BRIAN WILSON と VAN DYKE PARKS が ORANGE CRATE ART で CONCEPT に用いた
NORTH CALIFORNIA とは MONTEREY から SAN FRANCISCO そして SACRAMENTO VALLEY
をも含む中部
から北部 CALIFORNIA であり、この地域の農産品は充分な雨期も手伝ってふくよかな味わいのする
物だ。これに携わる農業労働者達が営んできた生活習慣こそが CALIFORNIA に生活する者の美徳の
根底にある。東海岸から永住の地を求めて流れ着いた人達が先住民との交渉で土地を確保し、土地を開拓してきた歴史が苦労を分かち合う美徳に結びついている。
そして以前話した様に1949年に SAN FRANCISCO で金鉱が発掘されて GOLD RUSH が始まった時に全米から一獲千金を夢見て集まった移住者達
FOURTY NINERS は同地に根を下ろした。
彼ら金鉱作業者の為に開発されたのが米国の象徴となった JEANS だ。
世界中全ての土地に言えるが土地の歴史とはそこに住む人達の労働者の歴史なのだ。それが風土に応じて土地に住む人達の人柄を生む。NORTH
CALIFORNIA に住む人達が LOS ANGELES に住む人達を軽視している事は以前述べたが、彼らには労働で土地を豊かにした自負心があるのだ。そして彼らは
L.A.に住む一部の人達の間延びした喋り方を嫌う。
確かに L.A.に住む人達の中にはやたらと「あ〜」「い〜」と言葉をつなぐ人が多い。それは知的な行為には見えないし、逆に嫌悪感を浮かべる人もいるだろう。
日本人の多くが米国西海岸を自由の象徴と思っているように、そして玄関口として LOS ANGELES の
空港を利用する様にうわべだけの人々が LOS ANGELES 一体を徘徊する。そして L.A. の古着屋の前では日本語で「リーバイス501あります」と書かれた立て看板が置いてある事も珍しく無い。
それも含めて NORTH CALIFORNIA の人々は L.A.を嫌っている。彼らがアメリカ人としての IDENTITY
にこだわるからだろう。これは何処の国でも同様の事はある。別に L.A. だけが反面教師としての問題を
集約しているだけではない。ただ CALIFORNIA 州と言っても面積は日本の本州よりは大きい。
だから北と南では風土から考え方迄違うのは当たり前なのだ。特に北部では CHICANO 文化の影響が殆ど見受けられない。米国の多くの地名が先住民が名付けた地名であるのにも関わらず先住民の文化が残っているところは少ない。西海岸の多くの家が白壁塗りのポルトガル様式を取り入れたのはこの
地域の先住民が残した文化だ。その反面東海岸の多くの建物が煉瓦作りであり、飾り窓を持つ事の
背景には宗教的な美徳が存在する。そして FRISCO の中心街は急な勾配を持つ坂道に面している為に縦長の建造物が寄り添う。その為に通常の二階部分に玄関がある。
気候はいつも穏やかで街そのものは昔から変わらない佇まいを見せる。基本的に米国の都市中心街
以外は何処でも不変の佇まいを見せる。特に RUTE 101 周辺は何時に行ったって SUPER STOCKS (GARY USHER)
の ALBUM COVER (多分あそこは L.A.郊外の VENTURA だろう)と何の変化も無く何時だって向かい入れてくれる優しささえ感じる。そして変化しないものの方が強いのではと思ってしまう。
そんな見落としがちな当たり前の事を私に教えてくれたのが同地である。
ここだけの話だが私は昔 FRISCO の公会堂で行われた坂本冬美の LIVE を見に行った事がある。
それは彼女の師匠であった猪俣公章氏が亡くなられた後に行われた最初の米国 LIVE だった。
実は米国人の友人に熱心な演歌のファンがいて、彼に誘われて行ったのだ。そこには多くの日系人が
多いものの少数ではあるが熱心な米国人演歌ファンがいて私は驚きと感動を覚えた。
これは SAN FRANCISCO や LOS ANGELES でしか味わえない体験だと思った。
