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Original Intellectual Record Shop COOL HAND are go!
COOL HAND

古物商許可番号
第731269400017号
(広島公安委員会)

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WEST COAST
AMERICAN PANORAMA (SAN FRANCISCO の解放感と恐怖) 
米国の真実を語る社会派読み物(COOL HAND 通販リストより抜粋)

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嗚呼 SAN FRANCISCO!! (FRISCO - FISCO) WEST COAST CULTURE の聖地、そして PSYCHDELIC CULTURE の拠点、COLORFUL な YOUTH CULTURE の震源地。COLORFUL な装飾を施した鳥達が
自由に飛び回り、優しい風が宙を舞う。神の恵みである農産物や水産物は豊富で、伸び伸びとした気風と穏やかな風土が様々な自由人を育む。ありとあらゆるの主張を持った人達が自由を謳歌し人生を
楽しむ。店の SHOW WINDOW には意味を見いだす必要の無い、ただ感じるだけの品が並び、見る者の感性を刺激する。
実体の無い感覚表現においては突出した感性を持った若者が集まり FRISCO の YOUTH CULTURE を形成させている。FRISCO BAY はまるで湖の様に RUTE 101 を隔てて内陸部迄流れてきていて LOS ANGELES 方面から来た者は先ずここを横切って FRISCO の街を一望し、その後に入り組んだ街中へと進入する。MAIN STREET となる MARKET STREET を越えて起伏の激しい坂道を上り下りすると街の
中心である議事堂が姿を見せる。細い道路は網の目の様に縦横斜めと張り巡らせ、所狭しと立ち並ぶ
斜面に面した建物は中途半端な位置に玄関を構える。
そこから道を登ると GOLDEN GATE は一望出来る。海岸通り迄行くと無数の PIER が並び同地の漁獲量の豊富さを知る事が出来る。聖地 HAIGHT ASHBURY は MARKET STREET を西に走って道なりに坂を上がって中腹部でまた西に曲がって登り切った所から始まる。この周辺に吟遊詩人が好んで居を構えた頃から同地の文化は目覚ましく発展した。勿論治安も悪く、その昔の思想的集会は無いにしても貧困
から来る犯罪は多い。自由の対象であるが為に浮浪者も多く HIPPIE CULTURE をかいま見る事が
出来る。そしてこの地は GAY の解放地である事が皮革製品の DISPLAY で良く解る。LONDON PUNK も唖然とするであろう様々な色に染められた髪を持つ若者が闊歩している。
街そのものは決して大きくは無い。NEW YORK で言えば BROADWAY から BATTERY PARK ぐらいの
距離だ。しかし NEW YORK とは異なる強い混在感がそこにある。街に住む人達は人懐っこく温和な性格の人も多い。

以前この地で生活していた時に面白い事があった。間借りしていた部屋の大家さんが私に向かって
「テレビで見たけど日本じゃあメロンが1個$100以上するらしいね。近所の果物屋に行ったら$10
ぐらいで売っているから買いなさい。ここは自然に恵まれていて良質のメロンが沢山取れるんだよ。
だからおいしいメロンが安く買えるよ」と薦めてくれた。私は大家さんに「有難う、感謝するよ」と言ったら
彼は目に涙を浮かばせて「いいえ、いつでも困ったら私に尋ねて来なさい」と言っていた。
敬虔な CHRISTIAN は人に良い事をしないと天国にいけないし、人を助けてあげる事が自分の喜びだと思っている。しかし米国で収穫されるメロンは洋梨の様に硬い品種で熟れていても日本の高級メロンの比では無い。彼らはメロンにも歯応えを求めているのだ。日本の高級メロンは知っての様に特殊な
栽培法によって品種改良された物だ。恐らくテレビではその部分を説明してなかったのだろう。
私は一応大家さんの言葉に従ってメロンを買いに出かけたがどれもが安い品種のメロンだった。
しかし親切に私に教えてくれて、私の感謝の言葉で涙を浮かべた彼の優しさが気持ち良かった。
旅人は訪れた土地の人に愛されるべきである。土地を知り、そこを理解する事で愛情を感じるべきだ。
私は全米を旅した時に全ての地で愛される人になるように努めた。このメロンの件も私にとって大きな
教訓となった。それは「日本のメロンは世界一だ」と言う事だ。

