじゃろうが、もう上から
土をかけて掘り出せる状況じゃないと思うよ」と適当な事を言い心の中で
ほくそ笑んだ。私は早速その日の夜に新田の家に駆け込みその話をした。
そして二人で懐中電灯と大量の土のう袋や段ボールを持って
広島市廃棄処分場に行った。宿直の人が事務所の2階にいた様だが
断り無く忍び込んだ。広大な処分場で RECORD を捜し出すのは容易
では無い。私は解体屋として何回かここには来ている。
そして彼ら処分場の職員がどんな方法で廃棄物を整理するか知っている。
だから経験からくる推測で大まかにエリアを判断した。
しかし真夜中の処分場で二人が捜し回っても RECORD はおろか
何も発見は出来ない。二時間ぐらい汗だくになって捜しても見つけられ
なかった。
「くそがあ!がせねたじゃったんか!」と私は声をあげた。
すると新田が「おい!下を見てみいや!」「えっ?下?何処の下や?」
「違う!あんたが乗っかっとる山じゃ!」
なんと私は RECORD が積み重なった大きな山の上に立っていたのだ
「やっとら!こりゃ凄い!全部 RECORD じゃ!全部 PROMO じゃあ。
CDも沢山あるでえ」何万枚あるだろうか?二人は狂喜して小躍りした。
二人が小躍りする度に何枚も RECORD が音をたてて割れた。
二人は有頂天になってRECORD の中を泳いだりした。
そして我に返った私は「あんたは整理しよってくれ、わしは今からネコ
(工事用手押し車)がめてくる(盗んでくる)」と言ってネコを捜しに上段の
処分エリア迄走って行った。
我々が車を停めていた所まで何往復しただろうか。
二人は次の日の仕事も忘れて懸命になってRECORD を運搬した。
新田の家にそれらを持ち帰って二人は乾杯した。
「のお、何か風が吹いて来たんかのお」「何が?」
「いやあ、わしらに RECORD 屋になれ言うて風が吹いて来たんよ」
「ほうかあ?」「へへへへ」と二人はにたにた笑いながら酒を飲んだ。
私達は体験してしまったのだ。RECORD COLLECTOR としての歓喜の
瞬間では無い、RECORD を操る立場としての膨大な在庫を誇る喜びをだ。
そしてそれらを商品とする為に愛情を込めて来る日も来る日も磨かないと
いけない。

DEALER としての第一歩はこうして訪れた。私は個人的には
洋楽の ORIGINAL 原盤 FAN で自分の所有している RECORD も9割5分
ぐらいは洋楽の ORIGINAL 輸入原盤だ。
邦楽と言えば愛する COOLS / COOLS ROCKABILLY CLUB と彼らの
SOLO しか持っていない。全くと言って良い程邦楽を聴かずに育った。
逆に新田は洋邦関係無く好きなものは何でも買っていた。

話は前後するが私は以前から大きな問題を抱えていた。
先に述べた様に私の部屋は悪党共の巣窟で、そんな事から私は我々の
大将から重大な事を頼まれていた。この大将はやくざを半殺しにして
やくざから傷害で訴えられた。勿論ちんぴらの喧嘩から金を取る為にだ。
そして彼が有罪となり刑務所に入れられる時に
「竹内、わしが刑務所に入っとる間はみんなの事頼んだで、お前じゃったら
みんなをまとめる事が出来るじゃろ」と言ってきた。
その頃は一部の仲間の間で覚醒剤が流行し複数の不可解な事件が
勃発していた。所謂被害妄想から誰かが誰かを非難し始めていたのだ。
それは大きな対立となり覚醒剤使用者でない者までもが被害妄想に陥り
誰かれなく非難しだした。
何処の世界でも「誰がどうした」だの「誰が何を言った」等の下らん罵声は
飛び交うが、覚醒剤が理由で信用は無くなり挙げ句の果てに誰かが誰かを
傷付ける。私はもううんざりしていた。まとめ役だった私は全ての者の
意見や不満を聴いた。しかし私の知らないところでは私が問題の首謀者
だと言われだした。それ迄にも過去、本気で遊んでいた幾つかの友人は
命を落としていた。命をかけて遊んでいた奴らに何も言う事は無いが、
彼らが死んで言葉に言い変えられない辛い悔しさと情けなさに包まれたのは
事実だ。誰かが行き過ぎた奴らを止める事が出来たならと思う。
気が付いたら私はええ格好しいの悪者になっていた。
だけど私は全てを飲み込んで我慢した。それも私が高校在学中からだ。
私の回りにいた者達はいつ私が発狂するのかと恐れていたから誰も
本音は語ってくれなかった。

