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Original Intellectual Record Shop COOL HAND are go!
COOL HAND

古物商許可番号
第731269400017号
(広島公安委員会)

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Amusement
Club60's
E-mail
 
Vol. 13
01 The Wonders - Summer Love
02 The Seniors - No Surfin' 'Round Here
03 Joey And The Flips - The Beachcomber
04 The Tokens - Dirt Track Twister
05 The Overlanders - Summer Skies And Golden Sands
06 The Freewheelers - Beach Boy
07 Kirby St. Romain - Summer's Comin'
08 Scotty McKay - Waikiki Beach
09 Ron Winters - Red MG
10 Gary Usher & The Usherettes - Three Surfer Boys
11 The Tri-Tones - Surf-A-Nova
12 The Chordials - I Wish It Were Summer
13 The Teachers - Summer's Over
14 The Del Satins - My Candy Apple Vette
15 The Brookfields - Girls Look Better In The Summertime
16 The Fraternity Men - Little Star
17 The Fraternity Brothers - Big Town
18 The Images - A Swingin Summer
19 Steve Wilson - Out L.A. Way
20 Steve Leeds - Midsummer's Night
21 The Blackwell Manner - Watermelon Summer
22 Jack Gold Sound - Summer Symphony

 
Vol.13
Teen, Teener, Vocal section
Other stuff with beach pop, summer pop etc

 

The Wonders
13-1
The Wonders - I Wonder / Summer Love
(7: Chesapeake 604) 1961
(7: Chesapeake 616) 1966
名曲の裏面にサマーポップあり。Philadelphia 出身のヴォーカルグループ
で彼らは名曲 "I Wonder" を The Fantasys として
The American Bandstand studio で録音していた。
彼らは一緒に育ち近所に住んでいた幼馴染で、結局 The Fantasys に
よるオリジナルのレコーディングはリリースされなかったが、
1961年に The Fantasys の3人のメンバーが新録音した曲を
別のレコードレーベルである Chesapeake からリリースした。
その際彼らは自らを The Wonders と呼んだ。
元々オリジナルヴァージョンは楽器演奏のないアカペラだったが
この新録音は、彼らがフィラデルフィアのカーティス音楽学校に
通っている間、グループの親戚の1人と一緒に滞在していた
2人のレバノン移民をストリングスの演奏に採用することにより、
美しいバラードに仕上げた。これらのバイオリン奏者は両方とも
後に米国の全国的に有名なオーケストラで卓越したキャリアを積んた。
The Wonders members are
Richard Schmidt (Lead),
Arum (Aran) Boornazian (Tenor),
Charles Berberian (Bass),
Ben Asero (Tenor).

 
13-2
The Seniors - No Surfin' 'Round Here
(7: ABC-Paramount 45-10736 Promo) 1865
(7: ABC 10736 Promo) 1865
おそらく Philadelphia 出身のヴォーカル・グループ。
The Four Seasons style で歌われるサーフノヴェルティーソングで
作者の Joe Terry と Aran Boornazian による
Grand Record Production Terry & Boornazian がプロデュース
を担当している。
おそらく Joe Terry とは Danny & The Juniors (Philadelphia) の
Joe Terranova のことだろう。
この二人は Anthony & The Sophomores の
“It Depends On You” (ABC-Paramount 45-10737) 作者としても
クレジットされてるが、Aran Boornazian は前出の Philadelphia
のヴォーカル・グループ The Fantasys (AKA The Wonders) の
メンバーである。本件 The Seniors だが、多分他にも変名リリースが
あるような歌の上手さである。

 

Joey And The Flips
13-3
Joey And The Flips - The Beachcomber / Fool, Fool, Fool
(7: Cameo 327) 1964
Philadelphia 出身のヴォーカルグループを連発する。
彼らは Little Joey And The Flips としても知られる
Vocal quintet で、1960 年代初頭に結成された。
Joseph Hall (Joey Hall = Little Joey), James Meagher,
John Smith, Jeff Leonard, and Fred Gerace.
Bongo による Beach Dance ブーム真っ只中の1962年に
Little Joey And The Flips 名義でリリースした "Bongo Stomp" (Joy 262)
が1962年6月16日をピークに全米33位のスマッシュヒットとなった。
彼らは所謂ワンヒットワンダーだが、その流れでリリースした
本件A面は Philadelphia sound の草分け
Jerry Ross, Kenny Gamble, Dave Appell の3人で書かれた
ビーチポップダンサーだ。

