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Original Intellectual Record Shop COOL HAND are go!
COOL HAND

古物商許可番号
第731269400017号
(広島公安委員会)

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Amusement
Club60's
E-mail
 
Vol. 17
01 Frankie Albano - She'll Never Know
02 Richie Allen & The Pacific Surfers - Skeg-Along-Pete
03 Squiddly Diddly - Hot-Doggin' Man
04 Marc Anthony - Let's All Cheer Again
(Summer Time Is Here Again)
05 Frankie Avalon - Beach Party
06 Bob and Sheri - The Surfer Moon
07 Sammy Fall - A Summer Girl
08 Bobby Francis - At The Beach
09 Pete Fountain - I'm Just A Surfing Boy
10 Johnny Galahad - '29 Model-A
11 The Cannon Brothers - Surfin' In Bermuda
12 Tommy Roe - A Wild Water Skiing Weekend
13 Danny And The Juniors - Let's Go Ski-ing
14 Zeke Sheppard - Snow Surfin'
15 Jan Davis - Snow Surfin’ Matador
16 Wayne And Dwain - Ski Surfin' Man
17 Hider and O'Neill - Let's Do The Ski
18 The Misfits - Skiing Time
19 The Buddies - Ski Jump
20 Bob Sled & The Toboggans - Here We Go
(The Surfer Boys Are Going Skiing)
21 The Snowplows Featuring Steve "Shutdown" Douglas -
Schussing
22 The Rangers - Snow Skiing
23 The Rockaways - Top Down Time
24 Billy And The Kid - Shut Down Again
25 The Competitors - Little Stick Nomad
26 Al Hartley And The Heartbeats - Ain't You Glad It's Summertime
27 The Sea Shells - Hit The Surf
28 The Kustom Kings - Notty 32
29 The Sunsets - My Little Surfin' Woodie
30 The Scramblers - Chop 74
31 The Woofers - Dragster On The Prowl
32 Bob Vaught And The Wheels - Doin' The Surf
33 City Surfers - Beach Ball
34 Gary Paxton - The Scavenger
35 The Go-Go's - Saturday's Hero
36 Dick Dale And His Del-Tones - Surfin' And A-Swingin'
37 The Quads - Surfin' Hearse
38 The Rituals - Surfers Rule

Vol.17
Surfin' and Hot Rod and Ski
Other stuff with beach pop, summer pop etc

 

Frankie Albano
17-01
Frankie Albano - She'll Never Know
(7: Tower 153) 1965
名前からしてイタリア系、本名を Frankie Joseph Albano
と言う。Pennsylvania 州出身で当時27歳だった彼は
西海岸で活動していたシンガーだ。
曲とプロデュースが Mike Curb,
ギターは Dave Allan, 当然ながら Surf music っぽく
仕上げており、マニア人気も高い。
恐らく当時 Mike Curb が探していた彼のプロジェクト用
セッションシンガーとして歌わせたのだろう。
Dave Allan のギターも妙に丁寧で、Mike Curb が
映画の挿入歌としてでも考えていたような作りだ。

 

ichie Allen / Richard Podolor
17-02
Richie Allen & The Pacific Surfers - Skeg-Along-Pete
(7: Imperial 5929) 1963
珍しく Richie Allen (Richard Podolor) の歌モノ。
1963年リリースなので、The Hondells, The Super Stocks
よりも前の録音で、The Hondells, The Sunsets の
メンバーとなる Les Weiser が書いた曲だ。
録音はRichard Podolor が1959年にハリウッドに
設立した American Recording Co. (通称 Studio City)
で、1963年にリリースされたアルバム
Richie Allen & The Pacific Surfers “Surfers' Slide” には
収録されていないシングルオンリーの曲だ。
因みにそのアルバムからシングルカットされた曲は
日本でもシングルがリリースされている。
Richard Podolor の従兄弟 Art Guy が当時のスタジオ状況を
語っているので、詳細は 13-33 をチェケラー(死語)

American Recording Co.
 
17-03
Squiddly Diddly - Hot-Doggin' Man
Track from children album
Squiddly Diddly - Squiddly Diddly's Surfin' Safari
(LP : Hanna-Barbera Records HLP 2043) 1966
Hanna-Barbera は、かつて Metro-Goldwyn-Mayer (MGM)で
トムとジェリーを制作した William Hanna and Joseph Barbera
が1957年7月7日に設立した、アメリカのアニメーション制作会社。
そのアニメ会社資本のレコード会社なので
良質な子供向けレコードが製作されていて、本件アルバムも
そんなチルドレンレコードの一つ。
歌は The Hanna-Barbera Singers が変名で担当したのだが
このシンガーズ、Stan Farber, Al Capps, Ron Hicklin からなり、
彼らは元々 The Eligibles (Capitol, Imperial etc) として活動
していたヴォーカルグループであり、その歌声を買われて
多くのバックシンガーズとしてもレコードに参加してる。
その中には取り分け日本でも有名な The Love Generation や
The Going Thing でも有名な John Bahler and Tom Bahler らとの
The California Dreamers, The Zip-Codes (Liberty) なんかも含まれる。
興味深い事に、アメリカのアニメ&チルドレンレコードの
マニアコレクター達に言わせると、当時このアルバムは
ストーリーレコード(物語中心に収録された)じゃないので
子供たちはパスして購入しなかったらしい。日本でも60年代の
アニメレコードとなると音楽面でも巨匠が手掛けるケースは
少なくはなかった。しかし Surfin’ & Hot Rod という西海岸限定の
特殊なスポーツ&レジャー文化ですら子供相手のレコードに
反映させるのがアメリカの凄さだろう。
その後の日本のアニメの進化があればこその、日本の
アニメソングの発展ではあるが、日本では子供相手に
Surfin’ & Hot Rod music を製作するといった発想は今も昔も無い。

 

Marc Anthony
17-04
Marc Anthony - Let's All Cheer Again (Summer Time Is Here Again)
(7: Diamond Records Inc D-140) 1963
Marc Anthony とは、後に Jazz シンガー、俳優となる
Philadelphia 出身の Tony Messina の初期の芸名である。
作者の Renzetti は Joseph Veto Renzetti (Jerry Ross)
そして Derr とは Sonny Derr (Carl D'Errico)、彼は
Philadelphia 出身のBrill Building スタッフライターで
The Animals "It's My Life" や Marcie Blane "Bobby Did"
の作者としても有名。Joe Renzetti こと Jerry Ross の他
Neil Diamond, Tony Powers, Estelle Levitt, Carole Bayer の
コラボレイターとしても有名だ。
即ち、本件シングルは Philadelphia 出身のソングライター
Jerry Ross と Carl D'Errico がサマーソングを書いて
仲間の Tony Messina (Marc Anthony) に持ちかけた事から
スタートしたらしい。当時の典型的な Beach Pop で
Beach Party の臨場感を強調した騒ぎっぷりが
若者達の快活な夏を演出している。

 

Frankie Avalon
17-05
Frankie Avalon - Beach Party
(7: Chancellor C-1139) 1963
(LP: United Artists Records UAL 3371 mono / UAS 6371 stereo) 1963
From the American International Picture "Beach Party"
Written by Gary Usher, Roger Christian.
A Marcucci & Faith Production
(Robert P. Marcucci and Russ Faith)
昔っから気になってたのだが、この人は天然パーマ
なんだろう。うふふふ

