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P.F.Sloan-Steve Barri / Dunhill Records Side Story

P.F. Sloan
 P.F. SLOAN (PHIL SLOAN) SHORT STORY
過去どれだけの人が彼のメロディーに泣かされ
彼の行動に勇気付けられてきたことか。
 
 Phil Sloan は本名を Philip Gary Schlein と言い、1945年9月18日
 にニューヨークシティーで生まれる。両親はユダヤ系移民で彼の
 母親の関節炎の治療もあり家族は1957年にカリフォルニアの
 West Hollywood に引っ越す。彼の父親はダウンタウンで雑貨店を
 営んでいた。父が雑貨店を開く許可を得るのに苦労した時、彼は
 反ユダヤ主義を回避するために Phil Sloan と改名している。
 Phil Sloan は12歳の時にギターを買おうと立ち寄った
 Sunset Street のミュージックストアーで音楽誌を立ち読みして
 いたところ、店内で Elvis Presley と運命的な出会いをする。
 興奮した Phil Sloan は Elvis にギターレッスンを嘆願し、Elvis は
 それに同意し彼に即席のギター指導をした。Elvis に憧れていた
 少年 Phil Sloan の人生は大きく変わり、その後1959年に彼は
 R&B 系レーベルである Araddin Records で若干14歳のティーン
 ポップシンガーとしてデビューを果たした。Aladdin Records は
 その後 Imperial Records の Lew Chudd に売却されるが
 それも何かの因縁か。

Marty Melcher
(Martin Melcher)
早熟のソングライターだった Phil Sloan
は翌1960年に Terry Melcher の父で
映画プロデューサーの Marty Melcher
が設立した Mart Records よりセカンド
シングルをリリースするに至った。
早くからレコードオフィスに出入りして
いた少年ソングライターの Phil Sloanは
Screen Gems の Lou Adler を紹介
された。Phil Sloan は早速オリジナル
ソングを聴かせ 1961年には
Screen Gems とソングライター契約を
結んでいる。
因みに後年 Lou Adler は Marty Melcher
と Monterey International Pop Festival
をプロデュースし Marty Melcher を援助
している。
  

Steve Barri
Steve Barri は本名を
Steve Barry Lipkin と言い、
1942年2月23日にニューヨークの
ブルックリンで生まれる。
彼の家族は彼が子供の時に
カリフォルニアに引っ越してきた。
若い頃から職業作家志望だった
Steve は Screen Gems へ曲を投稿
しはじめる。当時 Teddy Bears や
Jan & Dean といった人気グループを
抱えていた Dore Records だが
そこで A&R として働いていた
Lou Adler は、レーベルオーナーの
Lou Bedell (Lew Bedell とも言う) が
持つもう一つのレーベル Era Records
と一緒に、共同運営者の
Herb Newman に身売りした際に
Dore Records から Screen Gems
へ移籍した。
 A&R とは Artist & Repertoire の略で、Artist を何処にどのように
 置けば最適かアレンジする職務をいう。即ち A&R とは人脈の
 幅広さに左右され、ミュージシャンのサクセスに関わる重要な
 仕事である。Screen Gems で働きはじめた Lou Adler は
 Steve Barri の書いた曲を知り、とても気に入った。Lou Adler の
 口添えで1959年に Steve Barri が書いた曲"Suzie Jones"を
 The Nortones に歌わせその録音を Lou Adler が手掛けた。
 そして Steve Barri はティーンポップシンガーとしてもデビュー
 したが失敗に終わっている。同年彼は Story tellers を結成し
 Stack Records からシングルリリースした後に高校時代からの
 友人で Teddy Bears を終えたばかりの Annette Kleinbard こと
 Carol Connors を姉妹で参加させ 1963年に再デビューをする。
 Ramarca Records でリリースされたその曲を Lou Adler が
 気に入り Screen Gems 傘下の Dimension Records が
 買い上げて再リリースをさせた。結局この Story tellers は
 1963年に Capitol Records からラストシングルをリリースし
 プロジェクトを終えている。これらの裏で糸をひいていたのが
 Lou Adler だった。
 