BRIAN WILSON と VAN DYKE PARKS が ORANGE CRATE ART で CONCEPT に用いた NORTH CALIFORNIA とは MONTEREY から SAN FRANCISCO そして SACRAMENTO VALLEY をも含む中部
から北部 CALIFORNIA であり、この地域の農産品は充分な雨期も手伝ってふくよかな味わいのする
物だ。これに携わる農業労働者達が営んできた生活習慣こそが CALIFORNIA に生活する者の美徳の
根底にある。東海岸から永住の地を求めて流れ着いた人達が先住民との交渉で土地を確保し、土地を開拓してきた歴史が苦労を分かち合う美徳に結びついている。
そして以前話した様に1949年に SAN FRANCISCO で金鉱が発掘されて GOLD RUSH が始まった時に全米から一獲千金を夢見て集まった移住者達 FOURTY NINERS は同地に根を下ろした。
彼ら金鉱作業者の為に開発されたのが米国の象徴となった JEANS だ。
世界中全ての土地に言えるが土地の歴史とはそこに住む人達の労働者の歴史なのだ。それが風土に応じて土地に住む人達の人柄を生む。NORTH CALIFORNIA に住む人達が LOS ANGELES に住む人達を軽視している事は以前述べたが、彼らには労働で土地を豊かにした自負心があるのだ。そして彼らは L.A.に住む一部の人達の間延びした喋り方を嫌う。
確かに L.A.に住む人達の中にはやたらと「あ〜」「い〜」と言葉をつなぐ人が多い。それは知的な行為には見えないし、逆に嫌悪感を浮かべる人もいるだろう。
日本人の多くが米国西海岸を自由の象徴と思っているように、そして玄関口として LOS ANGELES の
空港を利用する様にうわべだけの人々が LOS ANGELES 一体を徘徊する。そして L.A. の古着屋の前では日本語で「リーバイス501あります」と書かれた立て看板が置いてある事も珍しく無い。
それも含めて NORTH CALIFORNIA の人々は L.A.を嫌っている。彼らがアメリカ人としての IDENTITY にこだわるからだろう。これは何処の国でも同様の事はある。別に L.A. だけが反面教師としての問題を
集約しているだけではない。ただ CALIFORNIA 州と言っても面積は日本の本州よりは大きい。
だから北と南では風土から考え方迄違うのは当たり前なのだ。特に北部では CHICANO 文化の影響が殆ど見受けられない。米国の多くの地名が先住民が名付けた地名であるのにも関わらず先住民の文化が残っているところは少ない。西海岸の多くの家が白壁塗りのポルトガル様式を取り入れたのはこの
地域の先住民が残した文化だ。その反面東海岸の多くの建物が煉瓦作りであり、飾り窓を持つ事の
背景には宗教的な美徳が存在する。そして FRISCO の中心街は急な勾配を持つ坂道に面している為に縦長の建造物が寄り添う。その為に通常の二階部分に玄関がある。

気候はいつも穏やかで街そのものは昔から変わらない佇まいを見せる。基本的に米国の都市中心街
以外は何処でも不変の佇まいを見せる。特に RUTE 101 周辺は何時に行ったって SUPER STOCKS (GARY USHER) の ALBUM COVER (多分あそこは L.A.郊外の VENTURA だろう)と何の変化も無く何時だって向かい入れてくれる優しささえ感じる。そして変化しないものの方が強いのではと思ってしまう。
そんな見落としがちな当たり前の事を私に教えてくれたのが同地である。
ここだけの話だが私は昔 FRISCO の公会堂で行われた坂本冬美の LIVE を見に行った事がある。
それは彼女の師匠であった猪俣公章氏が亡くなられた後に行われた最初の米国 LIVE だった。
実は米国人の友人に熱心な演歌のファンがいて、彼に誘われて行ったのだ。そこには多くの日系人が
多いものの少数ではあるが熱心な米国人演歌ファンがいて私は驚きと感動を覚えた。
これは SAN FRANCISCO や LOS ANGELES でしか味わえない体験だと思った。
LIVE に行く途中、私の愛車でぼろぼろの VW BUG (自分で BLUE に ALL PAINT した通称 COOL HAND MOBILE) は公会堂に向かう坂道で遂に爆発し噴煙を上げた。
しかし路歩く人々が「あんた公会堂でやってる日本人の LIVE に行くんでしょ?早くいかなきゃ」と言って煙り臭い我が愛車を一緒になって押してくれた。「感謝してるぜみんな!」と私は言いながら坂道を懸命になって押し歩いた。ここにも宗教的な美徳を感じながら BLUES BROTHERS の BLUES MOBILE が
議事堂前でばらばらになったのを思い出して笑った。
そんな事もあって帰りの心配も忘れて坂本冬美の LIVE を楽しめた。