 
17-06
Bob and Sheri - The Surfer Moon / Humpty Dumpty
(7: Safari 101) 1961
Bob Norberg は南カリフォルニア大学の Sigma Chi (友愛の会)の2人の
仲間ドラマーの Rich Miailovich とピアニストの Dave Boyle と一緒に
大学のロックンロールトリオで演奏したギタリストだった。彼らは数回の
ギグを演奏した程度の無名のバンドだった。しかし Connie Stevens が
学校を訪れたとき、彼らは一度 Connie Stevens のバックバンドをした
事がある。Connie Stevens をサポートして、彼らは彼らの友愛の会の
兄弟の一人、Phillip Bonnell の母親であった女優で歌手の Gale Storm
の家で遊んだ。 1961年に Bob Norberg が卒業した後、トリオはバラバラ
になって別れた。 1961年6月から1962年の春から夏にかけて、
Bob Norberg は Cheryl Pomeroy との交際を始めた。
これは、Brian Wilson が彼らに出会った頃でもあった。
1962年9月13日、Brian Wilson は彼らデュエット Bob & Sheri の
セッションをプロデュースし、Brian Wilson の父 Murry Wilson が
所有するレコードレーベルでその年の10月に "Surfer Moon" の
シングルはリリースされた。 Safari 101 でリリースされた
シングルは、"Humpty Dumpty" がB面だった。
"Humpty Dumpty" は The Beach Boys の名付け親でもある
Russ Regan の所有する Algrace 音楽出版で管理させている。
Rachel and The Revolvers "The Revo-lution" (1962年)も
Algrace 音楽出版の管理である。
レーベルにクレジットされた住所は Brian Wilson の実家だ。
このシングルはチャートに印象を与えなかったが、
Brian Wilson は後に別のプロジェクトでその曲を使用する。
Surfer Moon" "Humpty Dumpty" に加えて、デュエットと一緒に
別の曲が録音された。その際録音された "Ride Away"と言う曲があり、
それは後に Annette が歌う事になる "Surfer's Holiday" の原曲で、
その時ほぼ完成されていた。そしてこの "Surfer's Holiday" は
The Super Stocks でも取り上げられる。
Bob Norberg と Cheryl Pomeroy は Brian Wilson と
"Recreation" という 1:55の小曲を共同執筆したが
この曲はリリースされていない。そして Bob Norberg は1
963年5月までに Cheryl Pomeroy と別れている。

その頃、Brian Wilson と Bob Norberg と地元の歌手だった
Vickie Kocher (Victoria Hale) と出会った。
Vickie Kocher は当時18歳で Miss Los Angeles に選ばれた
美しい女性だった。彼らのレコーディングに興味をもった
Vickie Kocher は Brian Wilson からデュエット曲の録音を
打診された。レコーディングの前に、Bob Norberg と
Vickie Kocher は Bob Norberg の Crenshaw Park のアパートで
ヴォーカルをリハーサルした。
Brian Wilson と Bob Norberg は彼女の前でいくつか曲を演奏した。
そのとき Vickie がいちばん気に入ったのが Bob & Sheri のために
Brian Wilson が書いた "The Surfer Moon" だった。
Vickie がそれを録音したいと言った時、Brian Wilson と
Bob Norberg は顔を見合わせて笑顔になった。
何故なら Brian Wilson は男女のデュオをプロデュースすることに
ずっと関心を持ち続けていたからだ。
そして Vickie は提案した。「私はサーファーじゃないからタイトルを
サーファーからサマーに変えて欲しい。」
それでタイトルだけでなく、歌詞の一部も変えて "Summer Moon"
が録音された。
1963年5月9日に Hollywood の Western Studio で録音し、
Brian Wilson のヴォーカルも追加された。
ギターが Bob Norberg and Glen Campbell、
Bass guitar が Ray Pohlman, ピアノが Brian Wilson,
Drums は Hal Blaine が録音に参加した。
ストリングアレンジメントは Jan Berry によって処理された。
また、セッションには、Vickie Kocher をコーチし、
「君は少女でこれは少女の初恋だと思って歌うように」とアドヴァイス
していた Murry Wilson も参加した。 3トラックのレコーディングが
行われ、Brian Wilson はそこからラフダビングを作成し、記念品と
してアセテート盤を Vickie Kocher に与えた。
Brian Wilson は Jan Berry に勧められ Lou Adler に見せようと
曲のデモを演奏したが、Lou Adler はそこには行かなかった。
Brian Wilson は Bob Norberg と Vickie Kocher に使用される
予定だった "Teach Me To Surf" と言う曲のデモも録音した。
Vickie Kocher はまた、Bob Norberg と Brian Wilson が
共同執筆した別の曲 "Rock and Roll Bash" に歌詞を追加したが
録音はされなかったようだ。
結局 Bob & Vickie のレコードデビューはキャンセルされた。
Vickie Kocher (Victoria Hale) は後に女優になり That Tender Touch,
The Death Collector, One Down, Two to Go などの映画や
テレビ番組 Hawaii Five-O に出演した。

 
17-07
Sammy Fall - A Summer Girl
(7: Roulette R-4567 Promo) 1964
プロモ盤のみ配布された Teen pop 系の名曲だが
この Sammy Fall の詳細は不明である。
よくある典型的な Teen vocal なのだが、癖も無く
心地よい印象だけが残る。
興味深いことに Jazz 系人脈で制作されており
1964年当時に作者の Vinny Testa and Tony Alfano の
二人は数回コラボレイトしていた。
Ronnie Dante (Ron Dante) “Funny” (Almont 307) や
Jackie And Gayle "I Can't Go Out Tonight" (Capitol Records 5325)
を二人で書いている。
Vinny Testa はその後60年代後半からサイケミュージックで
成功し、The Group Image (Community Records),
The Merchants Of Dream (A&M), The Zig Zag People (Decca)
等のプロデュースを手掛けた。
Tony Alfano は Stan Fields Sextet の Jazz pianist として
知られていた人物で、プロデュースを担当した
Sonny Lester も Jazz producer としての名声が高い。
ジャズポピュラーミュージックシーンから spin-off
された作品なのだが、アンラッキーだったのは
1963年11月22日にケネディ大統領暗殺事件が起こって
1964年にマーケットはラブソングやハッピーソングの
類の明るいポップミュージックの殆どをメジャー各社は
自粛しリリースキャンセルをした。本件シングルも
そんな時代の中で埋没してしまい、隠れた名曲となった。


Sonny Lester
 

Bobby Francis & The Phantoms
17-08
Bobby Francis - At The Beach / Summer's Comin'
(7: Centaur 107) 1964
ソロ名義ではあるが、New York のイタロ系シンガー
Frank ‘Bobby Francis’ Filardo を中心にした
Bobby Francis & The Phantoms のレコードだ。
派手なギターで幕を開けるロッカースタイルの
Beach pop の佳曲。
Flip side は GS 調のマイナー系ビートバラードで
こちらも出来が良い。
因みに Bobby Francis の息子 Rob Filardo は80年代から
キーボード奏者、ドラマーとして名を馳せ、インディレーベル
Garage Pop Records と Trashcan Records の
創設者となる。

 