Herb Alpert & Lou Adler
ユダヤ人とメキシコ人の血をひく
Lou Adler は元々ソングライターとして
の経験があり1957年には後に A&M
Records を設立する同じユダヤ人
Herb Alpert とソングライターコンビを
結成していた。
また彼は Barbara Campbell の偽名を
使い Sam Cooke の"Only Sixteen"
を書いている。
Dore Records 時代 Jan & Dean
のファーストヒットとなった
"Baby Talk"も彼が書いた曲で、
アレンジャーは盟友Herb Alpert
だった。その後も二人は
Sam Cooke の"Wonderful World"
を書いた他 Dante and The Evergreens
のヒット曲"Alley-Oop" も二人が
プロデュースをしている。
Jan & Dean のマネージャーだった
Lou Adler は独自のビジネス視点を
持っており、ヒット曲を熟知した
ビジネスマンだった。
 そこで Lou Adler は新たなソングライターパートナーとして
 Steve Barri に Phil Sloan を紹介した。Phil Sloan と Steve Barri
 の出会いは Phil Sloan が高校を卒業した1963年後半であるとも
 言われている。(また Phil Sloan が Screen Gems とソング
 ライター契約をした1961年という説もある)
 ともにニューヨーク生まれでカリフォルニアに引っ越してきた
 バックボーンを持ち、互いにレコードデビューの経験を持っていた
 二人は直ぐに意気投合する。メロディーメイカーの Phil Sloan は
 テーマソングを適応させるだけの才能を持った作詞家を必要と
 しており、少し年上の Steve Barri もそれを充分理解していた。
 既に結婚していた Steve Barri はいつもビジネスチャンスを捜し
 求めていた若者で、彼にはソングライティングパートナーが
 必要だったのだ。Phil Sloan & Steve Barri は Carole King ら
 Brill Building 系ソングライター達と同じ  Screen Gems 所属の
 若きソングライターコンビとして活動を始めた。
Steve Barri & Phil Sloan
Steve Barri & Phil Sloan
シカゴ生まれの Lou Adler は Vee Jay
Records にもコンタクトを持っており、
黒人オーナーで R&B 専門のレーベル
だった Vee Jay Records が
Four Seasons の移籍によって新たな
分野を開拓し始めていた計画を知る。
出会ってすぐに意気投合した
Steve Barri と Phil Sloan だがいつも
行動を共にし、デモソングを次々と
書き始めていた。彼らはデモ音源を
Lou Adler に聴かせ Vee Jay Records を
紹介された。
 同社のソングライター&渉外担当として活動し始めた Phil Sloan
 はイギリスから届いたThe Beatles のマスターテープを聴いて
 Vee Jay Records に The Beatles を獲得させアメリカ市場に
 The Beatles を紹介するなど、若き A&R としてマーケットを
 見渡していた。Phil Sloan の推薦もあり Vee Jay Records は
 The Beatles を獲得した。そして"From Me To You"をリリース
 させこの曲は全米41位のヒットとなった。それに合わせて
 西海岸でのセールスを強化するために子会社 Tolie Records
 をカリフォルニアに設立し、そこから The Beatles の
 "Twist & Shout"をリリースさせ全米2位の大ヒットを記録し
 Capitol Records を牽制した。しかしこれは既に経営難に
 陥っていた Vee Jay Records のこの行為は権利売却の
 為でしかなかった。
 
Steve Barri & Phil Sloan
Steve Barri & Phil Sloan
彼らは Vee Jay Records 時代に R&B 系
ガールシンガーに多くのダンスチューン
を提供している。また彼らは1964年に
一連のダンスブームを受けて Swim や
Slauson 等の新たなダンスナンバーも
書いている。それらの中には
ガールポップシンガーに書き歌わせた
Northern Soul ナンバー、RCA から
女性版 Elvis Presley をと打診された
Ann-Margret、その他にも
Connie Stevens らに書き与えた王道的
ガールポップがある。
また本格的な British Invasion の波が
押し寄せてきたこの年はそれらを意識
したビートチューンまで含まれており
彼らの書く曲の作風を大きく広げた。
当時 Phil Sloan は凄まじい勢いで
当時の流行音楽シーンを駆け抜けて
いく。これはある意味 Brian Wilson
のような天才肌の努力家とは異なり、
若き流行音楽作家として曲を量産して
いき、ニーズに応じた応用力の高さを
求められた結果でもあった。
彼らはまさに西海岸版の
ブリルビルディング系ソングライター
とも言える逸材であった。
 
 彼らはこの時期に The Lifeguards をはじめ The Street Cleaners,
 Philip & Stephen 他複数の変名シングルを複数のレーベルから
 リリースしているが、それはイメージにこだわることなく彼らが
 次々と曲を量産していた表れであり、それら様々なスタイルで
 ヒットの可能性を模索するための行為だった。
 例えばその後 Fantastic Baggys で録音される Surfin' Craze" の
 印象的なギターイントロはデモだけで終わった "Let's Swim Baby"
 で既に完成されており、この Swim という当時流行したダンス
 チューンは Wildcats 名義の "The Swim" や The Lifeguards 名義
 の "Swim Time U.S.A."へと展開を見せている。
 これら Swim 系の音源に対して Phil Sloan は Elvis Presley を
 模倣した Rocker Style で歌っており、これらを Surfin' Style に
 焼きなおす事によって次々とデモ音源はThe Baggys セッションへ
 と生まれ変わっていく。また Phil Sloan はこの次期に
 Jack Nitzsche 門下生だった Jerry Riopelle (後の PARADE)
 と共作した "Big Boss Swimmer" もデモ録音しており、
 このプロジェクトが Swim というダンスチューンでムーヴメントを
 仕掛けようとしたプロダクションの動きの中で成長発展していった
 事が解る。またこの曲調もその後 Fantastic Baggys のアルバム
 で収録される "Big Gun Board" へと展開されている。
 

