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Gary Usher Story

Gary Lee Usher
1938 - 1990
 
Gary Usher Story 
VANDA 23 から。執筆:小林康樹 &竹内義彦
Written by Koki Kobayashi & Yoshi Takeuchi
Supported by Gary Usher Jr. (Metal Blade Records Inc.)

http://www.myspace.com/sprayface
  ← Gary Usher,Jr. Interview
               A Son Tells Great Father's Memory
               ゲイリーアッシャージュニアが語る父の想い出
 
 世界最大のインターネット辞典 Wikipedia の編集部から当サイトで掲載している
 写真の使用許可をしてほしいと打診があり、それら幾つかのレア盤等写真の
 掲載許可を致しました。これらの写真は Wikipedia にも掲載していますので
 興味のある方はご覧下さい。また同様に当サイトに掲載しています写真に
 Wikipedia のリンクを貼っておりますので人名検索等にお役立て下さい。
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 DECCA YEAR / 1965
 この1965年には、ゲイリーの作品の殆どが Decca Records から
 発表されているが1月に "La La La La"で有名なグループ
 The Blendells - Dance With Me / Get Your Baby (Reprise 0340)
 にゲイリーが関わっている。このB面は The Hondells のスタッフである
 Wayne Edwards & Randy Thomas が書いたフリーキーなインスト曲で、
 ゲイリーも録音に参加したと言われている。

The Blendells
 
 この年1月、まず Decca で最初にリリースされたゲイリーワークスは
 The Surfaris の Beat '65 / Black Denim (Decca 31731) だった。
 A面はビートの効いたアップテンポの高速インストで出来も良い。
 この曲は Richard Burns と Richard Podolor が書いている。

The Surfaris
B面は The Hondells のセカンド
アルバムでも使ったヴォーカル
ナンバーでゲイリーはバック
コーラスでも参加。
これまでもゲイリーは
The Surfaris のレコード製作に
関わってきたが、このシングル
で初めてプロデューサーと
アレンジャーでクレジットされた。

日本盤シングル

   日本盤4曲 EP
 
The Surfaris のドラマーの
Ron Wilson が連続ドラム
プレイの世界記録を作った。
中央ドラムセットに座る
Ron Wilson の右隣で
ドラムスティックを持つ
Gary Usher
 
 続いて2月に Bobby Sherman の
 It Hurts Me / Give Me Your Word
 (Decca 31741) を発表。
 A面はゲイリーのオリジナル曲。
 メロディアスなティーンポップの傑作。
 B面は Raul Abeyta-Roger Christian
 の共作。両面ともゲイリーがプロデュース
 とアレンジを担当。コーラスのオーヴァー
 ダビング等アンサンブルのアレンジも
 向上し良質のティーンポップに
 仕上げている。
 
 ★1965年2月7日 アメリカがベトナム戦争に介入
 ★1965年2月21日マルコムX暗殺
 
 

Gary Usher
3月中旬にゲイリーは
シンガーとして所属していた
Capitol Records から
It's A Lie / Jody (Capitol 5403)
をリリースした。
A面はホットロッドでは
ないがアップテンポの
ロッカーチューンで出来も良い。
Jim Weiser の曲で この人物
James L.Weiser はその後 Decca
からリリースされる L.A. Teens
のスタッフメンバーとなる。
B面は "Beetle" とのカップリング
で既に発表していた "Jody" を
収録した。両面ともゲイリーの
セルフプロデュース。
 

 3月に The Weird-Ohs のアルバムから Leaky Boat Louie / Digger
 (Mercury 72410) がシングルカットされている。
 レーベルから判断出来るようにこのセッションは The Hondells の
 レコーディングセッションを流用しており、これらミュージシャンは
 テーマに応じマルチタイプなレコーディングを行っていた事が解る。
 両面とも Chuck Girard のリードヴォーカル。コミカルな歌詞だが
 フリーキーなアンサンブルも Surf Style で仕上げられた傑作シングル。
 
 4月には L.A. Teens の You'll Come Running Back / I'm Gonna Get You
 (Decca 31764) をプロデュースしているが、この頃からゲイリー
 の作風は変わっていく。12弦ギターをレコーディングで多様し、メロディーも
 イギリスのビートグループから影響を受けたような曲を多くレコーディング
 するようになった。この時期、ウェストコーストから生み出された多くの
 サウンドを「British Invasion に対するアメリカの返答」と言われたが
 これらの風潮やカウンターカルチャーは、ゲイリーも含める西海岸の若き
 クリエイターやミュージシャン達の意識の変化が及ぼしたものだ。
 A面は Ronald Weiser の単独作品。
 B面はオルガンを配した GS 調のストンパーチューンで
 Ronald S. Weiser-James L. Weiser-William S. Schneed の共作。
 両面ともゲイリーのプロデュース&アレンジ。
 当初は「エレキギターのうるさいフォーク」と世間から揶揄されていたが
 この年の5月には Terry Melcher のプロデュースの下、The Byrds が
 Bob Dylan のカヴァー Mr.Tambourine Man (Columbia 43271)
 をリリースし全米1位の大ヒットとなった。これこそがイギリス勢に対する
 アメリカの答えとして代表されるエポックメイキングな1枚だ。
 当時イギリスに衝撃を与えた Bob Dylan の楽曲から多くの歌詞を
 抜き取り、壮麗なアレンジと美しいハーモニーをブレンドさせたのは
 同じフィールド出身である Terry Melcher だった。
 彼は Bruce and Terry - Carmen / I Love You Medel "T"
 (Columbia 43238) をリリースさせたばかりだった。このプロデュースは
 ゲイリーを強く刺激したようで、ゲイリーはこの後ホットロッド作品と
 平行してフォークロック作品をリリースしていく必要に迫られる。
 ティーンリスナーは少しずつ成長しており意識変化が始まっていたのだ。
 
 同じ4月にリリースされたのが The Devons - Honda Bike / Free Fall
 (Decca 31777)で、これはホットロッドミュージックの有終の美を飾る
 傑作シングルだった。A面は Gary Usher と Buzz Cason の共作。
 Chuck Girard のリードヴォーカルも
 素晴らしく Rronny & The Daytonas
 スタイルのハーモニーが導入される。
 B面は Richard Podolor の
 書いたメロディックなサーフインスト
 の傑作。因みに Buzz Cason は
 ヴォーカルグループ The Statues 出身で
 その後 Nashvelle の Bucky Wilkin と
 共に行動し Ronny & The Daytonas
 をヒットさせたソングライターでもある。
 Buddy Holly 亡き後も活動していた
 The Crickets は同郷の Snuff Garrett
 を頼ってロスに移る。
 同じ時期、活動の場をロスに移していた
 Buzz Cason は解散前の The Crickets
 のメンバーとしても活躍していた。

    Buzz Cason
  (AKA Garry Miles)
 話を戻して The Devons だが、この
 レコーディングセッションでは
 4曲録音されていて、2曲が未発表に
 終わった。その未発表曲の中でも
 優れているのが The Beach Boys
  の "This Car Of Mine"のカヴァー
 "This Bike Of Mine" で、スピード感
 溢れる傑作カヴァーだったが
 何故かリリースはされなかった。
 The Devons は Chuck Girard を
 リードヴォーカルにしたセッション
 バンドで、The Super Stocks の
 セッションの応用でもある。

    Chuck Girard
 

当時、日本でもリリースされた
  The Devons のレアシングル
奇しくもこの "This Bike Of Mine"
は CD 「Hot Rod U.S.A.」と
The Super Stocks の CD
「Complete」に別々の異なる
ヴァージョンが収録された。
両方とも間奏のコーラスアレンジ
が異なり、Chuck Girard の
リードヴォーカルも若干異なる。
また The Super Stocks の CD に
収録された方は間奏にオルガン
が加わる。
 
 
 これに続き4月 Bobby Sherman の Hey Little Girl / Well All Right
 (Decca 31779) をリリース。プロデュースとアレンジを担当。
 A面は Neville Jade の書いたブリティッシュ風ビートチューンの傑作、
 演奏も然ることながら Bobby Sherman の溌剌としたヴォーカルも素晴らしい。
 またB面は Buddy Holly のカヴァーに素晴らしい12弦ギターを導入させる。
 両面とも素晴らしい出来となった。
 
 5月に The Surfaris はアルバム Hit City '65 (Decca DL/DL7-4614)
 をリリースしているが、このアルバムでゲイリーはプロデュースとアレンジを
 担当している。このアルバムには "My Little Bike" 等のゲイリー作品も
 収録されているが The Beach Boys の
 "Dance, Dance, Dance" のカヴァー
 や Herman's Hermits の "I'm Into
 Something Good", The Searchers
 "Love Potion #9" (オリジナルは
 The Clovers)等、ブリティッシュ
 グループのカヴァーも収録されており
 この1965年がいかにブリティッシュ
 ポップの勢いがあったか伺える。
 サーフミュージックを売りにしていた
 The Surfaris であるがブリティッシュ勢
 の台頭によりスタイルの変化を余儀
 なくされていったのであった。
 このようにホットロッドとブリティッシュ
 ポップが一緒に収録されたこのアルバムは当時の時代の変化を的確に
 物語っている。またそれは逆説的に西海岸でブリティッシュビートと
 フォークロックの素晴らしい交配が行われていく事実をも物語っている。
 
 5月には The Surfaris のシングル Theme Of The Battle Maiden /
 Something Else (Decca 31784) がリリースされる。これもゲイリーが
 プロデュースしたものだが、A面は The Surfaris の自作曲で彼ら従来のスタイル
 である軽快なインスト。B面は Eddie Cochran のカヴァーで Ron Wilson の
 歌うヴォーカルチューン。

日本盤
余談だが、このシングルは
当時日本でもリリースされており
B面はなんと片チャンネルしか
収録されておらず、ヴォーカル
がうっすらと聴こえる程度の
ふざけたシングルだった。
リズムギターだけが淡々と進んで
いく下手なカラオケレコードの
ようなもので、今では信じられ
ないが当時の日本盤では
このようなミスがたまにあった。
      
 
 さてこの5月にはゲイリーにとって最後のフル ホットロッドアルバムとなった
 The Revells - The Go Sounds Of The Slots (Reprise R/RS-6160)
 がリリースされた。録音は1964年のクリスマス前に Western Recorders
 スタジオで行われており実質的に The Hondells の 3rd Album と言っても良い。
 プロデュースは Warner Brothers の Jimmy Bowen が担当し、ゲイリーは
 セッションリーダーを務めた。レコーディングに参加した他のミュージシャンは
 Dick Burns (Bass), Randy Thomas (Keyboards),
 Jerry LeMire (Guitar), Joe Kelly (Percussion),
 Glen Campbell (Guitar), Richard Podolor (Guitar),
 Bill Cooper (Guitar), Tommy Tedesco (Guitar),
 Richie Frost (Drums), Hal Blaine (Drums), Chuck Girard (Keyboards)
 となっている。ギタリストの Jerry LeMire はアイオワ州出身のミュージシャン
 で以前 Dick Clark Show のツアーキャラヴァンのメンバーとして
 ツアーに出た際に The Hondells と一緒に演奏していた経緯があり
 ロスアンゼルスへ移住し1964年から1966年まで The Hondells の
 ツアーとレコーディングメンバーとして活動した。

Jerry LeMire

  Glen Campbell
 

Tommy Tedesco

  Hal Blaine
 
 これはホットロッドといってもテーマは当時流行していたスロットカー
 (レール状の道の上を走らせる車のプラモデル)をテーマにしたもので、
 グループの名前も玩具の発売元である Revell から名づけられた。
 このアルバムは収録された全10曲がヴォーカル入り、そのうちの4曲が
 過去発表した曲のリメイクとなっている。
 "Hot Rod High" が "The Restless Rookie"に、
 "The Wild One" が "Wait Till Next Time" に、
 "My Little Bike" が "My Ferrari G.T.O." に、そして
 "Two Wheel Show Stopper" が "Little Stocker"へとリメイクされた。
 これらは歌詞もそれぞれ変えて、アレンジも良い。

アメリカ盤アルバム

    日本盤アルバム
 
 この他にも "Cobra" や "Slot City"
 そして "Fastest Little Racer" 等の
 佳曲が収録され楽しめる内容に
 なっている。
 このセッションは The Hondells と
 同じセッションメンバーを流用しており、
 リードヴォーカルを務めた Chuck Girard
 は "Fastest Little Racer"で後の
 Chuck and Joe のスタイルとなる
 Righteous Brothers の Bobby Hatfield
 を模倣したヴォーカルを披露している。
 因みにこのアルバムはステレオとモノラル
 では若干ミックスが異なる曲がいくつか
 ある。その違いがはっきりしているのが
 "My Ferrari G.T.O."で間奏のオルガン

    日本盤シングル
 パートが全く違っている。また"Wait Till Next Time" もオルガンソロが微妙に
 違う他冒頭のベースラインも違う。アメリカではこのアルバムからのシングル
 カットはなかったが、日本のみでシングルカットもされアルバムも
 リリースされた。
 

TV番組 Shindig に出演してDarlene Love や The Ronettes の
メンバー達と "Hot Rod Medley" として The Revells のアルバム
から "
Lotus 23", "Fastest Little Racer", "My Ferrari G.T.O.",
The Restless Rookie" の4曲を歌う Bobby Sherman
 
 同5月、ゲイリーは子役でも有名だった Keith Green のシングル
 A Go-Go Getter / The Way I Used To Be (Decca 31799) をプロデュース
 &アレンジしている。A面はキースの自作曲でアップビートのゴーゴーソング。
 これは躍動的なビートチューンでキースの才能が顕著に現れた傑作。

 B面はキースとゲイリーの共作でミディアムティーンポップの傑作。
 ここでは以前録音したWayne Newton の "Coming On Too Strong"
 スタイルのハーモニーやドラムフィルを効果的に挿入させている。
 このB面はキースが始めてASCAP に登録した曲と言われている。
 当時キースは13歳だったが曲作りでもその非凡な才能を
 開花させようとしていた。
  
 続く6月には Chuck and Joe のファーストシングル
 Can't Fool Me Twice / Feel So Fine (Feel So Good)
 (Decca 31805) をプロデュース&アレンジしている。
 このデュオは The Castells のメンバー Chuck Girard と Joe Kelly の
 ことで二人ともゲイリーのセッションではヴォーカリストとして活躍して
 いる。録音は5月12日に行われており、このレコーディングでは当時
 The Surfaris のベーシストで後に Arthur Lee 率いる Love に参加する
 Ken Forssi がベースを担当した。A面はChuck and Joe の自作曲で
 Righteous Brother風に歌っていて、ゲイリーにしては珍しくホーンに
 よるアレンジでまとめている。B面は Shirley & Lee の1956年の
 ヒット "I Feel Good" のカヴァーだが、ここでは Righteous Brothers 風
 に掛け合いで歌う Rocker Style に仕上げている。

Chuck Girard and Joe Kelly

 Acetate From 5/12 1965
 
 同じく6月には The L.A. Teens の 2nd シングル All I Really Want To Do /
 Saturday's Child (Decca 31813) をリリースしている。
 両面ともゲイリーがプロデュースとアレンジを担当している。これは
 1965年5月に The Byrds が放った大ヒット "Mr.Tambourine Man" に
 ゲイリーが素早く対応したもので Bob Dylan のカヴァーフォークロック。

 この曲は The Byrds のファーストアルバムでも取り上げた名曲だが
 The Byrds のアルバムが8月にリリースされる前に、ゲイリーが
 先手をとった選曲だった。The Byrds のヴァージョンと比べる
 とサビの部分のアレンジが異なるこの The L.A. Teens の
 ヴァージョンはアメリカでも高い評価を得る。
 B面はメンバーの James L. Weiser and Ronald S. Weiser が有名な物語
 にメッセージ色の強い歌詞を加えたものでフォークロック調に仕上げている。
 この時期にはアメリカの音楽業界には大きな異変が起きていた。
 フォークロックの台頭である。フォークロックという呼び名はビルボード誌の
 エリオットティーガルが名付け親とされているが、この新しい音楽が登場した
 背景には当時のアメリカを取り巻く様々な社会状況があった。
 つまりベトナム戦争の激化により、
 これまでのように男女の恋愛について
 ごく当たり前に「I Love You」といった
 言葉で綴られた曲よりも、もっと
 現実的に社会を鋭い視点で見つめた
 歌詞がリスナーに受け入れられて
 いくようになる。若者の苦悩や
 主張がライフスタイルに変化を
 及ぼしたのだ。The L.A. Teens は
 The Byrds と同時期に活動した
 5人組グループだ。
 西海岸のユースカルチャーの変化を
 受けてデビューしたが、そのサウンド
 のクオリティーは高い。
 

       The L.A.Teens

Bill Schnee
因みにメンバーのBill Schnee
はその後エンジニアーとなり
彼は America や Cher,
George Benson, Miles Davis,
Chicago 等多数のアルバム
を手掛ける。
 
 またこの6月には Donna Loren がアルバム Beach Blanket Bingo
 (Capitol T/ST-2323) をリリースしたが、この中で Gary Usher と
 Roger Christian が書いた "Cycle Set" がアルバムの
 1曲目として取り上げられた。

TV番組 Shindig に出演して Bobby Sherman を
自転車の後ろに乗せ "Cycle Set"を歌う Donna Loren
 
 アルバムのプロデュースは奇才 David Axelrod が担当しており
 Mike Curb の書いた"Freeway" とゲイリーの "Cycle Set" 以外は
 すべて A.I.P. のビーチムーヴィーの専属ソングライター
 Guy Hemric & Jerry Styner の書いた曲で構成されている。

David Axelrod

  Donna Loren Album
Gary Usher と Roger Christian
の書いた"Cycle Set" だが
この曲はもともと1965年4月に
公開された Annette 主演映画
Beach Blanket Bingo の
ために書いた曲で劇中では
The Hondells が演奏している。
劇中で使われた The Hondells
のヴァージョンはゲイリーの
プロデュースしたものだったが
レコード化されなかった為に
Donna Loren がアルバムに
収録したのだが、彼女の
ヴァージョンにはゲイリーは
関係していない。
 
