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Original Intellectual Record Shop COOL HAND are go!
COOL HAND

古物商許可番号
第731269400017号
(広島公安委員会)

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Amusement
Club60's
E-mail
 
Vol. 12
01 Tico And The Triumphs - Motorcycle
02 The Dee Jayes - Bongo Beach Party
03 Michael Dominico - Born To Wander
The Moon Surfers - Surfin' On The Moon
04 The Crockett Brothers - The Fastest Car In Town
05 Jimmy Griffin - Summer Holiday
06 Tony Troy - Dancin' On The Sand
07 The Toronados - Hey! Baby
08 The Nodaens - Beach Girl
09 The Forvus Featuring Brooke Chamberlain
With The Rovin' Flames - Now That Summer Is Here
10 The Neons - Swingin' Thing Is Summertime
11 Pit Men - Cruising Along The Highway
12 Miss Frankie Nolan - (I Wish It Were) Summer All Year Round
13 The Four Preps - The Girl In The Shade Of A Striped Umbrella
14 Front Porch - Wonderful Summer
15 The Stephen Crane Village - Hey Summer
16 Jeff And The Gino's - One Summer In A Million
17 Jimmie Knight With Buddy Starr & The Starliners -
Crankshaft Sid
18 The Don Riddell Four - Girl Of My Best Friend
19 Jan Barry (Jan Berry) - My Midsummer Night's Dream

 
Vol.12
Teen, Teener, Vocal section
Other stuff with beach pop, summer pop etc

 

Tico And The Triumphs
12-1
Tico And The Triumphs - Motorcycle / I Don't Believe Them
(7: Madison Records M169) Oct 1961
(7: Amy 835) Nov 1961
Jerry Landis こと後の Paul Simon が Tico こと
Marty Cooper (Shacklefords / The Inconceivables) に変わって
リードを務めた Bike tune の名作。
Tico & the Triumphs members :
Marty Cooper, Howie Beck, Mickey Borack, Gail Lynn,
Jerry Landis (Paul Simon, later of Simon & Garfunkel)
1961年10月に Madison Records からリリースされたマスターを
Amy が買い取って再リリースした。
Amy 835 は Milwauke で最初に火が付いて1962年1月20日に
Chicago WLS 36位、Billboard で99位となった。
Kim Fowley の1969年のサイケアルバム "Good Clean Fun"
に収録された Motorcycle アヴァンギャルドなカヴァーヴァージョンも
興味があれば聴くあるヨロシ。
ほんで、このオリジナル曲の背景やレヴューを書くには本一冊分の
文字が必要となるので短文で書く。
この曲がなければ、名曲 The Crestones - She's a Bad Motorcycle
のウンパパコーラスは生れてこない!!

 

The Marketts (AKA The Routers = The Dee Jayes)
12-2
The Dee Jayes -
Bongo Beach Party / Mr. Bongo Man
(7: Highland Records 1031) 1962
Round Robin や Sloan-Barri の The Wildcats でもお馴染みの
Dance tune を全米に売り込むべく設立された
Sepe/Brooks Productions の初期シングル。
Michael Z. Gordon (Michael Zane Gordon = Mike Gordon) 本人曰く
「これは The Marketts である。1958年に Sound City Recording Studio
で録音され、上手に歌えなかった人もいるけど、それはすべて楽しかった。
1962年にリリースされて西海岸でかなりの量のレコードが売れて
北カリフォルニアのラジオチャートで Top 20 に入った。
これは The Beach Boys より前にラジオで聴くことができた
真の意味で最初の Surf Record だった。
The Dee Jayes は Michael Z. Gordon と The Routers に加えて
Ron Goldstein が歌うベースヴォーカルだった。
このグループは The Du-Kanes や Mike Gordon and the Agates
としても演奏した。実際にレコーディングで歌ったのはこれが初めてで、
お察しのとおり、我々はヴォーカルグループとして勝つつもりはなかった」
との事だ。


The Routers (AKA The Marketts = The Dee Jayes)