Johnny Rivers

Dunhill Records は1964年に
Dunhill Production として設立され、
当初の目的は Imperial Records
の Johnny Rivers を売り込む為だった。
因みに Johnny Rivers は Sloan & Barri
が書いた "Secret Agent Man" を歌い
1966年3月19日をピークに全米3位の
大ヒットとなっている。
当時 Imperial Records は創設者の
Lew Chudd から Liberty Records の
設立者 Alvin Bennett に売却された
ばかりだった。Dunhill Production の
設立者は Lou Adler, Alvin Bennett,
Pierre Cossette, Bobby Roberts の
4人である。
Alvin Bennett は Liberty Records の
創設者でもあり Chipmunks の Alvin は
彼の名前から使われた。
Pierre Cossette はブロードウェイの
プロデューサーをしていた
フランス系カナダ人。
そしてBobby Roberts は後に
The Mamas & The Papas の
マネージャーとなる人物。
 因みに Dunhill とは Bobby Roberts が以前メンバーだった
 タップダンスグループThe Dunhills (The Dancing Dunhill's)から
 命名されている。また Bobby Robertsはヴァカンスに出かけていた
 南カリフォルニアのビーチホテルでメキシカンバンドの 
 The Iguanas を Phil Sloan と一緒に発掘した人物としても
 知られ、彼は後に Mums Records を設立し、1972年には
 Phil Sloan 通産4枚目のソロアルバムもそこからリリースした。

Pierre Cossette

Alvin Bennett
 

Jan & Dean
間もなくして彼らは Lou Adler から
Jan & Dean の為のセッション
ヴォーカルグループを探している事を
聴かされる。
Jan & Dean のバックを担当していた
The Matadors は当時 Screen Gems
の契約下だったが Liberty Records と
録音契約を持っていた。The Matadors
と交代して Jan & Dean のセッション
を担当する事になった Phil Sloan と
Steve Barri だが Liberty Records
は当時ヒップなサーフィンバンドを物色
していた。Sloan & Barri は Jan & Dean
に幾つか曲を提供しており、その中の
"(Here They Come) From All Over
The World"は T.A.M.I..SHOW のテーマ
曲としてリリースされているが、
この曲はその後 Fantastic Baggys の
アルバムに収録される
"Surfin's Back Again"へと展開する。
 ちょうど Jan & Dean のアルバム"DEAD MAN'S CURVE" が
 リリースされる3日前に Lou Adler は Screen Gems の幹部と
 意見が衝突し会社を退職する。Lou Adler の役職は彼の
 アシスタントだった Charles "Chuck" Kaye が速やかに引継いだ。
 これは計算された行動だったのだろう、実は Lou Adler は
 一ヶ月前には Pierre Cossette、Bobby Roberts らと
 Dunhill Production を設立したばかりだったのだ。そしてこれに
 合わせるように彼は Dunhill Production が管理する音楽出版社
 Trousdale Music を設立して、最初の契約は Phil Sloan &
 Steve Barriと行っている。即ちソングライターコンビの
 Phil Sloan & Steve Barri を Screen Gems から引き抜いたのだ。
 同様に Jan & Dean も Dunhill Production の管理下に置かれた。
 実際 Phil Sloan & Steve Barri はアルバム"DEAD MAN'S CURVE"
 収録曲にて多くのヴォーカルを被せており "The Little Old Lady
 From Pasadena" や"Hey Little Freshman" では Phil Sloan の
 素晴らしいファルセットヴォーカルが確認出来る。
 特に"The Little Old Lady"で聴かせるファルセットヴォーカル
 は長年 Brian Wilson だと思われていたが、実は Phil Sloan の
 ファルセットが大きくフューチャーされていたのだ。Jan Berry は
 IQ 180以上もある天才でレコーディングの多くを仕切っていた。
 しかし Phil Sloan & Steve Barri の適応力の高さや演奏能力の
 高さを認めており、正確に役割をこなせる彼らのサポートを
 好んでいた。また Jan Berry は Phil Sloan の声が自分に調和する
 事を実感していたという。当時は Monoral と Stereoの録音を
 分けておりラジオオンエアーを考慮し多くのテイクが録音されて
 いる。これらの録音は Jan Berry が Lou Adler に見せた
 忠誠心の表れでもあり、これによってPhil Sloan & Steve Barri
 もヴォーカルグループとして大きく成長した。
 しかし彼らを引き抜かれ怒り心頭だった Screen Gems は
 6月になって Jan Berry とLou Adler に対して民事訴訟を
 行うように通達してきた。Screen Gems は Jan Berry に
 対してアルバム"DEAD MAN'S CURVE"の
 ソングライタークレジットに関するクレームを全て放棄するように
 強要した。これは Jan Berry と Jill Gibson が共作した曲にまで
 及んでいる。"Little Old Lady from Pasadena" は Jan Berry が
 作曲していたが Screen Gems は Don Altfeld & Roger Christian
 のみのクレジットを執行しようとした。また Liberty Records の
 社長 Alvin Bennett をも名指しして、Dunhill Production と
 Trousdale Music を叩こうとした。結局両者の間に妥協案が
 提出されトラブルは解決に向って行った。その結果 Jan Berry は
 ソングライティングとプロデュースの面で Screen Gems の契約下
 でいることを法的に義務付けられた。それを受けて Jan Berry は
 名前を伏せて Trousdale Music に曲を残そうと努力したと言うが、
 彼らのアルバムDEAD MAN'S CURVE"はそれらトラブルが原因
 でプロモーションが弱くなっていた。しかし Jan & Dean の為の
 セッションを皮切りに Surfin' & Hot Rod Movement に参加
 する等、1964年は Sloan & Barri にとって本格始動の年であった
 と言えよう。 手始めに彼らは The Rally Packs 名義にて
 Jan & Dean のセッションのアウトテイクを用いて
 Brian Wilson-Roger Christian の書いた
 "Move Out, Little Mustang" をシングルリリースする
 (Imperial 66036) これは Fantastic Baggys への布石となる。
 また当時彼らが書いた"Tell 'Em I'm Surfin'"は
 元々シングルだけのセッションだった。そのデモテープを聴いた
 Liberty Records はアルバムパッケージとして契約を望んできた。
 後日 Lou Adler は Phil Sloan & Steve Barri をレコーディング
 グループとして拘束されたくなかったと語っており、
 このプロジェクトに乗り気がなかった事を伺わせている。
 Lou Adler は Phil Sloan & Steve Barri の才能を
 見抜いており、Liberty Records 傘下となった Imperial Records
 にレコードアーティストとして契約させる。
 それは設立されたばかりの Dunhill Production の為であった。
 Lou Adler が彼らをレコーディンググループとして契約束縛
 させたくなかったのは、後に Lou Adler が独立レーベルを
 設立するプランが水面下で動いていたためと推測される。
The Fantastic Baggys
Fantastic Baggys
(L to R): Bob Myman, P.F. Sloan, Steve Barri, Jerry Cargman