1959年に Twist が流行すると世界中でダンスブームは加熱した。
the Swim, the Jerk, the Pony, the Watusi, the Mashed Potato,
the Bird, the Dog, the Shake, the Hitch hike, the Monkey,
the Chicken 等、次々と新しいダンススタイルが確立されていく。
1963年11月22日にケネディ大統領が暗殺されるまで
アメリカ市場はダンスブームは続くのだが、そのダンスブーム
で隆盛を誇ったのが Cameo と Parkway (後に統合されて
Cameo Parkway となる) であり、ダンスブームの牽引車として
Beach Dance にも介入したが、ケネディ大統領の暗殺によって
1964年は市場の自粛に伴い、ダンスチューンは黙殺された。
で、B面に素晴らしいヴォーカルチューンを収録してるが
この "Fool, Fool, Fool" というタイトルに反応した人は
ソウルマニアだ。The Main Ingredient の1972年名作
"Everybody Plays The Fool" (Aaron Neville も1991年に
リヴァイヴァルさせた) で "Fool" という言葉を使って
自虐ソングを名曲路線へと仕掛けた Rudy Clark が
作者クレジットされている。この手の自虐ソングコレクター
の話をすると脱線してしまうのでこの "Fool, Fool, Fool" と
Rudy Clark の偉業を簡単に記す。

この歌は最初のリリースがアメリカンフットボールの黒人スターの
Rosey Grier こと Roosevelt Grier が1964年4月にシングル
RIC S102-64 でリリースした。それは Bobby Darin がプロデュースで
Jack Nitzsche がアレンジャーだったのだが、本件 Joey And The Flips
のヴァージョンが1964年6月にリリースされたので、ほぼ競作と
言っていいだろう。
この佳曲は翌年1965年にオーストラリアのビートバンド
Ray Brown And The Whispers がカヴァーして同地でヒットした。
Rudy Clark はそもそも Bobby Darin の仲間であり、Bobby Darin は
Trio Musicという出版会社を所有して "Fool, Fool, Fool" を管理した。
勘違いされやすいが同じ Rudy Clark が書いて1966年に
Peggy March がリリースし、Barbara Lewis がカヴァーした
"Fool, Fool, Fool (Look In The Mirror)" と本件 "Fool, Fool, Fool"
は同名違曲である。
その Rudy Clark の書いた曲で代表的な名曲は
Betty Everett - The Shoop Shoop Song (It's In His Kiss)
The Olympics, The Young Rascals - Good Lovin'
James Ray - I've Got My Mind Set On You
(George Harrison の "Got My Mind Set On You" の原曲)
と挙げれば切がない。

Jerry Ross


Rudy Clark
 

The Tokens
13-4
The Tokens - Dirt Track Twister
The Tokens - My Friend's Car
Tracks grom their album The Tokens - Wheels
(LP: RCA Victor LPM-2886 mono / LSP-2886 stereo) 1964
言うまでも無く名グループによる名アルバムからの
名曲を追加したまで。
Written by Margo, Margo, Medress & Siegel.
Produced by Hugo & Luigi.
Arranged and Conducted by Artie Butler.

 

The Overlanders
13-5
The Overlanders - Summer Skies And Golden Sands
(7: UK Pye 7N 15544) 1963
(7: Mercury 72165) 1963
(EP: UK Pye NEP 24245) 1966
A track from their album The Overlanders - Michelle
(LP: UK Pye Records PL 2067) 1966
Tony Hatch が演奏をプロデュースした英国産サマーポップの
名曲で、Jimmy "C" Newman, Mike St. Shaw も翌年カヴァーした。
The Overlanders はイギリスの Beat Music era に活躍した
Folk / Pop vocal group で、ビート色は強くないものの
時代を反映した佳曲を多く歌ってる。
本件もその一つで、間奏部の激しいギターブレイクを聴くと
1963年という早い段階でも使われる Freakbeat の範疇に入る傑作だ。

Tony Hatch
 

The Freewheelers
13-6
The Freewheelers - Beach Boy
(7: Epic 5-9725) 1964.
Massachusetts 州は Boston 出身の Folk vocal group が残した
美しいサマーバラードの名曲。
Folk vocal group 特有の Summer's over 終わった夏を
振り返る、懐古的なサマーソングでエコーを効かせた
素晴らしいヴォーカルとコーラスワークが心地よい。
エンディングで聴かせる口笛も素晴らしい。
プロデュースを担当した Bob Morgan は50年代後半から
1966年末まで Epic と Okeh のA&Rディレクターを務めた。
彼は多くのアーティストを発掘および録音した事でも有名で
The Dave Clark Five, The Yardbirds, The Brothers Four,
The Clancy Brothers & Tommy Makem, Damita Jo, Enzo Stuarti
も含まれる。
Bob Morgan は Bobby Vinton の Epic での全てのヒット曲を
プロデュースし、George Maharis, Jerry Vale, Bobby Hackett,
Jimmy Dean, Cliff Richard, Godfrey Cambridge, Buddy Greco らの
シングルやアルバム制作を行った。Bob Morgan は1966年末に
A&R オペレーションのディレクターとして MGM Records に入社、
1969年には Command/Probe Records の A&R プロデューサーに
任命された。1970年には Sound Exchange Studio の副社長兼
ゼネラルマネージャーを務め、エンジニアとしても働いた。