Michael Z. Gordon
 

Howell Recording Studio Acetate
12-3
Michael Dominico - Born To Wander
The Moon Surfers - Surfin' On The Moon
(7: Genius Records 45-2101) 1963
1961年に Per-Sona PSR-11-61 でデビューし、1962年に優れた
teen pop single (Gone 5123) をリリースした Michael Dominico の
残したレア盤。Michael Dominico という名前からしてイタリアン
なのだが、彼は元々 Dizzy Gillespie らのトランペッターとしても
知られるイタリア系ミュージシャン&プロデューサーの Joe Cain の
プロデュースでデビューをしてた。セカンドシングルの Gone 5123 も
Joe Cain のプロデュースだったので、そこから Bob Crewe に
橋渡しされたのだろう。本件では1964年に The Four Seasons も
カヴァーした The Rhode Islanders の名曲 "Born To Wander"
(Warner Bros.5280 in 1962) を歌っている。"Born To Wander"
の作者 Allan Al Peterson だが、この人は当時 Rhode Island School
でデザインを学んでいた学生で、このグループ名The Rhode Islanders
はそこから来た。現在はフロリダとオレゴンに住んでいる
ビジュアルアーティスト兼詩人である。
で本件リリースに関して、時系列に並べると解りやすい。
The Rhode Islanders 唯一のリリースシングル
Born To Wander / Searching Wind が1962年6月16日にリリースされ
Bob Crewe がプロデュースをし、Charlie Calello がアレンジを担当した。
Bob Crewe はこれを気に入り、Joe Cain から紹介された
Michael Dominico で本件を1963年にリリースしたのだろう。
それは1964年に The Four Seasons でリリースしたかったからだ。
結局これら3者の "Born To Wander" は全てが Bob Crewe が
プロデュースをし、Charlie Calello がアレンジを担当している。
本件B面も Bob Crewe-Charlie Calello が書いたダンスチューンで
この Genius Records は Larry Lee - Stood Up / Little Lana
(Genius Records 45-2100) Produced by Bob Crewe で始まり
本件 Genius Records 45-2101 の2枚を1963年にリリースし
閉鎖してるので、Bob Crewe の節税レーベルだった事が解る。
ラベルのカタログナンバー 45-2101 と 45-2101-V の2種類あり。


Charlie Calello
 

The Crockett Brothers
12-4
The Crockett Brothers - The Fastest Car In Town
(7: Donna 1389) 1963
3-13 The Crockett Brothers - Mother Mother Can I Go Surfin'
でも書いたが、Jeremy, Joel, Chris Crockett の3人兄弟による
ファミリーグループだ。Chris Crockett は13歳のときから曲を
書き始めており、彼ら兄弟はカリフォルニア州にカントリー
ミュージックを根付かせる事に尽力した名門一家
The Crockett Family Kentucky Mountaineers の第3世代にあたる。
彼らは商業的な成功を収める事はできずグループを解散させ、
兄弟は異なる道へと分かれた。1975年 Chris Crockett は音楽
出版社の Garrett Music Enterprises, Inc. (Snuff Garrett) の
スタッフライターになり、Brenda Lee, Larry Mahan, Donnie Brooks,
Susie Allenson などに曲を書いた。 Chris Crockett はグラミー賞
に投票する組織である国立録音芸術家科学アカデミー(NARAS)
の生涯会員であり、国際ナッシュビル作曲家協会(NSAI)の
会員としても名を馳せている。
で、本件 The Crockett Brothers のセカンドシングルだが
前作が1963年でサーフィンはモロにムーヴメント下の作品。
で、こちらは1963年でホットロッドチューンとしてはかなり最先端
の作品となる。当然ながら本格的ムーヴメントの一昔前の作風で
Roger Christian-Gary Usher が築いていくヴィジョンとは
異なり、マーロン・ブランド(Marlon Brando) の映画「乱暴者」
The Wild One の有する「反抗的な若者」のイメージと共に
不良の公道レースをテーマに歌っている。
ここに西海岸のテーマミュージックの成長過程が垣間見れる。
因みにB面は前作 "Mother Mother Can I Go Surfin'"と
同じような作風で、恐らく同じセッションで録音されたのだろう。

 