 彼らの代名詞となった Fantastic Baggys のプロジェクトは1964年
 から始まっている。当初 The Baggys と名づけられていたこの
 セッションバンドはデモ音源を完成させたばかりだった。Lou Adler
 はその音源を友人で Rolling Stones のマネージャーだった
 Andrew Loog Oldham に聴かせた。すると Mick Jagger までもが
 音源を聴いて驚いた。感想を尋ねられた際に Mick Jagger は
 「Fantastic !!」を連呼したという。それを由来にその後彼らは
 Fantastic Baggys と呼ばれるようになった経緯を持つ。
 (後年 Andrew Loog Oldham と袂を分けた Mick Jagger は
 "Paint It, Black" のセッションに Phil Sloan を呼び出し
 アドヴァイスを受けている)
 Fantastic Baggys のアルバム用フォトセッションに参加している
 二人は Bob Myman と Jerry Cargman だが、プロジェクトの為に
 集められたメンバーでアルバム録音には参加していない。
 Bob Myman はドラム担当となっていたが Phil Sloan の高校時代
 のクラスメイト、Jerry Cargman こと Jered Cargman は後に女優
 Donna Loren と結婚し、この夫婦は現在ハワイで ADASA という
 ジュエリーショップを経営している。

 また The Kinks の Ray Davies の弟のギタリスト Dave Davies が
 特に Phil Sloan のファンだった。Fantastic Baggys の
 セカンドシングルとなった"Anywhere The Girls Are"
 ではアンプの不調で生まれたという効果的なファズギターが
 使われており、The Kinks の代名詞となった1964年の大ヒット
 "You Really Got Me" のリフは Fantastic Baggys の
 "Anywhere The Girls Are"の冒頭のリフを引用している。
 同様にThe Kinks の "All day and all of the night" のリフは
 Sloan & Barri が書いたHal Blaine の「Drums a go go」で引用
 しており、それらは相互のカウンターリアクションによる
 キャッチボールであった事が伺える。
 彼らは徐々に人気作家としての道を歩き始め、多くの
 ミュージシャンからも注目される存在となっていた。
 Beach Boys の "Don't Back Down" のコーラスを模倣し
 Barrett Strong の "Money" の影響下に書かれたという
 "Anywhere The Girls Are"だが、数年後彼らはこの曲が
 ヨーロッパと南アフリカでヒットした事を知らされた。

Falling Leaves

また同時に彼らを落胆させる事柄を
Trousdale Music から聴かされた。
南アフリカでは無断でFantastic Baggys
のこの音源を A面で使い、B面は
南アフリカのグループ Falling Leaves
が歌う Jan & Dean のカヴァーを収録し
両面 Fantastic Baggys 名義のシングル
がリリースされていたのだ。
(South Africa Imperial IRS-94)
それを知った Steve Barri はこのヒット
を受けてヨーロッパと南アフリカの
ツアーに行きたがったのだが、その後
Lou Adler は Liberty との契約を
キャンセルし彼らを海外に行かせない
ようにした。Lou Adler らは最初から
この曲が局部的なヒットしていた事を
知っていたのだと思われる。
   
 またオリジナルシングルのB面に収録されたアルバム未収録の
 "Debbie Be True"は元々 Jan & Dean の為のデモとして録音
 されていた曲で、Jan Berry に聴かせるために Jan の声を
 真似て録音されていた。間もなくして Trousdale Music は彼らに
 「The Baggys のプロジェクトは終わったからサーフィンソングを
 書く事をやめるように」と伝えてきた。しかし曲を書き続けていた
 Phil Sloan は "Save Your Sundays For Surfin'"のデモ音源を
 完成させる。アルバム製作当時 Phil Sloan 18歳、
 Steve Barri 22歳であった。今にしてみれば、これら複雑な
 人間関係や当時のその状況は Fantastic Baggys のアルバム最後
 に収録された "Sufin's Back Again - and Surf Impersonations"に
 多くのヒントが隠されていたのだ。
  