この年 77 Sunset Strip でも
御馴染みの Kookie こと
Edward Byrnes を主役にした
ビーチコメディー映画
Beach Ball が公開された。
ここでは The Supremes や
Righteous Brothers,
Four Seasons らと共に
The Hondells も出演している。
 またゲイリーはこの頃に映画 Ski Party
 の音楽も担当し映画のために
 "Ski Party" と "The Gasser"
 の2曲を提供している。
 "Ski Party" は映画主題歌でオープニングに
 Frankie Avalon が歌ったものだが、
 エンディングには The Hondells の
 ヴァージョンも使用された。
 "The Gasser" の方は劇中 The Hondells が
 演奏している。

  

Ski Party Promo 

 
 
 Huston の The Beach Boys こと The Coastliners がデビューシングル
 The Lonely Sea / Big Mike, The Sidewalk Surfer (Astro 109)
 をリリース。A-side は Gary Usher-Brian Wilson 初期名曲のカヴァー。
 彼らはその後もテキサス地元のローカルレーベルを渡り歩きながら The Beach Boys
 を意識したハーモニーポップをリリースしていく。因みにバンドはその後
 U.S. Males とバンド名を改め、そのシングルは日本でもリリースされている。

The Coastliners
 
 ★1965年8月11日ロサンジェルスのワッツ地区にて酔っ払い運転で
 黒人男性が逮捕されたのをきっかけに大規模な黒人暴動に発展する
 
 8月に入るとゲイリーは The Devons の 2nd シングル
 It's All Over Now, Baby Blue / Are You Really Real (Decca 31822)
 をリリースし両面ともゲイリーがプロデュースとアレンジを担当している。
 A面は前作同様 Bob Dylan のカヴァーのフォークロック。リードを
 Chuck Girard が務め、Bob Dylan を模倣したヴォーカルを聴かせる。
 間奏部のギターを長尺にする等、アレンジの工夫も伺える。
 因みにこの曲は1966年に West Coast Pop Art Experimental Band

 の 1st アルバムでもカヴァーされているが、西海岸の若者達
 の間では人気の曲だった。B面はゲイリー作によるフォークロック
 ナンバーで、こちらも出来が良い。12弦ギターもフューチャーされ
 フォークロックとしても出来の良い作品に仕上がっている。
 
 そんなフォークロックムーヴメント真っ只中のこの時期、Warner Brothers
 に移籍して3枚のシングルを出していた Chuck Girard 率いる The Castells が
 ゲイリーのプッシュもあって Decca に移籍してきた。The Castells の Decca 移籍
 第1弾シングルとしてゲイリーのプロデュース&アレンジで9月にリリースされた
 のが An Angel Cried / Just Walk Away (Decca 31834) だった。

The Castells
これはグループの力量を充分
に引き出した傑作シングルだ。

A面は Four Seasons のカヴァー
で Bob Gaudio の作品。
憂いのあるメロディーに
ドラマティックな展開を持つ、
秋ならではの傑作。
B面は Gary Usher-Raul Abeyta
の作品だが、こちらも劣らず
Four Seasons スタイルの名曲。
ゲイリーは Decca Records
においてホットロッド以外にも
フォークロック、ダンスチューン
やヴォーカルチューンと
幅広い活躍を見せている。
 
 
 The Castells と同じ9月には久々のホットロッドナンバーThe Surfaris の
 Catch A Little Ride With Me / Don't Hurt My Little Sister (Decca 31835)
 がリリースされた。A面はGary Usher
 と Lou Josie との共作で、
 アップテンポのホットロッドナンバー
 の名曲。バックで Chuck Girard も参加。
 因みに Lou Josie は1958年から
 1962年まで単発的にソロまたは自身の
 グループ名義でシングルをリリースして
 いた人物で、Surfin' Movement 期
 には幾つかのスタジオグループ用いたり、
 Jimmy King の変名でプロデュース
 をしている。また後に The Grass Roots の
 "Midnight Confessions" を書いた事でも
 有名な人物である。

   Lou Josie
 

日本盤シングル
B面は The Beach Boys の
カヴァーだが中々の出来栄え。
両面ともゲイリーがプロデュース
とアレンジを担当しており、
初秋を漂わす感傷的な季節感
も内包されており楽曲の良さを
引き出している。
 
 これに続いて同9月に The Toads 名義のシングル Leaving It All Behind /
 Babe, While The Wind Blows Goodbye (Decca 31847) がリリースされた。
 ゲイリーのプロデュース&アレンジによるシングルだが、これはRichie Podolor
 の素晴らしい12弦ギターを配したフォークロックで A面がゲイリーの
 オリジナルソング。リードを務めた Chuck Girard は Bob Dylan を模倣した
 スタイルで歌っている。B面は Raul Abeyta-Diane English の書いたThe Byrds
 スタイルの傑作フォークロック。因みにこの二人は他にもゲイリーにいくつか
 の作品を提供している。Raul Abeyta は 1961 年にティーンポップシンガー
 として1枚シングル (Skyla 1116) をリリースしていた。そのB面で "Diane" と
 いう曲を歌っており Diane English は当時からの彼の恋人と推測される。

 レコーディングは8月17日に行われており録音メンバーは
 Chuck Girard, Joe Kelly, Bill Cooper, Richie Podolor, Joe Engles,
 Ed Beran, Dick Martinek となっており、同日に他にも下記2曲録音して
 いるがお蔵入りとなった。"Honest I Do" "What's In It For You"
 
 10月には Keith Green の 2nd シングル Girl Don't Tell Me /
 How To Be Your Guy (Decca 31859) がリリースされた。両面ともゲイリー
 がプロデュースとアレンジを担当している。A面は The Beach Boys のカヴァーで
 アレンジもオリジナルに忠実だがオリジナルにはないイントロを加えることに
 よって良い出来栄えとなった。当時13歳だった Keith Green だが、
 どうどうとした歌いっぷりも素晴らしい。B面はキースのオリジナルの
 ビートチューンでここでも彼の非凡な才能が垣間見れる。
 
 ゲイリーはこれに続いて11月 Chuck & Joe のセカンドシングルをリリースし
 両面ともゲイリーがプロデュースとアレンジを担当している。
 Harlem Shuffle / I Wish Didn't Treat Me So Well (Decca 31871)
 A面は Bob & Earl の名曲カヴァーだがここでも Righteous Brothers 風に
 掛け合いのヴォーカルで歌う。B面は Chuck Girard のオリジナルで
 ハープシコードによるアレンジで、サビの部分が印象的なバラッドナンバー。
 
 続く11月にリリースされたのは The Surfaris の最後のアルバムとなった
 It Ain't Me Babe (Decca DL/DL7-4683) だった。これは Bob Dylan
 のカヴァー曲をタイトルソングにしたアルバムだが、前回のアルバムにも増して
 ブリティッシュ勢のカヴァーが多い。かろうじて1曲だけ The Beach Boys の
 カヴァー "California Girls" が収録されている。

アメリカ盤アルバム

  当時の日本盤シングル
 
 この年の最後12月にゲイリーが手がけたのは Randy Holden 率いる
 The Sons Of Adam のシングル Tomorrow's Gonna Be Another Day /
 Take My Hand (Decca 31887) だった。両面ともゲイリーがプロデュースと
 アレンジを担当している。リードギターの Randy Holden は後に
 The Blue Cheer にも参加するガレージサイケロック系の人気ミュージシャンで、
 彼らがアイドル人気を得ていた時期のバンドがこの The Sons Of Adam だ。
 ゲイリーのワークスとしては珍しい接点だが、彼らは西海岸では期待の
 グループとしてツアー活動も熱心に行っており、ユースカルチャーに敏感な
 ゲイリーなら関わっていてもおかしくない関係だ。
 A面は Boyce & Hart の Tommy Boyce と Nick Venet の弟の
 Steve Venet が書いた The Monkees のカヴァーで The Astronauts もこの曲を
 シングルでリリースしており当時競作となった。彼らのルックスからも解るように
 当初彼らはアイドル的な要素も持っていたバンドだ。ここでは Randy Holden
 のかっこいいギターブレイクが堪能出来るストンパーチューンを聴かせる。
 

当時、日本でもリリースされた
レアなシングル

     The Sons Of Adam
 
 こうしてゲイリーにとっての1965年は終わっていった訳だが、急速に時代が
 変わっていき、若者の意識や価値観は大きな変化をみせていた。
 すなわち既にサーフィン&ホットロッドを謳歌するライフスタイルは終焉の時を
 迎えていた。またあれほど隆盛を誇っていたアメリカンポップスのスター達も
 ビートルズを始めとするイギリス勢力の前には、成す術もなく次々と消えていき
 もはやアメリカのグループで彼らに対抗できるのは The Beach Boys と
 The Byrds しか残っていない状態となってしまった。
 ホットロッドで名を売ったゲイリーも急速に衰えていったように見えたが、
 努力をして多くを身に付けたゲイリーがこのまま終わってしまう筈はなかった。
 1965年にゲイリーが手がけたフォークロックのアプローチは、サウンドの
 実験に過ぎず、この後ゲイリーはその進化形ともいえる良質なウェストコースト
 ソフトロックで、もうひと花咲かせることになる。
 
 THE TIME HAS CHANGED / 1966
 1966年に入ってまず1月にリリースされたのは The Devons の 3rd シングル
 Come On / A Little Extra Effort (Decca 31899) だった。
 両面ともゲイリーがプロデュースとアレンジを担当している。
 これは両面共にファルセットのリードヴォーカルが中心になって曲を
 盛り上げていくフォーシーズンス風のアップビートソング。
 共に Chuck Girard のペンによる曲で、リードも彼がとっている。
 The Devons はファーストシングルでホットロッド、セカンドシングルで
 フォークロック、そしてこのサードシングルでフォーシーズンス系の
 スタイルと変化させている。まさにこの The Devons のプロジェクト
 が1965年から1966年にかけての需要の変化を如実に物語っている。
 
 続いて2月には Musique & The Lyrics というガールグループのシングル
 My Love And Life / Talkin' About Love (Valiant 740) がリリース
 される。A面は R.Abayta-R.Christian-G.Usher の作品で、
 プロデュースを担当した Raul Abeyta が Roger Christian と
 Gary Usher の書いた曲を持ち込んだものと思われる。

Raul Abeyta
ゲイリーには珍しくガール
グループに提供された作品だ。
このグループは The Honeys の
変名または参加と噂されており
ハイトーンのヴォーカルに
よって歌われるメロディアスな
ガールポップ。
B面は The Toads でもコンビで書いた
Raul Abeyta-Diane English
によるガールダンサーの傑作。
 
 
 同2月 Sean And The Bradywines - She Ain't No Good / Cod'ine
 (Decca 31910) がリリースされた。ここではプロデュースとアレンジをゲイリー
 が担当した。A面はイギリスのモッド The Clique のカヴァーで、素晴らしい
 ビートチューンを聴かせる。B面は Buffy Sainte Marie の人気曲
 カヴァーによるフォークロックガレージナンバー。
 このカップリングでも解るように当時西海岸ではブリティッシュビートと
 ウェストコーストフォークロックの交配がされていた。そんな状況下にて
 キラ星の如く1枚のシングルのみで消えていったグループが多く存在する。
 その意味において Decca Records のようなメジャーレーベルでゲイリー
 のような職人肌のプロデューサーがこれらのムーヴメントの根底を支えて
 いたのが良く解るシングルだ。
 
 2月28日に Beverly Williams というガールシンガーのシングル
 Heart / He's Hurtin' (Decca 31912) がリリースされた。
 ここでは Colpix Records の
 プロデューサーでも有名な Stu Phillips
 がアレンジを担当し Gary Usher が
 プロデュースを担当した。
 このシングルは彼女が1964年から
 1966年までに歌って録音されていた
 6〜7曲のうちの2曲だ。
 A面が当時12歳、B面が15歳の時の
 録音で両面とも、とても少女とは
 思えないほど素晴らしく艶のある
 天才的な歌唱力である

     Beverly Williams

Gary Usher and Beverly Williams

  Stu Phillips
 
 A面は Petula Clark の曲でボストンのガレージバンド The Remains も
 カヴァーしているように、ここでもガールビートチューンで聴かせる。
 B面は Chuck Girard と Gregory Van Krugel の共作。
 因みに Chuck Girard は自分自身でもこの曲を吹き込んでおり、
 他にも彼女に書いた曲でリリースに至らなかった数曲を録音している。
 セッション自体は The Castells のために既に録音されていた
 演奏を利用しており、録音メンバーは
 Chuck Girard (keyboards), Joe Kelly (drums),
 Greg Van Krugel (backing vocals), Dave Costell (guitar).
 これに Western Recorders で The Castells のTom Hicks, Gary Usher
 を追加し Bones Howe がエンジニアーを勤めた。
  
 続いて4月 The Buddies 名義で Duckman Part 1 / Part 2 (Decca 31920)
 をリリース。ここでゲイリーがプロデュースとアレンジを担当しているが、
 この作品が後に大きな意味を持つ。The Buddies は後に Firesign Theatre
 というコメディーグループを結成するロスの KPFK の人気ラジオDJの
 Phil Austin と彼の友人で San Bernadido のラジオDJの
 Ron Budnick が仕立てた Batman のパロディーコメディーから
 発展した。当時彼らのラジオを聴いていたゲイリーは Duckman の
 パロディーアルバムを作りたいと思った。
 それは The Weird-Ohs のアイディアの延長線上にあったのかもしれない。
しかし Chuck Girard ら
ミュージシャンは、既に時代は
シリアスなものを求めている事
に気付いていた。これはユニーク
なロックンロールビジネス上の
見解の相違と考えるべきだろう。
この作品は歌というより語りを
中心にした寸劇コメディーで
Duckman の声は前出のラジオDJ
の Ron Budnick とその後 ABC
の人気コメディー番組
Barney Miller を指揮する
Lee Bernhardi が扮している。
 
 同じく4月に入ってリリースされた The Hondells のシングル Younger Girl /
 All American Girl (Mercury 72563) でゲイリーは久々にアレンジャー
 としてクレジットされている。
 The Hondells のセカンドアルバム
 以降にはグループの曲のアレンジ&
 プロデュースを Mike Curb にまかせて
 他の作業に没頭していたゲイリー
 だったが、1年半ぶりに現場復帰した。
 A面は Lovin' Spoonful のカヴァー
 ながら全米52位のヒットとなった。
 この曲は The Critters も4月1日に
 シングルカットしてリリースしており
 競作品となっている。

日本盤の写真では1964年
のメンバーが写されている。
  
 The Hondells のヴァージョンは
 全米52位のスマッシュヒットとなり、
 ゲイリーにとって久しぶりのヒット曲と
 なった。B面は Gary Usher と Dick Burns
 の共作によるカジュアリティー溢れる
 ポップソングの名曲。
 The Hondells がサーフィン&ホットロッド
 のイメージから脱却するには
 タイムリーなヒットだったと言える。
 右写真は1966年当時の The Hondells
 左から Dick Burns, Al Ferguson,
 Dennis McCarthy, そして中央下が
 Wayne Edwards
 

    The Hondells
  当時のペプシコーラの
プロモーションに The Hondells
が起用されラジオCM用の
トラックを録音した。ラベルに
クレジットされているように
Youth Market の為の
プロモであり、ゲイリーの
ヴィジョンがマーケットの需要
であった事を物語っている。
 

The Hondells' Sessionmen
 
 6月に入り The Hondells の次のセッション録音が始まった。
 29日に録音されたのは "Kissin' My Life Life Away"
 "Show Me Girl" "California Sunshine Girl" だ。
 しかし "California Sunshine Girl" はゲイリーのプロデュースの元に録音
 されたがリリースはされなかった。
 この曲を書いたのは Jack Nitzsche - Lonely Surfer (Reprise 20,202) や
 The Inconceivables - Hamburger Patti / Patti's (Columbia 4-43894)
 でも有名な Marty Cooper だ。
 以前 Marty Cooper は若き Paul Simon (後の Simon & Garfunkel) の
 結成していた Tico and The Triumphs のメンバーだった。
 Tico とは Marty Cooper の事だ。先ず1966年に子役女優で映画
 The Family Jewels で人気を博していた Donna Peyton こと
 Donna Butterworth (当時11歳)が California Sunshine Boy /
 I'm Not Usually Shy (Reprise 0526) をリリースした。
 これは "California Sunshine Girl" のプロトタイプとなった歌で

 作 Marty Cooper, プロデュースは Lee Hazlewood が担当した。

Tico and The Triumphs
これは The Hondells の録音
したヴァージョンよりも当然ながら
ガールポップ然としたサウンド
である。これと The Hondells の
ヴァージョンを聴き比べると、
かなりアレンジが工夫されて
いた事が解る。
 

Lee Hazlewood

  Marty Cooper
 

Donna Butterworth
 
 Marty Cooper はソングライターとして
 多くのヒット曲を手掛けた他にも
 Jack Nitzsche のコラボレイター
 として長年ハリウッドのセッションを
 仕切っていた名プロデューサーでもある。
 結局 The Hondells でリリースされなかった
 この曲のオケを流用し Marty Cooper
 は翌1967年に The Shackelfords 名義で
 リリースしている。
 因みにこのグループ名は
 Lee Hazlewood の妻である
 Naomi Shackelford から名付けられた。
 
 同じ6月ゲイリーは The Surfaris のシングル So Get Out / Hey Joe
 Where Are You Going (Decca 31954) をリリース。両面ともゲイリーが
 プロデュースとアレンジを担当している。B面はゲイリーの書いた曲だが
 両面とも The Surfaris 本来のスタイルではなく、ゲイリーははこの作品を最後に
 The Surfaris から手を引いている。
 元々この曲はブルーズシンガーの
 Bill Roberts が1962年に書いて
 版権を得ていたのだがそれは
 ストリートソングとして普及していった。
 そこに手を加えたガレージバンドの
 The Leaves がプロモーションシングル
 にて激しいアレンジに変えて録音した。
 それを聴いた西海岸の多くのバンドは
 出来の良さに驚愕したという逸話が
 残っている。その後多くのカヴァー
 ヴァージョンが生まれたが、各人によって
 ライタークレジットが異なっている。

    日本盤シングル
 
 同7月には The Castells の Life Goes On / I Thought You'd Like That
 (Decca 31967) がリリースされ、両面ともゲイリーがプロデュースと
 アレンジを担当した。A面は Chuck Girard の抑制の効いた静かな
 ヴォーカルで始まり、徐々に華やかなバッキングを受けてコーラスが
 盛り上げていく傑作。この Lee Andrews のカヴァー曲は数多く
 存在するが、その中でも The Castells のヴァージョンは突出している。
 しかし何故だかヒットは記録していない。
 B面は Chuck Girard のオリジナル曲。こちらも素晴らしい出来で、
 しっとりとしたグループヴォーカルを聴かせる。
 
