10-1
Linda Gray - The Sea Took Him Away
(7: Karate 45-513-T Promo only) 1965
元モデル、そして女優の Linda Gray、彼女は21歳で
Capitol Records のアートディレクター兼写真家の Ed Thrasher
と結婚した。Ed Thrasher は Capitol 退社後も Jimi Hendrix
の "Are You Experienced" から The Doobie Brothers
の "Toulouse Street" まで多くのアルバムジャケットを手掛けた。
日本では知名度が低いが彼女はその後 CBS の長編人気テレビドラマ
Dallas で Sue Ellen Ewing を演じ人気を博す。
このレコードが録音された当時彼女は25歳だったので立派な人妻。
しかしこの歌は Surfin' を題材にした Teenage tragedy song
若者カップルの悲劇を歌う所謂 Death song である。
恋人のジミーが Surfin' で事故死し、ガールフレンドの感情で
元モデルの人妻 Linda Gray が歌い演じているのだ。
まるで "Leader Of The Pack" の Surfin' song version といった
趣の素晴らしい Death Song ガールポップに仕上がっている。
1955年9月30日の俳優 James Dean (愛称はジミー / Jimmy)
の交通事故死以来、若者の悲劇の死の場合、男性の名称は
Jimmy と相場は決まってる。
ここでもボーイフレンドの Jimmy は波にさらわれて死んでる。
このレコードでアメリカ人達が大喜びするのだが、なんと裏面は
ノーザンチューンなのでイギリス人達も鼻血ブーッ(死語)
笑かす事に当時人妻だった Linda Gray がA面で悲劇のヒロインを
演じてるのに、B面ノーザンでイケイケ娘になってるこのギャップ。
今で言う「あざとくて何が悪いの?」といったとこ。
で、8-24 The Buttercups - Let's Go Swimming でも記述したが
作者でプロデューサーの Steve Verroca は後に Link Wray の
アルバムをプロデュースし、彼は Link Wray のアルバム
"Beans and Fatback" のデモテープを盗み、Virgin Records に
売却したとされている曰く付きの人物。カルト人気の高いレア盤だが
内容が良いので高値が飛び交う。
|
|
|
Rickie Page |
|
10-2
Joie Chan - Who'll Be The Boy This Summer
(7: Chattahoochee CH-642) 1964
これは、スーパーセッションシンガーの Rickie Page の数ある
仮名の一つだ。Rickie Page はこの1964年に
The Bermudas - Chu Sen Ling と言う中国人をテーマにした
バラードをリリースしており、本件 Joie Chan 名義はその一連にある
西海岸の中国人テーマではないかと言われている。
この曲のオリジナルはディズニー映画の子役 Connie Holiday が
1962年にシングルリリースした曲だ。 (Smash S-1764)
本件は素晴らしいアイランドヴォーカル(涼しげな歌声)を
聴かせるサマーバラードで、噂によるとクレジットはされてないが
Kim Fowley がプロデュースを担当したらしい。
アレンジを担当した Don Ralke はテレビドラマ "77 Sunset Strip"
で音楽を担当した他にもビーチ・ボーイズの父 Murry Wilson の
"The Many Moods of Murray Wilson" をプロデュースし、
Murry Wilson とは共同で The Sunrays をプロデュースした。
彼の求めるサマーヴィジョンは美しく感傷的な夏だった。
エンジニアーを担当した Stan Ross は名門 Gold Star recording
studio の創設者で、Don Ralke と Stan Ross は当時よくコラボ
しており、Stan Ross は「業界で最も有名な無名の人物」と
Don Ralke を評した。有名ソングライター&プロデューサーの
George Motola の妻の Rickie Page は名セッションシンガーで
彼女の娘達と Becky & The Lollipops, The Bermudas,
The Majorettes, The Georgettes, Joanne & The Triangles,
Beverly & The Motorscooters 等の名義でリリース、また彼女は
Elvis Presley のコーラスバンドとしても有名な The Jordanaires,
Phil Spector の The Spectors Three, そして "Monster Mash" で
有名な Bobby 'Boris' Pickett’s Crypt-Kickers のレコーディング
メンバーとしても活躍した。
|
|
|
Marie Aiese |
|
|
10-3 Reparata With Hash Brown & His Orchestra - A Summer Thought
(7: World Artists WA 1057) 1965 Reparata And The Delrons のリードシンガーである
Mary Catherine Aiese のソロだが、実質的には
Reparata And The Delrons と同じプロダクションでの録音だ。