私はそれまでの過去を清算しようと湾岸戦争に行こうと思った。
私は志願書を持って取り敢えず岩国の米軍基地に出向いた。
もう随分と前から偽善者の態度には腹をたてていた私は人間関係から
離れて行きたかった。自分の信じる正しさを自分で実行したかったのだ。
前夜に母を呼んで「わし、明日から湾岸戦争に行って来るわ。
会社の社長も賛成してくれたし」と伝えた。私がこの時に働いていた
会社の社長は広島共産党の顔役でその昔学生運動で警察を封じ込めた
リーダーだった。私は米軍基地に着いた時に入り口の前で待機していた
日本の機動隊に職務質問された。世間の時流からか危険思想を持った
暴漢が米軍基地に来る可能性があるので彼らは待機してたのだ。
「何処に行くんやお前」と言われ「湾岸戦争に連れてって貰おうと思って
ここに来たんじゃ」と答えた。機動隊は唖然としながらも私を通してくれた。
そのまま歩いて入り口ゲートに向かうと一斉に「HOLD UP!」と
銃を向けられた。私は彼らを見据えてそのまま前に歩いていった。
すると「チャカッ」と一斉に危険な銃の音が聞こえた。
たまたま居合わせていた将校らしき人が慌ててそれを制した。
一定の距離を保てと言われ「何の用だ?」と尋ねられた。
私は「湾岸戦争に連れて行って欲しい」と伝えた。
この頃日本から湾岸戦争に個人参加する人の多くはフランス軍の
外人部隊に入っていた。それは見返りを期待しての事だ。
フランス軍の外人部隊に所属していれば後にフランス国籍が貰える為に
芸術家志望の多くも参加に期待したのだ。
それもあってか私は私の信じた方法で湾岸戦争に参加して自分なりの
結論を出そうとしていた。多くの人達が好景気にうかれて「日本人は戦争に
参加出来ないからお金だけ払えば良い」と言った風潮やそれに疑問すら
感じていない日本人が私の自尊心を傷つけた。
その男は「誰にも本当は教えられないけど、この内線の番号を君に教える。
今日は日曜だから無理だが明日に電話してくれ。
直接管轄に連絡する様に伝えておくから」と言って私に番号の書かれた
カードをくれた。
翌朝の放送で湾岸戦争が終焉に向かっている事を知った。私はそれでも
志願して戦地に行けば良かったのかどうかは解らない。
ただ何らかの形で自分の今後が変化したのをこの時に感じた。



その後私は宣教師の友人が米国に戻る時に誘われた。
「俺の家に好きなだけ住んで良いから君の心の問題をアメリカで
解決しろよ」と言ってくれた。その言葉をも神の慈悲に感じた私は周辺
を身軽に整えてアメリカに渡った。そしてアメリカで自分を知り日本を知った。
自分と自分に関わる全てを外から見つめる事で沢山の事を学んだ。
それ以上に広大なアメリカの自然に抱かれて心は徐々に癒されていった。
全てがやり直し出来る素の状態になれた頃から VINYL JUNKY としての
本性が現れて来た。3カ月しかビザの関係で滞在出来なかったから一度
米国からカナダに渡った。こうする事で法律上また米国に戻った時から
日数は起算される。その後一度日本に帰ってから短期間程働いてまた
アメリカに行こうとしたが、また大きな心の病に陥った。
経験のある人なら理解出来ると思うが米国での経験が日本では上手く
活かされずに虚無感が訪れるのだ。
「何故日本はこうなんだ?」「何故こうしてはいけないのか?」と言う大きな
疑問が私を苦しめた。これらを体験した私の友人の多くが日本で社会復帰
出来ずにいる。ある者は日本で生活するのが嫌になって米国国籍を獲って
在米した。米国ぼけと言えなくも無いが、それだけ日本は国際社会の中で
意識の差が大きく異なる。私は解体屋に出戻りで再就職して汗を流した。
そして今度は RECORD DEALER になるつもりでまたアメリカに渡った。
米国の友人達のお陰で最低限の生活を守る術を覚え全米を歩いた。
その時の苦労話はいつも雑誌で書いたりお客さんに伝えている。
全ては事実だ。それは一人の若者がRECORD DEALER として成長して行く
過程と行く先々で見た聴いた心で感じた全ての真実だと理解してほしい。
その後私は一度日本に戻って新田に COOL HAND を開店させてまた
アメリカに渡った。その時には愛車を売ったり全ての貯金を下ろしたりして
大金を掴んで渡米した。その金は自分に投資する為では無く
COOL HAND に投資する為にだ。
そして我々は愛して止まない故郷の広島で地元の文化に貢献出来る様
に店を構えている。