Pete Fountain
17-09
Pete Fountain - I'm Just A Surfing Boy
(7: Coral 762561) 1969
私はその昔、このシングルを入荷させた時に笑った。
脱力系 Surfin’ music と言えばよかろうか。
Pete Fountain は言わずと知れたクラリネット奏者で
1969年にもなって Surfin’ song か?と思いきや
The Lombardo Family Tree というチルドレンコーラスに
キッズポップとして歌わせている。
しかもプロデュースを担当したのは Charles Bud Dant だ。
彼は1964年に Decca のプロデューサーをしていた時に
「The Surfaris のアルバム Hit City '64 の製作を
手伝って欲しい」と Gary Usher を呼び寄せた人物だ。
即ち The Surfaris とGary Usher を結びつけた人物が
Surfin’ テーマをキッズポップで歌わせた訳だ。
勇ましい Surfin’ music を求める人は「史上最悪の
Surf music だ」と言い、キッズポップ愛好家達は
「素晴らしい Surfin’ pop だ」と言う。


Charles Bud DantB
 
17-10
Johnny Galahad - '29 Model-A
(7: Decca 31564) 1963
Tついでにチルドレンコーラス系をもう一丁。
シンガー Johnny Galahad と作者の Jerry Glick-Fred Rice
については詳細がないが、本件シングルは
Bobby Darin と Terry Melcher が設立した音楽出版社
T.M. Music, Inc. Production の初期作品だ。
B面曲に Warner Brothers の契約ソングライターで
The Association の "Under Branches" と "Barefoot Gentleman"
の歌詞を書いた Skip Carmel がクレジットされてる。
広く知られた1929年製 Ford Model A は Model T の
後継モデルで、通称 Baby Lincoln ベイビー リンカーンと呼ばれ
標準装備に4輪機械式ブレーキ、速度計、油圧式ショックアブソーバー、
スターター、フロントガラスワイパー、ダッシュライト、ミラー、
ガソリン ゲージ、工具が付いていた。初期のヴァージョンでは
バンパーは$15.00のオプションだった。
今じゃあ標準装備されて当然のそれらですら、1929年当時は
超贅沢で画期的な装備だったのだ。
Model T と同様に、Model A は、最上位のクラスとして扱われ
全米すべてのフォード組立工場がフル稼働して生産した。


1929 Ford Model-A Roadster
 

Larry Finnegan
17-11
The Cannon Brothers - Surfin' In Bermuda
(7: RIC S-107-64) 1964
1962年2月24日をピークに全米11位の大ヒットとなった
"Dear One" (Old Town 1113) で有名なワンヒットワンダーの
Larry Finnegan である。
彼は本名を John Lawrence Finneran と言い、New York City
出身の Rockabilly シンガーソングライターだった。
彼は1966年から Sweden に移住するのだが
その前に Surfin’ movement に参加したのが本件だ。
手拍子を加えた軽快な Surfin’ pop に Farfisa organ
が良いアクセントを与えている。

 

Tommy Roe
17-12
Tommy Roe - A Wild Water Skiing Weekend
(7: ABC-Paramount 45-10555) 1964
南部 Georgia 州 Atlanta 出身の Tommy Roe が
歌ったのは湖上のスキー、Water Ski だ。
作者は同じく Atlanta の人気作家 Ray Whitley と
ノヴェルティーシンガー Ray Stevens のパートナーとして
有名な Buddy Kalb の二人だ。プロデュースは Felton Jarvis で
彼は1966年 - 1977年に RCA Victor producer として
殆どの Elvis Presley の録音を担当した、
Water Ski とは海や湖でスピードボートにチューブで
引っ張られ振り回され、波を飛び越えとボード運転手との
共同作業で楽しむレジャーである。
Surfin’ & Hot rod コレクター、それは60年代の
若者のライフスタイルの探求者であり、レジャーや
リゾート系ソングの調査団であり、快活なサマーソング
または懐古趣味的な過ぎ去りし夏を歌った
サマーバラードへの憧憬を持つ。早い話が大人になっても
子供 (ガキ) 心を持った特殊 (バカ) な人である。
私は実践派として様々なアメリカのレジャースポーツに
挑戦してきた。その昔、私が若かった頃にアメリカで
Water Ski を体験して、湖で振り回されて落とされた。
「シェーン、お前またワザと振り回しやがって!」
「ワハハハ、ごめんごめん、クシャミした弾みで
急加速ターンをしてしまった」
「救命胴衣か浮き輪を投げてくれ」
「そんなのねえよ」
ブクブクブク。。。。。。


Water Skiing
 

Danny And The Juniors
17-13
Danny And The Juniors - Let's Go Ski-ing
(7: Mercury 72240) 1964
1957年12月9日をピークに全米1位となった
ロックンロール史上に燦然と輝く金字塔作品
"At The Hop" を歌った Danny And The Juniors と
その作者 John Madara and David White が書いた
Surf style によるスキーテーマ曲。
そこに1961年7月3日をピークに全米7位の大ヒット
"Pretty Little Angel Eyes" を持つ Curtis Lee までもが
アレンジで参加。どうしても当時の全米の人気作家達は
Surf style でウーウーコーラスを入れたロックンロールが
やりたかった。しかし1964年3月7日にリリースされた
本件シングルはアンラッキーだった。
1963年11月22日にケネディ大統領暗殺事件が起こって
1964年にマーケットはラブソングやハッピーソングの
類の明るいポップミュージックの殆どをメジャー各社は
自粛しリリースキャンセルをしたり、プロモーション活動も
出来ずに回収した。本件シングルもそんな時代の中で埋没して
しまい、この名グループも1964年に解散に至った。


John Madara and David White
 
17-14.
Zeke Sheppard - Snow Surfin'
(7: Canada President Records P. 831) 1963
(7: President Records 45-831) 1963
カナダ出身のシンガーで、後に Nashville でカントリーシンガー
として成功し、最終的には Florida に移住した
キャリアーを持つ Zeke Sheppard の初期シングルで
スキーテーマのストンパーチューンに
サックスブレイクを導入している。
これは同年にアメリカでもリリースされており
3種類のプロモ盤も確認されている。

 

Jan Davis
17-15
Jan Davis - The Surfing Matador
(7: Aljo A-104) 1963
Jan Davis - Snow Surfin’ Matador
(7: Smash Records S-1863) 1964
The Ventures ファンにはお馴染みの名ギタリスト
Jan Davis は長いキャリアーを誇るミュージシャンだ。
本件シングルは1963年に Hollywood のローカルレーベル
でリリースした “The Surfing Matador” (Aljo A-104)
のリメイク盤で、翌年 Smash から “Snow Surfin’ Matador”
としてリリースされた。
彼は1958年に16歳で Teen pop singer としてデビューシングル
She Told Me / Destination Love (Guild Records 1900)
をリリースした。そして Teen style のバラード曲のセカンドシングル
Blue Guitar / I Had A Girl (1st President 426) を1960年6月4日
にリリース、その後インスト曲のシングルを Rendezvous Records
から3枚リリースしている。
Jan Davis And The Ricco-Shays -
Sleepless / Damascus (Rendezvous Records R-131)
1960年11月4日

Jan Davis -
Sabre Dance / Hop, Skip And Jump (Rendezvous Records R-149)
1961年5月1日