 同7月 Keith Green の Home Town Girls / You're What's Happening Baby
 (Decca 31973) をリリースしゲイリーがプロデュースとアレンジを担当。
 A面はキースのオリジナル、B面は Dion などに沢山のヒット曲を提供した
 Ernie Maresca の作品。両面ともグレードの高いティーンポップに仕上がって
 いるが、当時はこうしたスタイルの曲をリスナーが必要としておらず、チャートの
 リアクションはなかった。Keith Green が Decca Records に残した3枚のシングル
 はいずれも内容の良いものばかりでどの曲も Chuck Girard がバックコーラス
 でサポートしている。リリースされなかった2枚のシングルを合わせて
 合計で5枚のシングルが制作されたが Keith Green のシングルは当時の
 リスナーには全く無視された。未発表の中で "Melody" という曲が
 ゲイリーとキースの共作である。あと2〜3年早くこれらをリリース出来て
 いたらヒット曲となりえただろう。
 Keith Green は8歳で子役として
 デビューし、当時「Arthur Laurents」や
 「The Time of the Cuckoo」で人気を
 博していた。子供の頃から作曲の
 センスがあり Decca Records は
 彼をティーンアイドルで売り出そうと
 計画した。当時は「Teen Scene」等
 のアイドル誌の常連で Donny Osmond
 が出現するまではトップアイドルとして
 の地位を築いていた。
 大きなヒットには恵まれなかった
 ものの、彼はゲイリーと共作した
 "Melody" をコンセプトにして
 アイドルを卒業後にクリスチャンシンガー
 ソングライターとして多くのアルバムを
 ゴスペル系レーベルからリリースした。
 それらの素晴らしい Melody Maker
 として愛され続けていたが1982年
 7月28日に29歳の若さで亡くなった。

    Keith Green
 
 続いて8月 Forte Four 名義の Can't You See I'm Trying /
 Don't Let The Sunshine On Me (Decca 31979) をリリース。
 因みに彼らはフォルテ フォーと読む。ここではゲイリーがプロデュースと
 アレンジを担当した。これはフォークロックとビートポップが上手く
 交配された傑作シングルだ。
 アクセントで雄大なフレンチホルンが挿入され、瑞々しいハーモニーと
 The Hondells Session の進化系とも言えるバックのエコー処理、全てが
 サウンドの厚みを増して歌われる素晴らしいビートチューン。作曲は
 Glen Campbel-Jerry Fuller。余談ながらこの Jerry Fuller は
 アーティストとしても Challenge Records から10枚以上のシングル
 をリリースしているが、プロデューサー
 としても数々の作品を手がけた他に
 Ricky Nelson に多くのヒット曲を
 書いたソングライターとしても有名だ。
 B面はAnnette Tucker-Keith Colley
 の曲。こちらもフォークロックと
 ビートポップが上手く交配された傑作。
 作者の Keith Colley は1963年に
 "Enamorado" (Unical 3006) の
 全米66位のヒットが有名だがこの曲を
 1967年 Columbia Records で再リリース
 した際に自作曲のフォークロック
 "Shame, Shame" をカップリングにした
 (Columbia 44410) この曲はゲイリー
 のプロデュースでバッキングを
 Curt Boettcher 率いる Millennium が
 担当している。

   Jerry Fuller
  

 因みに1967年に Jerry Fuller がプロデュース した Finders Keepers の
 Don't Give Into Him / I've Done All I Can (Challenge 59364) は

 A面はゲイリーの単独作だったが Gary Puckett & The Union Gaps が
これを1969年に カヴァーして
全米15位の大ヒットとなっている。
この Finders Keepers の
オリジナルヴァージョンだが
Challenge Records が完成
させていたオーヴァーダビングに
よるエコーが気持ちよい。
B面は Jerry Fuller の単独作
によるフラワーフォークロックで
こちらも出来が良い。
 
 この Finders Keepers は
 Jerry Fuller のプロデュース
 によるものだ。上記の流れで推測
 するならば Forte Four の
 素晴らしいハーモニーやサウンドの
 処理を聴く限り、ゲイリーはこれらの
 セッションの中から後に完成させる
 ソフトロック的なアプローチを
 感じ取っていたのではないだろうか。

   Keith Colley
 
 この部分においては The Beach Boys の内包する世界とは異なる。身近でユース
 カルチャーやその需要を睨んでいた Gary Usher が Curt Boettcher や
 Millennium と接点を持ったのは Columbia Records での Sagittarius や
 Keith Colley のみでは無いように思えてくる。それ程までにこのシングルの
 完成度は高く、またゲイリーのターニングポイントとなる傑作だ。
 

 9月に The Sons Of Adam の You're A Better Man Than I /
 Saturday's Son (Decca 31995) がリリースされた。
 ここでは前作同様にゲイリーがプロデュースとアレンジを担当。
 Randy Holden のギターが冴えるガレージチューンの名曲だ。
 メロディアスヴォーカルにサイケデリックなファズギターが間奏部で導入され
 強烈な余韻を生み出す。これぞ Randy Holden の真骨頂だろう。
 アメリカンロックが幕を開ける瞬間だ。
 
 12月には The Hondells の Kissin' My Life Life Away / A Country Love
 (Mercury 72605) がリリースされている。A面は Neil Sedaka の書いた

 曲で、B面はゲイリーのオリジナル。どちらとも深いエコーに包まれて心地よい
 コーラスワークを聴かせてくれる名曲だ。The Hondells といっても、もはや
 ホットロッドからは完全に脱皮しているのが良く解る作品だ。
 
 同12月、続いてリリースされたのは The Forte Four のセカンドシングル
 I Don't Wanna Say Goodbye / The Climb (Decca 32029) だった。
 A面は Phil Sloan and Steve Barri が書いた傑作ティーンポップ。
 この曲は Gary Lewis & The Playboys と競作となったが

Phil Sloan and Steve Barri
出来の良さでも The Forte Four
ヴァージョンに軍配があがる。
深みのあるバッキングのエコー
処理、親しみやすいメロディー
に合わせて美しいアレンジが
施されている。
両面ともゲイリーがプロデュース
とアレンジを担当している。
このアレンジは、この後の
ゲイリーの方向性を示している
と言えるだろう。
 
 
 この年の最後にリリースされたのは Raffty Craig のフォークロックシングル
 Erase Me / Forbidden To Love (Decca 32046) だった。このシングルは
 Don Glenn Jr. の書いた曲で、両面ともゲイリーがプロデュースとアレンジを
 担当している。Surf Style のハーモニーを導入したメロディアスな作品だ。 
 
 ゲイリーは1966年にアルバムを1枚も手がける事なく、このシングル
 を最後に Decca Records を去る。しかしここで得たノウハウを武器に
 ゲイリーは Columbia Records のプロデューサーとして活躍を続ける
 ことになる。1966年の年の瀬12月に Columbia Records に移籍してきた
 ゲイリーが最初に手がけたのが Joanie Sommers のプロデュースだった。
 - It Doesn't Matter Anymore / Take A Broken Heart (Columbia 4-43950)
 これは両面とも Burt Bacharach-Hal David によって書かれた曲で、
 A面は同レーベルの The Cyrkle もアルバム Neon でカヴァーして
 いる。やはり1966年に Columbia Records に移籍してきた
 Joanie Sommers だが、この時期に Decca Records の Rick Nelson と
 デュエット曲を発表している。これはその時期の単独ソロ。
 因みに Rick Nelson もこの2曲をソロで Decca Records のアルバム
 に収録しているため競作となった。これは1967年ABCテレビの特別番組
 On The Flip Side の放送用のためにシングルカットされたもので
 プロデューサーの Robert Mersey が Produce, Arrange, Conduct で
 両面クレジットされている。噂によると
 Robert Mersey が作業を両面とも
 半分残したままにしていた為にゲイリーが残りのプロデュースを完成
 させてフィニッシュしたらしく、このシングルにはゲイリーのクレジットは
 されていない。所謂共同プロデュースと判断できる。

Robert Mersey

  Joanie Sommers
 
  LATER YEARS / ON AND AFTER 1967 - 1990
 先ず1967年の1月には前年には完成させていた The Hondells のシングル
 Show Me, Girl / Cheryl's Going Home (Mercury 72626) が
 リリースされた。因みにB面の曲のタイトルは Cheryl's とクレジットされた
 シングルと、Sheryl's とクレジットされた2種類が存在する。
 ここでも前作に引き続き Goffin-King いうティンパン系
 ソングライターの曲は起用。分厚いコーラスとサウンドで包まれたこの曲は
 見事なソフトロックにアレンジされている。またB面は The Cascades が1966年
 に Arwin Records でリリースした曲と同一だが、こちらも洗練された
 アレンジのソフトロックに仕上げている。

Cheryl's Going Home

  Sheryl's Going Home
 
 ゲイリーは1966年に Columbia Records のプロデューサーに就任して
 先ずは L.A. のフォークロックトリオの The Hearts And Flowers に興味を持った。

The Hearts And Flowers
このグループは Dave Dawson,
Larry Murray, Rick Cunha の
3人で構成するフラワーハーモニー
を得意としたフォークロックトリオ
だった。その後 Bernie Leadon も
参加するこのグループは
Capitol Records の Nick Venet も
目を付けており、まんまと
Nick Venet に契約を持っていかれた。
 しかしシングルカットされた Rock And Roll Gypies / Road To Nowhere
 (Capitol 5829) はクレジットにはないが A面にはゲイリーが
 録音に参加したと言われている。この曲は Roger Tillison の書いた曲で、
 プロデュース&アレンジは Nick Venet が行っている。
 
 The Beach Boys の1966年の名作アルバム Pet Sounds や The Beatles が
 翌年リリースした Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band の影響で
 世はまさにコンセプトアルバムの需要が高まっていた。世論に絶賛される
 アルバムこそがロックミュージックの金字塔とされるような風潮であった。
 Gary Usher はそんな中で一人のクリエイティヴな若者に出会う。
 この若者こそ、Curtis Roy Boettcher ことフラワーハーモニーの魔術師
 Curt Boettcher だ。彼は Kurt Boettcher と名乗っていた時期もあり、
 その後も Boetcher, Betcher とファミリーネームの綴りが変化する。
 
 Curt Boettcher は1944年にウィスコンシン州の田舎町 Eau Claire で生まれ
 軍役につく父の関係で高校生時代は2年間ほど日本の岩国基地で過ごした。
 そこで Curt Boettcher は Radio D.J. をしていて、彼はその際
 歌舞伎他の日本の音楽を知って興味を持った。
 Curt Boettcher は、その後アメリカに戻りミネソタの大学に入学した。
 1962年後期に Holmberg 家の長兄 Gary Holmberg、 妹の Sheri
 そして一番年下の Dotti Holmberg の姉妹、そして友人の Ron Neilson
 の4人は The Keynotes というフォークグループを結成した。
 

Gary Holmberg
Holmberg 家はロスアンジェルス
出身だったが両親の離婚を期に
ミネソタ州ヒューゴに引っ越して
祖父母と暮らしてた。
The Keynotes が1963年1月に
地元のコンテストで優勝した後に
Gary Holmberg はミネアポリス
のコーヒーショップ Le Zoo で
ギター片手に歌っていた若者
Curt Boettcher に出会った。
 
 Curt Boettcher は日本の岩国基地で過ごした後、ミネソタの大学
 に入学した際に同地では 深く Folk Music に傾倒した。
 Bob Dylanもミネソタ州出身であるように同地は古くから
 Folk / Hootenanny (形式ばらないフォークダンスソング)
 が盛んで、1962年に Twist の流行で若干ダンスムーヴメント
 があったものの1963年5月3日に Excelsior Amusement Park
 という遊園地に The Beach Boys を招いて行われた無料ライヴと
 1963年11月に Dick Clark Caravan of Stars Tour が
 ミネソタへ訪れるまでは、同地はフォークソング一色だと
 言っていいほどだった。1963年1月に Gary Holmberg が
 Curt Boettcher に出会って以来、Curt Boettcher はミネソタ州
 ミネアポリスのコーヒーショップ Le Zoo で The Keynotes
 と共にステージに立って歌っていた。
 Gary Holmberg が新たなグループ The Stowaways を
 結成したので Curt Boettcher は自身が書いたオリジナル曲を
 Sheri と Dotti の Holmberg 姉妹に教えて歌っていた。
 Sheri Holmberg 19歳、Curt Boettcher 18歳、Dotti Holmberg 17歳、
 ギター、バンジョーの Ron Neilson が最も若く当時16歳、
 この4人で新しいグループ The GoldeBriars は1963年2月に結成
 された。新たなスタイルを標榜するこのフォークグループは人気
 を博し Epic Records と3枚のアルバムをリリースする契約を結ぶ。
 

The GoldeBriars

   Dottie Holmberg
 
 The Music Machine のメンバーで後に Curt Boettcher とプロダクション
 を運営する Keith Olsen はサウスダコタで生まれたが12歳のときに
 ミネソタ州ミネアポリスに引越しそこで育った経緯を持つ。
 彼は1964年に女優でフォークシンガーだった Gale Garnett の
 Bass Player を担当しており、Washington, DC.のクラブ The Cellar Door
 に The GoldeBriars が出演した時に Curt Boettcher と初対面した。
 既に後の The Mamas and Papas のようなサウンドを確立していた
 The GoldeBriars のサウンドは Folk Music から Harmony Pop Music
 へと昇華していたのでミュージシャン達に高く評価されていた。
 興味深い事に Folk Music は弦楽器のエレクトリック化によってロックへ
 アプローチをかけ、コーラスワークによってポップへアプローチを
 かけていた事が解る。その後のマルチトラックレコーディングの進歩
 によって Curt Boettcher の才能がさらに開花した事を考えると、
 Curt Boettcher が日本に滞在していた事、ルーツが Folk Music
 だった事は特筆される。
 
 The GoldeBriars のセカンドアルバムがリリースされた後、
 当時 Sheri Holmberg は Curt Boettcher と付き合っていたが、二人が
 分かれた後に愛に疲れた Sheri Holmberg は一時的に The GoldeBriars
 を離れた。9月に彼女はグループに復帰し、それと入れ替わるように
 オリジナルメンバーで最年少の Ron Neilson がグループを脱退して
 ミネアポリスに戻った。その間も Curt Boettcher はさらにサウンドをロック化
 させる為に楽器演奏者を新メンバーとして追加させた。
 The GoldeBriars の新メンバーで、その後 The Music Machine や
 The Millennium のドラマーになった Ron Edgar もミネソタ州
 ミネアポリス出身で、間もなくして Keith Olsen も The GoldeBriars
 のローカルツアーに Bass Playerとして参加協力することになった。
 The GoldeBriars がサウス カロライナ州チャールストンの
 クラブ 300 King Street で演奏した時に、RCA で既に数枚のアルバム
 をリリースしていた地元の人気フォークグループ The Wayfarers の
 メンバーだった Sean Bonniwell に出会った。The GoldeBriars を
 気に入った彼はすぐに The GoldeBriars と一緒にステージで歌った。
 Sean Bonniwell は The Beatles の進出によってもはや Folk Song
 の需要が終焉に向かっている事を察して The Wayfarers を脱退し、
 The GoldeBriars のメンバーとなっていた Ron Edgar と Keith Olsen
 を誘って新たなトリオ The Ragamuffins を結成した。
 Keith Olsen は当時 Sheri Holmberg と結婚したばかりで
 二人はロスアンジェルスに旅立った。Keith Olsen はロスで
 The GoldeBriars のプロモーションをする役目も持っていたのだ。
 1965年5月1日に Ron Edgar は正式に The GoldeBriars を脱退した。
 The Ragamuffins はビートチューンやサイケデリックソングを数曲を録音
 したがリリースに至っていない。このトリオが発展したのが後の
 The Music Machine だった。
 
 The GoldeBriars は Epic からリリースされる予定だった
 サードアルバムから先行でシングルをリリースした。
 I'm Gonna Marry You / June Bride Baby (Epic 5-9806) ではプロモ盤
 にピクチャースリーヴを付けて配布した。1965年6月1日、Holmberg 姉妹
 に聞かされていなかったグループの問題が明らかになる。
 Dotti と Sheri は Epic Records に連絡して、グループを去ることを
 通知した。 Epic Recordsは2人の新しい女性歌手に置き換え
 グループは続行し3番目のアルバムがリリースされることを伝えた。
 しかし Holmberg 姉妹は、この計画を進める気がなかった。
 Epic は The GoldeBriars のサードアルバムのリリースをキャンセルした。
 そして1965年6月7日 The GoldeBriars は消滅した。
 

Summer's Children
The GoldeBriars 解散後に
Victoria Winston とのデュエット
Summer's Children を結成していた
Curt Boettcher は元 Vee Jay
Records のエグゼクティヴだった
Steve Clark が設立した
Our Productions に Tandyn Almer
や Tommy Roe と共に従事
していた。Curt Boettcher は
1966年初頭に Gary Usher と
出会った、その際 Gary Usher は
Curt Boettcher に Brian Wilson も
紹介している。
 
 その後も Curt Boettcher はさまざまなユニット名義や
 フォークロック&ポップバンドのコーラスアレンジを手がけ
 アヴァンギャルドかつプログレッシヴなハーモニーを構築させていた。
 Curt Boettcher の手掛けるハーモニーは現在では Wall Of Harmony
 としてマニアから絶賛されるもので、このサウンドは一環として彼特有の
 サマーヴィジョンが内包されている。元々 Curt Boettcher はフォーク
 ミュージシャンとして活動を始めたシンガーで、その後 The GoldeBriars
 でのデビューを皮切りにオーヴァーダビングに魅せられ
 彼は独特なサウンドを確立させる為に
 多くの実験を繰り返していた。
 その中にはコーラスアレンジを手掛け
 1966年に The Association によって
 大ヒットとなった "Along Comes Mary"
 全米7位や、"Cherish" 全米1位も
 あった。また Curt はその狭間に
 おいてその後の Millennium や
 Sagittarius の母体となる
 The Ballroom のセッションを行っていた。
 The Association の一連の Curt の
 ハーモニーアレンジに驚いた Gary は
 早速 Curt にコンタクトをとった。
 ヒット曲を手にした The Association が
 傲慢にも Curt はおろかマネージャー他
 多くの関係者を解雇した頃だった。