Jimmy Griffin
12-5
Jimmy Griffin - Summer Holiday
(7: Reprise Records R-20,178) 1963
後に Bread のメンバーになる Jimmy Griffin の初期シングルで
Cliff Richard And The Shadows の名曲のカバーだ。
プロデュースは自身もロカビリーシンガーだった Jimmy Bowen で
アレンジ&コンダクトは Jack Nitzsche が担当した。この時期の
二人のコラボといえば Jack Nitzsche - The Lonely Surfer
が有名だが、歌モノではやはり1963年に Reprise で
Johnny Burnette の弟で Johnny Burnette Trio の一員である
Dorsey Burnette の"Where's The Girl" がマニア人気が高い。
この二人のコラボは1967年の Gail Martin - (How Could I Love
Anyone) After Loving You でピリオドを打つのだが、その間
Jack Nitzsche は Phil Spector によって束縛されていたので、
Jack Nitzsche の純粋な作業を楽しむならローカルレーベル
以外では Reprise での1963年ワークスに限られてくる。
Jimmy Griffin は1966年に The Marketts の Michael Z. Gordon
とソングライターコンビを結成するが、デビュー時はアイドル系
ティーンポップシンガー扱いだった。デビューシングルは1962年9月に
リリースした Reprise R,20-114 だがプロデュースは Nick Venet
の兄弟の Steve Venet が担当した。実は先に記述した
Dorsey Burnette が Jimmy Griffin のデビューに関わっている。
オハイオ州シンシナティ出身の Jimmy Griffin はその後南部に
引越し、彼はメンフィスのキングスベリー高校に通った。
Dorsey & Johnny Burnette は彼の隣人であり憧れの存在だった。
Burnette 兄弟が音楽キャリアを進めるためにカリフォルニア州
ロサンゼルスに引っ越した後、Jimmy Griffin は彼らを訪ねるために
そこに行き、Reprise Records とのレコーディング契約に至った。


Jack Nitzsche
 
12-6
Tony Troy - Dancin' On The Sand
(7: Coral 62458) 1965
1965年にビーチポップってのは流行後れになりがちだが
作者の Hank Hunter-Stan Vincent と言えば
Connie Francis の一連のヒット曲が有名。
Cleveland Ohio group の The Initials もこの曲をリリース
The Initials With The Hutch Davie Orch - Dancing On The Sand
(Congress CG-219) 1964 がこの曲のファーストリリース
になるので、Tony Troy を一応カヴァー曲扱いとする。

この Tony Troy というティーンポップシンガーは
他にリリースもなくこのシングルが1965年8月7日付け
で当時の Billboard で告知されたにも関わらず
プロモ盤しか確認されていない。プロデューサーの
Henry Jerome は1940年代から自身の楽団で活躍しており
1959年から 1968年までは Coral Records, Decca Records,
そして MCA Records とプロデューサーとして渡り歩いた。
アレンジャーの Dick Jacobs は Jackie Wilson, Buddy Holly,
Bobby Darin のバックで有名になったが、彼も60年代には
Coral Records で楽団モノをリリースしており、この二人の共通点は
所謂 Space Age Pop (Bachelor Pad Music) の代表的な
存在だった。Space Age Pop とはイージーリスニングのサブジャンルで
大まかには戦後の強力な経済とテクノロジーブームに基づく楽観主義、
人類の宇宙への初期の進出に対する興奮に触発された
モダーンなラウンジ/イージーリスニングやビッグバンド、カリプソ、
ラテン、エキゾチック作品を指すもので形式的なサウンドスタイル
はない。敢えて言えば効果音やステレオを屈指して音響効果を自宅で
楽しませようとした音楽設計になっている。プロデューサーの
Irwin Chusid は、その全盛期を「high-fidelity (ハイファイ) の
黎明期から The Beatles がアメリカに到来するまでのおよそ
1954 年から 1963 年」と特定してる。と言うことは本件シングルは
The Beatles 以降のサウンドとして古いにも関わらず
「楽観主義バンザイ!」とばかりに録音してプロモ盤を配布、
そして市場のリアクションを確認したが話題にもならず黙殺された
多くのダンスミュージックの一つという事になる。

以前アメリカ人の研究家の友人が教えてくれたのだが
1963年11月22日にケネディー大統領が暗殺されて
当時リリース予定だった陽気な曲やダンスミュージックの
リリースが軒並みキャンセルになったらしい。そんな事もあって
1965年になってキャンセルされてた歌がリリースされて
時代遅れになった。それはその後の急速な社会変化によるものだが
レコード会社、特にメジャーレーベル達は「このままお蔵入り
にしたくない」との思惑が働いていたのだと私は本件について
推測している。そんな背景を考慮してひとつのオールディーズ作品
として聴いてみると、斬新なブレイクを配したロックンロールに
波の効果音、悪くはない出来である。