そんな紆余曲折もあり、どうにかこうにか開店させた COOL HAND だが、
我々は当初から店頭在庫よりも BACK STOCK に何を持つべきか、
何を保管していくべきかを考えていた。なんせこの業界、無い物ねだりの
強い消費者を中心に成り立っているのだから。
RECORD の買取は地域によって様々である。勿論 RECORD 需要の
地域性によって出てくる RECORD も様々であるが店の STYLE によって
客から持ち込まれる RECORD も様々である。しかし山陽道の地方都市広島
においては全く買い取りの傾向が理解出来ない。
何故なら我々は「貴方のお持ちの RECORD を高価買い取りします」などと
馬鹿げた広告をしていないからだ。それは庶民からの放出にしか興味が
無いからだ。何故ならば当店が日本盤を専門で売る店では無いから、
帯が付いて幾らの様な物には全く興味が無い事とも言い換えれる。
「もしもし COOL HAND です」「RECORD 何でも買い取ってくれるんでしょ?
幾らで買い取ってくれます?」(この場合おっさんかおばさん)
「幾らでって言っても見せてもらわんと解りませんよ」(この手の訳解らん
質問がやたら多い。何を持ってるのか伝えずに値段を気にする)
「百恵ちゃんとか郷ひろみとか大きいの(LP)や小さいの(SINGLE)とか
沢山あるんですよ」「全部で何枚あります?」「8枚です」
当店の買い取りとは一般的にこんなもんだ(大笑)
しかし我々は何を買い取る場合でも必要であれば敬意を払って
買い取る様に努力している。
そして歌謡曲でも何でもそれを収集した人の愛情に敬意を払った上で
店としての立場や需要を伝えて買い取り値段を決めて行く。
昨今のお宝ブームで売手の私利私欲がかきたてられた為に時折、
所有RECORD の動産的価値を知りたいと思っている人が連絡してくるが
我々は利潤に適った買い取りが出来る場合しか買い取り査定はしない。
必要とする物を適価で買い取る事が、消費者にとって適価な値段に直せる事
と信じているからだ。ここ数年に渡って東京の激戦区で高価買い取りを
うたい文句に多くの店が潰れていった。所謂買い取り赤字の不良在庫が
CYCLE しない為に衰退して行ったのだ。
消費者と自らの欲望を CONTROL 出来ずに店が負債を抱えたのだろう。
もっと真面目に考えると解るのだが中古 RECORD なんて物は趣向品として
の道楽だ。遊びに金を掛ける範囲と本気で収集する人の差は大きい。
そしてそれを見極めて仕入れれば良い。

私は米国放浪中に様々な買い取り現場を見た。そして私自身もそこで
様々な買い取りを行った。基本的に米国で買い取る量は日本のそれとは
枚数が違う。そして黒人は買い取りでも不当な扱いを受ける。
確かに客観的に見ても黒人の所有する RECORD の CONDITION は白人
の物と比べて悪い。それは貧しい生活環境からくるものだ。
友人との貸し借りで紛失する恐れがある為に COVER に名前を書き込む
のは何処の国でも同じだが、それすら貧困に原因があるのは確かだ。
だから裕福な人の持ってるRECORD には書き込みは無いばかりか
美しい状態を保っている。だからそういう人から美品を買い取る為には
高い金額を払わないといけない。
しかし黒人の多くは金に困って RECORD を売りに来るから業者に
叩かれた金額でも妥協して売り渡すしかない。しかしながらそこから
買い取った中にある少数の美品を高い金額で購入するのも裕福な白人
なのだ。それは JAZZ や BLUES COLLECTOR だけでなく
SOUL COLLECTOR の多くが白人である事が物語っている。
トラック一台分の RECORD を黒人が売りに来ても「全部で$200だな」
と言われておしまいだ。何故なら一般的に黒人所有の RECORD には
流行物はあっても本当の意味での使える RECORD は少ない。
JAZZ COLLECTABLE ですらペンキのしずく跡が付いている。
これは保管に適した部屋がある訳ないから BIG MAMA に頼まれて
部屋の天井の塗り替えをする時に床に並べていた RECORD は殆ど
そのまま汚れを被る。以前から私は何故 RECORD DISC にペンキが
付いているのだろう?と悩んでいたが答えはこの貧しさと扱いの悪さに
起因する。

私は米国で生活していた時に RECORD SHOP の前に立って
RECORD を売りに来る奴を毎日待ち構えていた。
「ちょっと待って、俺は日本の RECORD DEALER だ。あんたはこの店に
何回か RECORD を売りに来てるけど俺の方が高く買い取れる筈だ。
ちょっと見せてもらえないか?」と持ちかけては RECORD を買い取って
いた。日本が景気良かった頃は多くの日本人業者が買い付けに来て
高い金払って RECORD SHOP の商品を買い漁っていた。
しかし私はそれをよそ目に限りなく安く大量に買い取っていた。
それはそこに在る RECORD SHOP のおやじ達に気付かれないように
こっそりと、呼びかける時は大声で。
いつしか私は COOL HAND GANG と呼ばれていた。
「有難う。もし良かったら俺の友達の RECORD も買ってやってくれよ」
と言われて人里離れた郊外の山奥迄買い取りに行く事も多々あった。
そんな時でも自分の安全は自分で守らないといけないから大変だ。
なんせ彼らから見たら金持ってそうな日本人が家に来てくれるのだ。
だから良くも悪くも最終的にお互いの信用の確認が出来ないと恐ろしい
目に合う可能性がある。一人で外交して一人で自分の身を守る事が
出来ないとこんな危険な事は誰もやらない。
彼は電話で友人達に RECORD を持って集まるように伝えると二つ返事
で大勢集まった。彼の家に付くと「マリファナやるか?」と尋ねられたが
「いらん」と答えた。何故なら「わっはっはっは」では買い取りは出来ない
からだ。先ずは彼の COLLECTION から使える物だけ買い取って彼の
友人達の物から同等に買い取った。そして残りを一山幾らと言う風に
打診した。結局全部安く買い取った。一点を見つめながらも大局的な
採算の取れる買い取りをした訳だ。みんな「COOL だ」と言って喜んでくれた。