     Curt Boettcher
 
 後に The Millennium と Sagittarius の中核メンバーとなるシンガーソングライター、
 ギタリストの Lee Mallory は1945年1月10日にサンフランシスコ・ベイエリア内
 の街 Berkeley で生まれた。The Berkeley Folk Music Festival でも有名な同地は
 Folk Music が盛んで、全米でも政治的社会的に最も進歩的な都市として
 知られており、60年代のヒッピー文化の発祥の地でもある。 Lee Mallory は
 15歳で最初のギターを入手し、翌年ミュージシャンになるために家出をした。

 彼は Coffee Gallery や Coffee and Confusion 等のサンフランシスコの
 ノースビーチカフェでライブ演奏を始めた。
 1963年彼はニューヨークに行き
 Cafe Bizarre、Night Owl、Four Winds
 そして Cafe Wha? などのウェストビレッジ
 の有名フォーククラブで演奏し始める。
 そこで経験を積んだ彼は後にロサンゼルス
 に戻り有名ナイトクラブだった
 The Troubadour のレギュラーアクトとなり
 The Men という名前のフォークロック
 グループの一員となった。このグループは
 13人のメンバーが随時入れ替わり参加
 する Hootenanny Band (ジャンボリー
 パーティーのように大騒ぎするスタイル)
 で The Mamas & the Papas 結成前の
 Cass Elliot や The Byrds 結成前の
 David Crosby、若き Doug Dillard,

    Lee Mallory
 そして後に The Association を結成する
 Jules Gary Alexander と Terry Kirkman が在籍した。

 Lee Mallory の最初のレコーディングセッションは Tommy Roe の1966年
 アルバム Sweet Pea に収録された "Hooray for Hazel" のバックボーカル
 だったが、そのアルバムのプロデュースを担当したのが Steve Clark と
 彼の率いる Our Production だった。当事 Our Production に所属していた
 Curt Boettcher の創り出すサウンドとコーラススタイルを Lee Mallory は
 そのセッションで理解した。 Lee Mallory は直ぐに The Association の
 セッションギタリストとなり彼はグループのために "Better Times" と
 "Just About The Same" の2曲を書いた。間もなくして The Association の
 所属する Valiant Records とレコーディングアーティストとして契約した
 Lee Mallory は Bob Gibson-Phil Ochs が書いていたフォークソング
 "That's The Way It's Gonna Be" を斬新なアレンジでリリースした。
 プロデュースを担当した Curt Boettcher は意図的に Beat を強調し
 得意のコーラスワークをブレンドしている。
 当時 Your Gang (Mercury MG 21094/SR 61094) の Gary Paxton Studio
 での録音でバックを担当した Toxey French, Ben Benay, Jerry Scheff
 3人によるサイケデリックユニット Goldenrod が演奏を担当した。
 まるで Rusty Evans の The Freak Scene の名アルバム Psychedelic Psoul
 の冒頭を飾る名曲 "A Million Grains Of Sand" を彷彿させるような
 エフェクトと奇妙な虫の這いずりをイメージさせるサイケデリックギター
 を配したこのアヴァンギャルドな曲はオランダのアムステルダム
 で1位、アメリカ北西部のシアトルで2位になり、結局全米86位の
 スマッシュヒットとなった。

Lee Mallory

    Lee Mallory

 まさに時代の寵児となった Curt Boettcher の創り出すオーヴァー
 ダビングサウンドとコーラススタイルは大きく前進する。
 1967年3月にリリースされた Lee Mallory のセカンドシングル
 "Take My Hand" は当事 Valiant Records のスタッフライターをしていた
 Dick Addrisi, Don Addrisi の Addrisi Brothers が書いたラブソングで
 素晴らしいサンシャインポップに仕上がっている。
 今ではソフトロック / サンシャインポップのスーパーグループとして認知
 されている The Millennium だが当初は Lee Mallory と彼のバックバンド
 である Goldenrod (Toxey French, Ben Benay, Jerry Scheff) が母体と
 なっており Lee Mallory と Jerry Scheff が「千年の平和と繁栄」を
 意味する The Millennium と名づけた。そこに Curt Boettcher が
 グループのセッティングやプロデュースを担当するメンバーとして
 参加をし、前年の The Ballroom セッションから Sandy Salisbury が
 参加し Curt Boettcher と共にヴォーカルセクションを担当して
 グループの骨格が固まっていった。

 
 Curt Boettcher は断続的に The Millennium へとつながるセッションを続けて
 おり、それらのセッションを見て驚いた Gary Usher は Curt Boettcher を
 Columbia Records に誘い出した。Gary と Curtは同レーベルに所属する
 ヒップなグループのレコーディングに次々と参加していった。
 そんな中には The Byrds の Gene Clark と行ったセッションも含まれる。
 Gene Clark With The Gosdin Brothers - S/T (Columbia CL2618/CS9418)

 Clarence White, Doug Dillard を参加させたこのカントリーロックアルバムは
1967年1月20日にリリースされた。
このアルバムでは
"Tried So Hard"
"Is Yours Is Mine"
"So You Say You Lost Your Baby"
"The Same One"
"Needing Someone" の5曲で
Gary Usher がプロデュースを
担当しており、他の曲は
Alexander's Timeless Bloozband
のメンバー Larry Marks が
プロデュースを担当した。
 
 次に目を付けたのが同じ L.A. の The Peanut Butter Conspiracy だった。
 元々 The Ashes と名乗って1966年に Richard Delvy のプロデュースで
 Vault Records からシングルデビューをしていたこのバンドは

Peanut Butter Conspiracy
Jefferson Airplane に参加する
以前の Spencer Dryden も在籍
していた。その後、紅一点の
Barbara Robison をフロントに立て
フラワー色の強いサウンドを
打出していた。Gary Usher は
このフラワーポップバンド
のレコーディングセッションに
Glen Campbell や James Burton
を引き連れて参加した。
 
 彼らの2枚のアルバムで Gary Usher はプロデュースを務めている。
 The Peanut Butter Conspiracy Is Spreading
 (Columbia CL-2654/CS-9454)1967年
 
 The Great Conspiracy (Columbia CL-2790/CS-9590)1968年
 

The Peanut Butter Conspiracy Is Spreading

The Great Conspiracy
 
 
 The Peanut Butter Conspiracy -
 Twice Is Life / In The Middle /
 Love's Last Ground
 (US Sundazed SEP 175) 2005
 Their Previously Unissued Demo Versions
 Recorded Nov 1966. Prod by Gary Usher.
 2005年に Sundazed がリリースした
 彼らのデモヴァージョン音源3曲。
 Gary のプロデュースによるもので
 素晴らしいサイケデリックギターが
 フューチャーされている。デモとはいえ
 ヴォーカル録音のバランスを聴くと
 Curt とグループの対立が伺える。
 録音はファーストアルバムリリース前
 
 Gary Usher は Curt Boettcher を The Peanut Butter Conspiracy
 のヴォーカルコーチにつけた。Gary は彼らの4トラックレコーディングに
 不満を持っていた。しかしバンドメンバーは Gary がいないリハーサル中に
 Curt と意見が対立した。メンバーが行おうとしていた方法が Curt には
 理解出来なかった。その後 Curt Boettcher はこの役をおりている。
 またメンバーは当時の Columbia Records の体質に不満を持っていた
 とも言われている。しかし彼らは彼らのセカンドアルバムでエンジニアーを務めた
 Roy Halee をとても気に入っており、プロデューサーよりエンジニアー主導の
 アルバムを作ろうとした。それは Columbia Records から押し付けられる
 約束事に彼らが拘束感を感じていたからだ。バンドのリーダーでソングライターの
 Alan Branckett は Gary Usher から勧められ1968年に Four Star Music の
 専属ソングライターとなってその後も他アーティストの為に曲を書いていた。

 Gary Usher は1969年初めまでに Columbia Records でプロデューサー
 として活躍している。この時期に手掛けたアルバム作品は上記の
 Gene Clark, The Peanut Butter Conspiracy 以外でも
 The Byrds - Younger Than Yesterday (Columbia CL2642/CS9575)
 The Byrds - The Notorious Byrd Brothers (Columbia CL2775/CS9578)
 Chad And Jeremy - Of Cabbages And Kings (Columbia CL2671/CS9471)
 Chad And Jeremy - The Ark (Columbia CL2899/CS9699)
 Sagittarius - Present Tense (Columbia CS9644)
 Millennium - Begin (Columbia CS9663)
 The Byrds - Sweetheart Of The Rodeo (Columbia CS9670)
 The Spiral Starecase - More Today Than Yesterday (Columbia CS9852)
 等が比較的有名だ。
Chad And Jeremy
Of Cabbages And Kings
Chad And Jeremy
The Ark
 
The Byrds
Younger Than Yesterday
The Byrds
The Notorious Byrd Brothers
  
The Byrds
Sweetheart Of The Rodeo
The Spiral Starecase
More Today Than Yesterday
 
 Where The Action Is! の人気俳優でもあった Keith Allison の
 Columbia Records 移籍に伴い同番組のレギュラーアクトでもあった
 Paul Revere and The Raiders がバックアップを務めることになった。
 彼は The Crickets メンバーでドラマーの Jerry Allison の従兄弟であり、
 また古くからの友人 The Monkees の Michael Nesmith と
 "Auntie's Municipal Court"を共作する等非凡なソングライティングセンスを持つ。
 彼のアルバム In Action (Columbia CL2641/ CS 9441)ではプロデュース
 を Gary Usher が担当した。アルバムからシングルカットされた曲は
 Keith Allison - Louise / Freeborn Man (Columbia 4-44028) 1967年
 これは The Raiders がバックを務め、Mark Lindsay がサポートした。
 因みにB面の"Freemorn Man" は Keith Allison と Mark Lindsay の
 共作で Glen Campbell もアルバムで取り上げている佳曲。
 Keith Allison の活動は後の Mark Lindsay のソロデビューの布石となる。
 その後 Keith Allison は1968年から1975年まで Paul Revere and The Raiders
 のメンバーとして活動する。

Keith Allison
Album "In Action"

  Keith Allison Single
 
 丁度 Chad And Jeremy の Of Cabbages And Kings を手掛けた頃、
 ゲイリーは Chad Stuart の持つストリングスアレンジの素晴らしさに気付いて
 いた。そんな頃にゲイリーは不思議なアルバムのアレンジ&プロデュース
 を手掛ける。これは以前 Decca 時代に The Buddies の "Duckman" を共作した
 Phil Austin のアルバムだった。Phil Austinは瞑想的な語りを得意としており
 先の Chad And Jeremy のアルバムでもバッキングの声で収録されている。
 Phil Austin のこのコメディーアルバムは星座をモチーフにしており、
 ゲイリーは Richard Podolor や Raul Abeyta といった旧友達と曲を書き
 アレンジ、コンダクト、プロデュースとして参加している。
 Phil Austin - The Astrology Album (Columbia CL-2689/CS-9489)
 このアルバムはポスターを付けて発売された。ゲイリーは真面目な顔をして
 Phil Austin に尋ねた「君はロックンロールスターになりたいかい?」
 Phil Austin は「俺ならなれるさ」と答えたという。この会話からも解るように
 ゲイリーは旧態依然としていた体制の多い Columbia Records を
 変えようとしていた。同レーベル内でマーケットコントロールを試みていた
 ゲイリーだが、この後 Columbia Records の新体制でどのような
 変化が起こるかこの時点では誰も知る由もなかった。
 Summer Of Love やフラワームーヴメントはビジネスへと成長し、
 メジャーレーベルはそれらのユースカルチャー上に発生した
 ムーヴメントから利益を生み出そうとしていた。
 
 また当時 Columbia Records は新人バンドの獲得に躍起になっていて、
 特に RCA Victor との熾烈な獲得競争は有名だ。メジャーレーベル各社は
 このムーヴメントに対して膨大な出費をしており、採算を度外視したような
 レコーディングセッション費用が徐々に彼らの経営を悪化させていく。
 サンフランシスコのライヴパフォーマーの中でも一番人気の高かった
 Moby Grape を遂に獲得した Columbia Records は彼らのシングルを
 5枚連番ですべてにピクチャースリーヴを付けて一度に5枚をリリースさせるも
 4枚目の "Omaha" のみが、かろうじて88位にチャートに入っただけで
 当時の Columbia Records は大きなストレスを抱えていた。
 
 その後 Phil Austin の所属していた Firesign Theatre のアルバム
 がリリースされ、ゲイリーがプロデュースを担当した。
 Firesign Theatre Presents Waiting For The Electrician Or Someone Like Him
 (Columbia CL-2718/CS-9518)
 この Firesign Theatre は Phil Austin を含む4人のコメディアングループで
 ロスの KPFK ラジオでパロディーを得意として活躍していた。
 因みに初期のクレジットでは Theater とクレジットされているがその後
 同じ意味の旧英語表記 Theatre に改められている。

Phil Austin

   Firesign Theater

Firesign Theater
 
 Phil Austin のアルバムはロックスター達の書くサインについて占星学を用いて
 語っていくコメディーアルバムだ。アルバムには The Peanut Butter Conspiracy
 の John Merrill や Chad And Jeremy, David Crosby が参加している。
 このアルバムでゲイリーはプロデュースやアレンジで全体を指揮し、バックで
 シンフォニックなアレンジを配している他にも Theremin (テレミン)を
 導入させ、いくつかの不思議なサウンドが収録されている。
 このアルバムと Chad And Jeremy - Of Cabbages And Kings,
 Firesign Theatre のアルバム、そしてThe Byrds - The Notorious Byrd Brothers
 の4枚のアルバムは一連の作業としてレコーディングされた。
 そして各アルバムはそれぞれのストーリー性を持って制作されたのだ。
 ゲイリーはカントリーミュージックが好きだった。ゲイリーは遡る事
 ミリタリー時代にローカルラジオでオンエアーされていたカントリー
 ミュージックに心を奪われた経験を持ち、The Byrds の Roger McGuinn
 はバンドのリーダーとしてというより個人的な発想でロックミュージックの
 探訪に興味を持っていた。当然二人ともその可能性がカントリーミュージック
 やルーツミュージックにあると気づき始めてた。
 Younger Than Yesterday のレコーディングセッションに参加していた
 スタジオミュージシャン Clarence White のプレイを見て驚いた
 Roger McGuinn はすぐさま Clarence White を呼び止めた。
 当時 Clarence White は Gene Parsons とグループを結成してナッシュビル中心に
 活動していたが Roger McGuinn の申し出を受け入れて The Byrds に参加する。
 当時 George Harrison がそうであったように Roger McGuinn やゲイリーも
 また Moog シンセサイザーの持つ柔らかな効用をカントリーミュージックの
 ロック化に応用させようと考えていた。

 ここで星座というテーマの持つスピリチュアルなフィーリングに着眼した
 ゲイリーは Sagittarius (射手座)のコンセプトを発案する。
 当時ゲイリーは The Beach Boys の Pet Sounds の持つスピリチュアルな
 フィーリングに感化されており、自らがこれまでに得ていたレコーディング
 ノウハウを生かせる素材を探していた。

 その素材を Wonder Boy こと Curt Boettcher のレコーディングセッション
 から見つけだしたのだ。その素材は以前 Curt Boettcher が
 Gary Paxton Studio で録音していた The Ballroom のセッションにあった。
 カートは The Ballroom 名義でシングル
 Spinning, Spinning, Spinning / Baby Please Don't Go (Warner Brothers 7027)
 を1967年にリリースしている。この録音は Friar Tuck (Mercury) に引き続き
 Gary Paxton Studio で行われたアヴァンギャルドなセッション中に録音された。
The Ballroom
    The Ballroom
 
 ゲイリーの旧友でもある Gary Paxton は Curt Boettcher がバックを務めた
 Tommy Roe のアルバム It's Now Winters Day でもエンジニアーを担当しており

Goldenrod
Ben Benay, Jerry Scheff, Toxey French
Curt Boettcher が所属していた
Our Productins の
レコーディングに大きく貢献
している。また Toxey French,
Ben Benay, Jerry Scheff,
らロスアンジェルスの
サイケデリックコンボ
Goldenrod のメンバーが参加。
 
 ヴォーカルセクションは Curt Boettcher や Sandy Salisbury らが担当
 Goldenrod は Curt Boettcher のワークスである Your Gang
 (Mercury 21094/61094) に引き続きバックを担当しており、
 これらは Gary Paxton Studio で収録された一連のセッションだ。
 そして The Ballroom でリリースされなかった音源が Millennium
 や Sagittarius へと昇華していったのだ。
 このコンセプトに Curt Boettcher 自身も興味を持ちその核となるサウンドは
 Millennium 同様にこのセッションが応用されていった。
 ゲイリーは Sagittarius で今まで以上にシリアスな作業を行う事に
 なる。ゲイリーは Chuck Girard にヴォーカルを依頼したが、彼は
 この時期に古巣 Warner Brothers と契約し自身の新たなバンド
 である Six The Hard Way のプロモーション活動が
 忙しくなっており、Chuck Girard はゲイリー自身で歌う事を強く薦めた。
 この Six The Hard Way は The Castells の中心メンバーだった Chuck Girard
 と Joe Kelly で結成しており、この二人は以前ゲイリーのプロデュースで
 Chuck & Joe として Decca Records に2枚のシングルを残している。

Six The Hard Way
結局 Chuck Girard はゲイリーの
依頼を受けて Sagittarius の
セッションの為に2曲ほどリード
をとったが、ゲイリーがその上に
ヴォーカルを被せている。
こうしてセッションは
始動していった。
 