Hank Hunter & Stan Vincent
 

Frank Cariola
12-7
The Toronados - Hey! Baby
(7: Date 2-1519) 1966
以前私は彼らのデビューシングル (New World N/W 100)
を販売した事があるので、Frank Cariola のクレジットを
確認して本件シングルが同一グループだと解って納得した。
Frank Cariola を有名にしたのは Frank Cari 名義で書いて
プロデュース&アレンジを担当した1964年の Scott English
のデビュー曲で当時全米77位のスマッシュヒットとなった
"High On A Hill" (Spokane Records 45-4003) だろう。
そういったヴォーカルチューンのヒット曲を持った
ソングライターがイタリア系だった場合、概ねやりたがるのが
1963年までなら Dion & The Belmonts のスタイルで
それ以降なら The Four Seasons のスタイルである。
しかし当時の流行の変化は早い、1966年になればベトナム戦争
の影響下でサイケデリックムーヴメントが活発になる。
しかし驚くべき事に Frank Cariola は1962年の Bruce Channel の
ヒット曲 "Hey! Baby" を The Four Seasons のスタイルで
カバーし、サーフ系のハーモニーを導入してる。
しかも良く聴くとドラムのビートが Dave Clark Five のそれを
強調してる。面白いことにB面では自作の Surfin' Inst 系の
ダンスチューンを聴かせており、トレイン・ダンスに仕上げてる。

 

David Nowlen
12-8
The Nodaens - Beach Girl
(7: Gold Records G-1001) 1965
The Survivors の David Nowlen の自作プロジェクトである。
3-22 The Survivors - Pamela Jean でも記述したが
The Survivors とは実態のないグループとして扱われていたが、
実際は実態があるユニットだった。Brian Wilson, Bob Norberg,
Dave Nowlan, Rich Peterson (Rich Alarian) の4人がメンバー。
1963年の初めに South Bay area にあるアパートに引っ越して
きた Brian Wilson が隣人の彼らと直ぐに意気投合したのが
そのきっかけだった。当時、Brian Wilson は Dion Style に
夢中になっていて、Dion のヒット曲 "Come Go With Me"
と "Donna The Prima Donna" のサウンドを念頭に置いて、
Brian Wilson は The Survivors のために The Beach Boys の
“Car Crazy Cutie" のメロディーを用いて ”Pamela Jean" を
書いた。(注:Brian Wilson は Rich Peterson のガールフレンド
の名を使って、Rich Peterson が歌詞を書いた ”Pamela Jean"
を作曲する。1963年夏には完成し Capitol Records もこの曲を
気に入りリリースが決定したがリリーススケジュールは大幅に
遅れていく。) Capitol から次の The Beach Boys のアルバムを
リリースしなければいけない Brian Wilson はほぼ同時期に
“Pamela Jean" の歌詞を変えて ”Car Crazy Cutie” のタイトルで
録音しその曲は 1963年10月21日にリリースされた The Beach Boys
のアルバム Little Deuce Coupe (Capitol T/ST-1998)
A4 に収録された。The Survivors のメンバー達は Brian Wilson に
抗議したが「曲は僕のものだ」と言われて返す言葉がなかった。
そのシングルはたいしたプロモーションもなく1964年1月に
リリースされた。現存する Capitol Records マスター・テープ
ではイントロのコーラスの頭が切れてしまっているのでリリース
されたシングルは全て冒頭のコーラスが1音欠けている。
(注:テスト・プレスのアセテート盤のみ完全版なのでその後
出回ったブート等で聴けるフルヴァージョン音源は音が悪い。
デジタル時代になって随分音質良くされてるようだが)
それはアメリカが British Invasion に襲われる前夜の事だった。
その曲は南カリフォルニアのラジオとテレビでは少しだけ注目された
らしい。運が悪いことに The Beatles - I Want To Hold Your Hand
が大ヒットを記録している最中で Capitol Records は The Beatles
のプロモーションに没頭している最中だったので The Survivors
のレコーディングもこれで最後となった。それでも夢を追い続けた
David Nowlen は The Nodaens 名義で本件シングルを1965年に
製作した。プロモ盤しか存在しないのだが、この "Beach Girl" は
裏話がある。Brian Wilson は The Survivors のために他の2つの曲を
セッション中に書いた。"Wich Stand" と "A Joy Ride Cruise"
がそれだ。Hal Blaine がドラムを担当し、Gold Star Studio で
"Wich Stand" をレコーディングしたが、"A Joy Ride Cruise"
はレコーディングには至らなかった。(注:Brian Wilson は
"Wich Stand" という曲を書き、Brian Wilson がベースとピアノ、
Hal Blaine がドラム、2人のサックス・プレイヤーが入って
録音は完了したが、それを聴いた Capitol Records の
プロデューサーは「曲はいいがこれでは The Beach Boys と
同じだ」と言ったため、Brian Wilson は The Beach Boys と
大きく違うスタイルの曲を作ると言ってそのマスターを
持ち帰った。) 結局録音にも至らなかった "Joy Ride Cruise"
を Dave Nowlen が口惜しく思ってたのだろう。
本件 The Nodaens "Beach Girl" は "Joy Ride Cruise" のメロディー
を使っており、そこに Dave Nowlen 書いたであろう歌詞を
加えて録音したがソングライタークレジットは David E. Nowlen
にしている。