Bob Morgan
 

Kirby St. Romain
13-7
Kirby St. Romain - Summer's Comin'
(7: Inette 103) 1963
ラベル画像1番上のプロモ盤が1963年5月に配布され
その他は1963年6月にリリースされている。
Kirby St. Romain は Louisiana 州出身で本件当時は
The Shut Downs (Dimension / Karsong) のギタリストだった。
The Shut Downs と言えばアップテンポのホットロッドインストを
聴かせるグループで、彼は Buddy & The Hearts (Landa Records 701)
名義でもアップテンポのロッカーチューンをリリースしてるので
本件彼のソロシングルでもと思われがちだが、意外や
ほのぼのサマーポップである。
The Shut Downs は元 Gene Vincent & His Blue Caps のメンバー
だった Texas 出身のロカビリーミュージシャン Max K. Lipscomb
(芸名 Scotty McKay) と組んでいたグループで、本件シングルも
Scotty McKay-Kirby St. Romain で書いているので、演奏も
The Shut Downs と考えるべきだろう。
Kirby St. Romain は変った経歴を持っており、その後
Stand-up comedian クラブで観衆の目前で演じるコメディ
(即興話芸)をする芸人となって成功した。

 

Scotty McKay (AKA Max K. Lipscomb)
13-8
Scotty McKay - Waikiki Beach
(7: Jarrett 102) 1965
(7: Savannah Sound SS-502 Promo Red Vinyl) 1966
(7: HBR 495 Promo) 1966
上記に続いて Scotty McKay こと Max K. Lipscomb のソロ。
彼は Scotty McKay として The Shut Downs (Dimension / Karsong)
のメンバーだったが、以前は本名 Max Lipscomb で
Gene Vincent & His Blue Caps の後期メンバーだった Texas 出身
のロカビリーミュージシャンである。
で、波の効果音を配したこの軽快なビーチポップロッカーだが
オリジナルはやはり Gene Vincent & His Blue Caps だった
Paul Peek の曲で、そのヴァージョン (NRC 033) は1959年7月
にリリースされた。
本件 Scotty McKay のカヴァーヴァージョンは1965年に
Jarrett 102 としてリリースされ、その際はライタークレジット
が S. McKay-K. St. Romain (Scotty McKay-Kirby St. Romain) と
プリントされ、1966年に赤盤のプロモオンリーで配布された
Savannah Sound SS-502 ではライタークレジットがプリント
されていない。同年 Hanna-Barbera Records に買い上げられ
HBR 495 としてプロモ盤のみが配布されたが、そこでは
ライタークレジットが誤植され Paul Peak (正しくは Paul Peek)
とプリントされている。

 

Ron Winters
13-9
Ron Winters - Red MG / How Can You Kiss In A Sports Car?
(7: Dimension D-1033 Promo) 1964
3-10 Ron Winters - Big Black Bike を参照されたし。
これを歌った時 Ron Winters は 19-20歳だが
業界ではベテランとしての大きな立ち居地を持っていた。
Bob Feldman, Jerry Goldstein and Richard Gottehrer の
F.G.G. Productions の正統的なプロダクトである。

Ron Winters は 1945年4月1日に New Jersey 州
Paterson で生まれ、本名を Ronald C Striano と
いうイタリア系シンガー兼ミュージシャン、実業家だ。
イタリア人の移民の両親を持ち、彼の大家族には多くの
ミュージカルアーティストやメディアアーティストがいた。
パフォーマー、ライター、レコードプロデューサー、
業界のエグゼクティブで Dicky Doo & The Don'ts の
メンバー Gerry Granahan によって1957年、12歳の
ときに Ron Striano はスカウトされた。

当時 Gerry Granahan は新しい音楽業界のベンチャー
である Caprice Recordsを運営していた。
Gerry Granahan の伝記によると「3回のリリースの
過程で、Gerry Granahan はチームの残りのメンバー
を集め、Caprice Records に運営人のトップを迎え入れ
ました。配給を担当する Canadian-American Records
の Neil Gallagen もそこに含まれていました。
アレンジャーには、長年の協力者である Arnie Goland
とA&R部門を率いる Hutch Davie がいました。
社内バンドを率いてスタジオ・ミュージシャンの請負業者
を務める Ron Striano という若いギタリストを連れて
きたとき、すぐにレーベルスタッフ達に Ron Striano が
かけがえのない存在であることが証明されました。
Ron Striano の同級生の歌手兼ソングライターの
Rose Marie Cassili という若い女性。彼女に芸名
Janie Grant を与え、Gerry Granahan は彼女の
オリジナル曲の1つ "Triangle" で1961年3月27位
をピークに全米29位に到達したレーベルの最初の
ヒットを生み出しました。レーベルのために物事はすぐに
雪だるま式になり始めました。Ron Striano は次に
New Jersey の女性ヴォーカルトリオ The Starlets を
発掘しました。彼女らが The Angeles と変名して
リリースした "'Til" (1961年10月16日ピーク14位)
と "Cry Baby Cry" (1962年2月17日ピーク38位)
のレコーディングはレーベルの最大のヒット曲の2つ
であり、これまでに録音されたガールグループサウンド
の最高の例の2つと見なされています。」