Jan & Lou (Jan Davis & Lou Josie)
Leaving Town Tomorrow / Echos Of Summer
(Rendezvous Records R-162) 1961年10月

そして1962年から同じレーベルの B. Bumble & The Stingers
に客演ギタリスト、アレンジャーとして参加、彼らの有名な
ヒット曲 "Nut Rocker" のB面曲 "Nautilus" は Jan Davis が
書いた曲で本人も演奏している。
当時彼は Studio musician として雇われており、
Dick Dale の "Misirlou" でも Jan Davis は客演している。
1963〜1964年に旧友の Lou Josie のプロジェクトユニット
The Ho-Dads (Imperial) で素晴らしいギタープレイを披露し
その合間に
Jan Davis - The Surfing Matador / Scramble (Aljo A-104) 1963
をリリースし、それを Smash が買い上げて1964年1月に
Snow Surfin’ Matador / Scramble (Smash Records S-1863)
としてリリースした。Jan Davis 得意のフラメンコギター
故に “The Surfing Matador” だったのが、
何故 “Snow Surfin’ Matador” と “Snow” を入れたのだろうか?
それは既に1964年1月になれば Surfin から脱却して
Ski テーマが Hot Rod テーマと同時進行的にスタート
したからだ。事実1964年に Lou Josie & Jan Davis は
The Ho-Dads 名義の “Space Race” で宇宙に飛んで行った。


Jan Davis
 
17-16
Wayne And Dwain - Ski Surfin' Man / Sand Castles And You
(7: Crusader Records C-102) 1964
Wayne Mincy と Dwain Mincy の双子兄弟。
The Mincy Twins, The Mincys とも呼ばれる。
吹雪の効果音にヨロレイヒ〜のヨーデルコーラス、
アルプス山脈でスキーを試みた時の悲劇である。
Flip side で女性シンガーのコーラスをバックに
歌う美しいヴォーカルチューンを聴けば
彼らの実力の高さが伺える。
プロデューサーの J.R. Shanklin は Wayne Shanklin, Jr. で
父の Wayne Shanklin は Frankie Laine "Jezebel" (1951)
Jerry Wallace "Primrose Lane" (1959) を書いたソングライター
兼プロデューサーだった。彼が書いた曲の中でも
最も有名なのは1958年に Art and Dotty Todd に歌わせた
"Chanson D'Amour (Song of Love)” だろう。
1977年にThe Manhattan Transfer が歌ったこの歌のカヴァーは
インターナショナルヒットとなり、当時イギリスの
シングルチャートで1位となった。

 

Robert Hider & Norris O'Neill
17-17
Hider and O'Neill - Let's Do The Ski / Thunder Rock
(7: Mercury 72397 Promo) 1965
Robert Hider & Norris O'Neill の二人だが、彼らは
The Bitter End Singers, The Ivy League Trio のメンバーであり
The Bitter End Singers は New York City の Greenwich Village
の名門クラブ The Bitter End の常駐 Folk group である。
ソフトロックファンなら The Congregation - Sitting In A Rockin' Chair
(Jubilee JB 5652) のプロデューサーだった Bobby Applegate の
奥さんとなる女優でソングライター Nancy Priddy が在籍してた
Folk group が The Bitter End Singers だったと言えばピンとくるか。
本件シングルも The Bitter End のオーナーの Fred Weintraub が
行っており、言わば The Bitter End Singers からの Spin-Off
と言ってもいい。当時 The Bitter End のライバルクラブだった
Cafe Au Go Go のオーナー Howard Solomon は危機感を抱いて
The Au Go Go Singers を自身のクラブの常駐 Folk group として
結成させ、そのメンバーには後に Buffalo Springfield を結成する
若き Stephen Stills と Richie Furay が在籍していた。
Greenwich Village のナイトクラブ、コーヒーハウスとして
アメリカの Folk music scene を牽引していた The Bitter End の
The Bitter End Singers のメンバーが何故世俗的なレジャー
であるスキーソングを歌う必要があったのか。
しかもヨーデルのコーラス「ヨロレイヒ〜〜」を挿入してアルプスでの
スキーをイメージさせるバカっぷりマックスである。
恐らく Surf music scene へアプローチをかける実験的な
意味があったのだろう。本件シングルはリリースに至っておらず
プロモ盤の配布のみである。

 
17-18
The Misfits - Skiing Time
(7: Sound Stage 7 45-2538 Promo) 1964
Bob Mosley (後の Moby Grape) や Ron Armstrong (後の Jamul)
が在籍していた San Diego の The Misfits とは同名異グループだ。
こちらは Chess の歌姫で Northern soul star の Jan Bradley と
彼女の Producer の Don Talty が書いたストンパースタイルの
スキーソングで、プロモ盤のみ配布された。
1964年という時流からか Surfin' music scene へのカウンター
リアクションであるのが解る。

 
 

Mike Curb with Davie Allan
17-19
The Buddies - Ski Jump
(LP: Mercury Wing MGW 12306 mono / SRW 16306 stereo) 1965
蛇ににらまれたカエル
Mike Curb の前で恐縮する Davie Allan
着ているデザイナー服も値段の差がありありで、
Mike Cirb 一派の力関係を物語る恐ろしい写真である。
Davie Allan の演奏も何か怯えながらと言わないまでも
得意の豪快なギターとは程遠い優等生ギターだ。
因みに当時日本盤シングルがリリースされており
Ski Jump (恋のスピード・ダッシュ)
Ski City U.S.A. (あこがれのスキー・バカンス)
(Philips FL-1202) がアルバムからシングルカットされた。


 

Bruce Johnston
17-20
Bob Sled & The Toboggans -
Here We Go (The Surfer Boys Are Going Skiing) / Sea And Ski
(7: Cameo C-400) 1966
Bobsled (ボブスレー) Toboggan (トボガンはカナダの
エスキモー民族であるイヌイットや、インディアン部族
のクリー族が使う簡単な作りのソリ) から名づけたのが
Bob Sled & The Toboggans だ。聴けば誰でも解る
Bruce Johnston の声で、彼の当時のプロジェクトユニット
の一つが本件シングルだ。Bert Berns のコラボレイター
の Garry Sherman と、黒人サックス奏者の Eddie Silvers
による Sherman-Silvers Production が制作してるが
恐らくリゾート映画にオファーするつもりだったのだろう。
B面はヴォーカルのないA面のリズムトラックにオルガンを
オーヴァーダブしたインストヴァージョン。

 

Steve Douglas
17-21
The Snowplows Featuring Steve "Shutdown" Douglas -
Schussing (Part I) / Schussing (Part II)
(7: MGM Records K-13218) 1964
本件シングルは Nick Venet の請負で Steve Douglas を
中心にセッションミュージシャン達で制作したアルバム
The Vettes - Rev-Up (MGM Records E 4193 mono / SE 4193 stereo)
からの Spin-off である。本件作曲は Steve Douglas 自身で
テーマがスキーとなってる。
Surfin’ でも Hot Rod でも良かったが、1964年から新たな
テーマミュージックとしてスキーの流行の兆しが見えてきたので
MGM Records としてもリサーチしておきたかったのだろう。
The Vettes のセッションと同じなので記述しておく
Directed by Nick Venet.
Produced by Ben-Ven Productions.
Recording members on The Vetts are
Glen Campbell, Tommy Tedesco - Guitar.
Ray Pohlman - Bass.
Jay Migliori, Steve Douglas - Sax.
Bruce Johnston, Leon Russell - Keyboards.
Hal Blaine - Drums.