彼女は当時19歳で、ぎりぎりティーンガールポップといった
(当時の日本ではハイティーンと言ってたが) サウンドである。
Reparata と言うのは彼女のニックネームで、彼女がカトリック系
の中学〜高校に通ってた時代にお気に入りの先生の 1 人から
取った名前だという。
大人っぽいラウンジサウンドにガールグループのコーラスを
配したハイティーン特有のサマーポップの逸品である。
|
|
|
Marie Applebee (Marie Aiese) |
|
10-4
Marie Applebee - Down By The Sea (End Of Summer)
(7: Jubilee 45-5593) 1967
こちらも変名シングル。クレジットされてる Marie Applebee とは
Reparata & The Delrons のリードシンガー Marie Aiese の変名。 この変名はソングライターの Billy Meshel が Flip Cartridge 名義
で1966年にリリースした曲 “Dear Mrs. Applebee” から名づけてる。
これは同年イギリスの David Garrick もリリースして
ヨーロッパ中で大ヒットした。アメリカでは1967年にこの歌を
ナッシュビルのガレージバンド The Guilloteens がリリース
したので Mrs. Applebee と言うのは当時の流行みたいな名前。
本件シングルだが Reparata & The Delrons と同じくプロデュースが
Steve & Bill Jerome、アレンジが John Abbott となっており
胸キュン系アイドルヴォーカルで歌うミディアムチューンで
良質なガールポップサウンド仕上がっている。実はこのシングルには
続編らしき録音の噂があるのでマニアのために記載しておく。
Ernie Maresca-Joey Day が書いた曲で Reparata & The Delrons
が録音したがアンリリースに終わった "Under The Brooklyn Bridge"
を彼女達の友人 Renee St. Clair がデビューシングル (Jubilee 45-5558)
でリリースした。そちらも当然 プロデュースが Steve & Bill Jerome、
アレンジが John Abbott なのでサウンドもとても似ている。
|
|
|
Jennie Lee Lambert |
|
10-5
Jennie Lee Lambert - First Summer Of Our Love
(7: Musicor Records MU 1010) 1961
作者の Mickey Gentile は Connie Francis, Mary Wells,
The Shirelles, The Three Degrees 等のソングライター
として有名だが、この New York Syracuse 出身の歌姫
Jennie Lee Lambert は彼の妻でソウルシンガー、ソングライターだ。
その彼女のデビューシングルが本件だが、素晴らしいアイランド
ヴォーカル(涼しげな歌声)を聴かせるサマーバラードの逸品。
|
Mickey Gentile |
|
|
Candy Johnson |
|
10-6
Candy Johnson With Her Exciters - Because You're You
(7: Canjo Record Corp. C 105) 1964
カルトな人気を誇るアメリカの60年代サブカルチャーシーンを
代表する女性ダンサーである。彼女の母親は2 人の有名なインディ
500 レーサー Royal 'Jim' Rathmann と Jim 'Dick' Rathmann
の妹であるので母方はユダヤ系である。
彼女を一躍有名にしたのは American International Pictures の
一連の Beach Party 映画で、激しい Twist dance を踊り続け
"Perpetual Motion Dancer" (エネルギーをまったく消費しないで
永久に動くダンサー) とクレジットされた。
彼女は Candy Johnson and Her Exciters という名義でレコード
をリリースした。The Exciters は彼女のエージェント (そして将来の夫)
である Red Gilson が管理し、彼女と提携したバンドでだった。
Candy and the Exciters の録音は、1964 年に Candy Johnson
と Red Gilson が彼女のクラブや映画への出演を利用するために
始めたプライベート レーベル Canjo Records からリリースされた。
Canjo は恐らく Candy Johnson の略だろう、彼女はわずか 1 年間
のビジネスで、2 枚のアルバムと 7 枚のシングルをリリースした。
本件シングルは Frankie Avalon と Annette 主演の
映画 "Bikini Beach" からのもので The Exciters のバンドリーダー
だった Don Hardgrave とデュエットで歌う dreamy beach pop
の逸品。ソングライターは Guy Hemric-Jerry Styner で彼らは
The Westwoods "I Miss My Surfer Boy Too" の作者としても
有名なソングライターだが、1963年に映画 "Beach Party" から
ムーヴメントに参加し始めたので主にB級映画の主題歌や挿入曲を
書き続けていた。詳しくは 3-14 The Surf Breakers と