スタジオ・ミュージシャンを続けていた1961年、
Ron Striano は15歳の時に Cameo-Parkway Records
のオーナー Bernie Lowe とミュージシャン、ソングライター、
パフォーマーとして契約を結んだ。
その際に有名プロデューサーである Dave Appel から
Ronnie Lavelle と名づけられ Bobby Rydell,
Chubby Checker, The Dovells, The Orlons
らのレコーディングに参加した。しかしこのレーベルの
政治的な政策が彼のキャリアを進めることを妨いでいると
感じて、Ron Striano は別のクリエイティブチームに
加わるために Cameo-Parkway Records を去った。

Ron Striano は1963年に18歳で F.G.G. Productions および
Grand Canyon Music Publishing と契約した。彼は制作会社
を通じて Don Kirshner に出会い Dimension Records と
契約を結んだ。Bo Diddley に大きく影響を受けた曲である
Ron Striano の書いたデビュー曲 "Snow Girl" で
Don Kirshner は彼の名前を Ron Winters に変更した。
Ron Winters となった彼は次のシングルで Chuck Berry の
"Back In The U.S.A." をカヴァーし、これはヨーロッパで
トップ10ヒットのレコードになったが、アメリカではそれほど
成功しなかった。しかし1964年の次のリリースである本件
"Red MG" は、すぐにチャートを上回り始めた。
イギリスの象徴的なスポーツカー MG のメーカーである
ブリティッシュモーターコーポレーション(BMC) はこの
レコードに気づき、Ron Winters のプロデューサーは
BMC アカウントを扱った広報会社 Roland Company から
連絡を受けた。Ron Winters は、BMC が提供する1964年
の赤い MG で国をツアーし、自動車業界のショーに出演し、
レコードを演奏し、レコードと自動車の両方を宣伝した。

その後レコードプロモーションのディレクターである Danny Davis
は Ron Winters と他のレーベルで彼が扱うアーティストである
Lou Christy を彼のオフィスに呼んだ。Danny Davis はこの二人
のアーティストに「俺は Phil Spector と一緒にロサンゼルスで
仕事をするポジションをオファーされたのでレーベルを去る」と
伝えた。Danny Davisは「君のプロモーションを実施する人間
は誰もいないし、君のレコードは死んでしまうだろう」と
Ron Winters に語った。Ron Winters と彼のプロデューサーは
彼のために次の方向性を再編成し、開発するために集まった。
そこで慌てて製作されたのが次のシングル
Big Black Bike (Smash S-1987 Promo) 1965 であったのだが。。。

Ron Winters のデビュー曲 "Snow Girl" は Bo Diddley に
大きく影響を受けた曲であった。その独特な通称 Jungle Beat
を用いて The Strangeloves 名義で "I Want Candy"を
1965年6月26日ピークに全米11位の大ヒットにした
Bob Feldman, Jerry Goldstein and Richard Gottehrer は
F.G.G. Productions のオーナーでもある。この3人による
ソングライター&プロデューサートリオは Ron Winters の
プロデュースを担当した。オーストラリアの羊番の家族から
来たと彼ら3人が主張するこの架空のユニットグループ
The Strangeloves では Feldman、Goldstein、Gottehrer
は兄弟 Niles、Giles、Jiles として紹介され、Ron Winters は
彼らの従兄弟の "Reggie Strange" という役割を演じた。
そう、Ron Winters は The Strangeloves の裏メンバー
だったのだ。Ron Winters が F.G.G. Productions に在籍
していた間、彼が発掘した The Angels はプロダクション
ユニットとして契約しレコーディングした "My Boyfriend's Back"
で1963年8月3日ピークで全米1位の大成功を収めていた。
F.G.G. Productions での Ron Winters と The Angels の
劇的な再会により、Ron Winters は彼女達の新しいヒット
シングルでツアーを行ったときに The Angels の指揮者
および音楽コーディネーターの役割を引き受けた。

また彼は Ronnie Striano 名義でも後に Atco でアルバム
リリースする The Last Words の1966年のデビューシングル
(Boom Records BM-60,014) でアレンジャー、コンダクター
を務めている。その後も彼は多くの曲を書き、音楽ビジネスで
様々な役割をこなし続けた。