以前私は外人の DEALER の家に居候してた。
私は彼の為に日本から来る時に沢山の COLLECTABLE RECORD を
米国に持ち込んだが見事税関に全てを没収された。
しかし私は CUSTOM DEALER (税関から奪い返す専門で何処の国際空港
の回りにでも存在する)と交渉して多額の金を払ってでも奪い返し
この友人の家まで一夜で送り届けさせた。やってくれた事に対して最大限の
誠意を見せるのが欧米のしきたりだ。この友人は穴埋めで儲けさせてやろうと
金持ちの客を私の為に呼んでくれた。
「いいかい、これから来る奴は生まれてこのかた一回も働いた事は無いんだ。
親からの遺産相続だけでよろしくやってる奴なんだ。君の売りたい値段の
2倍でも3倍でも買ってくれるぜ。上手くやってみろよ」と言われて
小心者の私はちんこが熱くなった。
間もなくして RICH なお客さんが現れた時に私はうわべは子羊に心は狼へ
と変貌した。しかし興奮して鼻の穴は広がってたと思う。
結果として売った売った売りまくった。
これでもかこれでもかと出してやった。世界は広いもんだ。
世の中こんな金持ちがいるのか。RECORD 収集の基本は道楽の遊び心だと
解っていても驚いてしまう程の商いだった。
しかし逆にこんな人達から買い戻すのも大変だろうなと思った。
話によるとかなりの物を持ってるらしい。
これが日本人には見えない現実だ。その日の夜に COUNTRY 系の
FM RADIO DISC JOCKY の家に招待されて遊びに行った。
この人物は大物で全米音楽業界の影響力も大きい。
友人と私はこの D.J. の家に行く途中車の中で話し合った。
「いいかい、彼は D.J.だから持ってる PROMOTION RECORD を売るのは
違法なんだ。だから君は彼の家から帰る時にお金を落としていけばいい。
金額は全部俺がつけてやる。全ての合計で一枚につき幾らになるかは
俺が計算して言ってやるから。例えばこれは$100これは$1とか。
合計金額と枚数で調整してやるからな」
またしても私のちんこはいきり立った。
あるわあるわIKE & TINA 1st ALBUM PROMO から
本物の RARE GROOVE、秘蔵のアセテート盤まで。
決して米国のRECORD SHOP には並ぶ事の無いRARE 盤の美品の
山が。私は気が触れそうになった。子供の様にはしゃぐ私を見て彼らは
笑った。あ〜素晴らしい。しょんべんちびりそう。夢なら覚めないでほしい。
RECORD DEALER として至福の瞬間。
横ではこの D.J. がフィットネス用の自転車こぎながらほほ笑んでいる。
これぞ本物の白人上流社会。日本人何をあくせく働いとるか!
「コーヒー飲むかい?」と聴かれて、気取って「紅茶がいいな」なんて
言ってしまった。あ〜神様許して。ほんとは田舎もんなの昆布茶が
欲しかったんです。つい浮かれてあんな事言ってすいません。
彼の所有している RECORD を抜きまくって3人が輪になって
「これ」「$500」「これ」「$2」とかやって帰り際に「紅茶ありがとう」と
言って彼の机の上に合計金額を置いて帰った。
こりゃ日本に帰ってお客さんの為に適正な価格の商品が沢山作れるぞ
と思って嬉しくなった。

日本に帰って直ぐに爆発的に全部売れた。しかしながら消費者は
いい加減なもので有難味すら無い。
良く言ってくれるのはその時だけで元に戻れば直ぐ手の平を返す。
これがいつも私の言う「消費者の正義は価格、業者の正義は RECORD
の存在そのもの」と言う事になる。
この事があってから私達は RECORD の仕入れに対して考えを
改める事にした。
我々は COOL でありたいから欲にからんであさましい仕入れはしない。
充分と言える程、人々の欲望と本質を目の当たりにしてきた。
それを必要以上に刺激する事は結果として店の治安にも影響を及ぼす。
例えば過去当店の DISPLAY を見て失神もしくは気が触れた客は
約10人いる。それらは全て所有欲をかきたてられる RECORD が
ずら〜っと壁一面に並んでいた時に起こる。
霊長類はストレスが溜ると自分の体毛を抜き始める。もし自分の欲しい
RECORD を目の前にした時、金銭的な理由で悩んでいる客は必ず自分の
頭をかく。それはストレスのサインだ。また自分が理解出来ない RECORD
を目にした時もそれを手にして自分の髪の毛を引っ張る。
これもストレスのサインだ。ここからおもむろに一歩踏み込むと
気が触れる人か失神する人に大別される。
欲しい RECORD が買えずに隠したり、万引きして迄所有したい人も
ストレスから来る行為だ。また欲しい事を店の人間に悟られ無い様に
RECORD を触っている人は後ろから見たら丸見えだ。
我々は店内の治安を守る為に見てないふりしても全てを見ている。
DISPLAY の商品は並べて見せれば良いと言うものでは無い事は
店内失神者の記録で解った。ずらっと並べられた商品を見て
吸い込まれる人や圧迫感を感じる人が出てくる。だから適度に和ませる
程度が良い。失神者の唯一の例外として中古業界独特の人々の強い
欲望を初めて知って店の中で気持ちが悪くなり失神した女性がいた。
可哀相にこの女性は予備知識無しでプレミア商品を見た為に失神して
しまったのだ。