 

Brooke Chamberlain

The Rovin' Flames
12-9
The Forvus Featuring Brooke Chamberlain
With The Rovin' Flames - Now That Summer Is Here
(7: Tampa Bay Records BC-1110) 1966
Florida 州 Tampa のラジオ局 WALT で人気を博していた
若手 DJ Brooke Chamberlain (本名 Frank Edmondson) は
自らが運営する Tampa Bay Records のオーナーでもあった。
彼はその時期、自作の The Beach Boys style の曲を書いて
地元の有名バンド The Rovin' Flames にリズムトラックを
録音してもらった。彼は The Beach Boys を意識して叙情的な
発音で歌い、それを彼はグループ名義 Forvus (4 of us 私たち4人)
とクレジットし、自身のレーベルからリリースした。
The Rovin’ Flames は Florida 州 Tampa では人気の
Garage Band で既にレコードデビューしており、彼らは
The Shadows of Knight よりも先に Them の "Gloria" を
カヴァーした事でも知られており、彼らは最終的にはラストシングルを
Decca でリリースもした。この録音当時 The Rovin’ Flames は
若干のメンバーを変更していた時期だった。
Original lineup, 1965 - spring or summer of 1966:
Paul Battle - rhythm guitar, vocals
Jimmy “Mouse” Morris - lead guitar
J. R. Maietta - bass
Jerry Goff - drums

Spring or summer, 1966:
Hardy Dial - lead vocals
Paul Battle - rhythm guitar, vocals
Jim Morris - lead guitar
J. R. Maietta - bass
Jerry Goff - drums

Hardy Dial は以前 Tampa の The Outsiders のメンバーだった。
興味深い事に、バッキングトラックには phasing (フェイジング)
が施されており、それがマスターテープのトラブルによる偶然か
意図的か不明だが印象的なサウンドになっている。
Brooke Chamberlain はその後、御当地グループ Mercy の
1969年全米2位の大ヒット曲 “Love can Make You Happy” の
出版社を持つビジネスマンになった。しかし共同出版をしてた Gil Cabot
との権利主張は長期にわたる訴訟ににった。当時ドイツの米軍にいて、
大変な時期を過ごしていた彼はレコードの売り上げから1ペニーも
得ていないと噂されている。

 

The Neons
12-10
The Neons - Swingin' Thing Is Summertime
(7: Unicorn International Productions UIP 2) 196?
Surf & Teen 系コレクター達を唸らせた Teener Garage Band
の残したレア盤シングル。
Washington D.C.で活動してた Unicorn International Productions
が製作した自主盤で、The Majestic Neons 名義でプロモーション
用の写真が残されており Brendan Pelan, Chick Hall, Rick Stubblefield
のトリオであった事が判明している。
明らかに The Beach Boys 以降に影響を受けたサウンドで
しかも出来の良いオリジナルのビートチューンである。

 

Pit Men
12-11
Pit Men - Cruising Along The Highway / Surf Bored
(7: Pit Records 45-402) 1965
Texas 州 Oak Cliff にある The Bronco Bowl という会場の
The Pit Club のハウスバンドでカルト人気が高いレアシングルだ。
当時から Texas は無いものねだり的に The Beach Boys の
サウンドが大好きな地域だが、ここにもレベルの高い
The Beach Boys follower がいた。しかもローカルクラブバンド
による自主盤。リーダーの Floyd Dakil は興味深い足跡を残している。
彼をリーダーとした The Floyd Dakil Combo がこのバンドの
母体で、彼らは今では Garage コンピの名作 Pebbles Vol.1 に
収録されたローカルヒット "Dance Franny Dance" を1964年に
リリースした。当初はローカルリリースだった Jetstar Records J-103
を全国配給権を持つ Guyden Records が再リリース
(Guyden Records 2111) してマイナーヒットにこぎつけた。
そのバンドが The Pit Club のハウスバンドとして
契約し発展的に名称変更したのが Pit Men だった。
The Floyd Dakil Four, Floyd Dakil & The Pitmen とも名乗っていたが
バンドは1967年に解散した。その後 Floyd Dakil は1969年から
Louis Prima のバックバンドにギタリストとして参加した。
1975年にはソロで Live album をリリースしたのだが、
2010年4月24日に自殺してこの世を去った。

 