LIVE に行く途中、私の愛車でぼろぼろの VW BUG (自分で BLUE に ALL PAINT した通称 COOL HAND
MOBILE) は公会堂に向かう坂道で遂に爆発し噴煙を上げた。
しかし路歩く人々が「あんた公会堂でやってる日本人の LIVE に行くんでしょ?早くいかなきゃ」と言って煙り臭い我が愛車を一緒になって押してくれた。「感謝してるぜみんな!」と私は言いながら坂道を懸命になって押し歩いた。ここにも宗教的な美徳を感じながら
BLUES BROTHERS の BLUES MOBILE が
議事堂前でばらばらになったのを思い出して笑った。
そんな事もあって帰りの心配も忘れて坂本冬美の LIVE を楽しめた。
しかしここからが本当の FRISCO の夜の顔だ。MARKET STREET には同性愛者がたむろし、抱き合ってDEEP KISS
をしてる場面に出くわす。勿論、女性同士で抱き合う LESBIAN も多い。
良く見ると凄く可愛い娘もいる。一番恐ろしいのが商店の入り口の前でたむろしてる GROUP だ。
そこら辺のやくざより怖かった。何故なら FRISCO に来る前、友人から彼が体験した恐ろしい話を聴いたからだ。この友人は私の高校時代の同級生で、彼は初めて
SAN FRANCISCO に来た夜に一人で BAR に行った。そしてそこで仲良くなった中年の白人が「俺の家に来て飲まないか?」と誘って来た。
これでついて行ったこの友人もかなり馬鹿だが、その白人の家に着いたら「リラックスして」と言って友人の体をマッサージしてきた。この友人は間抜けだからまだ気付かなかった。その後服を脱がされて初めて気付いたと言う。いるのだ東洋系好みのアジア専門の同性愛者が。何が恐ろしいって目がとろ〜んとした白人が一番恐ろしいのは
PSYCH 自己陶酔研究をしている私が一番知っている。ああ鳥肌がたって
来た。私は SAN FRANCISCO で過ごしていた時はよっぽどの事が無いと STREET で夜遊びする事は
なかった。ある日の夜、STREET の公衆電話で SALT LAKE に住む友人に長距離電話をしてた時だ。
突然可愛い女性が BOX の窓を KNOCK して言ってきた「どうしても直ぐ電話したいの、よかったら
変わってくれない?」私は仕方なく電話を切って変わってやったら「THANK YOU」と言って私に KISS してくれた。それもかなり
DEEP な KISS だった。私は舞い上がって気分良くそのまま宿に戻った。
しかしその後、「待てよ?今の女の娘、実は GAY だったのかも知れない。いや、LESBIAN か?」と考えたら気持ち悪くなってきた。日中の
SAN FRANCISCO は大好きだ。しかし夜はあまり好きになれない。
元々我が愛車 COOL HAND MOBILE は MUSICIAN が乗っていた車だ。その MUSICIAN は車の BODY
の至るところに蝶や花がらの PSYCHEDELIC な PAINT を施していた。その為に異常に目立ち私は運転中に良く警察に止められて尋問を受けた。だから私は自分で
BLUE に塗り変えて走った。
その PAINT があまりに上手に出来たので近所の人の間で評判になり、頼まれて簡単な塗装の
アルバイトをやった。私がこの車を購入して既に日本を3周するぐらいの距離は走った。
CALIFORNIA 州を何回も往復し、SALT LAKE から IDAHO まで行った。幸いにも空冷エンジンだったので大きな故障も無く旅を続けられた。遂に
FRISCO でオイルを吹き出した時に長旅の終焉を感じた。
米国は車が無いと生活出来ない程の広大な国だ。
だから日本の様に毎日スーパーマーケットに出かける事は有り得ない。週に2回ぐらいスーパーに
出かけて食料品の買い溜めをしないといけない。だから大きな車と大きな冷蔵庫が必要となる。
そんな大きな国だから「ちょっとそこ迄」と言う距離も半端では無い。
私は愛車を中古車屋に持って行き「買い取ってくれ」と交渉した。すると「逆にこれは処分するのに金が
要るよ」と言われた。さらば COOL HAND MOBILE...私は $50 払って愛車を処分した。