Shelley Fabares & Lou Adler
Shelley Fabares & Lou Adler
また Lou Adler と1964年に結婚した
ばかりで"Johnny Angel"の全米1位
ヒットを持つ美人女優兼シンガーの
Shelley Fabares を Screen Gems 系の
Colpix から Vee Jay Records に短期間
移籍させたのは Dunhill Production の
配給契約を目論む Lou Adler の
計画であった。またこの時期 Phil Sloan
& Steve Barri は Fantastic Baggys 
として Shelley Fabares の
"I Know You'll Be There"に
バックアップシンガーとして参加。
勿論曲を書いたのも
Sloan & Barri でありプロデュースは
Lou Adler が担当した。
この曲はイギリスでも話題となって
おり、翌年 Phil Sloan 自らもソロで
デモ録音している。既に Phil Sloan
の書くメロディーはアメリカはおろか
イギリスでも注目されており、その作風
こそMusician's Musician として彼が
いまだ愛され続けている所以である。
 

Terry Black
また Dunhill Production 設立にあわせ
カナダのティーンアイドルシンガー
Terry Black の本格的なアメリカ進出の
ために Terry Black を Vee Jay Records
傘下だったTollie Records に招き曲を
提供する。同時に彼らは Terry Black
がカナダ本国で所属していた ARC にも
出向きレコーディングサポートを
行った。Terry Black に歌わせた
"Unless You Care"は Phil Sloan が
16歳の時に Elvis Presley に歌わせ
ようとして書いた曲である。この曲の
録音では Glen Campell がギターソロ
を担当した。また "Little Liar"も Phil が
子供の時に書いた曲だ。
その他 Terry Black のカナダ盤アルバム
に収録させた残りの曲は
Phil Sloan & Steve Barri の書き下ろし
曲である。Terry Black はルックスも
よく俳優志望であったために Lou Adler
はTerry Blackのアメリカ活動を仕切って
成功させようと目論んでいた。最終的に
Lou Adler は1965年に Dunhill Records
を設立した後に Terry Black を
引き抜いている。
 
 Phil Sloan & Steve Barri は Dunhill Records 設立に向けて精力的
 に曲を書き始める。それらの多くに Phil Sloan が歌うデモ音源が
 残されているのだが、彼自身のその後のソロ活動をも視野に
 入れていたかのような出来の良さである。Phil Sloan 得意の
 Jazzmaster は効果的な Twang Guitar の音色を響かせ、フックの
 引用は、過去に手掛けた良質な曲群にも繋がっている。

 
Lou Adler
Lou Adler
1965年に入ると Lou Adler が
独立レーベルとして Dunhill Records
を設立。プロダクションは1965年から
Dunhill Records となり創設者に
Jay Lasker を迎え ABC Records の
配給で全米にリリースされていく。
Jay Lasker は Lou Adler 退陣後の
Dunhill Records の社長となる人物で
後の ABC Dunhill Records も彼が務め、
その後 Motown Records の社長にも
なる人物だ。当初は Vee Jay Records
にコンタクトをとっていたLou Adlerだが
Vee Jay の情勢が悪化している事を知り
ABC Records へ配給権契約を
持ちかけている。
 
 Dunhill Records の第1弾は Fantastic Baggys のスタジオ音源を
 利用した Rincon Surfside Band 名義のプロモーション盤
 EP だった。これは Dunhill Recordsのアルバムリリース第1弾の
 予告となった。この時点では同社のイメージカラーは決まって
 おらず、このカラオケのセッション音源は Dunhill Records に
 移籍させたセッションドラマー Hal Blaine がリリースしたレコード
 でも応用されている。その後も Fantastic Baggys の
 "Surfin' Craze"を替え歌にして Willie & The Wheels 名義で
 シングルリリースしている等 Fantastic Baggys 音源の幾つかは
 Dunhill Records でも聴く事が出来る。

Hal Blaine

Rincon Surfside Band
 

Phil Sloan With The Iguanas
カリフォルニア南部のリゾート地で
歌っていたメキシコ人クラブバンドが
The Iguanas だ。その素晴らく
メランコリックなヴォーカルを聴いた
Phil Sloan は驚いて、すぐさま
彼らと契約した。その郷愁を帯びた
柔らかいヴォーカルはまさに Phil Sloan
が表現したかった重要なファクターで、
また Sloan & Barri の持つカジュアル
だけど繊細な響きを持つメロディーに
The Iguanas は見事に適応した。
彼らは1965年から1966年にかけて
Dunhill Records で3枚のシングルを
リリースしている。
 