 1967年に Joey Stec はハリウッドに移っていた友人 Randy Meisner の家で
 Curt Boettcher と出逢った。当時 Curt は Randy Meisner 率いる The Poor に
 参加するかどうかを思案していた。コロラド出身の The Poor は
 この時期 Curt Boettcher や Jim Bell らとデモセッションを行っていたのだ。
 Randy Meisner の友人だった Joey Stec は Curt 達の前で
 アコースティックギターを聴かせた。それを気に入った Curt は 即座に
 Joey Stec を自分のプロジェクトの為に雇った。
 Curt が Columbia Records で行っていたプロジェクトは Gary Usher と
 共に作業を進められていた。それは Chad and Jeremy, Sagittarius そして
 The Spiral Starecase も含まれる。 Gary Usher も Joey のアコースティックをとても
 気に入り多くの録音で Joey を起用した。Curt が模索していた The Ballroom
 のセッションは Millennium と Sagittarius の二つのプロジェクトへと発展
 していたのだが、この二つはオケの流用からかオーヴァーダビングされた際の
 セッションメンバーによって、または
 アルバムのコンセプトによって若干の
 ニュアンスが異なるが、核となるサウンド
 クリエイティヴィティ(創造性)は Curt
 の創ったものであり、それをゲイリーが
 Columbia Records での立場を使って
 運用したのが Sagittarius だ。
 Curt にデモ音源を作らせ、それをゲイリー
 が持ち帰りヴォーカルやストリングスを
 被せて録音していったのだ。アルバムの
 最後を締めくくるゲイリーのオリジナル
 "The Truth Is Not Real" に見られる
 プログレッシヴなコード進行は他の
 メッセージソングとは一線を画す。
 Present Tense 「現在時制」と哲学的な
 タイトルが付けられたこのアルバムは、
 占星学を用いてスピリチュアルな
 フィーリングをサウンド化している。

Sagittarius
- Present Tense
写真は左がゲイリーで右がカート
 

Sagittarius
 
 ★1967年6月6日 アメリカ軍がベトナムで枯葉作戦開始
 
 フォークミュージシャン志望だった Lee Mallory はフィンガーピッキングを
 得意としていたが、シカゴからやってきた Joey Stec はフィンガーピッキング
 を得意にしていなかった。
 ある日ゲイリーは「ジョーイ、降りてこいよ。君のギターワークが必要なんだ、
 ところで君はフィンガーピックが出来るかい?」とスタジオで尋ねた。
 Joey Stec は「Yes 出来るよ。今、精神を集中させているから」と答えた。
 60年代のあの時代ならではの光景で、スタジオの中はロウソクと御香が
 立てられていた。Joey Stec は「ゲイリー、スタジオが明るすぎるからライトを
 消して」と頼んだ。暗くなったスタジオの中で Joey Stec がフィンガーピッキング
 のプレイをしているのかどうかも解らなかった。
 事実 Joey Stec は Flat Pick で演奏していた
 のだが、ゲイリーはそのプレイを気に入った。Sagittarius も Millennium も
 このような録音を重ねてアルバムを完成させている。関わるクリエイター、
 ミュージシャンが創造性を持ち寄って個々の作品を完成させていた。
 そして先ず Sagittarius が先行してシングルをリリースしていった。
 Sagittarius の 1st シングルは1967年の5月にプロモーション配布され
 6月24日にピークで全米70位とチャートにかろうじて入った短命シングルだ。
 
 
スペイン盤ではなぜか
Gary Usher の横顔で
ピクチャースリーヴが
作られている。
(Spain CBS 3006)
 
 また1967年から1968年の Sagittarius のセッションと平行して
 Columbia に移籍させた The Hondells の2枚のシングルが制作されている。
 この2枚はゲイリーのプロデュースによるものでセッションは Sagittarius の
 セッションを流用させている。Yes To You / Just One More Chance
 (Columbia 4-44361) 1967年。そして翌年の1968年に Another Woman /
 Atlanta Georgia Stray (Columbia 4-44557) が発表された。
 特に Curt Boettcher のヴォーカルバックアップを受けた Yes To You /
 Just One More Chance の出来は素晴らしく、抑制の聴いた Chuck Girard
 のヴォーカル、またゲイリーのプロデュース&アレンジも冴え渡る
 傑作シングルだ。
 A-side は D.Hilderbrand-T.S.Farthingsworth XIV と作者がクレジット
 されており、この作者 D.Hilderbrand とは当時メロディアスな佳曲を書いて
 いた女性作家の Diane Hilderbrand で1968年に Elektra Records から
 ソロアルバムをリリースしている。当時は The Monkees の
 スタッフライターとしても活動していたが、後年は Joya Skye と
 名を変えてCDをリリースしている。
 また T.S.Farthingsworth XIV とは Uni Records の
 The Pleasure Fair のメンバーで1968年から David Gates と Bread
 を結成する Robb Royer のペンネームである。彼は Robb Wilson
 という変名もある。当時 Columbia Records で Gary Usher の
 デスクガールをしていた女性 Maria Yolanda Aguayo だが
 彼女はこの The Hondells のセッションで Robb Royer と
 知り合い、Robb Royer の紹介で出会った Jimmy Griffin
 と後に結婚するのだから、既にゲイリーのセッションに参加経験の
 ある David Gates と、この The Hondells Session で Bread
 のメンバー達の接点があるのは偶然ではない。B面の
 "Just One More Chance" はイギリスの The Outer Limits のカヴァーで
 The Outer Limits のメンバー Jeff Christie が書いた名曲。
 1967年にイギリスで The Outer Limits がオリジナルをリリース
 しているが同年にフリーキーなインストヴァージョンを Decca Records の
 The Patric Bradley がリリースしており、そちらは
 ノーザンソウル人気が高い。 Jeff Christie はその後自身の
 バンド Christie で "Yellow River" のビッグヒットを作る。
  

Diane Hilderbrand

   Robb Royer
 
 またその翌年にリリースされた Another Woman / Atlanta Georgia Stray
 (Columbia 4-44557) も出来が良く、これらを収録出来る The Hondells の
 アルバムコンセプトさえあればこの2枚のシングルの評価も変わって
 いただろう。A-side は Richard Burns の書いた会心作でブライトな
 サンシャインポップ。
 
 Sagittarius のベースとなるトラックは Curt Boettcher や Millennium
 のメンバーによって録音され、その後 Gary Usher がお抱えミュージシャン
 と録音したトラックを被せていった。
 例えばストリングスの多い Sagittarius ではストリングスアレンジの上手い
 Chad And Jeremy の Chad Stuart が参加するように最終録音が異なる。
 その反面 Millennium は Curt Boettcher と Keith Olsen ら
 Our Production に所属するミュージシャンが主導となって録音し、当時と
 しては画期的な16トラック録音がされアルバムを完成させていった。
 Lee Mallory, Sandy Salisbury, Joey Stec 等のミュージシャンは
 グループとしてのプロモーション活動がある Millennium のメンバーとして
 行動していたが、サウンドの流用から発展
 した Sagittarius はパート録音に参加して
 いるものの Gary Usher と Curt Boettcher
 のプロジェクトとして進行された。
 Sagittarius 同様に Millennium の録音
 エンジニアーも Roy Halee が務めた。
 Roy Halee は Simon and Garfunkel で
 聴かせた透明感溢れる独特のサウンド
 で名を上げた録音エンジニアーだ。
 Sagittarius が基本的にギターとドラム
 を左右に振り分けた定位であるのに
 対して Millennium では中央にベース
 の低音を置き、鳴り物のパーカッション
 やサウンドエフェクト、コーラスを
 細かい定位に差を与え、展開によって
 は左右に動かしていく事によって
 サウンドの立体感を Roy Halee は
 構築している。

       Roy Halee 
 その立体的な音像のためか、その後
 Millennium のアルバムは麻薬常習者達
 からトリップミュージックとして高い評価
 を得てしまう。逆説的には録音を
 完成させていくプロセスと共に
 ストリングスの多い Sagittarius では
 このような音の振り分けが
 できなかったのだ。
 Millennium のクレジットはファースト
 シングルの後に Millenium に統一
 される。因みにファーストシングルの
 ピクチャースリーヴは2種類存在し
 ファーストプレスでは Joey Stec が
 中指を立てている。
 それが発覚し、その後回収されて中指を
 編集してリリースしなおした。

     Curt Boettcher
 
 

Millennium - Begin

    Millennium
 

Millennium
Withdrawn Picture Sleeve

 Joey Stec が中指を立てた
 事実が発覚し、その後回収された
 
 The Hondells - Just One More Chance の後を追うように Millennium が
 ファーストシングルをリリースした。同じ種を持つ二つのユニット Sagittarius
 と Millennium は膨大なセッション費用を費やしたアルバムをリース
 させた。この2枚のコンセプトアルバムはリスナーとのギャップがあったに
 せよセールス的に惨敗に終わった。また当時の Columbia Records
 の首脳達に「アヴァンギャルド過ぎる」とも酷評されてしまった
 Millennium だがその後のミュージックシーンへの影響を考えれば、
 この2枚のアルバムは完成させられた事に意義があると言えるだろう。
 因みに Sagittarius は日本でもシングルがリリースされたが
 B面に Gene Hull によるフルート "Pico Peak A Boo Part 1"を収録した
 カップリングシングルとして発売されている。
 

Sagittarius 日本盤シングル

Millennium 日本盤シングル
  
 1967年 Sagittarius シングル
 My World Fell Down / Libra (Columbia 4-44163)
 
 Hotel Indiscreet / Virgo (Columbia 4-44289)
 
 Another Time / Pisces (Columbia 4-44398)
       
 
Sagittarius の 1st シングル
"My World Fell Down" は
イギリスの The Ivy League の
カヴァーで1967年の6月24日
にピークで全米70位とチャートに
かろうじて入った。
このA面には Bruce Johnston
や Glenn Campbell も
録音に参加している。
 
 1967年 The Byrds / Gene Clark シングル Produced by Gary Usher
 The Byrds - So You Want To Be A Rock 'N' Roll Star / Everybody's Been Burned
 (Columbia 4-43987)

 The Byrds - My Back Pages / Renaissance Fair
 (Columbia 4-44054)

 Gene Clark - So You Say You Lost Your Baby / Is Yours Is Mine
 (Columbia 4-44088)

 The Byrds - Have You Seen Her Face / Don't Make Waves
 (Columbia 4-44157)

 The Byrds - Lady Friend / Old John Robertson
 (Columbia 4-44230)

 The Byrds - Goin' Back / Change Is Now
 (Columbia 4-44362)
 
 Waylon Jennings のフロントマンとしても知られるテキサスの
 カントリーシンガー Dal Perkins - Here's To The Girls / One Day A Week
 の両面プロデュースとアレンジをゲイリーが担当。
 バックアップハーモニー等を聴いているとカントリーロックの
 夜明けが間近であると再認識させられるブライトチューン。
 Dal Perkins は以前 Challenge Records 所属だったので
 以前からゲイリーとの接点があったものと推測される。
   Dal Perkins
 
2枚目にリリースされたシングルは
プロデュース&アレンジは
ゲイリー。ヴォーカルアレンジは
カートが務めた傑作シングルだが
チャートには入らずにコロンビア
幹部を悩ませた。
Snuff Garrett Productions
に所属していた元 The Routers の
メンバーだった Michael Gordon
と James Griffin (後の Bread)
が書き下ろした曲を取り上げてる。
当時この2人はソングライター
コンビを結成しており The Routers
(Philips Records )というビート
ポップバンドで活動していた。
 
Sagittarius の1967年
にリリースされた3枚のシングル
のB面に収録された神秘な
インストは元々 Phil Austin
のアルバムの為に書かれていた。
これらはアルバム未収録で全て
作曲、プロデュース、アレンジを
ゲイリーが行っており
このユニットの持つ「星座」という
コンセプトは全てこれらのインスト
から多様化されていった。
これが Millennium の持つ
コンセプトと決定的に異なる。
 
前作に引き続き Dal Perkins の
Helpless / Woman In The Darkness
でプロデュースを Gary Usher が
担当した。こちらはストリングス
アレンジを Jimmie Haskell が
行っている。
 
The Peanut Butter Conspiracy
のシングルも同様にリリース
されていった。彼らのコロムビア
作品はゲイリーがプロデュースを
行い、その開放的なフラワー
フィーリングを如何なく発揮した。
 
Sagittarius 同様に
ストリングスアレンジの上手い
Chad Stuart の手腕が発揮
された Chad & Jeremy の
シングルカット。
ゲイリーのプロデュース作品。
プロモ盤は2種あり、通常の
A-side に "Sugested Side" と
ラベル右上にプリントされてるのと
画像のように "Special Rush
Reservice" とプリントされた
のがある。
 
Sagittarius の Another Time
は両面とも Another Time の
プロモ盤も存在する事から
プロモーションには力をいれて
いた事が伺えるがヒットには
至らなかった。
 
 Sagittarius の "Another Time" をリリースした後にリリースされたのが
 Keith Colley - Enamorando / Shame, Shame (Columbia 4-44410)
 A面は Keith Colley の自作で1963年全米66位のヒットとなった曲
 "Enamorando" (Unical 3006) をリメイクしたラテンフレイヴァーの
 トロピカルソング。A面のアレンジは Keith Colley 本人によるもの。
 B面作者は K.Colley-K.Henderson-L.Colley の布陣で書かれた
 ブライトなポップチューン。このB面は翌年にイギリスのグループ
 Magic Lanterns がカヴァーしヒットとなった曲のオリジナル。
 両面ともゲイリーのプロデュースでバッキングを Curt Boettcher 率いる
 Millennium が担当。他にも録音には David Gates, Plas Johnson,
 Ray Pohlman が参加している。
 Stock Copy には全てパブリッシャークレジットが無い。
 また不思議な事に写真下左の Stock Copy には Columbia 表記下の
 ロゴがプリントされていないものも存在する。このリメイクヴァージョンの
 Keith Colley - Enamorando は1969年に White Whale からも
 再発される (White Whale WW-311)

  Keith Colley
  
 1968年 Sagittarius シングル 
 You Know I've Found A Way / The Truth Is Not Real (Columbia 4-44503)
 
 I'm Not Living Here / Keeper Of The Games (Columbia 4-44613)
                
 
"You Know I've Found A Way"
は Curt Boettcher と
Lee Mallory の共作による
美しいナンバー。アレンジは
ゲイリーとカートによるもので
プロデュースはゲイリーの単独。

 Simon And Garfunkel - Mrs. Robinson / Old Friends / Bookends
 (Columbia 4-44511) この有名なシングル、両面ともプロデューサー
 クレジットは Simon, Garfunkel and Halee (Roy Halee)だが
B面のプロデュースに
Gary Usher がノンクレジット
で参加している。
これはエンジニアーの
Roy Halee からの要請
だと思われるが Sagittarius
や The Byrds の合間なので
ずっとスタジオにこもっている
ワーカホリックの Gary Usher
ならではといったとこか。
 
Sagittarius の合間を縫って
The Spiral Starecase の I'll Run /
Inside, Outside, Upside Down
(Columbia 4-44566)がリリース
された。Curt Boettcher が
コーラス参加。プロデュース、
アレンジはゲイリーが担当。
 
"I'm Not Living Here" は
Curt Boettcher の書いた
曲でプロデュースとアレンジは
Gary Usher,Curt Boettcher,
Keith Olsen の3人で行われ
ており、その後この3人によって
Together Records が設立
される。
 
The Surfaris のドラマーで
リードシンガーの Ron Wilson
のソロシングルが Columbia Records
でリリースされた。As Tears Go By /
I'll Keep On Loving You
(Columbia 4-44636) だが、
クレジットはないが Gary Usher が
Remix を担当している。
 
 Chad And Jeremy の Strings アレンジに対して巨額の費用を費やしていた
 ゲイリーだが、このプロモ盤にあるように Special Rush Reservice
 (特別急いで確保)したプロモーションを行う。これは
 American International Pictures の映画 3 In The Attic に
 合わせてプレスされている。Chad And Jeremy - Paxton Quigley's Had
 The Course / You Need Feet (You Need Hands) Columbia 4-44660)

 プロデュースは両面とも Gary Usher, このシングルには慌てたように
 ピクチャースリーヴを付けて配布しており、急いでプロモーションしてた
 だけにこのピクチャースリーヴはごく一部でしか出回っていない。
 
 ★1968年4月4日 キング牧師暗殺
 ★1968年6月5日 ロバートケネディ上院議員暗殺
 
 1968年7月29日 The Byrds は
 カントリーロックの金字塔となる
 Sweetheart Of The Rodeo
 (Columbia CS9670) をリリース。
 プロデュースをゲイリーが務めた
 この傑作アルバムはメンバーの
 才能とゲイリーの考察力が見事に融合
 したアルバムだ。このアルバムはロック
 マーケットに新たな可能性を与えた作品
 だった。兵役時代からカントリー
 ミュージックのファンだったゲイリーは
 この作品によって Gram Parsons ら
 メンバーの才能と作品の方向性に

  Sweetheart Of The Rodeo
 位置づけをする事に成功した。しかしアルバムはアルバムチャートの
 77位と、シングルカットされた"You Ain't Going Nowhere" は74位と低迷していた。
 カントリーミュージック、ブルーグラス、フォークミュージック等の
 影響をうまくブレンドさせたアルバムだが
 Gram Parsons と他メンバーの方向性による対立が生まれたのも事実だ。
 そのためこのアルバムでのラインアップは短命に終わっている。
 The Byrds が Sweetheart Of The Rodeo を録音した時に、ビルボード誌は
 「Roger McGuinn が他にも10トラックを録音した」と報じた。
 実は Sweetheart Of The Rodeo は2枚組でリリースされる計画だった。
 しかし実際には編集作業によってそれらはアルバムに収録されなかった。
 一般的にこのアルバムは世間に受け入れられたと報道されていたが、
 実際には AM ラジオ局はカントリーミュージックに否定的で、またカントリー系
 リスナー達も Sweetheart Of The Rodeo に対する戸惑いがあった。
 結果として財政的な面でも The Byrds と Columbia Records はこのアルバムで
 ダメージを受けている。

 
 1968年 The Byrds シングル Produced by Gary Usher
 The Byrds - You Ain't Going Nowhere / Artificial Energy
 (Columbia 4-44499)

 The Byrds - I Am A Pilgrim / Pretty Boy Floyd
 (Columbia 4-44643)

 
 