折角だからこの場で欧米中古 RECORD DEALER 欲望五段階商法を
教えよう。日本ではあまりやらない手段だが(当店では必要に応じて行う)

@ 先ず RARE 盤を買う客ならば「それに興味あるんなら、これなんてどう?」
と勧める。ここまでは日本でも良くある事だ。

A 次にそれを買うようだと、次の日にこの客が来た時に後ろの棚から
RECORD を出して見せてあげる。見せるだけで触らせない。
もしそれに興味がある様だとその商品の説明を充分にした上で購入を
勧めて直接 RECORD を触らせる。それを購入する様だと「次に来た時に
おもしろい物を見せてあげよう」と約束して帰らす。
ここでそれに適した物を幾つか業者は用意しておく。

B 客は期待に胸を膨らませ来店する。来店したら充分に時間をかけて
いろんな話題を出して客を焦らす。そして後ろのガラスケース又は後ろの
棚の鍵を開けて取り出した RECORD を持たせてやる。
客の目が輝いている様だと一気に業者はその RECORD にまつわる話を
して話の結論を二つ用意する。目が輝いている様だと結論は客の口から
言わせて業者は何も言わずに頷くだけ。目が輝いていない様だと他の物
も見せて欲しいと言われても見せないで帰らせる。
もし購入する様だとCに移るが購入しない場合はBは繰り返され一度には
見せない。

C 次に来店した時には充分に過去の余韻に浸らせてあげる。
次に欲望の度合いを確認しておもむろにジュラルミンケースを取り出す。
ゆっくりと鍵が開けられたケースの中の RECORD を取り出す権利を
与えてやる。それを手にして喜びを感じる人は黙っていても買う。
そして次の来店の日時(夜遅くが多い)を業者が指定して、その時に
究極の一枚を見せる約束をする。

D 遂にその当日、閉店時間後に一般とは遮断された世界で
究極の一枚は厳かに現れる。
そこは地獄か天国かは本人の決めるところだ。

これが欧米の歴史ある STYLE だ。これは骨董の世界から継承された
STYLE だ。日本ではあまり使用されない方法だが何にでも順番はある。
流行や情報に左右されない記録の価値観がそこに存在しているのは
間違い無い。

日本の中古 RECORD SHOP の多くは流行や情報に左右される消費者を
中心に成り立っているが、本来の情報とは INFORMATION では無く
INTELLIGENCE の筈だ。メディアの情報を INFORMATION として
捉えている人達の多くはそれを INTELLIGENCE に置き換える能力が
欠けている。特に知的所有権を持った RECORD DISC と言う記録形態を
判断する為には INTELLIGENCE が必要とされる。
だから INTELLIGENCE が不足している人は見た事の無い RECORD を
持った時にストレスが発生して自分の髪の毛を引っ張っている。
INTELLIGENCE を持った人は確認出来る情報の多さと共に未確認情報に
対して探究心が喜びに変わっている。それは RECORD の触り方で
判断出来る。もしこれを読んでいる業者の方がいれば消費者の行動を
充分に観察して欲しい。勿論消費者も恥じる事無く判断して欲しい。
我々業者だって同じ様に多くの消費をする事でそれらの RECORD を
仕入れているのだから。
RECORD を聴く事はとても知的な行為だし、知識を必要とする行為だ。
別に博学である必要は無い。
最大公倍数と最小公約数に含まれる共通性とそこに含まれない記録の
傾向を理解出来れば自分の好む物が解る。即ち自分自身を知る事が
出来るのだ。勿論自分の趣向の変化にも気付くし、世間の変化にも
気付く事で各自の対応も異なる。
何故なら我々は集約された人間の歴史を聴いているのだから。




当店の名称 ORIGINAL INTELLECTUAL RECORD SHOP - COOL HAND
とは?独自の知識を必要とする RECORD SHOP で、COOL HAND とは
ギャンブルの隠語で「かっこいいやり方」= POKER GAME で悪い CARD
でも平然と強気で勝って行く方法と言う意味だ。この名称の裏に隠された
意味はとても深い。つまらん RECORD など世の中に存在しない。
踊れるか踊れないかは多くの一部でしかないし、生理的快感を得られるか
どうかは聴く者の人生に委ねられるのだ。
「RARE 盤に名盤無し」とは良く言ったもんだ。何故なら RARE 盤になれば
なる程、一般の理解を越えた価値観が存在するから全ての人を納得させる
内容では無くなる。それと同時に MAJOR ARTIST の RARE 盤はそれを
求める人のみに存在する。早い話、記録に対する探究を縦に進むと
これらの事実に遭遇する。反面、横に進むと意外な事実に遭遇する。
この出会いの過程において人々は様々な喜びを覚える。
それは我々業者が選ぶ事では無い。専門店のみが選択した判断材料を
取り揃える事で消費者に対応する。消費者の消費の STYLE は様々で
あって然るべきだ。
特にレコード好き (VINYL JUNKY)は様々 STYLE を持っている。