The Angels


The Strangeloves
 

Gary Usher

The Honeys
13-10
Gary Usher & The Usherettes - Three Surfer Boys
(7: Dot Records 45-16518) 1963
1963年7月に Gary Usher and The Usherettes 名義で
Three Surfer Boys / Milky Way (Dot 16518) がリリースされた。
本件シングルはセールス面では全くの失敗に終わったレコード
だが、The Usherettes と記載されたバックの女声コーラス
グループは The Honeys の事でレアなうえに人気も高い。
A面は G.Usher-R.Christian-T.Cost の共作で
(Gary Usher-Roger Christian-Tony Cost)
Tony Cost とは Nick Venet の変名である。
当初は Annette らの Beach Movie の為に書かれていたようだ。
A面のAメロを The Honeys が歌いBメロからリードが
Gary Usher に変わるアップテンポの曲。
プロデュースも Gary Usher が担当した。
1962年後半、Nick Venet は Gary Usher に「映画音楽の製作に
興味ないかい?」と打診してきた。Gary Usher は「もちろん
興味あるよ!」と喜んで答えている。その後 Nick Venet は
Gary Usherに American International Pictures の
Al Simms を紹介している。因みに Nick Venetと Al Simms は
1959年公開の映画 "Ghost Of Dragstrip Hollow" にインスト曲を
挿入した時からの付き合いでNick Venet はプロデュースを担当した。
この映画はモンスターコメディーのカルトムーヴィーで、映画でも
使用されたインスト曲は The Renegades 名義でシングルカット
されている。このグループは俳優志望だった若き Kim Fowley,
Bruce Johnston, Sandy Nelson の3人を母体とし Nick Venet と
Richard Podolor が参加している。

 
13-11
The Tri-Tones - Surf-A-Nova
(7: Twilight Records 406) 1963
California 州ベイエリアにある主要都市 San Jose
出身のグループ。昨今ではハイテク産業の集積地、
シリコンバレーが有名だが、街自体は新興の地ではなく
古いダウンタウンで、60s ファンなら The Chocolate Watchband,
The Count Five, The Syndicate of Sound が同地の出身なので、
当時どれだけ活気があったのか容易に察しができるだろう。
そんなベイエリアで Garage band scene が熱くなる前夜の
1963年にボーカルグループによってリリースされたのが本件だ。
全米に幾つかの同名グループ The Tri-Tones が存在し、とりわけ
California 州の同名グループで1964年にシングル (Miss Julie 6501)
をリリースした方は Doug and Freddy の片割れで、
Gary Paxton-Kim Fowley の子飼いのシンガーで
Doug Salma and Highlanders - The Scavenger (2-27 を参照されたし)
をリリースしたDoug Salma (Salamanca) が 'Louie Louie' の作者でも
有名な R&B vocal group singer, songwriter のRichard Berryと
彼の妻Dorothy Berryによるトリオなので、本件グループとは異なる。
A面は同じレーベルメイトの Jimmy Rivers Band のメンバー
Billy Lane が書いた当時人気の Bossa Nova ソングで、
当時西海岸の若者の間で流行していた Surfin' をテーマに歌っている。
Calypso 系ボーカルグループやハワイアンサーフィンバンド等の
エキゾチック&トロピカルサウンドはリゾートソングとして
分類出来るが、このシングルはワイルドスポーツを歌ってるのだが
観光地のホノボノ遊興としてのビーチソングと化してるのがが面白い。
因みにB面作者として Clara Thompson 女史がクレジットされてるが、
この人は Syndicate Of Sound のプロデューサーとなる Garrie Thompson
と Hush Records を設立し R&B singer の Joe Simon を見出した。

 
13-12
The Chordials - I Wish It Were Summer
(7: Bigtop 45-513) 1964
このシングル1枚しかリリースしていないグループだが
この歌いっぷりを聴くと変名もしくはグループメンバーの
キャリアーの遍歴まで想像できる。
この曲は翌年 The Tempos がカヴァーしてリリースしてるが
(Ascot Records AS 2173) そちらはアレンジが Charlie Calello で
プロデュースが Jack Gold だった。Jack Gold は
“See You In September”のオリジナルヒットを持ってるので
The Tempos のヴァージョンもそんなロマンティックスタイルだった。
The Chordials は Twang guitar を配してミッドテンポで
歌っており、それが爽快なヴォーカルスタイルとして耳に届く。
作者のソングライター Bill Giant, Bernie Baum, Florence Kaye
は Elvis Presley の一連のヒット曲を書いた songwriting team である。