 1966年から1968年にかけて良質なシングル4枚を
 Dunhill Records に残したのがThomas Group だ。
 グループのリーダー Tony Thomas はコミックブックのライター
 であるDanny Thomas の息子であり、彼の姉の Marlo は
 ホームコメディー「That Girl」でスターとなっており
 当時 Lou Adler と付き合っていた。
 Phil Sloan が曲を提供して全面バックアップする事になった彼らは
 Lou Adler と契約し、Tony Thomas がドラムを担当、
 Greg Gilford がリードヴォーカルを担当した。
 Greg Gilford は女優 Anne Gwynneの息子だった。
 当時 The Vogues のスタイルのハーモニーに
 魅力を感じていた Phil Sloanは彼らとならヒット曲が出来ると
 判断した。ファーストシングルでは演奏能力に難があった為に
 Phil Sloan がギターやファルセットヴォーカルを務め、
 Joe Osborne (bass), Larry Knechtel (keyboards),
 Hal Blaine (drums) らセッションミュージシャンを参加させて
 Penny Arcade / Ordinary Girl (DUNHILL D-4027) をリリース。
 A面は既に前年イギリスのシンガー Michael Leslie に取り上げ
 られていた曲で、アレンジを改めて録音した。
 両面とも Phil Sloan & Steve Barri が書いた傑作。
 セカンドシングルは元々 The Vogues に歌わせようと
  "You're The One" のリフを進化させて Phil Sloanが書いた
 "Autumn"や、Goffin-King の曲風を模倣して書いたと言う
 "Don't Start Me Talkin' 'Bout My Baby" (DUNHILL D-4030)
 をリリース。サードシングル I've Got No More To Say /
 Then It Begins (DUNHILL D-4062)はピクチャースリーヴを
 付けてリリースされた。
 因みに先述の南アフリカの Fantastic Baggysだが 1967年に
 Phil Sloan-Stive Barriが Thomas Group のためにに書いた
 "I've Got No More To Say"を歌い南アフリカ1位のヒットと
 なったと Steve Barri は語っている。
 Thomas group が歌ったヴァージョンは1967年当時
 ニューヨークの Albany ではローカルヒットを記録している。
 B面の "Then It Begins"は素晴らしいリフとファズ
 のブレイクを併せ持ったFreakbeat の傑作だった。
 Lou Adler 退陣後に Dunhill Records の社長になった Jay Lasker
 は彼らがヒットしない原因はリードヴォーカルだと判断し、
 彼らのラストシングルとなった"Is Happy This Way"
 (DUNHILL D-4117)ではミックスダウンに卓越していた
 Steve Barriのヴォーカルを被せプロデュースも Steve
 が担当した。この曲は The Cyrkle の
 "Please Don't Ever Leave Me"作者としても知られる
 Susan Haber の単独作で素晴らしいソフトロックとなって
いる(B面は Terry Blackのカヴァー Sloan-Barri 作で
 彼らのファーストシングルのB面で録音していた曲)
 彼らが Dunhill Records に残した全ての曲のポテンシャルは高く、
 また彼らのヴォーカルの力量も素晴らしいが何故かヒットして
 いない。推測だが、グループのリーダー Tony Thomas の
 姉と愛人関係にあったLou Adler の後ろめたさもあってか
 セールスプロモーションが弱かったのかも知れないが、
 アンリリースに終わった彼らの5枚目シングルはメンバー
 Greg Gilford のオリジナル"Someone" と Grass Roots でも
 録音されるSloan-Barri 作 "Is It Any Wonder"が用意され
 演奏パートは既に録音されていた。
 彼らはその他にも多くの未発表曲音源を録音しておりライブ活動
 や Ed Sullivan Show 等幾つかのテレビ出演もしていた。

Thomas Group
Greg Gilford, Bobby Wallerstein, Tony Thomas,
Marty Howard, David Goldsmith
 
Shelley Fabares
Shelley Fabares
当時急成長をしていた西海岸の音楽
業界だったが Phil Sloan & Steve Barri
はまさしくその中心を担っており、
Lou Adler は彼らに Folk Rock
Movementをさらに活性化させていく事
をテーマとして作曲を依頼している。
レーベル設立にあわせ妻の
Shelley Fabares を移籍させた
Lou Adler だが Sloan & Barri
の曲を彼女に歌わせたように、
既に彼らは Dunhill Records を代表する
ソングライターコンビとなっていた。
西海岸の独立レーベルとして注目された
Dunhill Records であったが、時代の
最先端を担う楽曲群を Sloan & Barri が
量産出来たのは彼らが早くからユース
カルチャーを睨んだ楽曲作りをしていた
からであろう。この時期の時代の変化
はとても早く、またリスナーの環境も
日々変化していったのはヴェトナム戦争
の悪化に由来する。また当時は
日々録音技術が向上しており、特に
多重録音のシステムは短期間に
大きな変化を見せる。
 