 

The Sunrays
17-22
The Rangers - Snow Skiing / Mogul Monster
(7: Challenge 59229) 1964
俳優 Douglas Fowley, 女優 Shelby Payne を両親に持つ
Kim Fowley は高校生の頃から Jan Berry, Dean Torrence,
Bruce Johnston, Phil Spector, Nancy Sinatra 等と交流を持ち
音楽活動をしていた。そんな彼の初期の仕事が本件シングルで
The Rangers とは結成間近の The Sunrays であり、
彼らの演奏能力の高さを知る絶好のプレビューだった。

 

Jay & The Americans
17-23
The Rockaways - Top Down Time
(7: Red Bird RB 10-005) 1964
The Tokens と Jay & The Americans のメンバーが録音に
参加したらしいこのシングルは1964年6月にリリースされ、
Pennsylvania 州の The Dantes が1965年7月に Rotate 45-5008
でこの曲をカヴァーした。詳細は 1-18 を確認されたし。
“Top Down Time” とは Roof Top (車の屋根)を下ろす時間、
即ちコンバーチブルの屋根を下ろして
オープンカー状態にして走る、天気の良い時間帯を
意味しており、”It’s Top Down Time again, I hope it
So long never end” 「コンバーチブルの屋根を下ろす
時間がまた来た。僕はそれがずっと続くことを願ってる」
と歌った爽快なカーソングである。
作者は Jay & The Americans, Chapter Four のメンバーの
Howie Kane-Marty Sanders.
Howie Kane = Howie Kirschenbaum.
Marty Sanders = Martin Kuppersmith.
アレンジは Artie Butler, プロデュースはレーベル設立前の
Kama Sutra Productions が行ってる。
 

Artie Butler
 
17-24
Billy And The Kid - Shut Down Again
(7: Decca 31951) 1966
Billy And The Kids (Not "Billy And The Kid").
と名乗るグループがいくつか存在する。
Julian レーベルで2枚のシングルをリリースした
Washington 州 East Wenatchee 出身のティーンバンド
Billy & The Kids と本件グループは何の関係もない。
本件シングルは Hot Rod をテーマにしオルガンを備えた
ガレージサウンドで Bill Richmond (Sapphire Thinkers のメンバー)
によって書かた。
そして Millemka Productions (指揮者の Mitch Miller が米国で
Decca Records の新しいグループを宣伝するための
オペレーション) によって制作されている。
Bill Richmond は Sapphire Thinkers のリーダーで
ヴォーカル、ピアノ、オルガン、ハープシコード、
リズムギター、ソングライター、アレンジャーを
Sapphire Thinkers の1969年アルバム”From Within”
(Hobbit Records H. B. 5003) で担当している。
California.州 Woodland Hills 出身の Sapphire Thinkers は
その優れた Psychedelic album を1枚リリースした。
サウンドからの推測だが Mitch Miller は本件シングルの
レコーディングには関与していないと思われるが、
Bill Richmond はオルガンか何かに関わったのだろう。

 
 

Gary Usher
17-25
The Competitors - Little Stick Nomad / Power Shift
(7: Dot Records 16560) 1963
The Competitors - Hits Of The Street And Strip
(LP: Dot Records DLP 3542 mono / DLP 25542 stereo) 1963
The Competitors 名義のシングルが1963年10月にリリースされた。
これは11月リリースのアルバムからの先行シングルで
両面とも Gary Usher 作曲&プロデュース。
Little Stick Nomad / Power Shift (Dot 16560) A面ではその後すぐに
Gary Usher のプロデュースでシングルをリリースする俳優の
Don Brandon がヴォーカルをとっている。
B面は Car Effects と Twangy なギターを効果的に使った
軽快なインストナンバーに掛け声とコーラスを導入させている。
11月には Gary Usher にとって重要なアルバム
The Competitors 名義の Hits Of The Street And Strip
(Dot DLP-3542/25542) がリリースされた。このアルバムで
Gary Usher はプロデューサーとしてクレジットされているが
レコーディングには Gary Usher の他に Richard Burns,
Dennis McCarty, Randy Thomas の4人で行われ、
俳優の Don Brandon がリードヴォーカルを務めた
"Little Stick Nomad" 等が収録されている。
Gary Usher も含めたったの5人でレコーディングされたためか、
音はやや控えめだがアレンジはアルバムを通じて良い。
このアルバムは Gary Usher が過去に色々なグループ名義で
リリースしてきた楽曲を用いている。
例えば "Cheater Slicks" や "426 Super Stock" 等で占められており
Gary Usher 作品の初期の集大成といえるものだ。
因みに The Competitors のシングルは当時日本でも
リリースされている。
ホットロッド第1号 / ホットロッド409 (ビクター JET-1464)
なぜかB面は The Beach Boys のカヴァー"409" に
差し替えて発売された。
 
 

Al Hartley And The Heartbeats
17-26
Al Hartley And The Heartbeats -
Ain't You Glad It's Summertime
(7: Limelight Y-3027) 1964
南部 Georgia 州 Atlanta 周辺では人気を博した
バンドだった彼らがリリースした Surf style の
Beach pop で、当然ながら昔っから Surfin’ & Hot rod
コレクター達からの人気も高い名盤。
Al Hartley は本名を Allen Hartley Turpin と言う。
Al Hartley は当時 Atlanta エリアのラジオ局 WFOM の DJ
Hugh“Baby”Jarrett が始めた番組 Big Hugh Baby Hops での
演奏で有名になった。Hugh Jarrett は Elvis Presley が軍隊に
加わる頃まで、Elvis Presley のバックグループである
The Jordanaires のメンバーだった。
Don Whitehead 名義で The Funky Preacher Part I / Part II
(Ref.O.Ree 717) を1969年にリリースした Donny Whitehead は
しばらくの間 The Heartbeats でサックスを演奏していた。
彼は The Jesters のメンバーで Athens エリアの
Judge And Jury and the Embers とも共演していた。
The Heartbeats のメンバーは
Richard Turpin (drums)
Ronnie Hurley (guitar)
Mike Castellon (bass)
Butch Bohannon (keyboards)
Al Hartley はソロでシングルを2枚リリースしており
グループ名義で3枚リリースしている。
時系列に並べるとこうなる。

Al Hartley -
Debbie / Our First Date
(Scarlet SC-4000-45-V) 1958

Al Hartley And The Heartbeats -
Ev'ry Little Teardrop / I Never Knew What Love Was Like
(Hermitage 773) 1962

Al Hartley And The Heartbeats -
Ain't You Glad It's Summertime / Counterfeit Love
(Limelight Y-3027) 1964