Bill Giant,


Bernie Baum


Florence Kaye
 
13-13
The Teachers - Summer's Over
(7: ABC-Paramount 10727 Promo) 1965
このシングルはプロモ盤しか確認されておらず
リリースには至っていない。ベトナム戦争を題材にしたA面
“We Ain't At War” が国威に関わると判断されたのだろうか。
当時、発禁にされてもおかしくない戦場での兵士目線の歌詞、
そしてメロディアスな曲調。しかも進軍マーチを想起させる
ドラムパターン。戦場の真実を教えてやるとばかりに
The Teachers と名乗るきつい皮肉のようなネーミング。
当時のアメリカの戦局を考慮すると、まずいっちゃあ
まずいよな的な内容の反戦歌である。
それ故にベトナム戦争時の War song コレクター達からは
大きな支持を受けている裏名曲である。
B面は過ぎ去った夏を惜しむ定番テーマだがA面の
流れを踏襲したフォークロックスタイルとなっており
なかなかの出来である。アレンジを担当したのが
Cameo and Parkway のセッションキーボード奏者の
Roy Straigis である。両面プロデュースを担当したのが後に
Flying Dutchman を設立する Impulse! の有名
Jazz producer の Bob Thiele で、彼は Teresa Brewer
と結婚した事でも知られる。A面の War song の作者で
アレンジャーの Peter DeAngelis は Chancellor Records
の創設者で Philadelphia 出身のソングライターなので
本件グループが Philadelphia のプロダクションであったと
推察される。なにかプロダクション側の反戦スピリットが
ひしひしと感じられるシングルだ。


Bob Thiele
 

The Del Satins
13-14
The Del Satins - My Candy Apple Vette
(7: B.T. Puppy Records 45-506) 1965
New York 州 Manhattan 出身のヴォーカルグループ。
Dion の "Runaround Sue" でバックコーラスを担当した
ことでも有名な White doo-wop の名グループだ。
1966年からは Johnny Maestro が参加するが本件はその前年
リリースのシングルで、"My Candy Apple Vette" は
御存知 The Tokens が1964年のアルバム "Wheels" に収録した
ボサノヴァスタイルで歌う Hot Rod vocal tune の名作。
The Del Satins のカヴァーヴァージョンだが、シングルB面に
収録してリリースされた。
上記の The Tri-Tones - Surf-A-Nova 同様に Surfin' & Hot Rod
を Bossa Nova で歌うのは稀有だが、ヴォーカルグループなら
ラウンジのステージで需要の高かった Bossa Nova はレパートリー
に入れて当然だったろう。
Original members:
Stan Ziska (Lead)
Les Cauchi (1st Tenor)
Keith Koestner (2nd Tenor)
Freddie Ferrara (Baritone)
Tommy Ferrara (Bass)

 

Cirino And The Bowties
13-15
The Brookfields - Girls Look Better In The Summertime
(7: Ember E-1098) 1964
イタロ系ホワイトボーカルグループが残したサマーポップの
名曲。Brill Building のソングライター Eddie Deane が
"Ever Since I Can Remember" でも知られる Cirino And The Bowties
のリーダー Cirino Colacrai 事 Del Serino と一緒に書いた曲。
恐らく The Brookfields は Cirino And The Bowties の変名だと
思われるのだが、プロデューサーで作者の Eddie Deane は、
やはり Tin Pan Alley 系ソングライターで Elvis Presley に多くの曲を
提供した Ben Weisman とも幾つか共作してた。
そういった背景を読み解くと本件、内容が悪い訳もなく、
隠れた名曲という表現が相応しいだろう。

 
13-16
The Fraternity Men - Little Star / Lynnie
(7: Courier CR-114) 1965
Ohio 州の Toledo と Cleveland の間に位置する田舎町の
Sandusky 出身のグループ Bill Moulas & The Martians の変名が
The Fraternity Men で、彼らは Four Seasons / Beach Boys style
のハーモニーを得意としていた。
彼らがこの名義で残したのは本件シングルのみだが、地元では1963年から
1965年までクラブシーンで Gig 活動をしていた。
The Elegants の名曲 "Little Star" を Beach Boys の "Hushabye" の
カヴァースタイルでプレイするといった素晴らしいアイディアが
Teen Pop / Beach Boys / Surfin' & Hot Rod マニアを狂喜させた。
彼らは1966年に The Fraternity Brothers と名を変えて
Big Town / Sad Little Boy (Date 2-1528) Four Seasons style の
シングルをリリースした。