ここで私の知っている海外の VINYL JUNKY を紹介しよう。
日本ではあまりいないタイプの人達が多いが、その強い個性が微笑ましい。
米国北西部で大型レコードチェーン店がある。ここのオーナーとは旧知の
間柄なのだが、この店は近辺に沢山の支店を持っている。
この支店で働いていた太っちょの MIKE は、四六時中オールディーズFMを
聴いていないと落ち着かない。彼はその番組で流れる全ての曲の
CHART DATE を把握している。曲が流れ出すと小声でぼそっと
「1962 10/20 NO.1 HIT FOUR SEASONS」と言う。
もちろん「BIG GIRLS DON'T CRY」の事だ。
私は居合わせていた時に驚いた。私は次の曲が始まって咄嗟に答えた
「LET'S LIVE FOR TODAY だ!」
すると MIKE は「YES 1967 5/13 CHART NO,8 GRASS ROOTS」と
答える。この太っちょもかなりいかれてる。彼は仕事中も興奮して
ポテトチップスをバリバリと食らいながらチャートヒットを研究していた。
この手のチャートヒットマニアは世界中にいる。大手 MAJOR RECORD
会社の社長なんかにも昔はチャートマニアだった人はいる。

IOWA 州に凄まじい爺さんがいた。彼は RECORDS を8000万枚ぐらい
所有してた。べつにこの程度の数なら米国では珍しくない。
ただ彼は RECORD を A〜Z に並べるのが好きで集めている事が
凄まじい。だから重複したものしか販売しないと言う。この A〜Zに並べる
事に執着してる爺さんに一回怒られた事がある。それも実に変な事でだ。
「MILLIE SMALL を探しているんだけど」と彼に尋ねたら、
「彼女は SMALL, MILLIE として並べなきゃいけないんだ。何も知らない奴は
M で MILLIE SMALL を保管しているが、わしはちゃんと S で
SMALL, MILLIE として保管している」
「それはいいけど MILLIE SMALL を譲ってよ」「駄目じゃ!今は S を出す
気は無い」この爺さんは頑固者で有名だ。
私は直ぐに諦めた。この人は COOL HAND GANG の最大の敵だ。
彼は VINYL JUNKY の TOP COLLECTOR だが、いつか懲らしめて
やろうと思っている。

SAN FRANSICO に PSYCH & PROG の COLLECTOR DEALER の
おっさんがいる。この人は神経質の塊みたいな人で、ある日彼と TRADE
する事になった。「YOSHI, RECORDS にもしもの事があったら
いけないから RECORD を箱に入れて、その箱をそれより大きな箱に
入れて送ってくれ。もし配達員が落とす事があったらマズイ。
その大きな箱の周りに BUBBLE (保護用エアーマット)を巻いて、
それより大きな箱に入れて送ってくれ」「箱が大中小の三つかい?」
「YES」「駄目だ、あんた狂ってるのか?日本の送料は凄く高いんだぜ!」
「いいから言うことをきけ」私は彼の言う事を無視して、普通より頑丈に
プロテクトをして RECORD を送った。数日後に当店にとても大きな箱が
SAN FRANCISCO から届いた。
彼が私に送ってくれた RECORD は25枚の筈だ。どう見てもこの箱は
中型冷蔵庫が入ってるとしか思えない。
その箱を開けると箱が入っていた、それを取り出しその箱を開けると
箱が入っていた。私は苦笑した。数日後、彼が烈火のごとく発狂して連絡
してきたのは言うまでもない。

アメリカに住む当店のお客さんの中に WARREN という奇妙な爺さんが
いる。彼は世界中の変なRECORD を集めて40年のベテランコレクターだ。
彼は独自の研究によって知りえた世界中の奇妙な記録に魅せられて
いる。「YOSHI, 頼みがあるんじゃ。相撲の歌の RECORD と CRAZY CATS
のRECORD が欲しいんじゃ」クレイジーキャッツも幸せ者だ。
海の向こうでは奇妙なレコードとして認定されているらしい。
しかし相撲の歌とは何ぞや??恐らく相撲甚句の事だろう。
しかし相撲甚句の RECORD を探すのは容易ではないが
WARREN 爺さんもこの先長くはない、なんとかして捜して送ってやらねば。
うちの親父は浪曲は持っていても相撲甚句は持っていなかった。
しかし RECORD は捜し求める人のもとへ必ずやって来る。
なんと数日後に年配のお客さんから買い取った中に相撲甚句のLPが
3枚も入っていたのだ。これだから不思議だ。RECORD の神様は
本当にいるんだ。海の向こうの WARREN 爺さんの願いは
RECORD の神様に届いたのだ。
我々の仕事は多くの人達の善意のもとに成り立っている。
私は WARREN 爺さんに連絡して「相撲の歌のLP3枚と CRAZY CATS
の SINGLE 1枚送ります。商品代金と一緒に箱に書いてある送料を
RECORD 受け取った後でいいから送金して下さい」と伝えた。
これはまだインターネットなんかが普及する以前の話だ。
2週間後に、WARREN 爺さんから小切手が届いた。小切手を銀行に
換金しに行くときに「我ながら良い働きをしたな」と実感し微笑んだ。
しかし銀行のおねえさんが私に言った「この小切手はアメリカの小さな
銀行の小切手で、換金手数料が通常より高くかかります」
「うんん??まじ?ありゃりゃ、損した!!」
しかし私は HAPPY な気分になれた。