The Four Seasons
12-12
Miss Frankie Nolan -
(I Wish It Were) Summer All Year Round
(7: ABC-Paramount 10231) 1961
Miss Frankie Nolan と名乗ってるが実は Frankie Valli が
裏声で歌ってる The Four Seasons 作品なのだ。
たちが悪い事に、このシングルの一部にはアンブレラを持った
女性の写真を掲載したプロモーションシートと一緒に配布
されており、ジョークもここまでくればインチキになりかねない。
しかし素晴らしいサマーポップの隠れた逸品である。
もろちん、否もちろん、作曲プロデュース共に Bob Crewe

 

The Four Preps
12-13
The Four Preps - The Girl In The Shade Of A Striped Umbrella
(7: Capitol Records 5687) 1966
The Piltdown Men でも秀逸なサマーソングを録音してきた
Ed Cobb はソングライター、プロデューサー、アレンジャー、エンジニアー
として八面六臂の活躍をしてきた人である。Gloria Jones, The Lettermen,
Pink Floyd, The Chocolate Watchband と様々な音楽スタイルで
クオリティーの高い作業が出来るのだから凄い感覚の持ち主である。
その Ed Cobb がミュージシャンとして1956年にデビューしたのが
The Four Preps で、本件シングルは彼らが解散した
1966年の作品だ。特筆すべきは、もはや Folk group としての
範疇ではなく、彼らが優れた Vocal group だった事を認識させる
楽曲が当時の流行作家達によるものだということだ。
1966年ともなればサイケデリックなアレンジでヒップな
サウンドを狙いがちだが、ここでは Northern soul style の
アレンジで、Four Seasons をも思わせるダンスチューンに
仕上げている。またB面では T.M. Music の
Artie Resnick-Kenny Young 作品を録音している。
T.M. Music は Bobby Darin と Terry Melcher が設立した
音楽出版社でプロダクションだ。その T.M. Music の
ユニットがあの City Surfers だった。Bobby Darin (drums),
Roger McGuinn (songwriter, guitar, vocals),
Terry Melcher (vocals, piano), Frank Gari (vocals).
そして、1963年に T.M. Music に入社したばかり当時22歳の
Kenny Young の初の単独作が City Surfers “50 Miles To Go”
だった。同じ T.M. Music に所属していた Artie Resnick
(後の The Third Rail) と1964年に共作した “Under the Boardwalk”
は The Drifters が歌って全米4位の大ヒットとなった。
Bobby Darin は New York City の Brill Building 内に
T.M. Music のオフィスを開いてスタッフライター達に素晴らしい曲を
書かせ続けていた。自身もパフォーマーとして活動を
模索し始めた Kenny Young は動物の名前を使った架空の
グループ名義で幾つかのシングルをリリースしていた。
当時アルペジオギターを挿入して良質な Summer sound を
作り続けていた Kenny Young だが恐らく本件シングルで聴かせる
ギターは Kenny Young の数ある架空のグループで
美しいギターを聴かせていた Vinnie Rogers だろう。
Surf harmony を配して The Four Preps がヴォーカルグループ
としての実力を発揮した極上の vocal tune である。

Members original lineup
Bruce Belland (lead vocals)
Ed Cobb (bass)
Marv Ingram (high tenor)
Glen Larson (baritone)

 

Front Porch
12-14
Front Porch - Wonderful Summer
(7: Jubilee 45-5720) 1971
御存知 Robin Ward の名作の美しいカヴァーだが
本件シングルは両A面扱いのカップリングで
両面 Under The Boardwalk のプロモ盤と
両面 Wonderful Summer のプロモ盤も配布されている。
彼らはニューヨークのブルックリン出身のバンドだ。
メンバーの Chris Spierer は美術大学に通っていたが在学中に
The Firestrings というダンスバンドの Marc Scott,
Charles Purpura, Butch Horowitz と出会って新しいグループが
結成された。その際 The Firestrings のオリジナルメンバーだった
Jr. Guarna がひどい舞台恐怖症だったので解雇されている。
Marc Scott は中学生時代に Evie Sands の友人であり
Bobby Pedrick Jr. (Robert John) は幼稚園からの友人だった。