 
13-17
The Fraternity Brothers - Big Town / Sad Little Boy
(7: Date 2-1528) 1966
で、上記 The Fraternity Men の後の名義がこれ。
The Fraternity Brothers と名を変えて Four Seasons style の
1枚をリリースしたのが本件2サイダーシングルだ。
Flip side の Vocal group surf ballad の出来も素晴らしい。
クレジットされた D. Atwell, P. Fleri (Phil Fleri), P. Gray の3人がこの
グループの中核であるが、Ohio 州のグループが1966年に Surf style で
やってるのが地域的なギャップなのだろう。
プロデュースを担当した Clay Pitts はオーケストラリーダーで
New York のマイナーレーベル Counterpoint のオーナーだった。
恐らく彼らは Four Seasons / Beach Boys サウンドの復興を
試みたのだろうが1966年 The Beach Boys "Pet Sounds" が
そうであったように、当時の世はまさにコンセプトアルバム
全盛期に入ろうとしていた。それを考えれば本件シングル、
時代の波に飲み込まれたと言ったとこだろう。

 

The Images
13-18
The Images - A Swingin' Summer
(7: Music Mill A-404) 196?
Texas 州 Fort Worth のレーベルで、恐らく同地の
ガレージバンドと思われる。
彼らは1965年7月25日に Panther-a-Go-Go で開催された
“Battle of the Rock N Roll Bands” に参加し、11組中で
3位になった記録が残っている。
このレーベルでリリースされた他のシングルから考えると
恐らく本件は1966年のリリースだろう、
そのタイトルどおりに小気味良くスウィングする
サマーポップで人気の高いシングルである。

 

Steve Wilson
13-19
Steve Wilson - Out L.A. Way
(7: Corby Records CR-202) 1965
本件シングルは癖の無い Teener vocal で歌われており、
A面では派手なドラムロールで幕を開け、Hyde Sisters のボーカル
バックアップを受けたビートチューンに仕上げている。
B面のバラードは Pacific Northwest (太平洋岸北西部) の
ソングライター特有の悲哀感溢れるギターが心地よい。
両面出来が良いので人気が高い2サイダーシングルだ。
Steve Wilson と言えばシンガーソングライターからレーベル
オーナーへと成長していったキャリアの中でも初期の
本件シングルの評価が高い。彼は Kansas 州出身で、本名を
Steven Dale Waltner と言い、60年代初期は本名で曲を書いていた。
その後成功を求めて Los Angeles に来たが、3年間ほど徴兵で
Oregon 州の空軍で兵役を務めた。その後復帰して1965年から
Los Angeles のプロデューサー Doug Cox、エンジニアーの
Dennis Hardesty と Corby Records の設立に参加した。
このレーベルはマニアには Kim Fowley - The Trip (Corby Records CR-206)
が有名だが、Steve Wilson は Doug Cox と The Love's Me Petal 名義で
1967年に Summer's End / Soft Summer Breezes (Roulette R-4769) を
リリースしている。The A side 'Summers End' は Ralph Geddes ?
Give Me Peace (Corby Records CR-209) のバッキングトラックと
メロディーを新しい歌詞で使用し、'Soft Summer Breezes' は
Giant Crab - Listen Girl / Soft Summer Breeze (Corby Records CR 216)
同じ1967年にリリースされたトラックと全く同じだった。

 

Steve Leeds
13-20
Steve Leeds - Midsummer's Night
(7: American Music Makers AMM-S-0018 Promo only) 1968
New York のソングライターで Jazz ピアニストの Cy Coleman
が面倒を見ていたシンガー Steve Leeds のデビュー盤にて
プロモオンリーのシングル。レーベルの American Music Makers は
The Skyliners "Since I Don't Have You" で有名な Calico Records, Inc.
を所有していた Lou Guarino が1965年に設立したレーベルで、
彼は盟友 Lennie Martin と地元 Pennsylvania 州 Pittsburgh で
Robbee や World Artists Records を運営してた。
本件レーベルオーナーの Lou Guarino が自らプロデュースを
担当してるが、Brill Building 系ソングライターのGeorge Fischoff,
Tony Powers の共作で Herb Bernstein がアレンジを担当してるので、
恐らくテレビ番組か何かのために書かれた曲を New York の
プロダクションで製作して売り込みたかったのだろう。
そこでプロダクション側が歌唱力の高い若手シンガーを物色してたところ、
Steve Leeds に白羽の矢がたったのだろう。
Lou Guarino は彼所有の World Artists Records から
Chad Stuart And Jeremy Clyde - A Summer Song (World Artists 1027)
をリリースして1964年8月15日をピークに全米7位の大ヒットを
経験したので、Summer pop song でもう一度と思ってたのが伺える。
 
 