世界中の VINYL JUNKY には奇妙な人が多い。こんな事を書くと
世界中から一斉にクシャミが聴こえそうだ。愛すべき VINYL JUNKY の
奇行に触れたが次にプライバシーの保護が出来る範囲で収集家の
独自の STYLE を紹介しよう。
先ずは子供好き。この人達は CLUB D.J. の中にも存在するが基本的
には欧米の KIDS & CARTOON COLLECTOR は年配者が多いから
敵も多い。欧米の COLLECTOR が懐古趣味的に集めているのに対して
日本の多くは可愛らしさと CUTE / CHEAP な RHYTHM に反応している。
これは ROCK や POP や SOUL はたまた PSYCH にもある。
今では人権が確立された感のある子供収集家は世界中に存在する。
一度世界的なシンポジウムでも開催して研究成果を発表しあって欲しい。
実に微笑ましい人達だ。しかし道を間違えると怖い。

FUZZ GUITAR 愛好家。信じられないが存在する。
何でも良い、FUZZ GUITAR が使用されていれば納得する。
この動きは国際的であり60年代の RECORD に限定する人と
70年代中期まで許す人に分かれている。
これと同時にメロトロン専門家もいるのも業界では有名。
同様に MOOG や THEREMIN だけを専門に収集する人もいる。
これは楽器の表現方法で音楽文化の記録の検証を試みている人達だ。
これは DRUMER 別収集家の類とは異なるのは言うまでもない。
何故なら彼らは楽器の PLAYER を限定していないからだ。
興味の無い人から見れば実に下らんと思われるかも知れないが、
我々から見たら実に頭の下がる努力だ。是非協力してあげたい。

CREATOR & PRODUCER WORKS 収集家。
これは世界中に存在している。我々のフィールドで特に有名なのは
CURT BOETTCHER と GARY USHER の WORKS 収集は盛んに
行われている。UCLA では研究 TEAM も存在する程の人気だ。
西海岸の裏で POP SCENE を操っていた人達だけに人気があるのだろう。
変わったところでは GARY PAXTON 専門や LES BAXTER 専門、
MORT GARSON 専門、JOHN YLVISAKER 専門と多岐に渡って
専門家が研究している。勿論 MAJOR CREATOR & PRODUCER は沢山
の人が研究している。因みに私の友人には BREANDA LEE の専門家
がいる。恐れ入った。

TITLE 別収集家。一般的に知られるのが DEVIL 専門家や
SUMMER 専門家。歌の TITLE に DEVIL とか SUMMER とが入っていると
収集対象となる為にかなりの物が対象とされる。
最近発覚されたがDEVIL と同様に KILL & KILLER 専門家もいるらしい。
悪魔崇拝の一現象か?
これらの人に共通するのは、その言葉から連想されるイメージに執着して
いる事だ。さすがに LOVE は収集対象の多さから試みた人はいない。
SURFIN' & HOT ROD COLLECTOR に60年代の SINGLE の TITLE に
ある SUMMER や BEACH に限定して収集する人も多いのも事実。
日本盤 SINGLE COLLECTOR に同傾向の人がいるとの報告が
入っている。この人達は音楽的価値観を歌の TITLE に求めている。
これは街角シリーズや悲しきシリーズ、夢見るシリーズの様なワンパターン
の邦題に愛着を感じる収集家が一般的だ。
しかし我が国にも悪魔のシリーズや燃えるシリーズに興奮して収集
する人等、少ないが存在が確認されている。イメージ収集の基本中の
基本だと言える。少数だが、タイトル上の「小僧」「野郎」のコレクター
もいる。傾向としては日本の「男&兄貴」COLLECTOR にも通じる。
これは健さん文さん=日本刀。非情のライセンスに西部警察=トレンチコート
と結びつけ、そこから香る男の匂いに浸ってる。
仁侠とハードボイルドを同じ皿に盛って楽しみ、独特の哀愁に魅せられた
収集家だ。独自の男イメージを大切にする為に決してトレンチコートを着た
寺尾聡やチャゲ&飛鳥には反応しない。これが彼ら独自の美徳なのだ。
これは欧米のギャング&ハードボイルド収集家にも通じる。
是非お互いに連絡を取り合って研究報告をして欲しい。
やはり RECORD とは想像力の結晶なのだ。想像する事の対象が
音楽ばかりか TITLE やトレンチコートに向けられた結果こうなった。