9-12 The Westwoods を参照されたし。
|
|
|
|
|
Mamie Van Doren & June Wilkinson |
|
10-7
Mamie Van Doren & June Wilkinson - Bikini With No Top On The Top
(7: Jubilee 45-5483) 1964
河合奈保子や、かとうれいこが子供のように思えてくるような
巨大な房を持った人達だ。アメリカのセックスシンボル
である「プレイボーイ」のモデルの二人による「プレイボーイ」を題材
にした奇跡のデュエットシングル。しかもバックは Wrecking Crew だ。 South Dakota 出身の Mamie Van Doren は1955 から 1961年まで
Glenn Miller And His Orchestra のリーダー Ray Anthony と
結婚してた事でも有名。
イギリスの Essex で生まれた June Wilkinson はセクシーな
モデルで、プレイボーイや映画のスターとしても活躍した。
彼女は1950年代後半から1960年代前半に世界で最も写真に
撮られている女性の1 人。
と、一件色物のように思えるが、色物に飛びつくのがプロのミュージシャン
と言うのはアメリカも日本も、いやどこでも同じである。
本件作者は戦前から戦後にかけてアメリカン・ポピュラーミュージック
を書いてきた Sid Robin で、1954年に Elvis Presley が録音した
"Just Because" が一般的には有名で、Sid Robin は
テレビや映画音楽も多数手掛けた。
本件の録音は Billy Strange 率いる1964年6月のセッションより。
ギタリストの Billy Strange は、サックス奏者の Steve Douglas を
含む Wrecking Crew の何人かを本録音に連れてきた。
ドラマーの Hal Blaine、ギタリストの Bill Pitman と Al Casey、
ベーシストの Ray Pohlman、オルガン奏者の Al DeLory、
そしてピアニストの Leon Russell を参加させて The Senators
としてラベルにクレジットしている。
|
|
|
|
|
|
10-8 Marti Mae & The Sandslingers - Bernard Bikini
(7: Delmarti D-51264) 1964
(7: Laurie Records LR 3269) 1964
セクシー路線をもう一丁。マッスルビーチパーティーをテーマに
会話スタイルで歌われる珍しい逸品、略して珍品。
B面で艶っぽい声で語りを入れる美しいヴォーカルチューン
を聴かせる色物シングルだが、Marti Mae は RCA Custom の
自主盤シングルを REMC Gift Record というレーベルから
"A Delightful Story Of A Boy, A Girl, And Christmas" という
クリスマス向けのストーリーを1964年、1965年、1967年に
同じトラックでレーベルの色を変えて3回リリースしており
それは本件のソングライターでもある Don Sheets (Don D. Sheets)
がプロデュースをしている。この人物は Indiana 州で60年代から
80年代に活動していたプロデューサー兼エンジニアーだ。
Brenda Joyce With The Marti Mae Singers (Little Nashville
LN-0103 Indiana label) というシングルが1977年に突如
リリースされたが、そこでも Don Sheets がプロデュースをしている。
この二人はいつもセットなので夫婦かパトロンなのだろう。
Tennessee 州 Nashville のマイナーレーベルで1964年5月12日に
リリースされた Delmarti D-51264 に興味を持った Laurie Records
が買い上げて全国リリースに至ったのが本件シングルだ。
アメリカを代表するセックスシンボル女優、歌手の Mae West から
名前を使ったと思われ、エロ声を武器に殿方の股間を攻撃してくる。
Delmarti records というのも Marti Mae の名前と関係
しているように見受けられるが、恐らくこの女性は架空の人物で
その色っぽい声からしてローカル女優か声優の変名なのだと思う。
ただのノヴェルティーソングにしとくのは勿体無いダブルサイダーだ。
|
|
|
|
10-9
Sylvia Vallin - Come Along And Surf
(7: Valtone VPC 416) 1963
作者の Val Peyton が運営してたドマイナーレーベルからの1枚。
さすが御当地、1963年にさっそく流行のサーフィンに着手。
作詞を担当したのは C. Pasquini で、彼のクレジットは
Elvie And The Five Tech-Niques - Don't Tell Me (Imperial IM-5742)
で発見される。Val Peyton は同じ住所の Los Angeles のドマイナー
レーベルの Western で Freddy Countryman や Freddy And Lonie
に R&R 曲を書いており、両レーベルが Val Peyton 所有だったのが
解り、地元のミュージシャンを扱う自主レーベルだったようだ。
本件 Sylvia Vallin も自作曲をリリースした流れだろう。
興味深いのは曲中に Farfisa organ の素晴らしいブレイクが