しかしここからが本当の FRISCO の夜の顔だ。MARKET STREET には同性愛者がたむろし、抱き合ってDEEP KISS をしてる場面に出くわす。勿論、女性同士で抱き合う LESBIAN も多い。
良く見ると凄く可愛い娘もいる。一番恐ろしいのが商店の入り口の前でたむろしてる GROUP だ。
そこら辺のやくざより怖かった。何故なら FRISCO に来る前、友人から彼が体験した恐ろしい話を聴いたからだ。この友人は私の高校時代の同級生で、彼は初めて SAN FRANCISCO に来た夜に一人で BAR に行った。そしてそこで仲良くなった中年の白人が「俺の家に来て飲まないか?」と誘って来た。
これでついて行ったこの友人もかなり馬鹿だが、その白人の家に着いたら「リラックスして」と言って友人の体をマッサージしてきた。この友人は間抜けだからまだ気付かなかった。その後服を脱がされて初めて気付いたと言う。いるのだ東洋系好みのアジア専門の同性愛者が。何が恐ろしいって目がとろ〜んとした白人が一番恐ろしいのは PSYCH 自己陶酔研究をしている私が一番知っている。ああ鳥肌がたって
来た。私は SAN FRANCISCO で過ごしていた時はよっぽどの事が無いと STREET で夜遊びする事は
なかった。ある日の夜、STREET の公衆電話で SALT LAKE に住む友人に長距離電話をしてた時だ。
突然可愛い女性が BOX の窓を KNOCK して言ってきた「どうしても直ぐ電話したいの、よかったら
変わってくれない?」私は仕方なく電話を切って変わってやったら「THANK YOU」と言って私に KISS してくれた。それもかなり DEEP な KISS だった。私は舞い上がって気分良くそのまま宿に戻った。
しかしその後、「待てよ?今の女の娘、実は GAY だったのかも知れない。いや、LESBIAN か?」と考えたら気持ち悪くなってきた。日中の SAN FRANCISCO は大好きだ。しかし夜はあまり好きになれない。

元々我が愛車 COOL HAND MOBILE は MUSICIAN が乗っていた車だ。その MUSICIAN は車の BODY の至るところに蝶や花がらの PSYCHEDELIC な PAINT を施していた。その為に異常に目立ち私は運転中に良く警察に止められて尋問を受けた。だから私は自分で BLUE に塗り変えて走った。
その PAINT があまりに上手に出来たので近所の人の間で評判になり、頼まれて簡単な塗装の
アルバイトをやった。私がこの車を購入して既に日本を3周するぐらいの距離は走った。
CALIFORNIA 州を何回も往復し、SALT LAKE から IDAHO まで行った。幸いにも空冷エンジンだったので大きな故障も無く旅を続けられた。遂に FRISCO でオイルを吹き出した時に長旅の終焉を感じた。
米国は車が無いと生活出来ない程の広大な国だ。
だから日本の様に毎日スーパーマーケットに出かける事は有り得ない。週に2回ぐらいスーパーに
出かけて食料品の買い溜めをしないといけない。だから大きな車と大きな冷蔵庫が必要となる。
そんな大きな国だから「ちょっとそこ迄」と言う距離も半端では無い。
私は愛車を中古車屋に持って行き「買い取ってくれ」と交渉した。すると「逆にこれは処分するのに金が
要るよ」と言われた。さらば COOL HAND MOBILE...私は $50 払って愛車を処分した。
 
 
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