 ★1968年8月9日 シャロンテート殺害事件
 
 当時 Bruce Johnston & Terry Melcher は自らのプロダクション
 Equinox Production を設立し、大手レコード会社と契約を結ぼうと
 目論んでいた。そのために曲を書ける人材を探しており The Beach Boys メンバー
 として Bruce Johnston 訪英時期にスカウトしたのが Grapefruit で、
 アメリカに残っていた Terry Melcher がスカウトしたのが The New Breed と
 Moss & The Rock であった。Terry Melcher は彼らにアルバム録音が
 出来るだけのたくさんの曲を彼らに書かせた。イメージチェンジをするべく
 Public Nuisance と名を改めた Moss & The Rock 、そして Glad と名を
 改めた The New Breed だが、彼らのデビューは大事件に巻き込まれる。
 Equinox Production は1968年に ABC Records 傘下となった
 新興レーベル Dunhill Records にも話を持ちかける。
 運良く Grapefruit は ABC Dunhill からアルバムリリースを果たしたが
 その頃から Equinox Production に暗雲が立ちこみ始める。
 既に Gary Hinman と Donald (Shorty) Shea 殺害疑惑で有罪となっていた
 ヒッピーコミューンの教祖 Charles Manson だが、
 Charles Manson と交友が深かった The Beach Boys の Dennis Wilson は
 1968年に当時シエロドライヴ10050番地に住んでいたTerry Melcher
 を紹介した。間もなくして Charles Manson は女優 Sharon Tate 宅
 に押し入り彼女を殺害してしまった。すぐさま Terry Melcher は
 重要参考人として検挙され24時間体制でFBIから監視される状況に陥った。
 そのために Equinox Production の運営計画は中止されてしまい
 資金難となり一時閉鎖されてしまった。

Charles Manson

   Sharon Tate
 
 Terry Melcher の父で Gentle Soul のマネージャーも手掛けていた
 Marty Melcher が当時財政を悪化させていた。その原因となったのは
 彼が先行投資した Monterey Pop Festival だった。これは彼らの家族の
 財政にも及ぼすようになり、その梃入れとして Terry Melcher の母親
 Doris Day の "The Doris Day Show"(CBS TV) を放映する運びとなった。
 既に映画女優として一線を退きはじめていた母 Doris Day だったが
 Terry Melcher はこの番組の代表取締役テレビプロデューサーをする事に
 なり放映料のアドヴァンスで財政を立て直そうとしていた。
 それが理由で Terry Melcher は
 The Byrds のプロデューサーを降りており
 後任としてゲイリーが The Byrds の
 プロデュース担当となった経緯を持つ。
 翌1968年に多額の債務を抱えたまま
 Marty Melcher は死去する。
 巨大化を続けるロック産業ではあったが
 これらの事情からコストコントロールは
 無視出来ない状況になる。
 実験のために投資する時期は徐々に
 終りに近づいていた。

Doris Day and Marty Melcher
 
 The Byrds の Sweetheart Of The Rodeo に続きゲイリーは録音のために
 缶詰状態になっていた Chad And Jeremy - The Ark に $75,000 もの費用
 をかけて完成させ Columbia Records との関係が悪化してしまった。
 それが引き金となり新体制を作ろうとした Columbia Records はゲイリーを
 解雇する。
 
 Gary Usher はその間も Curt Boettcher に Together Records 設立
 のプロジェクトを持ちかけていた。1969年3月に Gary Usher と
 Curt Boettcher、Keith Olsenの3人で設立された Together Records だが、
 先ず最初にリリースされた同レーベル
 の記念すべきファーストアルバムは
 The Byrds の初期音源で構成された
 Preflyte (Together ST-T-1001)
 だった。これは The Byrds がデビュー前
 の1964年にワールドパシフィック
 スタジオでレコーディングしていた
 未発表音源を収録したアルバムだった。
 Together Records は昔ゲイリーの
 手がけた一連の Surfin' Movie を配給
 した American International Pictures の
 Al Simms をスポンサーにしていた為に
 映画サントラアルバムも手がけていた。
 
 1969年4月に Together Records 初のシングルがリリースされた。
 Sandy Salisbury - Do Unto Others / Cecily (Together T-101)
 フィラデルフィアで生まれハワイで育った Sandy Salisbury は

 Curt Boettcher と Steve Clark が設立した Our Productions に所属して
 The Ballroom, Millennium と Curt Boettcher と共に行動をしていた。
 プロデュースは Curt Boettcher, Keith Olsen, Gary Usher の3人が
 連名でクレジットされており、ファズを交えた力強いバッキングで
 素晴らしいパワーポップとなっているが、ヒットに至っていない。

 作曲は Keith Colley, 作詞を Sandy Salisbury が担当している。
 B面はハワイアンサイケにも通低する柔らかな浮遊感を有する
 Folky Pop の佳作。こちらは Sandy Salisbury の作曲で、作詞は
 Curt Boettcher が書いている。
 
 かねてからゲイリーに自作のデモ
 テープを送り続けていたフォーク
 シンガーの Dick Campbell は
 Mercury でアルバムをリリースした
 後にゲイリーの要請を得て
 カリフォルニアに出向いた。
 ゲイリーはレーベル設立にあたって
 Dick Campbell を雇っている。
 その後 Dick Campbell は Nilsson の楽曲の管理を始め
 "I Guess The Lord Must Be In New York City" のカヴァーを
 ゲイリーに薦めた。この曲はゲイリーがヴォーカルを担当し
 Sagittarius のシングルとしてリリースされたがヒットしなかった。
 その間、Sagittarius のセカンドアルバム The Blue Marble
 (Together ST-T-1002) が完成した。プロデュースは曲によって異なり
 Gary Usher 単独、Gary Usher & Curt Boettcher
 そして Gary Usher-Curt Boettcher-Keith Olsen
 の3種類クレジットがされている。エンジニアーを務めたのは

 Dale Batchelor & Gary Usher でゲイリーがリードヴォーカルとった
 "I See In You" と "Gladys" の2曲では Chuck Girard の名が Spritual Thanks
 としてクレジットされている。ジャケットデザインは Jan & Dean の
 Dean Torrence が設立した Kittyhawk Graphics が担当。
 アルバムにはボーナスとして地球の天体写真が付属されていた。
 
  
 1969年 Sagittarius シングル 
 Ii My Room / Navajo Girl (Together 105)
 
 I Guess The Lord Must Be In New York City / I Can Still See Your Face
 (Together 122)
 
Together Records 初の
ヒットとなったのは Sagittarius
のシングル "In My Room"
(Together 105) だった。
Curt Boettcherがリードヴォーカルを
担当したこの The Beach Boys の
カヴァーはアルバムの持つ
スピリチュアルなフィーリングを
内包しており1969年8月2日を
ピークに全米86位ながらチャート
に入った。
 
 Together の "In My Room"で幸先の良いヒットに恵まれ続いてリリース
 されたのが Nilsson の書いた"I Guess The Lord Must Be In New York City" だ。
これはゲイリーのリードヴォーカル
によって録音された。
またカナダ盤は Mike Curb の
Forward Records から発売
されており Featuring Gary Usher
とクレジットされている。因みに
この歌は Hudson Brothers
の前身である The New Yorkers
と競作になり他にも幾つかの
競作シングルが存在する。
 
 Sagittarius のシングルの合間を縫ってCurt Boettcher のシングル
 Share With Me / Sometimes (Together 117)がリリースされた。

 作者は Usher-Salisbury-Mallory-Stec の連名となっており
元々は Columbia Records
時代に書かれていた
"Letter From"と言う曲だ。
ここでのプロデュースはカートと
キースオルセンとゲイリーの連名。
ゲイリーはこの曲を後に
Dick Campbell と後に改めて
書き直している。
 
 またこの時期 Danny Cox のファースト
 アルバム(2LP)が Together Recordsで
 リリースされゲイリーがプロデュースと
 エンジニアー担当した。
 Danny Cox - Birth Announcement
 (Together ST-1011) このアルバムは
 Bob Dylan の "Baby Blue"や
 "Just Like Woman", The Beatles の
 "My Guitar Weeps" "Day In The Life"
 "Hey Jude" そして Leonald Cohen の
 "Suzanne" 他をカバーするフォーク
 アルバムでレコーディングには
 John Kahn が参加。
 
 その後ゲイリーはこのレーベルで
 東洋的思想の強い禅の指導者である
 Alan Watts のカルトな2枚組アルバム
 Why Not Now-Dhyana, The Art Of
 Meditation (Together ST-T2R-1025)で
 プロデュースを手掛けた。瞑想の指導者
 として高い評価を受ける Alan Watts の
 このアルバムは Dean Torrence の
 デザインによるもので4ページの
 ブックレットが付いている。
 
 その間 Gary Puckett & The Union Gaps がリリースしたシングルがある。
 
Don't Give In To Him / Could I (Columbia 4-44788) のA面がビルボード
 チャートにランクインされた。
 この曲は1969年3月15日をピークに全米15位のヒットとなった。

当時の 4 Star Music のプロモカード。
ソングタイトルの下に
Words and Music by Gary Usher
と書かれている。


このA面は Jerry Fuller の
プロデュースだがゲイリーが
単独で書いた曲。
この曲は元々Finders Keepers
の為にゲイリーが書いた曲だ。
Columbia Records を離れた
ゲイリーにとっては皮肉だが
ゲイリーの単独作品としては
初のミリオンセラーとなった。
因みにこの曲は The Ventures も
録音している。
 
 ★1969年8月15日 ウッドストック ロックフェスティヴァル開催
 
 1969年にカントリーロックバンド 
 Southwind が "Ruby Eileen" を録音し
 ゲイリーはプロデュースを手掛けている。
 これは Kendun Recorders に残された
 10インチのアセテート盤としてプレスされ
 Together Records 存続のために
 提出されたが、力及ばず Southwind
 は Blue Thumb Records と契約し
 アルバム Ready To Ride
 (Blue Thumb BTS-13) に収録された。
 
 The Byrds - Ballad Of Easy Rider / Wasn't Born To Follow
 (Columbia 4-44990) が1969年の最後にリリースされた。
 B面は Gary Usher のプロデュースで、Goffin-King の曲という
 ことで物議をかもしたが映画 Easy Rider でも使われたサイケデリック
 なカントリーロックで人気の高い曲。
 
 The Hondells のセッションで昔一緒に作業をした Mike Curb は事業家としても
 成功しており、トランスコンチネンタルエンターテイメントコーポレイションの
 取締役を歴任し、1970年1月には弱冠25歳で MGM Records の社長に
 就任し活躍していた。当時 Mike Curb は Together Records の
 スポンサーであったAmerican International Pictures の版権を得た。
 そして彼はゲイリーの Together Records 運営にあたって資金援助をし、
 スタッフをゲイリーに貸し出した。1970年に入り Together Records は
 MGM 傘下になったが、当初はフォークミュージック、フォークロックの
 発展を務めていたものの Mike Curb の意向からか、
 MGM 系のAmerican International Pictures のB級映画の
 サウンドトラックアルバムを MGM Records が設立した子会社
 American International Records (A.I.R.) でリリースし続けることになる。
 その間 MGMは子会社として Forward Records を
 設立させ Together Records の
 配給をさせたが、間もなくして
 Together Records は資金難の
 ために1年で閉鎖に追い込まれる。
 借金を抱えたゲイリーは A&R スタッフを
 引き連れて RCA にかけあった。
 実は Mike Curb によって育てられた
 ファミリーグループ Cowsills は
 1969年でその人気が急速に下降し、
 MGM Records との契約が終わっていた。
 Mike Curb は子飼いの Michael Lloyd
 を引きつれ Mike Curb Congregation
 を率いて Love & Peace を掲げた
 コーラスグループの活動を始める。

    Mike Curb

 まもなくして Dick Campbell は RCA Records の A&R マネージャーになった。
 Gary Usher は Mike Curb から Cowsills のサポート要請を受けており
 その際、興味深いシングルに Gary Usher は関わっている。
 Lightmyth - Across The Universe / Quest For The Golden Horde (RCA 74-0361)
 Glen Campbell ともセッション経験のあるギタリスト Martin Margulies (後に

Martin Margulies / Johnny Legend
Johnny Legend と名を変えて
ロカビリーリバイバルや
プロレスラーのマネージャー
として活躍する)は1966年に
Sunset Strip のガレージバンド
The Seeds Of Time のリーダー
だった。そのバンドを母体にした
Lightmyth が The Beatles の
"Across The Universe" で
1970年にシングルを1枚リリース
した。プロデュースのクレジット
は Cowsills のリードシンガーの
Bill Cowsill となっているが、
実際は Gary Usher が両面とも
プロデュースを担当した。

興味深いことにイギリスでは
この曲 "Across the Universe" は
WWFのチャリティ・アルバム
"No One's Gonna Change Our
World"に The Beatles ヴァージョン
は収録され1969年12月12日に
リリースはされていた。
The Beatles のアルバム Let It Be
に収録されたこの歌はアルバム
リリースが1970年5月8日だった
のだが、アメリカでは Lightmyth
のヴァージョンがThe Beatles の
アルバムリリースより先に
リリースされている。

 その後 RCA Records から依頼を受けた Gary Usher は
 Dick Campbell と一緒に "Good Ole Rock & Roll Song"
 という曲を書き、Cowsills の家に出向いて録音させた。この曲は
 Cowsills - On My Side (London PS587) に収録され
 1971年にリリースされたが、既に人気がなかった彼らのこのアルバム
 は話題にもならなかった。

Dick Campbell

  Cowsills - On My Side
 
 RCA Records を解雇されたゲイリーとスタッフだがゲイリーと
 Dick Campbell は曲を書き続けていた。
 その時期、Paul Williams のマネージャーだった Larry Gordon と取引が
 行われ Larry Gordon の義父でコメディアンの Danny Thomas を加えて
 RIP/KECA Music という音楽出版社を設立した。
 それに連動するようにゲイリーは
 1971年 Elektra Records と契約
 を結び、手始めに The Wackers の 1st
 アルバムをプロデュースする。
 Wackering Heights (Elektra EKS-74098)
 彼らは5人組のポップバンドで
 元 Family Tree の Bob Segarini や
 Randy Bishop で結成されていた。
 このアルバムは The Beatles の
 影響が伺えるフォークロックの逸品
 であり、以前彼らは同レーベルの
 The Doors のライヴの前座も務めていた。
 
 元々Elektra Records はフォーク色
 の強いレーベルだったが、ゲイリーは
 フォーク&フォークロックのコンセプト
 であるアルバムを David Gates と
 共にプロデュースした。
 The Ship - A Contemporary Folk Music
 Journey (Elektra EKS-75036)
 
 ★1971年2月9日 ロスアンゼルス大地震フリーウェイやダムが崩壊
 
 次に合間を縫って良質なソフトロックシングルが単発的にリリースされた。
 The Guild - What Am I Gonna Do / Good Christian Cowboy
 (Elektra EK-45823)
 Rich Lang - Guitar, Vocals
 Jim Lang - Sax, Vocals
 Michael McDonald - Keys, Guitar, Vocals
 Denny Henson - Keys, Bass, Vocals
 Tom Kelly - Bass, Vocals
 Fred Shaugnessey - Bass
 Terry Dugger - Drums

The Guild

このバンドは後に Celestium で
リードヴォーカルを務める
シンガーソングライター
の Tom Kelly が在籍していた
ミズーリ州のバンドで、A面は
Carole King & Toni Stern
によって書かれたメロディアス
なソフトロックのカヴァーで、
ゲイリーは両面プロデュースを
担当した。

 
 1972年には The Wackers のセカンド
 アルバム Hot Wackes
 (Elektra EKS-75025)をプロデュースした。
 
 ★1972年6月17日
 ウォーターゲート事件発覚

 The Wackers シングル 1971 - 1972 / Produced by Gary Usher

 The Wackers - I Don't Want My Love Refused / I Like
 (Elektra EKS-45743) 1971

 The Wackers - Body Go Round / White House
 (Elektra EKM-45758 Promo Only) 1971

 The Wackers - Oh My Love / We Can Be
 (Elektra EK-45772) 1972

 The Wackers - I Hardly Know Her Name / Do You Know The Reason
 (Elektra EK-45783) 1972
 
 ★1973年1月29日 ニクソン大統領ベトナム戦争終結を宣言
 
 1973年に Curt Betcher の初のソロアルバム
 There's An Innocent Face (Elektra EKS-75037) がリリースされた。
このアルバムはCurt の昔の
仲間達 Michele O'Malley や
Dottie Holmberg らもコーラス
で参加しているが、Gary Usher
は Executive Producer として、
また Mix Down アシストとして
クレジットされている。
 
 またこの時期 Gary Usher は古巣の
 Warner Brothers で Andy Goldmark
 のアルバムをプロデュースした。
 Andy Goldmark - S/T
 (Warner Brothers BS-2703)
 録音に参加したのは元 The Critters の
 Jim Ryan を筆頭に Wes Burrell,
 Dave Vaught, Larry Knechtel, Bob Glaub,
 Andy Newman, Jim Keltner ら。
 コーラスでは Curt Betcher と
 Nancy Hansen が参加した。
 Andy Goldmark はソングライター
 として Natalie Cole, Carly Simon,
 Eric Carmen 等に楽曲を提供してきた
 人物で、この彼のソロアルバムもSSW
 アルバムとして高い評価を得る名盤だ。
 
 これに続いて The Wackers の3rd
 アルバム Shredder (Elektra EKS-75046)
 で Mark Abramson と共同で
 プロデュースを担当した。
 
 その後ゲイリー達は Jim Nabors Music Company 所属のソングライターで
 Amos Records で録音していた Jim Weatherly (James Dexter Weatherly
 元 The Gordian Knot) と契約し Cissy Houston (Whitney Houston の母)を
 手に入れた。Jim Weatherly が当初カントリーソングのつもりで書いていた
 "Midnight Plane To Houston"は Cissy Houston によって歌われ、
 その後 Gladys Knight & The Pips によって"Midnight Train To Georgia"
 として歌われ1973年9月に全米1位の大ヒットとなった。
 ゲイリーにとって不運にもこの曲の
 印税は作者の Jim Weatherly
 に入ったにすぎない。
 その間もゲイリーとディックキャンベルは
 50曲以上も曲を書き溜めていた。
 それらの曲はコンセプトアルバム
 Beyond A Shadow Of Doubt の
 為に書かれていたが、結局このコンセプト
 アルバムはリリースに至らなかった。

 この音源は2000年になってCD化される。

  Jim Weatherly
 
 ★ 1973年10月6日オイルショック
 
 1975年にタロット占いで有名な Ann Davis のアルバムをゲイリーは
 プロデュースしている。このアルバムのオリジナルは1966年に
 教会で出版されリリースされた。それを1975年に改訂版として
 リリースした際にゲイリーが加わっている。恐らく彼女とは Sagittarius
 のコンセプトまたはそのコンセプトの基となった Phil Austin の
 アルバム製作時に接点があったのだと推測される。彼女はオカルトに
 関する書籍も出版しておりゲイリーは彼女の神秘的な宇宙観に
 魅せられていた。このアルバムは所謂自主盤みたいなもので
 タイトルは "An Esoteric Qabalistic Service" と記載されており
 改訂版は Builders Of The Adytum 6102 がレコードナンバーとなっている。
 折込ページが内装された Gatefold Cover で、Ann Davis が神秘的な演奏を
 バックに宇宙について語る。バックで参加しているのは The Builders Of
 Adytum Choir With Contributions By B.O.T.A. Temple Choir,
 California Boys Choir, Marion Hills, Doug Lawrence, Joseph Nolen,
 Marie Andell, Patricia Behman and David Shostac
 残念な事に Ann Davis はこのアルバムをリリースした1975年に死去してる。