Al Hartley And The Heartbeats -
Mr. Brown / Hold On
(Lowery 008) 1965

Al Hartley -
Sugarcane / I'm Only A Man
(Capitol 5744) 1966


Al Hartley And The Heartbeats
 
17-27
The Sea Shells - Hit The Surf / Barefoot In The Sand
(7: Jubilee 45-5587) 1967
本件シングルのスタジオユニット The Sea Shells は
New York City 出身のソングライター Robert Kalina が
中心になって作られた。彼は Bobby Kalina 名義で1962年に
When Saturday Night Becomes Sunday Morning / Two Loves
(Capitol Records 4747) をリリースしている。
これは The Tokens のプロダクションとしても有名な
Bright Tunes Productions によって制作されたシングルだ。
この Capitol シングルは Bright Tunes Productions の
スタッフライターだった Neval Nader との共作だった。
The Heatwaves の1965年のカヴァーヴァージョン (5-13 を参照)
でも有名な The Tokens "I'll Do My Crying Tomorrow" だが
The Heatwaves の方の作者クレジットは
Margo-Margo-Medress-Siegel だったが、オリジナルの1962年の
The Tokens ヴァージョンの作者クレジットは
Margo-Medress-Siegel-Kalina であり、
この Kalina が Robert Kalina だ。
即ち The Sea Shells は Bright Tunes Productions の
スタッフライター Robert Kalina によるプロジェクトユニット
だったと言える。プロデュースは当時 Jubilee/Josie で
働いていた Mickey Eichner で、彼は The Chaperones, Vinnie Monte,
Bobby Freeman 等を担当していた。
また興味深いことに、本件シングルには Orpheus (MGM) 他の
Boston 周辺のサイケデリックバンドのリリースで確立された
Boston Sound の成功者である Alan Lorber が作曲とアレンジで
参加している。Alan Lorber は Arranger, Producer, Composer で、
彼は2,000 以上の録音を行い、6,000 万ドル以上の売上を作った。
彼はクラシック/ロック フュージョン、東洋/西洋、ジャズ/フュージョン
で革新を生み出し、ほとんどのジャンルの作曲能力を備えていた。
Alan Lorber は1963 年に New York City 出身の最初のアレンジャー
としてNashvilleでレコーディングを行い、彼のNew York-style の
アレンジに Nashville "Picking" をもたらした事でも有名だ。
その後彼はNashvilleのさまざまなリズムセクションを
New York 録音に持ち込んだ。それを革新的に発展させたのが
彼が生み出した Boston Sound だった。
 

Alan Lorber
 

Bruce Johnston


Steve Douglas
17-28
The Kustom Kings - Notty 32
(LP: Smash Records MGS-27051 mono / SRS 67051 stereo) 1964
Written by Bruce Johnston.
Arranged, Conducted by Steve Douglas.

The Kustom Kings - Hey Little Cobra
Written by Carol Connors-Marshall Howard Connors.
Arranged, Conducted by Steve Douglas.

The Kustom Kings - Stick Six
Written by Bruce Johnston-Roger Christian.
Arranged, Conducted by Steve Douglas.

これも John F. Kennedy 大統領の暗殺によるマーケットの鈍化
の被害を被ったアルバムの一つ。
Bruce Johnston and Steve Douglas による企画アルバムで
このユニットは1963年の The Vettes - Little Ford Ragtop (MGM)
と同じで Bruce Johnston と Steve Douglasのセッションユニット
なのだが当時の Bruce Johnson の特色がよく表れたアルバムである。
Bruce Johnston - Lead vocal, Keyboard.
Steve Douglas - Sax.
Jay Migliori - Second sax.
Tommy Tedesco - Guitar.
Glen Campbell - Guitar.
Ray Pohlmann - Bass.
Hal Blaine - Drums.

因みに日本ではアルバムからの2曲がシングルカットされた。
Tuck And Roll / Fireball (Mercury M-1089)

 

The Sunsets
LR-Dennis McCarthy, Dick Burns, Gary Usher, Les Weiser


Gary Usher
17-29
The Sunsets - My Little Surfin' Woodie / My Little Beach Bunny
(7: Challenge 9208 Promo only) 1963
The Sunsets と The Four Speeds はリリースナンバーが連番なので
ほとんど同じメンバーによってレコーディングされたものと推測
されていたが、Gary Usher は根本的なリズムセクションを代えて
レコーディングに臨んでいる。
Gary Usher はカーソングを The Four Speeds で、サーフィン他の
ユースカルチャーは The Sunsets でとプロジェクト化していた。
そうする事によってヒットの可能性を2局面から見出そうとしていたという。
先ず The Four Speeds のセッションには Wayne Edwards に代え、
当時 Gary Usher の家に同居させていた Dennis Wilson をドラムスで
参加させ、"My Sting Ray" では Brian Wilson と Mike Borchetta も
バックコーラスで参加させている。(因みに My Sting Ray は
Gary Usher が Dennis Wilson の為に書いた曲)
Bass には Frank Fayad (後に Arthur Lee 率いる Love に参加する)を
Dick Burns のバンド The Indigos から参加させた。
Brian Wilson は当時から自分の声が大きくフューチャーされ、それが元で
父親 Murry Wilson とトラブルが起こる事に神経質になっていた。
それを理解している Gary Usher もまた Murry Wilsonとトラブルになるのを
避けるために Brian Wilson の声が目立たないように神経質になっていた。
このセッションではリリースされた2曲の他に Mike Borchetta と
書いた "Barefoot Adventure" もレコーディングされたが、
これはお蔵入りとなった。
R.P.M. / My Sting Ray の2曲は共にヴォーカル入りのアップテンポの
ホットロッドナンバーで、63年初頭のリリースを考えれば驚くほどの
出来の良さである。

JANUARY 1963 WESTERN RECORDERS
R.P.M. / My Sting Ray / Barefoot Adventure
Producer-Arranger Gary Usher
Gary Usher - Rhythm Guitar, Lead Vocal
Dick Burns - Bass, Back Vocal
Dennis McCarthy - Key Board, Back Vocal
Dennis Wilson - Drums
Frank Fayad - Bass
Mike Borchetta - Back Vocal
Brian Wilson - Back Vocal

この The Four Speeds は Gary Usher も含めた4人で写っているプロモ
写真が残されておりカリフォルニアではローカルヒットとなり実際にショーで
出演して演奏していた。この"R.P.M." は San Fernando から火がつき、
一気に Los Angeles や Orange County のラジオ局までオンエアー
プレイを始めた。もちろん友人の Roger Christian は毎晩この曲を
プレイしていた。またこのローカルヒットという意味においては
Mike Borchetta のプロモーションの功績も大きい。
そして Gary Usher はここで「愛車賛歌」というホットロッドミュージック
シーンの一つのスタイルを確立させたのだ。
過去カントリーブルーズや R&R やロカビリーシーンにおいて改造車を
題材にした曲は確かに存在した。それらの多くは富の象徴として
キャデラック等を題材にしたり、またそれを皮肉った歌だった。または
ローカルカーレースの風景描写をした曲や反抗のイメージとして警察との
対立を描いたものだった。ティーンのライフスタイルとしてホットロッドを歌い
若いリスナーの共有意識を持ちかけたイディオムとしてのロックンロール
はまだ開拓されていなかった。Gary Usher が書いた"409" や "R.P.M."は
これに続くホットロッドテーマミュージックの新たな扉を開いたのだ。

彼らは The Sunsets として、または The Four Speeds としてステージに
上る時は基本的にこの4人で編成していた。彼らは要求される
スタイルに応じて二つのステージバンドをこなしていたのだ。
Los Angeles 近郊の東部 Alhambra に The Savoy というクラブがあった。
彼らはそこにブッキングされステージライブを行った。そこのハウスバンドで
あった The Savoys と共演した時だ、Les Weiser が Sax Solo を派手に
プレイしている最中にバランスを失って倒れこみ、隣にいた Gary Usher も
デッキに足をひっかけ Dennis McCarthy ともどもステージに倒れた。
みんなは爆笑だった。しかし Les Weiser は演奏を中断させず
熱いプレイを続行したという。