入っており、それは 60s Garage ファンの鼻の穴を膨らます
エキサイトな瞬間を聴かせ、単純なローカルガールポップ
で終わらせないレベルに仕上がっている。
|
|
|
Sherrell Townsend |
|
|
10-10 Sherrell Townsend - Summer Days Are Here / I Love You Alone
(7: Lute Records L-6015 Promo) 1961
Sherrell Townsend - Summer Days / I Love You
(7: Little Star Records 115) 1962 彼女は本名を Sherrell Townsend Atwood と言い
Ronnie & The Crayons (Counsel), Julie & The Desires (Zig-Zag),
Ronnie And The Parleys (Kerwood) なんかでも歌った
所謂セッションシンガーで、"Nut Rocker" で有名な
Jack B. Nimble And The Quicks の H.B. Barnum 所有の
H.B. Production がプロデュースを担当してる。
このレコードは当初1961年4月に The Hollywood Argyles
"Alley Oop" でも有名な Los Angeles のレーベル Lute records
からプロモ盤が配布された。
その際は Summer Days Are Here / I Love You Alone
とクレジットされてたが翌年の1962年に H.B. Barnum が出資していた
Hollywood のレーベル Little Star Records から改めてリリース
した時に Summer Days / I Love You と両面のタイトルを短くされた。
A面の弾けたガールポップを書いたのは Lester Carr で、
彼は David Axelrod プロデュース & H.B. Barnum がアレンジを
手掛けた Capitol 期の Donna Loren や、Lou Rawls, Willie Tee
に曲を提供しており、その後は Jackson Five のソングライター
へと成長した。B面は The Rivingtons のメンバーで
"Papa-Oom-Mow-Mow"の作者でも有名な Carl White が書いた
感傷的なバラードの隠れた名曲。
|
|
|
Christy Cummins |
|
10-11 Christy Cummins - Sweet Summer Memories
(7: Pro Records 504) 1961 Herb Alpert, Phil Spector, Carol Connors, Marshall Leib,
Phil Sloan & Steve Barri 等、まるでプロミュージシャンの
養成学校のような名門 Fairfax High School の当時16歳の
Christy Cummins が、これまた名門 Gold Star Studios で
録音した超マイナー盤。彼女としてはセカンドシングルになる。
プロデュースは The Rivingtons "Papa-Oom-Mow-Mow" や
Jan & Arnie "Jennie Lee" のプロデュースでも有名な
Adam Ross (AKA Irving Roth) が担当、当時 ERA Records, Dolton
Records をサポートしてた Hank Levine がアレンジをしてるので
この弱小レーベルが Los Angeles 界隈の名士が節税のために
設立してたのが推察される。
ラベルに Allied Record Distributing Company (ARDCO) の
勲章ロゴがプリントされており、Columbia Records の西海岸
プレスを請け負い、インディペンデント レーベル向けに LP
と 45 をプレスした最初の工場の1つでもあった ARDCO の
プレスしたシングルである事も解る。
Male group のバックアップコーラスを配した Doo-wop style
で歌われる感傷的なサマーポップの隠れた逸品のダブルサイダー。
特にB面ではエンディング近くで、感情をこめた一瞬
彼女の声が裏返るところがたまらん。
で、この Christy Cummins は先ず1961年に Nick Venet が
オーケストラ指揮を担当したデビューシングルをリリース。
Come To Me Darling / Till Then (Roulette R-4319)
これが一般的には有名だ。
そして本件シングルを同年にリリースし、後年は
Angel Of Love / Love In Return (Belaine Records 4000) 1962
(Produced by Jimmy Bowen)
Get Together / I Want To Run To You (Venett Records 103) 1963
(Produced by H. B. Productions = H.B. Barnum)
Voting Song / Vote Yes On Proposition Love
(Elect Records E-100) 1964
(Produced by H. B. Productions = H.B. Barnum)
をリリースしてる。最後の1枚は選挙運動の歌で、二十歳そこらで
Elect Records (有権者のレコード) という節税レーベルでの
リリースでキャリアを終えてるので、お金持ちと結婚したのだと
私は推測してる。
|
|
|
|