 当時 Folk Rock Movement が西海岸のユースカルチャーから
 発生していき、彼らも Folk Rock の名作を次々と生み出して
 いくのだが、そこで引用されたキャッチーなメロディーや
 印象的なリフは過去に完成させられていた曲の応用からである事
 が解る。すなわち彼らのソングライターとしての高い資質はどんな
 アーティストでも歌いやすいメロディーであった事に表れている。
 Bruce & Terry 名義の Carmen / I Love You Model T
 (Columbia 4-43238)で既にサウンドの完成を迎えつつあった
 Terry Melcher は在る日 Phil Sloan を呼び出し、完成させた
 ばかりの The Byrds "Mr.Tambourine Man" の音源を聴かせて
 感想を求めた。しかし Phil は全く驚かなかったと言う。
 何故なら前年既に Phil がギター参加した The Rip Chords の
 セッションにてそのリヴァーヴの処理は約束されていたからだ。
 この発言は、Phil Sloan がリヴァーヴギターのアクセントに
 着眼していた事が前後の作風からも良く解る。
 彼は Vee Jay Records 時代の Northern Soul チューンですら
 得意のJazzmaster で Twangy なギターリヴァーヴを奏で、
 それは印象的なサウンドだった。

Barry McGuire
この時点で Phil Sloan & Steve Barri が
歩もうとする方向性が、当時導入された
16トラック録音を中心とするサウンド
進化に応用させる事 Over Produce
作業ではなく、楽曲のクオリティーを
優先させるソングライティングであった
事が伺える。それは Phil 自身が
ソロシンガーソングライターとして
デビューする事も視野に入れ始めて
いたからだろう。その後も彼らの書く
楽曲は広くマーケットに浸透して
いった。それは彼らが書いた
Barry McGuire の"Eve Of Destruction"
の全米1位を筆頭に The Turtles,
The Mamas & The Papas, Grass Roots
らメジャーアーティストが取り上げた
一連のヒット曲にも表れている。
 例えば The Mamas & The Papas の代表曲である
 "California Dreamin'" の冒頭の印象的なイントロは Phil Sloan
 が作ったものだ。当初 John Phillips は出来上がったばかりの
 この曲を持ってきて Phil Sloan に聴かせ「他になにか付け加える
 事があるだろうか」と訊ねてきたと言う。Phil は彼に「もし君が
 The Ventures の "Walk Don't Run"を覚えているなら」と
 コード一つでどのようにして曲が今以上に親しみやすく聴こえるか
 演奏してみせた。イントロの部分に関してカウンターハーモニー
 を導入させるよう Phil Sloan が取り決めこの素晴らしいイントロが
 完成したのだ。この名曲は先ず Barry McGuire のアルバム
 This Precious Time (Dunhill 50005) に収録された。
 その後同じバックトラックを用いて The Mamas & The Papas が
 シングルカットをしている。
 彼らの"Monday Manday"同様にレコードでは Phil Sloan の
 奏でるギターがフューチャーされている。

The Mamas & The Papas

Barry McGuire With Phil Sloan
 
 既に Dunhill Records でのソロキャリアをスタートさせ
 The Sins Of A Family(Dunhill D-4007)で全米87位のチャートイン
 をさせた Phil Sloan だが Lou Adler は彼らに Folk Rock
 Movement をさらに活性化させていく事をテーマとして作曲
 を依頼している。恐らくそれは Dunhill Records が Phil Sloan
 の今後のソロ活動を判断する為の試金石でもあったのだろう。
 The Grass Roots は元々 Phil Sloan & Steve Barriが書いた
 Folk Rock 曲が、どのようなマーケットリアクションを起こすか
 リサーチするためのプロジェクトだった。彼らが書いた
 "Where Were You When I Needed You" を元に
 このプロジェクトは発展する。
Phil Sloan
Phil Sloan

これは Phil Sloan のソロプロジェクト
とほぼ同時期にスタートしている。
当時のフォークロックブームの
リアクションを伺うべく Phil Sloan が
歌ったこの曲は The Grass Roots と
クレジットされラジオ局に配布された。
ラジオ局からの良い反応を知った
彼らは早速このプロジェクトの為の
レコーディングを重ねながらバンドを
探す事になった。
彼らはサンフランシスコのクラブ
Whisky-A-Go-Go に出向き
オーディションを行った結果、地元の
バンド The Bedouins が選出された。
このバンドは
Denny Ellis (rhythm guitar),
Bill Fulton (vocals and lead guitar),
Joel Larson (drums), Dave Stensen(bass)
の4人組みで、彼らはサンフランシスコ
のバンドバトルで優勝した経歴を持つ。
 