Capitol Records のA&R 部門の幹部の Karl Engemann は Len Barker
から「テレビのゲーム番組のホストを探している」と依頼を受けた。
主催者側は「The Lettermen がいい」と要求してきたがスケジュールの
都合で、他のグループを探す事になったらしい。Karl Engemann は
The Lettermen のメンバー Bob Engemann の兄で The Lettermen
のスケジュールも管理していた。そこに居合わせた Gary Usher に
Karl Engemann が「やってみるか?」と打診した。
Gary Usher は「The Four Speeds としては出演できないけど The Sunsets
としてなら出演できる」と答えた。その契約は1人につき$100 のギャラだった。
Gary Usher が主催者に電話をしたところ「君達は Capitol Records の
契約下にいるのか?」と訊ねられ、Gary Usher は躊躇しながらも
「はい、そうです」と答えた。聴けば主催者側はホスト役に古いタイプの
ヴォーカルナンバーを歌ってほしいと依頼してきた。
すぐさま Gary Usher は Richard Burns に電話でテレビ出演を伝え、
古いヴォーカルナンバーの練習に入った。
因みに Karl Engemann は後1966年に Brian Wilson からアルバム
Smile の製作準備や詳細を聴かされた。彼はそのプロジェクトを許可して
Capitol Records にこの計画を議題上で通達した人物としても知られる。


4月には The Sunsets のセカンドシングル Playmate Of The Year /
Lonely Surfer Boy (Challenge 9198) がリリースされている。
このA面は Gary Usher 作の軽快なアップテンポナンバーで
リードは Richard Burns がとっている。B面はリパブリック賛歌を
アレンジしたもので Usher-Christian-Borchetta の共作クレジットと
なっている。録音は Western Recorders で行われており録音は3月に
完成させられた。

MARCH 1963 WESTERN RECORDERS
Producer-Arranger Gary Usher
Gary Usher - Rhythm Guitar,
Back Vocal, Lead Vocal on "Lonely Surfer Boy"
Dick Burns - Drums,
Back Vocal, Lead Vocal on "Playmate Of The Year"
Dennis McCarthy - Key Board, Back Vocal
Les Weiser - Sax, Back Vocal

しかしそのシングルA面の "Playmate of the Year" のレコーディングに
Brian Wilson は非公式に参加した。
Brian Wilson は1963年の夏、Gary Usher とルームメイトだった。
Brian は父親 Murry Wilson の支配から逃れる必要があり、
ちょうど Brian は6月に21歳になる時期だった。
Brian は父親のプレッシャーから離れて一人で過ごせるよう、
Gary Usher と部屋を用意した。Brian Wilson が5月に Jan & Dean に提供
した "Surf City" が6月16日をピークに全米1位の大ヒットとなり
この出来事のせいで、Capitol Records の幹部連中は激怒した。
Capitol Records は Brianがその曲を提供しただけでなく、
その曲でも歌ったことに腹を立てた。
そのため Brian Wilson と Gary Usher は "Playmate of the Year"
の彼の関与を秘密にしていた。

更に8月には The Sunsets の3rd シングル My Little Surfin' Woodie /
My Little Beach Bunny (Challenge 9208) を発表。録音は7月に完成した。
JULY 1963 RADIO RECORDERS STUDIO
Producer-Arranger Gary Usher
Gary Usher - Rhythm Guitar, Lead Vocal
Dick Burns - Bass, Back Vocal
Dennis McCarthy - Key Board, Back Vocal
Wayne Edwards- Drums, Back Vocal

両面 Gary Usher-Roger Christian の共作、プロデュースは
Gary Usher が担当。
A面は当初 "Surfin' Woodie" としてGary Usher と Roger Christian,
Brian Wilson の3人によって書かれ、その後映画
Muscle Beach Party で収録されている。このシングルでは両面とも
Gary Usher がリードヴォーカルをとっている。A面は曲調といい、アレンジと
いいこの時期の典型的な Gary Usher Sound だ。
B面の方は、やや引きずるようなミドルテンポの曲でこれは当時未発表ながら
The Astronauts もレコーディングしている。
The Astronauts の録音は The Sunsets がリリースした8月の一ヵ月後の9月で
どのような経緯でこの曲が録音されたのか興味深い。


Brian Wilson


Roger Christian
 

(Jerry Cole
17-30
The Scramblers - Chop 74
The Scramblers - Big Race
The Scramblers - 650 CC
(LP: Crown Records CLP 5384 mono / CST 384 stereo) 1963
Tracks from their album "Cycle Psychos"
Studio session unit with Gene Shacove and Jerry Kolbrak (Jerry Cole)
who The Champs member and session guitarist


Gene Shacove
 

The Dovells (The Woofers / The Scramblers)
17-31
The Woofers / The Scramblers - Dragster On The Prowl
The Woofers / The Scramblers - Hot Rod Races

The Woofers - Dragsville
(LP: Wyncote W-9011 mono / SW-9011 stereo) 1964
Surfin' & Hot Rod コレクターには The Dovells - Dragster On The Prowl
が有名なフィラデルフィアの Vocal Quartet の The Dovells だが
彼らを一躍有名にしたのは1961年に全米2位となった彼ら細大の
ヒット曲 "Bristol Stomp" である。
因みに1位は Dion の "Runaround Sue" だった。
The Dovells のグループメンバーは以下
Leonard Borisoff (Aka Len Barry: Lead and Tenor)
Jerry Gross (Aka Jerry Summers: Lead and First Tenor)
Mike Freda (Aka Mike Dennis: Second Tenor)
Arnie Silver (Aka Arnie Satin: Baritone)

The Dovells はその後数年間にわたって一連のシングルをリリースした。
その中には1963年にビルボード・ホット100のトップ・ヒットとなった
"You Can't Sit Down" も含まれていた。グループメンバーの Len Borisoff は
1963年末に脱退し、Len Barry という名前でソロ活動を始めた。
彼のソロキャリアの最高点は、1965年のヒット曲 "1-2-3" と
それに続くヒット "Like a Baby" だった。
そんなビッグネームの The Dovells だが彼らは Cameo/Parkway 系の
ハウスバンドとして同レーベルの人気アーティストのバックコーラスを
担当するという役もこなしていた。そんな彼らが時流に乗って
Cameo/Parkway 系の廉価盤レーベルである Wyncote より
変名ユニット名義でリリースした中には
The Liverpools - Beatle Mania! In The U.S.A. (Wyncote W 9001)
1964年の、あのひでえビートルズパチモンアルバムも含まれる。
そして Surfin' & Hot Rod ブームに便乗し二つのグループ名義の
アルバムをリリースしたのが本件で、名前を使い分けてるが同じ音源である。
The Woofers - Dragsville (Wyncote W/SW-9011)
The Scramblers - Little Honda (Wyncote W/SW-9048)
互いの異なる収録曲は両面の1曲目
The Woofers A-1 "Drag City", B-1 "Little Deuce Coupe"
The Scramblers A-1 "Little Honda", B-1 "G.T.O."
で、B-1 "G.T.O." に関してはエレクトリック・ステレオ・リチャネリング
による初期録音の収録となる。True Stereo ではなく初期の擬似ステレオ。
さらに細かい事を言えば、"Dragster On The Prowl" の Mono version は
The Dovells のシングルと同じだが、Stereo version はそれより20秒長い。