10-12 The Will-Ettes - Summertime Is Gone
(7: Jamie 1234 Promo) 1962 本件シングルはプロモ盤しか確認されていないが
Philadelphia のグループだと思われる。
毒のない典型的なオールディーズ作品。
作者の Kenny Rossi は Philadelphia 出身の
ティーンアイドルで、テレビ番組 American Bandstand
のレギュラーとして1957-58年に活躍した。
|
|
|
Jo Ann Campbell |
|
|
10-13 Jo Ann Campbell - I Wish It Would Rain All Summer
(7: ABC-Paramount 45-10335) 1962 Ellie Greenwich の初期作品の中でも個人的には上位に
ランクさせるサマーポップの名曲だ。
Florida 州 Jacksonville 出身の Jo Ann Campbell は
ロカビリーのパイオニアの1人である。
彼女は4歳で音楽学校に通い始め、Fletcher High School
でバトンガールとして多くの栄誉を勝ち取った。
1954年、彼女はダンサーとしてヨーロッパを旅し、
その後 New York に移り、そこで Johnny Conrad Dancers
に参加し、The Milton Berle Show や The Colgate Comedy Hour
などのテレビ番組に出演した。1956年、彼女はダンスをやめて
歌手になることを決意。彼女は New York の RKO-Point Records
と最初のレコーディング契約を結び、1956 年にデビューシングル
Where Ever You Go / I'm Coming Home Late Tonight を
リリースした。ハーレムのアポロ・シアターで演奏した後、
Eldorado Records と契約、彼女は1957年にセカンドシングル
"Come On Baby" を書いてリリースした。
その後彼女は Go, Johnny, Go (1959) と Hey, Let's Twist! (1962)
の二つの有名なロックンロール映画に出演をしてる。
本件シングルのリリース当時に彼女は24歳で
2年後の1964年には人気絶頂期にソングライターの
Troy Seals と結婚して引退する。しかし1965年に夫婦の
Jo Ann & Troy 名義でシングル2枚をリリースする。
|
|
|
|
Martha Shanklin |
|
10-14
Martha Shanklin - Beach Boy
(7: Yankee Doodle Records 110 Promo only) 1962
名ソングライター、アレンジャー、プロデューサー Wayne Shanklin
の娘による唯一のシングルで Radio Station Copy のみ配布された。
B面に作者が Wayne Shanklin-Eden Ahbez とクレジットされているが
本件作品もヒッピー教祖の Eden Ahbez の1960年名作アルバム
Eden's Island (The Music Of An Enchanted Isle)
(Del-Fi Records DFLP-1211 Mono / DFST-1211 Stereo) と世界観を
共有する、エキゾティックビーチガールバラード into 初期ヒッピーサイケ
といった凄まじい作風だ。混迷の世界で放浪するヒッピーの観点を
口笛で表現し、異国情緒から逸脱し一人異空間に迷い込んだような
少女が Beach Boy に言葉を投げかけている。
それはムーディーラウンジを聴く者を二度と戻ってこれない
桃源郷へと誘い出すような危険な少女の声のようでもある。
|
Wayne Shanklin
|
Eden Ahbez |
|
|
The Majorettes |
Rickie Page (AKA June Page) |
|
|
10-15
The Majorettes - White Levi's (Tennis Shoes - Surfin Hat
And Big Plaid Pendleton Shirt)
(7: Troy Records 1000) 1963 西海岸のロックンロールビジネスを代表するソングライター、
プロデューサーである George Motola の妻で名セッションシンガー
の Rickie Page (Real name June Evelyn Kuykendall. AKA June Page)
とその娘達+母方従妹の Susan Kuykendall によるファミリーグループ。
と言っても彼女達は George Motola の製作下で The Bermudas,
The Georgettes, Joanne & The Triangles,
Beverly & The Motor Scooters と多数の変名でシングルを
各社からリリースしてる。
特に The Georgettes なんてグループ名は偉大なお父さん
George Motola の娘達とでも言わんがばかりだ。
結局 George Motola はガールポップ路線を妻の Rickie Page を
中心に娘達のグループで録音しては多角的に市場調査を
行っていたようだ。
この Troy Records は George Motola と Rickie Page による
共同経営のレーベルで、ジーンズの Levis とタイアップ
したのかピクチャースリーヴを付けてリリースされている。
|
George Motola |
|
|
The Bermudas