彼らは1966年と1967年に The Living End 名義で Mira Records,
DiVenus Records からビートガレージ系シングルをリリースした。
彼らのマネージャーは Joe Scandore and Mel Shayne で
この二人は The Crystals, The Kingsmen, Darlene Love,
Paul Evans, Don Rickles, Totie Fields や Woody Herman の
マネージャーでもあった。The Living End は The Kingsmen
が "Louie, Louie" でゴールド レコードを獲得したとき、
パーティーで The Sandpipers と名乗らされて演奏した。
その後もマネージャーの Joe Scandore が所有するブルックリン
のナイトクラブ The Elegante で The Crystals のバックアップ
をしていた。夏には The Grooves と名乗り Bobby Goldsboro や
The Reflections ("Just Like Romeo And Juliet") とツアーした。
The Living End としてツアーに出た際には Neil Diamond,
The Tymes, Jay and The Americans, Peaches and Herb や
Frankie Lymon のサポートをした。The Living End は活動を
始めてから、1968年に解散するまでずっとライヴ活動を続けてた。

Frank Sinatra がパトロンだった Billy Reed 所有の
Coney Island Pub や The Young Rascals が成功するまで
ハウスバンドを務めていた Harlows でも The Living End は
常連バンドだった。The Living End 解散の後、Marc Scott は
ヨーロッパに行き、Charles Purpura はブロードウェイの "off-off"
に行き、そこでイーストヴィレッジとウェストヴィレッジのいたるところ
で繰り広げられた多くの演劇のために音楽を書いていた。
Marc Scott と Charles Purpura は演劇音楽作家として活動を
続けていたが1969 年末から Front Porch のセッションが始まった。
1970年6月にリリースされた Front Porch のファーストシングル
Shake, Rattle & Roll / Song To St. Agnes (Jubilee 45-5700) は
Bob Dylan の影響が伺われ、A面 Elvis Presley カヴァー、
B面 Charles Purpura の自作。両面とも素晴らしくメロディアス
な Folk Rock に仕上げている。バックグラウンドで歌っている
女性達は当時学生だった Jennie and Judy Simeone で
彼女達は一卵性双生児だった。Jennie は リードシンガーの
Charles Purpura と結婚する。セカンドシングルの
"Wonderful Summer" and "Under The Boardwalk" では
Brooks Arthur がプロデュース、Jimmy "The Wiz" Wisner が
アレンジを担当、グループは演奏に参加せずにセッション
ミュージシャン達で演奏を録音している。

"Under The Boardwalk" のアレンジを担当した Albert Gorgoni
(Al Gorgoni) はこの録音を覚えておらず、このリリースに
至った "Under The Boardwalk" がカバー曲だったので
Al Gorgoni はヴォーカルセッションだと思ってた事が指摘
されている。もしこのセカンドシングルがグループ主体で製作
されていたら、その後のグループの活動もあったのかもしれない
と期待されるほど出来のよいカヴァーソングのダブルサイダーだ。

 

The Stephen Crane Village
12-15
The Stephen Crane Village - Hey Summer
(7: Metromedia Records MM-132) 1969
Four Seasons の Frankie Valli の弟 Bobby Valli が
リードを担当してる事でもマニアには有名なシングル。
恐らくだが作者の Denny Randell が Four Seasons のために
書いてたお蔵入り曲を引っ張り出したのだろう。
1963年から1964年に Four Seasons が歌うべきサウンドだ。
当然アレンジは Charles Calello である、Four Seasons が歌う
サマーポップ風に仕上げられる。もひとつ着目すべきはB面、
Neil Sedaka や Jack Keller のパートナーでもある
Howard Greenfield の単独作品で極上のトロピカル曲である。
Chris Montez を意識したような歌声で心地よい。


Denny Randell
 

Jeff And The Gino's
12-16
Jeff And The Gino's - One Summer In A Million
(7: Mercury 72138) 1963
Double Shot Records, Sure Shot, Whiz Records のオーナーで
プロデューサー、パブリッシャーでもある Joseph Hooven の
息子の Jeffrey Hooven をフロントに立てたシングルオンリーの
ユニットだがサウンド的には美しいガールポップスタイルだ。
それは3人姉妹の Girl Pop Group The "G" Notes こと The Ginos
から幼い末娘 Coleen Gino を除いた Linda Gino (17歳),
Nancy Gino (15歳)の二人が参加してるからだ。
因みに The Ginos (The Gino Sisters) は後の The Walker Brothers
の Scott Walker = Scott Engel と結成していたユニットだった。
彼女達姉妹の父親である Sam Gino (Hart Records, Pongo-Britt
といったマイナーレーベルのオーナー) がスタジオ運営をしていて
若き日の Scott Engel (Scott Walker) がそこに出入りしてた。
The "G" Notes はスーパーセッションシンガーで多くの
Girl Pop Group を変名リリースしていた Rickie Page に見出されて、
Rickie Page が書いた "Johnny, Johnny, Johnny" (Guyden Records 2012)
を1959年にリリースした事があり、その際 Rickie Page は友人の
Eddie Cochran に声をかけて彼がギター演奏をした。
(曲を気に入った Eddie Cochran は "Jeanie, Jeanie, Jeanie" と
タイトルを替えて自らもリリースした)
話を本件に戻して、曲を書いた息子の Jeff をサポートしようと
父の Joseph Hooven と父のパートナーの Hal Winn が製作した
このシングル、悪い訳がなく素晴らしい Summer ballad に仕上げてる。
因みに Joseph Hooven と Linda Gino and Nancy Gino はその後
7人の大所帯バンドThe Youngfolk (United Artists / Double Shot)
に参加した。