The Blackwells
(LR : Ronald, Glenda, Dewayne Blackwell)
13-21
The Blackwell Manner - Watermelon Summer
(7: Warner Bros. Records 7066) 1967
Nashville のソングライター Dewayne Blackwell と
妻の Rani Blackwell によるユニット。
Dewayne Lorne Blackwell (1936年9月17日 - 2021年5月23 日) は、
1950年代から活躍したアメリカのソングライターで
Nashville Songwriters Hall of Fame の殿堂メンバーでもある。
彼の曲には The Fleetwoods の1959年のヒット曲 "Mr. Blue" や
David Frizzell の1982年のヒット曲 "I'm Gonna Hire a Wino
to Decorate Our Home", Garth Brooks 1990年のヒット曲
"Friends in Low Places" 等がある。
彼が書いた歌は The Everly Brothers, Roy Orbison, Bobby Vinton
らも録音しており、彼は映画のサウンドトラックの曲も書いた。
Dewayne Blackwell は Texas 州 Corpus Christi で生まれ
1950年代半ばに両親と共に California に移り住み
彼が The Fleetwoods のために "Mr. Blue" を書いた後、
兄弟トリオ (2人の兄弟と1人の姉妹) によるボーカルグループ
The Blackwells を結成し彼らは San Francisco の G&G Records
とのレコーディング契約を獲得して1959年にデビュー。
その後、ディストリビューターの Jamie と契約をし
1964年に Hickory に移籍し、1959年から1964年までに
13枚のシングルをリリースした。The Blackwells は Phil Spector
の初期のキャリアに関与した。Phil Spector は Lee Hazlewood and
Lester Sill の Gregmark Musicで働いていた。Lee Hazlewood and
Lester Sill は Duane Eddy をプロデュースし、Phil Spector は
Phoenix に行って Duane Eddy のセッションを観察し、
Duane Eddy のレコーディングで使用されたエコー技術の
多くを Lee Hazlewood から学んだ。Phil Spector は1961年8月
にリリースされた The Blackwells - You Take Advantage Of Me / I
(Jamie 1199) をプロデュースし、それは The Blackwells にとって
Jamie 最後のレコーディングとなった。そのような経緯を得て
名セッショングループ The Nashville A-Team らと後に有名になる
Nashville Sound が確立された。
本件シングルA面曲は "You Made It That Way (Watermelon Summer)"
としても知られ、Perry Como も1967年にシングルリリースしている
(RCA Victor 47-9356) プロデュースが Chet Atkins and Andy Wiswell
なので Elvis Presley の録音スタッフとしても有名な
The Nashville A-Team が録音を担当しているのが解る。
回顧的で美しいサマーポップの隠れた名曲である。
プロデュースを担当した Dick Glasser とアレンジを担当した
Al Capps の二人は1967年は Warner Bros. Records 在籍時で、
当時は自らのグループ Dick Glasser & Co. でサンシャインポップ
をやってた事も追記しておこう。
 
 

Jack Gold / Jack Gold Orchestra & Chorus
13-22
Jack Gold Sound - Summer Symphony
(7: Columbia 4-45202) 1970
ラベル数種あり。まず Columbia 4-45202 の Mono/Stereo プロモ盤で
左横にグループ名が一列表記が1970年7月に配布、そして
Columbia 4-45202 の赤ラベルで “The” を入れた The Jack Gold Sound
とラベル上部にクレジットされた Stereo 盤の
Summer Symphony / Lilacs 2種類が1970年7月6日に配布、
Columbia 4-45397 の Mono/Stereo プロモ盤で
左横にグループ名で “The” を無くした Jack Gold Sound が
二列表記が1971年5月27日に配布、同様にラベル上部に
Jack Gold Sound を二列表記にクレジットした Stereo 盤の
Summer Symphony / Lilacs を同じ日に配布している。
Jack Gold はアメリカのプロデューサー兼ソングライターで
1921年2月13日、Massachusetts 州 Chelsea 生まれ
(1992 年2月26日死去) で Massachusetts の Doowoop vocal group
である The G-Clefs のインディペンデントプロデューサーとして
Pilgrim Records で活躍した。彼は1957年に自らの新しいレーベル
Paris Records に The G-Clefs を移籍させ、その後継レーベルである
Terrace Records Co.としても The G-Clefs と契約を結んだ。
本件は Neil Sedaka の自作で Lesley Gore にも歌わせた美しい
サマーポップのカバーで、細波の効果音を配したバラードに仕上げている。
アレンジは Dinah Washington や B. Bumble and the Stingers を
一躍有名にさせたピアニストでもある Ernie Freeman が担当しており
本件でも流麗なピアノを聴かせる。
また彼は The Routers / The Marketts のキーボード奏者、アレンジャー
としても活躍したのでテーマミュージックの何たるかを心得ている。
プロデュースは Jack Gold 自ら行っているが、この美しい
ボーカルを聴かせるシンガーズは Jack Gold Orchestra & Chorus
としても知られ 1969年に Ernie Freeman のアレンジによるアルバム
It Hurts To Say Goodbye (Columbia CS 9851) をリリースしているので
ソフトロック、コーラス系の Club DJ はチェケラーッ! (死語)

 
戻る】【続く】
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