Sheila Page - Rebecca (Becky) Page - Joanna Page |
|
|
|
10-16
The Bermudas - Donnie / Chu Sen Ling
(7: Era Records 3125) 1964
(7: Era: Golden Era Series USA HTE-5025) 1969 西海岸のロックンロールビジネスを代表するソングライター、
プロデューサーである George Motola の妻で名セッションシンガー
の Rickie Page (Real name June Evelyn Kuykendall. AKA June Page)
とその娘達によるファミリーグループ。
Sheila Page, Rebecca (Becky) Page, Joanna Page
と言っても彼女達は George Motola の製作下で The Bermudas,
The Majorettes, The Georgettes, Joanne & The Triangles,
Beverly & the Motor Scooters と多数の変名でシングルを
各社からリリースしてる。
特に The Georgettes なんてグループ名は偉大なお父さん
George Motola の娘達とでも言わんがばかりだ。
結局 George Motola はガールポップ路線を妻の Rickie Page を
中心に娘達のグループで録音しては多角的に市場調査を
行っていたようで、The Bermudas 名義に至っては娘達3人で
American Bandstand に1964年5月2日テレビ出演までさせて、
口パクで "Donnie" を歌わせてる。
しかも彼女達は「12歳、14歳、15歳」と応え、
誰が見ても「ええっ!ありえんだろう」と突っ込みたく
なるような事を平気に言ってるから笑える。
B面 “Chu Sen Ling” は中国人娘が Surfer に恋をした
ラブソングで、この路線は彼女達の母である Rickie Page
が Joie Chan と言う中国人女性の変名で同年にリリースした
Who'll Be The Boy This Summer (Chattahoochee CH-642)
の一連にある西海岸の中国人テーマではないかと言われている。
作者の Ron Heiss, Tex Hughes, Fred Stryker の
Ron Heiss-Tex Hughes は The Challengers "Hot Rod Hootenanny",
The Grand Prix "'41 Ford", The Grand Prix "Goin' 88"
の作者でもある。
|
|
|
|
|
|
10-17 Marsha Carroll - Until Next Summer
(7: Roulette R-4529) 1963 Joanie Sommers をも想起させるような
美しいアイランドヴォーカル (涼しげな声) を聴かせる。
この Marsha Carroll は2枚のシングルしかリリースしていない
ヴォーカリストで、作者の Ted Navarre はパートナーの
Johnny Cale と1950年代から Ruby Wright や
The Modernaires 他のヴォーカルチューンを書いていた。
|
|
|
Diane Ray |
|
|
|
|
10-18
Diane Ray - My Summer Love (Is Heading For An Early Fall)
(7: Mercury 72195) 1963
Diane Ray - The Exciting Years
(LP: Mercury MG-20903/SR-60903) 1964 悪名名高き南部の帝王 Shelby Singleton はビジネスマンだが
彼はプロデューサーとしての手腕も名高い。
当時18歳の Carol Diane Ray はデビュー作の
"Please Don't Talk to the Lifeguard" が全米31位の
スマッシュヒットを作っただけの所謂ワンヒットワンダーだ。
本件はフォローアップシングルで前作同様にピクチャースリーヴを
付けてリリースさせたがヒットしなかった。
North Carolina 出身の彼女は地元では有名なガールシンガーだった、
どこか Donna Harkey “Give It All You Got” のようなモダーンと
少女っぽさがブレンドされた歌声にバックアップコーラスが
控えめに入ってくるサマーポップの隠れた逸品である。
デビューシングルの日本盤シングルも掲載しとく。
|
|
|
|
|
10-19
Louise Lovett - Our Young Summer Love
(7: Three Star 354309) 1964 Louise Lovett は本件シングルと1966年のシングル
合計2枚のリリースしか確認されてないが
変名がありそうな歌声だ。
本件、Flip side の弾けた Beach Pop よりも圧倒的に
こちらの感傷的なサマーバラードのほうが出来がよい。
語りを入れても良さそうな構成だが、レーベルオーナー
の Tommy Dee がアレンジを担当しており、
彼女の歌声だけで勝負したかったのだろう。
因みにラベルにソングライターのクレジットが無いが
作者は Tommy Dee だろう。
|
|
|
Donna Butterworth with Elvis Presley |
|
|
10-20
Donna Butterworth - California Sunshine Boy
(7: Reprise Records 0526) 1966