 
12-17
Jimmie Knight With Buddy Starr & The Starliners -
Crankshaft Sid / Teenage Retirement
(7: Kangaroo Records 45-K-27-A/B) 1964
California 州 Los Angeles の近郊 San Gabriel に
所在する弱小レーベル。Les Kangas は本件B面の作者だが、
Les Kangas は同レーベルで虫声のノベルティーソング
"Koo-Koo The Kangaroo" を1959年にリリースしてるので
このレーベル名と関係があるのだと推測される。
Hot Rod movement が表面化してきた1964年にリリースされた
このシングルだが、資料によると “The Ballad Of Crankshaft Sid”
として1961年に Copyright を取得しているので、チャンスだと
ばかりに流行に応じてリリースしたようだ。
これが Car effects をふんだんに使用したロッカーチューンで
サンディエゴからメキシコ国境をまたいで逃走する
アメリカ人の好きなロードムービー仕立てのストーリーになっている。
B面は "Road Runner"風のギターイントロで幕を開け
female backup group を従えて歌われる teen rocker で、
こちらも内容が良いので人気が高いシングルだ。

 
12-18
The Don Riddell Four - Girl Of My Best Friend
(7: General American 723) 1965
Teen pop ファンと Surf 系ファンの双方から人気ある
シングルだが、両面とも Elvis Presley のカバー曲なのに
時流を意識してかわざわざイギリス録音とクレジットされてる(笑)
Don Riddell は元々2つのイギリスの教会でオルガン奏者兼
合唱指揮者だった。彼はその後若くして Royal Academy 楽団の
ピアニストなった。彼は Quartet を結成すべくメンバーを集めた。
マンチェスター出身のサックス奏者 Johnny Evans、
グループで最も若くて Jazz Drummer だった Len Starkey が
Lead vocal を担当、そして The Frazer-Hayes Four のメンバーとして
テレビやラジオ番組で演奏していた Bass の Tony Heyes で
The Don Riddell Four は結成された。
彼らは1962年の春の Frank Sinatra のワールドツアーに
演奏参加したのが公式なデビューだった。

 

Jan Berry
12-19
Jan Barry (Jan Berry) - My Midsummer Night's Dream
(7: Ripple 6101) 1961
Jan Barry とクレジットされてるが Jan & Dean の Jan Berry の
ファースト・ソロである。当時20歳で、前年の1960年に Dore
から Jan & Dean の 1st Album "The Jan & Dean Sound" を
リリースしたばかりのティーンポップ時代である。
Jan & Dean が Liberty と契約する前なので当然まだ Surfin' を
題材としたテーマミュージックには着手していない。
ムーヴメント前夜のピュアーな作品だが、やはり西海岸の
若者、本件B面で "Summer" を題材にロマンティックな
ティーンポップを歌っており1961年2月にリリースされた。
Jan Berry-Don Altfeld の書いた作品だが、この曲はアレンジを
変えて Lou Adler がプロデュースをし1961年6月に Jan & Dean
名義でもリリースしている。その際 "Heart And Soul" のB面として
Challenge 9111 でシングルリリースしたのだが、このナンバーで
当初は "Those Words" をB面にしてリリースしていた。
そちらは White Label Promo も存在するのだが、
"My Midsummer Night's Dream" をB面にしてリリースした
シングルには Promo copy がない。恐らく Lou Adler が両A面
扱いで Jan Berry のリード色を強くした "Those Words" を
リリースしたが、市場の反応が弱かったのだろうか、急遽
Jan & Dean で録音させたデュエット色の強いアレンジの
"My Midsummer Night's Dream" をプレスしてリリースしたのだろう。
のどかな時代のたかがサマーポップであるのだが、1960年代初頭
Lou Adler のプロデューサーとしての感性は鋭かった事が伺える。
 
 
戻る】【続く】
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