The Bedouins (Early Grass Roots)
(L to R): Denny Ellis, Dave Stensen, Joel Larson, Bill Fulton
 当時彼らは全員18歳以下だった為に契約には親の同意が
 必要だった。彼らはその後ロスアンジェルスに出向きライヴ
 パフォーマンスをしながら部分的な録音に参加する。彼らにとって
 ファーストシングルとなった Mr. Jones (Ballad Of A Thin Man) /
 You’re A Lonely Girl は間もなくしてラジオ局に配布されて、
 そして幸先良くチャートインしている。当時 The Grass Roots と
 いう名前は Love の Artur Lee が既に時折使用 しており、
 その名前でギグを行っていた。それを知った Dunhill Records は
 法的にトラブルが起こらないように The Grass Roots の
 ネーミングライセンスを取得している。Dunhill はグループメンバー
 をハリウッドのアパートで共同生活をさせ、ライヴパフォーマンス
 とレコーディングを続けさせた。
 グループと Sloan & Barri は改めてニューヴァージョンの
 "Where Were You When I Needed You" を含む他を録音
 させながらアルバム製作を始めた。
アルバムにはメンバー写真は
使用されずインパクトの強い写真を
用いて市場の反応を伺う事になった。
おそらくそれは Phil Sloan がソロ
シンガーとしてやっていく事を決意
しており、またメンバーが未成年だった
から収録曲とイメージにギャップが
ある事を Dunhill Records が懸念して
いたからかも知れない。
グループはもっと歌入れにも参加させて
欲しいと Dunhill Records にかけあった
がそれは拒否され録音の多くは
Phil Sloan によって歌われた。
しかしプランナーだった Phil Sloan が
ソロ活動に専念する事もあり、
プロジェクトは一時的に頓挫した。
 それを不満に思ったグループは空中分解してしまいメンバーは
 サンフランシスコに戻った。 Bill Fulton と Denny Ellis は
  The Serpent Power (Vanguard) に参加し、Dave Stensen は
  Gunga Dave と名乗りサンフランシスコのローカルバンドに
 参加する。最後までグループを維持しようとしていた Joel Larson
 もサンフランシスコに戻って新たなバンド に参加する決意をした。
 彼はその後 The Byrds のメンバーだった Gene Clark が結成した
 Gene Clark & The Group に参加し、その後 Emitt Rhodes 率いる
 The Merry-Go-Round に加わる。(1974年からは
 The Grass Roots に復帰)しかしその後ニューヴァージョンの
 "Where Were You When I Needed You" のシングルはチャートを
 ジャンプアップし全米28位の大ヒットとなっていた
 
 1967年に入り、改めて他のグループを探さなければいけない
 状況に陥った Dunhill Records はロスアンジェルスのバンド
 The 13th Floor をスカウトした。彼らはオリジナルソングも
 持っておりメンバーは Creed Bratton (lead guitar),
 Rick Coonce (drums),
 Warren Entner (vocal and rhythm guitar),
 そして日系人のKenny Fukomoto (vocal and bass)
 からなる4人組みだった。
彼らは Dunhill Records にデモ音源を
送っており、Dunhill Records は良い
感触を持っていた。しかし間もなくして
グループのソングライターでもあった
Kenny Fukomoto が徴兵の為にグループ
を脱退する。契約を迫られていた
彼らは慌ててメンバーを探し、
ミュージシャンズユニオンに出向き
ベースとヴォーカルが出来る Rob Grill を
見つけ出しオーディションの末、
グループに参加させた。
Dunhill Records は改めて彼らに
The Grass Roots を名乗るように命じ、
The Grass Roots プロジェクトは第二章
にて新しいグループで進んで行く事
となった。
 

The Grass Roots / AKA The 13th Floor
 
Phil Sloan / P.F. Sloan メッセージ色の強いプロテストソングが
求められた時代に呼応するかのように
Phil Sloan は1965年から
アコースティックギターを片手に
立ち上がり、シンガーソングライター
として本格的なソロ活動を始める。
そして彼の書く歌は保守主義者層から
強烈な批判を浴びた。
しかしながら"Eve Of Destruction" が
そうであったように政府に対する
抗議賛歌としてそれらの活動家から
大きな支持も得た。しかしそれが原因で
Dunhill Records は Phil Sloan の
ソロ活動に対するプロモーションの
展開に躊躇する。
コマーシャルなトレンドを発信してきた
Dunhill Recordsの中心ソングライター
であった Phil Sloan だが、彼のこの
ソロ活動は Dunhill Records に
とって大きな痛手でもあった。
その後の展開に恐れた Dunhill Records
の幹部は Phil Sloan に対して、過去作曲
した曲と今後ヒットする可能性を持った
曲のロイヤリティーを会社に譲り渡す
ように要求してきた。
 その結果彼は自身の曲のロイヤリティーを Dunhill Records に
 譲渡している。彼のソロ活動は、Dunhill Records の専属
 ソングライターとしてコマーシャルなヒットソングを量産
 させたかった会社の意に反していたのかもしれない。
 恐らくこの契約がその後のPhil Sloan と Steve Barri の
 立ち位置を別けたのだろう。
 多くを失う事でスタートさせた Phil Sloan のソロシンガーとしての
 キャリアだがギターマシンガンを持った20才の若者の決意は
 その作風から多くを伺い知る事が出来る。
 彼はギター片手に戦い続けた。しかしその後およそ1971年から
 1986年まで彼は緊張型分裂病とそれに伴う低血糖症によって
 無気力となり、ミュージックシーンから消えていった。
 しかし1990年代半ばから徐々にポジティヴな姿勢を見せ、
 アルバムをリリースする事で我々ファンの前に復活した姿を
 見せてくれた。我々ファンは彼の生み出して来た作品から、
 そこで何が起こったのか考え知る必要があるのではなかろうか。
 
 Phil Sloanは2015年11月15日にロサンゼルスの自宅で永眠した。
 彼は数ヶ月にわたりすい臓がんを患っていたが、
 彼の死亡はその病気に起因していた。
 
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