1966年6月29日に The Hondells のセッション録音が始まった。
録音されたのは "Kissin' My Life Life Away" "Show Me Girl"
そして "California Sunshine Girl" だった。
しかし "California Sunshine Girl" は Gary Usher のプロデュース
の下に録音されたがリリースはされなかった。この曲を書いたのは
Jack Nitzsche - Lonely Surfer (Reprise 20,202) や
The Inconceivables - Hamburger Patti / Patti's
(Columbia 4-43894) でも有名な Marty Cooper だ。
以前 Marty Cooper は若き Paul Simon (後の Simon & Garfunkel)
が結成していた Tico and The Triumphs のメンバーだった。
Tico とは Marty Cooper の事だ。
子役女優で映画 The Family Jewels で人気を博していた
Donna Peyton こと Donna Butterworth (当時11歳)
が California Sunshine Boy / I'm Not Usually Shy
(Reprise 0526) を1966年10月にリリースした。
これは The Hondells の "California Sunshine Girl"
と競作になる筈だった歌で、プロデュースは Lee Hazlewood
が担当した。Donna Butterworth は1966年6月9日に封切りされた
Elvis Presley 主演のミュージカルコメディー映画
"Paradise, Hawaiian Style" (ひねりのない邦題 : ハワイアンパラダイス)
で Elvis と共演しており、それに合せてシングルをリリースしているので、
録音時期はほとんど同じではないかとも考えられるが
時系列では The Hondells の "California Sunshine Girl" を
ファーストヴァージョンとしておく。
11歳の Donna Butterworth が歌うヴァージョンは The Hondells
の録音したヴァージョンよりも当然ながらガールポップ然とした
サウンドである。これと The Hondells のヴァージョンを聴き比べると、
かなりアレンジが工夫されていた事が解る。
彼女は生れこそ Pennsylvania 州 Philadelphia だが
彼女の幼少期に家族は Hawaii に引っ越しており、彼女も幼い頃
からウクレレ等のハワイアンミュージックの腕を上げていた。
所謂天才少女として同地で人気者になり彼女は、島々でコンサートを行い
Don Hoと共演し、The Dean Martin Show, The Danny Kaye Show
そして The Hollywood Palace にも出演した。
彼女は1965年の映画 The Family Jewelsでの演技により、
ゴールデン・グローブ賞にノミネートされた逸材だった。
本件作者の Marty Cooper はソングライターとして多くのヒット曲を
手掛けた他にも Jack Nitzsche のコラボレイターとして長年ハリウッド
のセッションを仕切っていた名プロデューサーでもある。
結局 The Hondells でリリースされなかったこの曲のオケを流用し
Marty Cooper は翌1967年に The Shackelfords 名義で
"California Sunshine Girl" をシングルリリースしている。
因みにこのグループ名は Lee Hazlewood の妻である
Naomi Shackelford から名付けられた。
結成当初の1963年には Jack Nitzsche の妻で名セッションシンガーの
Gracia Nitzsche も所属していたヴォーカルグループである。
|
|
|
|
10-21 Trudy Van And "The Realm" - Do The Surf
(7: VJV Records 301) 1964 New York City 生まれの当時12歳の少女 Trudy と
Middletown, New Jersey 出身の14歳少年達
The Realm によるレアシングル。
Members: Trudy Van, Daryl Knight, Stu Ernest,
Roy Ruzika, John Harwood.
ラベルには Scene From The Screenplay "Surfers Rule The World"
とプリントされたが、実際にはこの映画は実現しなかった。
なおメンバー達の話によると、録音後まもなくして
Trudy Van が引っ越してしまったので、このメンバーでの
バンド活動は短命に終わったらしい。
Kids Pop ファンと Surfin' Hot Rod ファン、そして Garage band ファン
の双方からラブコールを受ける逸品だ。
|
|
|
The Chicks |
|
10-22
The Chicks - Three Window Coupe
(7: Sweden Swedisc SWES 1038) 1964 Kerstin Aulen & Inga-Lill Johansson
スウェーデン娘のデュエットによる
Jan & Dean カヴァー曲だが、なんと
当時日本でもこのシングルはリリースされた。
Ingalill Johansson (左) の挑発的な表情が素晴らしい!