Ann Davis

      
 
 1974年から1975年にシングルを2枚リリースしていた
 Bruce Johnston が発案していた California Music だが
 元々はソフトサウンディングの新たなアレンジで古い楽曲を
 蘇らせようとするプロジェクトだった。それが1976年に入って
 California Music の方向性がより具体化された。Bruce Johnston 自身が
 Terry Melcher と共に設立した Equinox Production が指揮をとり、
 Curt Betcher をリードヴォーカルに据えてトロピカルなポップサウンド
 に路線変更され良質なシングルが3枚リリースされた。
 共にプロデュースは Curt Betcher-Gary Usher-Terry Melcher に
 よるもので、西海岸ならではの爽快でライトなファンクネスが内包された
 傑作シングルとなった。Bruce Johnston は1969年に Equinox を
 設立して以来、The Beach Boys と行動を共にしながらこのプロダクションを
 様々なレコード会社に売り込んでは幾つものソフトサウンドを実験してきている。
 その多くは既存の楽曲に手を加えていく手法で、まるでその後のFMラジオの
 普及を考慮に入れていたかのような、音質の良さを誇っていた。
 Bruce Johnston は1972年3月に The Beach Boys のマネージャーの
 Jack Rieley との対立から The Beach Boys を脱退しており、RCA Records に
 Equinox のプロダクション契約をさせた。その間、いくつかのアルバム
 制作に携わり合間合間でワンショット的にいくつかの試みを発表していた。
 当時シアトルで生活しながらディスコのDJをやっていた Curt Betcherは
 以前 Together Records でプロデュースを手がけた事もあるシアトルの
 バンド Moses Lake (The Bards の変名)のメンバーだった Marty Sheldon
 や彼の仲間の Brent Nelson に声をかけられ Equinox が録音していた
 "Happy In Hollywood" の歌入れを打診される。

 それを了承した Curt Betcher はカリフォルニアに戻りヴォーカルトラックを
 作った。そのテープを聴いた Bruce Johnston は凄く気に入りすぐさま
 Curt Betcher と契約した。
 その後 Curt Betcher はこの
 プロジェクトのリードヴォーカルを担当
 する事になる。レコーディングには
 Brian Wilson を筆頭に
 Chad Stuart らも参加しており
 古いトロピカルソングのカヴァーに斬新な
 アレンジが施された。
 彼らはウェストコーストミュージックが
 当時のディスコシーンに融合出来る事を
 実現させてみせたのだ。

   Curt Betcher
 
 
 このセッション中に Equinox はイギリスのロックシンガー Dave Edmunds
 (元 Lve Sculpture) の新曲製作に携わった。ここで録音された
 "London's A Lonely Town" の
 レコーディングには Brian Wilson,
 Bruce Johnston, Terry Melcher,
 Curt Betcher, Gary Usher らが
 参加している。
 これは The Trade Winds の名曲
 "New York's A Lonely Town" を
 カヴァーした傑作だが、見事な出来で
 レコーディングを終えたものの権利上の
 問題でリリースはされなかった。

     Dave Edmunds
  
 California Music のプロジェクトはアルバムリリースに向けてシングルカット
 された曲の他にも多くのレコーディングを完成させた。
 このアルバム Passion Fruit は Curt Betcher, Gary Usher,
 Terry Melcher がプロデュースを担当している。
 これは1977年夏に Mike Curb によって Warner / Curb から発売される
 予定だったものの、当時カリフォルニア州の副知事選挙に出馬する
 Mike Curb の意向によってリリースは見送られてしまう。
 
 1976年 California Music シングル
 California Music
 - Jamaica Farewell / California Music (RCA 10572)
 
 California
 - Music Music Music / Happy In Hollywood (Warner Brothers 8253)
 
 Curt Betcher and California
 - I Love You So / Happy In Hollywood (Warner Brothers 8307)
 
日本盤     日本盤

Promo Only Mono/Stereo

  Promo Only Mono/Stereo

Music Music Music
(Promo 12 inch)

     Music Music Music
    (Promo 12 inch)
 
 1977年には Bruce Johnston のアルバム Going Public
 (Columbia PC-34459)がリリースされた。ここでゲイリーはプロデュースを
 担当した。このアルバムは The Beach Boys のメンバーだった Bruce Johnston
 の作品で、名作 "I Write The Song"
 "Deirdre" "Disney Girl" 等が収録され
 彼のメロディアスな作風が
 生かされた名盤アルバムだ。
 参加は Ed Carter, Chad Stuart,
 Curt Becher (Curt Betcher),
 Gary Puckett ら豪華なメンバー
 となっている。因みにアルバム
 デザインは Dean Torrence
 によるものだった。
 
  
 1978年には California のシングル I Can Hear Music / Love's
 Supposed To Be That Way (RSO 901)がリリースされた。
 これは California の前作を引き継ぐ良質なトロピカルサウンドで、
 プロデュースを Curt Betcher が行い共同プロデュースを
 Gary Usher, Bruce Johnston,Terry Melcher が担当した。
 
その後、ゲイリーはレコード業界を
漂流していた。なかば業界から
身を引いたかのような状況は続き
その間、西海岸のサマーヴィジョン
も時とともに変化をみせていく。

まもなくしてゲイリーはシアトル
近くの San Juan 島でレストラン
経営を始めたが失敗に終わった。
 
 1984年に突然コンセプトアルバム Celestium - Sanctuary (Epic BFE-38912)
 をリリースした。これは AOR 然とした シンフォニックプログレサウンドで
 リードヴォーカルを Tom Kelly (元 Fools Gold / I-Ten) が担当した
 コンセプトアルバムだ。Tom Kelly は後に Madonna に "Like A Virgin" を提供し
 ソングライターとしても成功した。ゲイリーは全作曲、プロデュース、
 アレンジと意欲的な姿勢を見せ、ゲイリーはシンセサイザーに
 取り組みながらもミドルエイジにメッセージを送るべく、このアルバムを
 完成させた。因みにアルバムのジャッケト写真はゲイリーの横顔で
 アコースティックギターで Gary Usher, Jr. も参加している。
 Prod, Arr by , Backing Vocals, Synthesizer, Written-By - Gary Usher
 Lead Vocals - Tom Kelly
 Keyboards - Craig Harris, Jim Cox
 Keyboards, Synthesizer - Mike Meros
 Synthesizer - Alan Pasqua
 Drums - Brent Nelson
 Drum Machine - Bill Fletcher
 Guitar - Robert Stamps
 Acoustic Guitar - Gary Usher, Jr.
 
 1987年に Annette と Frankie Avalon が共演した映画
 Back To The Beach のサントラで3曲をプロデュースしている。
 その中には Dick Dale と今は亡き
 Stevie Ray Vaughan が共演した
 ワイルドな "Pipeline" も含まれ、
 Gary Usher-David Kahne の共同
 プロデュースで製作されている。
 ちょうど企画がプロダクション化した頃、
 ゲイリーの息子 Gary Usher, Jr. は
 ローカルレコードショップでバイト
 しながら、毎晩父ゲイリーとセッションを
 していたと言う。その頃パラマウント映画
 は明白にゲイリーの関与を望んでおり
 ゲイリーは新しいビーチムービーの歌の
 プリプロを自宅の House Of Usher
 スタジオで作り始めていた。
 
 Gary Usher, Dick Dale, Stevie Ray Vaughan の3人は全てのバック
 トラックをゲイリーの自宅のスタジオで完成させてメインギターを録音させた。
 さらに Stevie Ray Vaughan は Gary Usher, Jr. の所有する幾つかの機材
 を使って映画 Back To The Beach の為の歌入れや録音を完成させている。
 しかし多くの部分は映画では使用されていない

Dick Dale and Stevie Ray Vaughan
 
 その作品から Pee-Wee Herman / Surf Punks - Surfin' Bird / My Beach
 (Columbia 38-07301) がリリースされた。異色俳優の Pee-Wee Herman が
 The Trashmen の名曲をカヴァー。プロデュースはゲイリーだった。
奇人 Pee-Wee Herman は
その後人前で裸になり
公衆わいせつ罪で逮捕
されてしまった。
因みにB面の Surf Punks とは
Dennis Dragon の覆面バンドだ

 
 続いて Fat Boys With The Beach Boys
 の"Wipe Out" にノンクレジットながら
 Co-Producer として参加している。
 これら一連のリヴァイヴァルブームには
 ゲイリーら昔のムーヴメントの立役者が
 参加しており新旧の橋渡しがされていた。
 
 当時 Brian Wilson の状況を進展させて音楽業界に復帰させる計画
 通称 Wilson Project が始動しはじめたのを期に Gary Usher と
 Brian Wilson は新たなチャレンジとしてコンビを復活させる。
 レコード業界は大物 Brian Wilson の復帰に対して必要以上に
 神経質になっていた。また Brian Wilson も周囲からのプレッシャー
 を受け神経過敏になっていたためにゲイリーはブライアンが平静な状態を
 保てるようにゲイリーの自宅のスタジオに招きいれた。
 ブライアンは、基本的な親しみやすいフックを備えたメジャーコードの小説を
 作りあげゲイリーはそれをポップソングへ導くよう装飾を施しアレンジして
 いった。セッションの後に、ゲイリーはパートを一度分解し、曲を構築する
 ために改めて集めなおした。これは音楽を良く知る二人だから可能な
 方法で、ゲイリーとブライアンは双方からアクセスしていき曲を完成させる。
 ここで完成させられたのが "Let's Go To Heaven In My Car" だった。
 これらのセッションに多くの人々がまわりに集まり、特に映画制作クルーと
 レコード会社の幹部が狂気のような空気を生み出してたと言う。
 ゲイリーの息子 Gary Usher,Jr. は既にギタリストとして腕をあげており
 この曲にギターで参加している。ジュニアがギターパートを録音する時に
 ブライアンとゲイリーは割と自由なプレイを認めており、
 ジュニアは「じゃあ」とばかりにへヴィーメタルなギターを入れたという
 逸話も残っている。

 
 1987年に Brian Wilson のソロ作品で
 のソロ作品で映画 Police Academy 4
 のサントラに使われた
 "Let's Go To Heaven In My Car"
 (Sire 28350) ではプロデューサーの
 一人としてゲイリーはクレジットされた。
 ゲイリーはこの時期にブライアンと
 共作活動を復活させて幾つかの曲を
 完成させたが、多くが未発表になった。
 その中には正式なリリースがされなかった
 名曲 "Spirit Of Rock And Roll"
 も含まれる。
 この曲は Brian Wilson-Gary Usher-Thomas Kelly の
 3人で書かれた曲で、Thomas Kelly こと Tom Kelly はゲイリーの
 Celestium の共作者である。この時期ゲイリーは Sixteen Star Music
 で楽曲を管理させていたが、ブライアンとの共作でリリースされなかったのは
 "Heavenly Bodies" (Let's Go To Heaven In My Car の原曲で
 映画の為に Beach Bum Music で管理させている)
 "Just Say No"
 "Magnetic Attraction"
 "Number One"
 等が確認されている。この "Number One" はゲイリーとブライアンが
 1962年に「俺たちには才能があるんだ、俺たちはカリフォルニアの
 Goffin & King になるんだ」と言って励ましあって製作された
 Rachel and The Revolvers のシングルのカップリングの
 "Number Nine" が原曲と推測される。これは元々ゲイリーと
 ブライアンが初期にデモで書いた "Visions" が原型で当初はゲイリー
 と The Beach Boys で演奏を録音していたものだ。また二人が初めて設立
 した音楽出版社 Number One Publishing の由来でもある。この曲は
 二人の友情の原点と言えるタイトルだ。
 1988年には Brian Wilson
 初のソロアルバム "Brian Wilson"
 にノンクレジットながらプロデュースを
 協力したり、幻となったブライアンの
 セカンドアルバム Sweet Insanity
 にも協力している。この一連の作業で
 旧友ブライアンとコラボレート作業を
 始めている。こうして再び活発な動き
 を見せ始めたゲイリーだったが、
 既に体は病魔に襲われていた。
 
 1989年にカリフォルニアに戻ってきたゲイリーは肺癌を患っており、医師に
 余命が長くない事を宣告された。その後 Dick Campbell の献身的な勇気付け
 を受けていたゲイリーだが、1990年
 5月25日、肺癌のため2度と帰らぬ人
 となってしまった。そしてゲイリーと
 共に数々のホットロッドソングを世に
 送り出してきた Roger Christian も、
 ゲイリーの後を追うようにして1991年
 7月11日に亡くなった。
 共に51歳と57歳という若さであった。

 Brian Wilson は Gary Usher の死の1ヶ月前にGary の病室に
 The Ronettes のCDを持って訪れたという。
 そして "Be My Baby" を5回ほど繰り返してかけながら
 Gary の手を取って泣いたという。Brian と Gary の
 脳裏には「今に2人でこの曲に負けない曲を作ろうぜ」と言って
 励ましあった若い頃の二人の姿が映ったのかもしれない。
 
 後年 Chris Hillman は回想している
 「我々The Byrds は既に "Younger Than Yesterday" でカントリーロックを
 成し得た。私が思うに Clarence White の "Girl With No Name"
 "Time Between" が我々にとって初めてのカントリーロック体験だった。
 "Notorious Byrd Brothers" も含めて再評価されているが当時としては
 ビッグヒットしたアルバムではなかった。Roger McGuinn と私は違法行為で
 検挙されていて David Crosby と Gary Usher はアルバムを仕上げる際、
 我々の帰りを待ってくれていたんだ。Gary Usher はとても仕事がしやすく
 上手なプロデューサーだった。彼は多くの種類の全てのアイディアをオープンに
 してくれた。私はこれらのアルバムがとても好きだ。
 1990年になって The Byrds のコンピレーションボックスを Bob Irwin が
 編集作業をしていた時にバンドは地獄へと向い始めていたんだ。
 我々と Mike Clarke との間で討論が始まった。その時に Gary Usher が
 死んだ事を聴かされた。その後 Mike Clarke も死んだ。
 我々は過去多くの友人を失っている。Gary Usher の死はとても悲しかった」
 
 Gary Usher は60年代の初頭からほんの数年間を、自らが世に送り出した
 数々の作品と共に駆け抜けていった。それは、まさに一瞬のきらめきでしか
 なかったのかもしれない。しかし Gary Usher が手掛けた数々の作品は、
 The Beach Boys や Jan & Dean の作品と同じように、その後の様々な
 音楽に影響を与えた。それは西海岸の若者のライフスタイルであり、また
 永遠の夏を題材にしたテーマミュージックの在り方でもある。
 Gary Usher の残した音楽は、聴く側に、創る側の「一生懸命さ」を伝えてくれる
 音楽だと私は思っている。Gary Usher はその昔 Brian Wilson と曲を
 書き始めた頃の事をこう語っている。「僕らはいつもスピリットを持っていた。
 そして常にそれを曲に織り込んでいく努力をしていた」スピリット無くしては
 ロックンロールは生まれない。Gary Usher は最期までいつもこの
 スピリット(精神)を持ち続けていたのだろう。
 California Gold と呼ばれ今でも多くの人々に愛される音楽がある。
 Gary Usher の生み出したサウンドには正真正銘の California Gold
 が存在している。
 
 ありがとう Gary Usher, 貴方が残してくれた優れた作品群に
 心から敬意を表します。
 
  
 参考文献 / Works Cited
 Goldmine
 Jim Murphy "Becoming The Beach Boys 1961-1963"
 Stephen J. McParland "It's A Party Time"
 Stephen J. McParland "The California Sound"
 John Blair, Stephen J. McParland "Hot Rod Music"
 Joel Whitburn "Top Pop Singles 1955 - 1986"
 Hugh MacLean, Vernon Joynson "An American Rock History"
 Vernon Joynson "Fuzz Acid And Flowers"
 Brian Wilson with Todd Gold "Wouldn't It Be Nice"
 Terry Hounsome "Rock Record"
 Vanda "The Beach Boys Complete 2001"
 Ron Moore "Underground Sounds"
 Bill Aken "Carry Your Own Guitar"
 Ken Burke "Country Music Changed My Life"

 Special Thanks
 Gary Usher Jr.(Metal Blade Records Inc)
 Kunihiko Sano (Vanda)
 Tatsuro Yamashita
 Vinyl Vic

 And I was inspired and influenced by all the 60s sub culture researchers
 and oldies collectors.
 I am grateful for your enthusiasm and effort.
 Sincerely Yoshi Takeuchi
 
 書き終えて 竹内義彦
 これは Vanda 23号で特集された小林康樹著による"Gary Usher Early Story"
 に私が手を加えたものだ。私の親友である小林康樹(コーちゃん)
 によると、Vanda で掲載された時点ではページの制限からか、後半部分であった
 LATER YEARS / ON AND AFTER において書ききれない部分が沢山あった。
 当初、私が加筆したこのプロジェクトは Bruce Johnston & California Music
 がそうであったように「過去のマテリアルに新たなアレンジを施す事で
 作品を蘇らせよう」とするものだった。
 それは親友の小林康樹に対するオマージュであり、また彼が制約の中
 で完成させる事の出来なかったこの作品を蘇らせ次世代に伝える為だった。
 結果的には補筆が異常に多くなったが(苦笑)
 いやしかし、奇しくも Gary Usher が我々に教えてくれたように、
 作品に対する情熱と愛情がなければ、この物語は完成させられなかっただろう。
 このホームページのフォーマットの都合で幾つかの漢字表現を直したりしたものの
 基本的にはコーちゃんが書いた文章を次世代に残していく為に書いていた。
 途中幾つかの誤字に気付き、それを直したりはしたが、コーちゃんが伝えたかった
 本質的な部分には手を加えないように心がけた。また作成中にはデータの補足や
 レコードの写真掲載においてもコーちゃんと幾度となく話し合った。
 これが60年代サブカルチャーやウェストコーストミュージックを愛する人々に
 届けられるのであれば竹内義彦、小林康樹ともに幸いである。
 