目玉 ジャケット収集家。厳密には THIRD EYE と言う。
第三の目、心の目と呼ばれる目玉で PSYCHEDELIC MOVEMENT に
現れた目玉 ART だ。60年代後半の幾つかの RECORD に存在する
ばかりかステッカーまで流行った。ピラミッド状のトライアングルの中に
目玉が入っている。シンプルに目玉だけがこちらを見つめている物もある。
それは心を見据える無表情の目で、これに魅せられた収集家は意外と多い。
基本的にあの時期の PSYCH & ACID UNDERGROUND に多いが
MAJOR ARTIST の RECORD の中にも小さく描かれた物もある。
世の中が混沌としていた時代だけに、真実の目を持てとの暗示も
されている為に吸い込まれる様な魔力があるのだろう。
13th FLOOR ELEVATORS の 1st もこの範疇に入れる人が多い。
彼らは目玉を見たら無条件で暗示にかかっている。
これら目玉ジャケットを部屋に並べてお香を焚くと良い。

変な物収集家。変な物収集家の第一人者の WARREN 爺さんの事を
書いたが、何をもって変と決め付けるのは個人の自由。
彼から見たら相撲甚句や CRAZY CATS も変な物になる。
これらの収集家に共通しているのは、人類の残した奇妙な記録に
魅せられている事だ。
これは米英の収集家に多いが「何故こんな物を作ったのだろう?」
「何の為に作ったのだろう?」と言う疑問が分析癖を刺激してしまう。
因みに私の分析によるとこれらの人の多くは
PSYCHEDELIC & FLOWER MOVEMENT が生んだ落とし子で
精神的被害者でもある。被害じゃ無い?
これは当時、意味の無い物に意味を見つけ出そうとしていた
SUB CALTURE の幻影を今も追いかけている様に思える。同様に英国人
のそれは古くから記録に興味を持つ国民性がそうさせている。
それは文化的な行為であり、活かす活かさないは本人の自由だ。
それが異文化に対する憧れであったり研究材料であったりするのだ。
日本人の多くが異文化への憧れから洋楽を聴くように、彼らも東洋文化
に強い興味を示す。そしてお互いが真面目に微笑ましくもくだらん物を
分析しあって刺激しているのだ。これは国際平和にも結びつく尊い行為
だと言える。WARREN 爺さんはクレイジーキャッツから何を理解した
のだろうか?それは高度経済成長期に日本人が残した泡沫の一喜一憂
だと信じたい。

デザイナー別収集家。これは意外と多い。アート性を求める人も多いが、
基本的には好きなデザイナーの残した COVER 作品を集めている。
ANDY WARHOL やはたまた横尾忠則等の個性の強いアートの収集家は
有名だが、DEAN TORRENCE のデザインした COVER を集める人もいる。
知名度は低いが STANLEY MOUSE や PAUL SLAUGHTER 等も
独自性があって結構収集家が多いとの話を聴いた事がある。
SOUND TRACK COLLECTOR から強く支持されるのは
コミカルな JACK DAVIS や FRANK FRAZETTA & RONALD SEARLE とかの
HOLLYWOOD 系のデザイン。
そしてフォルムの魔術師 SAUL BASS や COOL な BOB PEAK、
シビアな AMSEL なんかは高い人気を持っていて収集家も多い。
西海岸の SAN FRANCISCO 辺りの中古 RECORD SHOP では
誰が COVER DESIGN をしたのかが重要視されていた時代もあった。
これは当時一番HIP だとされていたアートに対する研究から始まった
動きだったのだが、やはりと言うか当然と言うか最終的には
PSYCHEDELIC ART に改めて高い評価が付いた。
これは CULTURE POSTER 収集家も賛同した為に地元大学の
知識人達も無視出来ない動きになってしまった。
これは WEST COAST が PSYCHEDELIC MOVEMENT の発祥の地として
の自負心も彼らにはあるだろう。NEW YORK が BROADWAY 系の記録に
対して懸命なのと同様に LOS ANGELES には HOLLYWOOD 系の
ART COLLECTOR が多い。SURFIN' MOVIE COLLECTOR が多いのも
WEST COAST の自負心がそこに存在する。
それは CULTURE ART 発祥の地特有の動きだ。だからそこには年期の
入った収集家が多く存在している。それは RECORD に捕らわれず全てが
当時の記録だからだろう。音楽は ART とも深い関係にある。
特に60年代半ばに強い結びつきを見せた。


   (POSTER GALLERY を見る) (COOL HAND PHOTO GALLERY を見る)



私は現在では RECORD 収集していない。
RECORD を購入してくれるお客さんの動向を記録に残して収集している。
これも人類の偉大な記録だ。
深い森へと続く
Copyright (C) 2004 coolhand-records.com. All Rights Reserved.