なお Kerstin Aulen (右) はソロ活動も平行して行っており
その後も長く活動して本国 Sweden で成功している。
|
|
|
|
|
10-23 Cindy Kennedy - Skate Board
(7: Belfair Records WG 1001) 1965 Washington 州出身の Cindy Kennedy は地元
Belfair, Washington で開催されたタレントコンテストで
優勝し、副賞として Belfair Records での録音を
勝ち取った。そんな本件は彼女の自作であるから
満を持しての録音となったのだろう。
Garage punk の雄 The Sonics でも有名な Washington 州
Tacoma にある Wiley-Griffith Studios で録音されており、
このスタジオは録音エンジニアーの Bill Wiley と
ミュージシャンの Bill Griffith による共同経営だった。
Bill Griffith は Bill Griffith and The Jack Pine Ramblers
というバンドのリーダーで、KBRO (Bremerton WA) の
ラジオDJ, そして The Belfair Barn というダンスホールと
本件 Belfair Records のオーナーである。所謂、地元名士が
持つダンスホールの専属タレントの中から見出された
Cindy Kennedy がタレントコンテストで優勝し、ご褒美として
同じオーナーが所有するスタジオで録音し、オーナーの持つ
レーベルからシングルをリリースし、オーナーがラジオDJを
務める番組でプロモーションされたという完全自家製の
シングルだった。しかし曲に罪はなく、むしろ出来の良い
ロッカースタイルのガールポップシングルである。
|
|
|
Joan Bates |
|
10-24 The Pleasures - Let's Have A Beach Party
(7: RSVP 1113) 1965 R&B girl pop group style で歌われるビーチポップの逸品。
Four Fellows のリーダーで当時の妻 Bessie Banks "Go Now"
(後に The Moody Blues が "Go Now !" としてカバー)
の作者としても有名な Larry Banks の2番目の妻 Joan Bates
がリードシンガーを務めたプロジェクトグループ。
Joan Bates は Jaibi の変名でも活躍した名シンガーだ。
1965年、Larry Banks は The Pleasures の Joan Bates と
再婚した。Larry Banks と Joan Bates は1967年に
Jaibi 名義で You Got Me / What Good Am I (Kapp Records K-866)
をリリースした。1969年には夫婦デュエットでもリリースしてる。
Lawrence & Jaibi (Larry Banks & Joan Bates) -
Walk Away, Walk Away, Walk! / You're Not Mine (RCA Victor 47-9679)
因みに彼らの息子の Corey Banks はヒップホップの黄金時代に
CeStyle という名前で活躍した。
|
|
|
Diane Leigh |
|
|
10-25
Diane Leigh - It Won't Be A Lonely Summer
(7: Canada Capitol 72262) 1965
(7: Tower 151) 1965 Canada を代表するカントリーシンガー Diane Leigh の
初期作品で1965年8月にカナダの RPM チャートで16位になった。
彼女は60年代初頭に Toronto のポップグループ The Sapphires
でキャリアーをスタートさせ、その後 The Sons Of The Saddle
というカントリーバンドに在籍した。
彼女は当時 Patsy Cline のツアーでドラマーを担当し、1963年に
ソロデビューした際に Nashville の Chart Records と契約した。
それは彼女の故郷カナダよりアメリカのほうがカントリーミュージックが
ポピュラーだったからだった。しかし本国カナダでも彼女の
美しい声はラジオを通じて広く愛されるようになり、1965年にカナダの
"Top Country Singer Female" award を受賞した。
そんな彼女の初期ソロキャリアーだが、カナダの Capitol リリースで
直ぐにアメリカ Capitol 傘下の新興レーベル Tower Records が
ピックアップし、本件シングルはアメリカでもリリースされた。
Gene Vincent や Helen Shapiro の作家としても知られる
Bob Barratt がカナダのシンガーソングライターの Jerry Martin と
書いたこの素晴らしいサマーソングだが本国カナダでは Jerry Martin
本人が同年にシングルリリースしており (Canada Barry B-3352X)
そちらはイギリスでも Columbia からリリースされてる。
|
|
|
Phil Spector and Darlene Love |
|
10-26
The Moments - Surfin Train
(7: ERA Records 3114 Promo) 1963
1950年代のロックンロールムーヴメントは世界を席巻し
1959年に Twist が流行すると世界中でダンスブームは加熱した。
the Swim, the Jerk, the Pony, the Watusi, the Mashed Potato,
the Bird, the Dog, the Shake, the Hitch hike, the Monkey,
the Chicken 等、次々と新しいダンススタイルが確立されていく。
1963年11月22日にケネディ大統領が暗殺されるまで
アメリカ市場はダンスブームは続くのだが、1962年に
Little Eva が歌った”The Loco-Motion” (作 Gerry Goffin and Carole King)
が1962年6月30日をピークに全米1位の大ヒットを記録した。
“The Loco-Motion” は新たなラインダンススタイルを予想させる
ソングタイトルだった。Locomotion (ワンワード) とは運動、移動、
交通手段という意味の単語で、Locomotive は機関車を意味する。
60年代前半は新たなダンスチューンを模索し続けて市場の活性を
各社が持続させようと考えていた。“The Loco-Motion”が全米1位
ともなれば、機関車ダンスに便乗すべきである。
そこで Era Records のオーナー Herb Newman は
彼のペンネーム Steven Howard を使って Train dance song を書いた。
1963年の西海岸ではテーマソングとして Surfin' が流行していた。
Herb Newman は Train dance を Beach party scene に導入
させようと企てた。女性のコーラスは Darlene Love のようだ。
Train effectsを上手に挿入しているが彼らの前作
The Moments - The Big Round Wheel (ERA Records 3104) に
引き続きアレンジャーはJack Nitzscheだろう。
この新しいダンスシングルは promo copy だけが
配布されたが販売には至っていない。
|
Herb Newman |
|