 
 
 GARY USHER WORKS 曲目解説(竹内義彦)
 私にとって一番理想的な ROCKER で、私の永遠のアイドルが GARY USHER だ。
 彼が見せてくれたヴィジョンは60年代 WEST COAST の若者文化、
 ライフスタイルで、それは私にとって不変の輝きをみせる。ロックンロールの
 歴史の中で様々なテーマミュージックが発生してきたが、趣味趣向性の
 強いサーフィンやホットロッドを現在もライフスタイルとして頑なに守り続ける
 人達も、またそうでない人達もこれらGARY USHER を中心とした MOVEMENT
 からガレージ特有の「いきがり」「熱意」
 ティーンポップ特有の「あどけなさ」「純心」に惹かれている。
 洗練された音楽よりも、永遠のオールディーズとしての魅力が私を虜にする。
 簡単に説明すると GARY USHER の覆面グループではリードヴォーカルを基本的に
 3人が受け持つ。GARY USHER、CHUCK GIRARD、DICK BURNS の3人。
 (FOUR SPEEDSはメンバーのDENNIS McCARTHY がヴォーカルを務める
 曲もある)ついでに説明しとくと、よく HOT ROD SONG で使われる
 SHE (彼女)とは愛車を擬人化した表現で、DRAGGIN' DEUCE で
 「SHE JUAT A REAL MEAN DRAGGIN' DEUCE」と歌われる部分なんかは
 愛車への賛美表現だ。LITTLE とは「愛する=愛車」の意味。
 
 THUNDER ROAD - THE SUPER STOCKS
 私が考えるところの GARY USHER 最高傑作。GARY のヴォーカル、、、、
 もうダメじゃあ涙が溢れてきた。
 LET ME TELL THE STORY (俺の話を聴いてくれ)
 から始まる、親が造った密造酒を運ぶドライヴァーが山間部で出会わした
 THUNDER ROAD での出来事。JERRY COLE の超絶ギターで
 幕をあける、魂を悪魔に売ったドライヴァーの物語。
 私は若い頃に恐怖の体験をしている。広島県と島根県の県境で真夜中に
 一人でドライヴしてた時だった。突然目の前に現れたコーナーをパワードリフト
 で脱出したと同時に次々と襲い掛かるコーナー。
 パワーをコントロールできずに車がスライドしていき窓から流れる山間の風景の
 が緊張感を醸し出す。
 ステアリングを切り返した時に肩口に捲り上げていたタバコの箱がぶっ飛んだ、
 HEEL & TOE を繰り返しながらセコとサードの繰り返し。なんとか脱出できた
 翌朝に改めてその道を確認して驚いた。そこは峡谷だったのだ。
 谷底を見て生唾を飲んだ私は、無数のブレーキ跡が生々しく残るその道を通って
 広島に戻った。若さ故に果敢に挑戦していったあの頃、今もこの曲を聴いて
 思い出すほろ苦い思い出。
 
 COMPETITION COUPE - THE TIMERS
 私はこの曲に出会ってから GARY USHER に絶対服従を誓った。
 一般的に HOT ROD MOVEMENT が表面化するのが1964〜1965年だが
 既に本作品は1963年に製作されている。これで HOT ROD VOCAL TUNE の
 完成形を発表しているから驚いた。
 GARAGE だ PUNK だと言われるサウンドが HOT ROD というテーマミュージック
 の中でひとつの完成された形として残されたのがこの傑作だ。
 実はこの曲のメロディーやアレンジは FRANKIE AVALON の BEACH PARTY
 (1963年)でも引用されてる他ASTRONAUTS のカヴァーヴァージョンも
 1964年にリリースされた。しかしこのオリジナルを超える感動はそれら
 比較材料をもってしてもなかった。すなわちこの曲こそがGARY USHER が
 GARY USHER たる所以だと実感したのだ。
 GARYのヴォーカルによるこの2曲さえあれば私はどんな時でも昇天してしまう。
 これが ROCK & ROLL の正しい在りかただと教えてくれる STEVE DOUGLAS の
 サックスにも拍手喝采だ。ただただ凄いの一言。。。。これが GARY USHER が
 教えてくれた西海岸の YOUTH CULTURE 、、いかんまた涙がこみあげてきた
 
 HOT ROD HIGH - THE KNIGHTS
 もうだめじゃあ涙が止まらん。。CHUCK GIRARD のティーンヴォーカル最高!!
 むかし、小林康樹(以下コーちゃん)と一緒にアメリカに行った。
 1ヶ月ほど彼とアメリカに滞在したのだが、車中でお互いのバックボーンを
 話し合っていて驚いた一件がある。私とコーちゃんは同い年だが、なんと二人とも
 GARY USHER の曲に出会ったレコードとその動機が一緒だったので二人とも
 ビックラギョッとなった。二人が声を合わせて「マジか!」となったレコードは
 イギリス映画のサントラアルバムで、当初は BEACH BOYS の比較研究のために
 偶然にも二人は他の SURFIN' & HOT ROD GROUP を探していた。
 このサントラに収録された多くの覆面バンドは
 ROGER CHRISTIAN-GARY USHERとクレジットされていた。
 偶然にも二人ともが全く見た事のないこれらバンドの姿を勝手に
 想像しては CALIFORNIA のミュージックシーンを夢描いていた訳だ。
 そんな中でも飛びっきり最高の DRIVING POP TUNE を聴かせていたのが
 CHUCK GIRARD をリードヴォーカルにしたTHE KNIGHTS の HOT ROD HIGH
 だった。私もコーちゃんも「BEACH BOYS より凄い爽快感とドライヴ感」を
 この曲で感じた。他愛もないガキのカーテーマソングだが、
 そこにこそ閉じ込められた永遠の輝きは、振り返ると自分がそうであったように
 ユースカルチャーにどっぷりと漬かった車乗りであった事を教えてくれる。
 毎日が新しくて、毎日が楽しかったあの頃、みんな車に乗ってたよなあ。
 STEVE DOUGLAS のサックスも最高じゃあ、
 ああまた涙がポロポロと。。。
 
 SCHOOL IS A DRAG - THE SUPER STOCKS
 CHUCK GIRARD もう一丁。ティーンヴォーカル最高!
 ここで使われる DRAG とはスラングで「ズルズルと引きずる=辛く退屈」
 早い話が「学校は退屈」だと、みんなに同意を求めている。
 WE ALL AGREE THE SCHOOL IS A DRAG (学校は退屈だと
 我々は同意してる)このコール&レスポンスがロックンロールの中の
 テーマミュージックの在り方を示している。
 STEVE DOUGLAS のサックスプレイにも耳傾けろ!
 印象的なドラムスティックのカウントが冒頭からエンディングまでリズムをキープ
 させる。初めてこの曲に出会った時に私は唖然とした。これこそが BEACH BOYS
 以上に私が求めていた爽快なドライヴ感だったのだ。
 これぞ ALLTIME MASTERPIECE じゃあ。
 しかし CHUCK GIRARD のティーンヴォーカルには胸が締めつけられる。。。
 ああまたもや涙が洪水のように。。。。。
 
 SCHOOL IS A GAS - THE WHEEL MEN
 CHUCK GIRARD 連発!曲は SCHOOL IS A DRAG の元ネタ。
 SCHOOL IS A GAS とは「学校は最高だ」の意味。ここで聴ける CHUCK GIRARD
 のティーンヴォーカルも最高。少年然とした歌い方が素晴らしい。
 
 D-GAS CHEVY - THE SUPER STOCKS
 もうダメ、涙で前が見えない。
 GARY USHER のヴォーカルがかっこよすぎる。。。
 冒頭で GARY のブレスが聴こえる。もうダメ、もうダメ。。。。。
 
 DEATH VALLEY RUN - THE KICKSTANDS
 もうダメ、、、バスドラムの「ドン、ドドン」のリズムの後ろでハルブレインの
 ドラムロールが。。。。もうダメ涙が止まらん。。。
 
 R.P.M. - THE CUSTOMS
 もうダメ〜〜〜 許してくれ〜〜〜〜爆音が、、、
 GARY USHER の声が生々しい。
 目の前で歌ってるようだ。。。
 もうダメ、、、涙で前が全然見えん。。。うふふ
 
 DRAGGIN' DEUCE - THE SUPER STOCKS
 GARY USHER や BEACH BOYS 他の SURFIN' & HOT ROD TUNE の多くが曲の
 構成は同じである。これはロックンロールの正しい構成でもある。
 @1番、
 A2番(1番の繰り返し)、
 B間奏部分、
 C1番の繰り返しでエンディング FADE OUT。
 BEACH BOYS の 409、SHUT DOWN、FARMER'S DAUGHTER etc 全てが
 この構成を基本にする。
 冒頭のイントロフレーズが演奏であるか、ファルセットハーモニーであるか等の
 違いがあれど、重要視されるのは導入部のフレーズで@1番の構成そのものを
 フックとし、それを引用する。だからこそ最重要視されるのが@の構成で、
 そこに印象的な楽器やハーモニーのフレーズが全体の中で効果的にリフレイン
 される。それは TIGERS の名作 GeeTO TIGER も全く一緒。
 それで SURFIN' テーマより、HOT ROD / CAR テーマの方がエフェクト効果音を
 導入するケースが多い。
 我々が良く口にする SURFIN' & HOT ROD 系のギターブレイクは
 「チャンチャンチャンチャン  チャチャチャチャチャチャチャチャ」と
 4&8の節分をギターで奏でる部分だ。
 このギターフレーズの多様が、曲間をスムーズに変更させ
 @の構成をCまで繋げていく。@のエンディングからAへと導入される
 ピアノに注目。しかしよくのこのピアノのフレーズを考えたなあ。
 DICK BURNS のヴォーカル大傑作
 〜 DRAGGIN' DEUCE 〜
 SHE'S JUST A REAL MEAN DRAGGIN' DEUCE
 THIS HERE SONG'S ABOUT A MEAN YELLOW DEUCE
 A CHEVY POWERED COUPE YOU KNOW SHE REALLY CUTS LOOSE
 I GUESS YOU MIGHT SAY SHE'S KINDA SHORT ON LOOKS
 BUT SHE'S MIGHTY BIG IN THE RECORD BOOKS
 SHE'S JUST A REAL MEAN DRAGGIN' DEUCE
 
 SHE'S GOT A FOUR O NINE CHEV WITH AN OLD CADDY TRANS
 AND COMIN' OFF THE LINE YOU KNOW SHE'LL DO A WHEEL STAND
 SHE HOLDS THE RECORD FOR THE QUARTER MILE
 THE LOWEST E.T.DOWN THAT ASPHALT AISLE
 SHE'S JUST A REAL MEAN DRAGGIN' DEUCE
 DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE
 DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE
 DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE
 
  間奏
 
 THE FINAL COMPRESSION OF A THIRTEEN TO ONE
 SHE TAKES OFF THE LINE LIKE A SHORT FROM A GUN
 EVERYBODY'S TRIED BUT IT'S JUST NO USE
 THEY'LL NEVER SHORT DOWN MY LITTLE DRAGGIN' DEUCE
 SHE'S JUST A REAL MEAN DRAGGIN' DEUCE
 DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE
 DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE
 DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE
 
 【対訳】
 俺の愛車は本当に凄い DRAGGIN' DEUCE なんだぜ
 俺の愛車の YELLOW DEUCE (1932 FORD COUPE) について歌うと
 CHEVORET を POWER UP させて本当に解き放たれた凄いスタイルなんだ
 恐らく君はこの車を見て凄い OLD CUSTOM MACHINE と言うだろう
 しかし俺の愛車は凄い記録を打ち立てたんだぜ
 俺の愛車は本当に凄い DRAGGIN' DEUCE なんだぜ

 俺の愛車は CHEVORET 409 のエンジンに CADDILLAC の TRANS MISSION
 を載せて上手く LINE を取り外して、解るかい?強烈な加速なんだ
 俺の愛車は 0-4 の記録を持ってるんだ
 路上での最速記録を軽く打ち立ててしまったんだ
 俺の愛車は本当に凄い DRAGGIN' DEUCE なんだぜ
 DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE
 DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE
 DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE
 
  間奏
 
 13から0迄ぎりぎりにエンジンの圧縮を上げて
 俺の愛車は弾道の様に一直線に飛び出した
 みんな追っかけてきたけどついてこれる奴はいなかった
 奴らは絶対俺の愛車に勝てっこ無いぜ
 俺の愛車は本当に凄い DRAGGIN' DEUCE なんだぜ
 DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE
 DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE
 DRAGGIN' DEUCE DRAGGIN' DEUCE
 
 CUSTOM CARAVAN - THE PYRAMIDS
 このブンブンサウンドも凄い。ミネソタの TRASHMEN と似た感触だが、
 少し違う。多くの人が傑作と認めるだけあって迫力がある。
 ティーンヴォーカルもかっこいい。
 さすが演奏の迫力は凄まじい。
 店内の小物がサウンドの歪みで揺れている。
 素晴らしい!!上の階に住んでる奴は迷惑だろうな。
 ふふふザマーみろじゃ!
 これが HOT ROD 専門店の底力じゃ、思い知れっ!
 
 LITTLE NIFTY FIFTY - THE SUPER STOCKS
 何べん聴いてもかっこええ! この時代のオルガンはどれも DEL SHANNON の
 RUNAWAY みたいでピロピロでヨロシイ。
 エンディングで TURN ON ME 、TURN ON (今度は俺の番だ)
 ブオオオオオオッ!!!!!と爆音をたててスタートする。
 
 WHEEL MEN - THE SUPER STOCKS
 WILD ROCKER !!! アメリカ人の大好きな ROCKER STYLE の大傑作
 
 LEAKY BOAT LOUIE - THE WEIRD OHS
 これを聴けば大滝詠一のヴィジョンと同じ事が解るだろう。
 デブっちょの LOUIE がボートに乗ったが、浸水し沈んでいく歌だが
 バッキングは HONDELLS と同じセッションのように思える。
 ROCK & ROLL の裏では NOVELTY SONG がしっかりと根付いている。
 
 DRAG HUG - THE WEIRD OHS
 GARY USHER の NOVELTY 路線では CHUCK GIRARD をリードヴォーカルに
 仕立てる。この路線がとても重要なんだ。なぜなら RAT FINK を中心に
 栄えていった HOT ROD ART とも GARY USHER のヴィジョンは密接な
 関係にあるから。
 
 GEAR ! - DAVE MYERS & THE SURFTONES
 狂ってる=かっこいい。初めてこの曲を聴いた時の感動は凄かったさ、
 そりゃあもう。。。うふふふ、また涙が出てきやがった
 
 DRAGGIN' U.S.A. - ANNETTE
 基本的に女の SURFIN' & HOT ROD が嫌いな私ではあるが、最近は少し許せる
 ようになった。何故なら私の子供は二人とも娘だからな。これも神の思し召しと
 受け入れる事にした。うちの娘達はいずれデビューさせるからな。
 
 MUSCLE BUSTLE - DONNA LOREN
 これも女だから嫌いだが、許してやる事にした。
 
 SURFIN' AND A SWINGIN' - DICK DALE
 やりやがる!エレキの大将の本領発揮の FREAKY SURF 大傑作。
 ANNETTE VERSION もキャピキャピで良いが、
 やはり SURF は男ガレージでんなあ
 
 WIDE TRACK - THE SUPER STOCKS
 DICK BURNS のヴォーカルスタイルが好きです。
 かっこ良過ぎる ROCKER STYLE。
 私自身が吠えるヴォーカルを得意としてるからです。
 
 THE WILD ONE - THE GRADS
 海のトリトンをも想起させる雄大なフレンチホルンは、海神マーキュリーをも
 感じさせる(MERCURY RECORD だしな)。
 これを勇ましさを表すのフレーズとして使用したのが、この名曲。
 バックの演奏を聴いて解るように HONDELLS のセッションである。
 ギターのカッティングエコーは全く同じ。
 
 FOUR ON THE FLOOR - THE FOUR SPEEDS
 ここで聴ける DICK BURNS のヴォーカルは DENNIS WILSON にも似たティーン
 スタイルである。FOUR ON THE FLOOR とは4速ミッション搭載車の意味で、
 これは 0-4 仕様に改造された車を指す。
 
 426 SUPER STOCK - THE COMPETTITORS
 COMPETTITORS 名義で一番好きな曲。ブレイクが多様されている。
 マニアファンなら解ると思うが、これは全く GARAGE SOUND です。
 
 HONDA BIKE - THE DEVONS
 この曲で泣く人、それが私とコーちゃん。ワーワーのファルセットは
 RONNY & THE DAYTONAS にも底通する。
 
 COMING ON TOO STRONG - WAYNE NEWTON
 ロネッツの「BE MY BABY」から BEACH BOYS「DON'T WORRY BABY」へ、
 そして GARY USHER のこの曲へと繋がっていく。
 頭の良い人は、ここから BYRDS へと入っていく。
 何故ならバックはレッキングクルーだからな。
 
 WAX BOARD AND MY WOODIE - THE SURFARIS
 これもティーンヴォーカルが泣ける。風呂場の鼻歌風のメロディーがたまらん。
 この曲に対する想いをここで書けば47万5千8百4十5文字を
 書いても足りないのは解ってるから書かん!
 
 MAG RIMS - THE ROADSTERS
 講釈はいいから、この素晴らしいガレージインストを聴けっ!
 
 SATURDAY'S HERO - THE GO-GO'S
 ふふふ BEACH BOYS の「BE TRUE TO YOUR SCHOOL」を
 下敷きにしてるのが良く解るフルートのフレーズ。
 しかし、しっかりと SURFIN' 系のギターブレイクが
 入ってる。また涙が出てきた。うふふふ
 
 CHEATER SLICKS - THE FOUR SPEEDS
 TURN ON ME ! GARY はハンドクラッピンを良く導入しますが、
 これもそのパターン。
 
 R.P.M. - THE FOUR SPEEDS
 FOUR SPEEDS ヴァージョンも大好きなもので、
 おりょりょ、何故かまた涙が。。。おりょりょりょ
 
 CATCH A LITTLE RIDE WITH ME - THE SURFARIS
 ただただ泣いてくれ。結局、年をとってくるとティーンヴォーカルに
 胸が締めつけられるって事が良く解った。
 
 
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