 
17-32
Bob Vaught And The Wheels - Doin' The Surf / Surfin' In Paradise
(7: Felsted 45-8682 Promo only) 1963
AKA Bob Vaught & The Renegaids (GNP Crescendo GNP 83/GNP 83S),
Bob Vaught & The Renegades (GNP Crescendo GNP 193x)
Nice surf garage with hot guitar and sax break.
Written by B. Morgan, R. Vaught (Bruce Bowman Morgan, Bob Vaught)
Flip Nice twangy surf inst.
Written by R. W. Vaught (Robert Wismar Vaught = Bob Vaught)
Both sides Produced by Hite B. Morgan.
Members are
Bob Vaught - Guitar,
J. Gordon Smith - Rhythm Guitar,
Dave Vaught (David Vaught) - Bass,
Jerry Feliciello - Saxophone,
Neal Nissenson - Drums.


David Vaught


Hite Morgan

 

Frank Gari


Jim McGuinn (後の Roger McGuinn)


Bobby Darin


Terry Melcher
17-33
City Surfers - Beach Ball
(7: Capitol Records 5002) 1963
このスタジオユニット City Surfers について語るとなると
参加したメンバー各人の人生を語らなければいけないので
それは回避して、ざっくりと記述する。
Bobby Darin と Terry Melcher が設立した音楽出版社で
プロダクション T.M. Music のユニットが City Surfers である。
歌手としても成功していた Bobby Darin は T.M. Music 設立後
Wayne Newton と契約し "Danke Schoen" を T.M. Music で
プロデュースをした。これは Wayne Newton をブレイク
させるヒットとなった。Bobby Darin は当時 Jim McGuinn
(後の Roger McGuinn) をバックアップ・ギタリストと
ハーモニーシンガーとして雇った。それは急成長している
音楽分野であった Folk music の要素を自身のレパートリー
に追加させたかったためだった。そして Bobby Darin が
所有するナイトクラブのバンドで Jim McGuinn に12弦ギターを
演奏させていた。それはまだ The Byrds 結成前の事だった。
Jim McGuinn がオリジナルソングを書き始めたので
New York City の Brill Building 内に T.M. Music のオフィスを
開いた際に Bobby Darin は週35ドルで Jim McGuinn と
ソングライター契約をした。約1年半後、Bobby Darin は
病気になり、歌手を引退した。
City Surfers のメンバーは下記4人だ。
Bobby Darin (drums), Jim McGuinn (Roger McGuinn. guitar, vocals),
Terry Melcher (vocals, piano), Frank Gari (vocals).
Frank Gari は1950年代後半から1960年代初頭まで
人気の歌手でソングライターだった。
Frank Gari は Jim McGuinn と共作で "Beach Ball" を書いて
City Surfers のデビューシングルとして録音した。
以前、私が Frank Gari の甥っ子である Alzo (Alzo Fronte) に
インタビューした時に教えてくれたが、当時 Frank Gari は
The Beach Boys style の Surf song に夢中になっていて City Surfers
の続編がしたくて The Beachcombers (Diamond Records Inc D-168)
を製作したらしい。
で、本件 City Surfers では病気の Bobby Darin の声に問題があったので
Bobby Darin はヴォーカルを入れずにドラムを担当した。
A面は Frank Gari と Arthur Resnick の共作だが
Arthur Resnick は Kenny Young の初期コラボレイターとして
The Drifters "Under the Boardwalk" を書いた。
Arthur Resnick はその後 Joey Levine とのコンビでスタジオユニット
The Third Rail を結成したり Ohio Express "Yummy Yummy Yummy"
他、バブルガムポップでも多数ヒット曲を書いた。
B面は当時22歳の Kenny Young の単独作で、彼は T.M. Music
に入社したばかりだった。彼もまたその後多くのヒット曲を書く。

 

Gary Paxton
17-34
Gary Paxton - The Scavenger
(7: Garpax 45-44177) 1963
Skip & Flip や Hollywood Argyles でも有名な Gary Paxton が、
自らの節税レーベル Garpax で本件ホットロッドソング "The Scavenger"
を1963年6月にシングルリリースした。
迫力のある車の効果音を冒頭に入れた Dion スタイルのかっこいい
ロッカーチューンで女性コーラスをバックに従えている。
この女性コーラスは The Surf Bunnies だろう。
何故なら彼女達の歌は全て Gary Paxton のスタジオで録音されてる。
作詩を担当したのは後にハリウッド映画で有名スタントマンになる
Paul Nuckles で、彼は Bobby Pickett “Monster Motion” も書いており
Gary Paxton とは The Captivations "Speedshift"
(Garpax Records GP-44198) も共作する。60年代後半からスタントマン
として多くの作品に出演し映画 Saturday Night Fever,
テレビシリーズ CHiPs (白バイ野郎ジョン&パンチ)、
Miami Vice 等の有名作品でも危険なシーンを担当した。
この “The Scavenge” は Gary Paxton にとって意味の
深い曲となる。

話し変わって、ロスアンジェルス東部の El Monte 出身の
Douglas Salamanca は高校時代の友人 Freddy Ruiz とチカノ系デュオを
組んで Doug and Freddy としてデビューし、2枚目のシングルで
Gary Paxton-Kim Fowley が共同プロデュースした曲をリリースした。
その後 Kim Fowley の下で The Memories (Old Sound 809)
の変名で彼らは1枚シングルをリリースした。1961年になって
彼らは元のデュオ名義で Gary Paxton のプロデュースによる
Teen Doo-wop シングル Take A Chance On Love / And I Know
You're Lyin' (Finer Arts 101)をリリース。

1963年8月になって1枚のシングルがリリースされた。
Doug Salma and Highlanders - Highland Fling / The Scavenger
(Philips 40131) これはB面に Gary Paxtonの自信作が
収録されており、この歌は11月にリリースされる Dick Dale の
アルバム Checkered Flag (Capitol T/ST-2002) にも収録され
そこが Gary Usher と Gary Paxton の最初の接点となる。
その後も Doug Salma は Lord Douglas Byron の変名で Big Bad Ho Dad,
Surfin’ Santa 等の Surfin' Novelty song をリリースした。

1963年11月に Dick Dale が Checkered Flag (Capitol T/ST-2002)
のアルバムをリリースしたが、この中で "Mag Rims" を "Mag Wheels"
と改題して取り上げている。Dick Dale はこのアルバムの中で他にも
"Big Black Cad" や "426 Super Stock" といった Gary Usher の曲を収録。
これらは Gary Usher 達がバッキングに参加したものだ。
更に Gary Usher はこのアルバムでノンクレジットながら
"The Scavenger" と "Grudge Run" の Gary Paxton が書いた2曲を
除いた10曲でアレンジを担当したという。
Gary Paxton は共通の友人でもある Kim Fowley に Gary Usher
を紹介され、この Dick Dale のアルバムで共に名を連ねる事となった。
その後この二人は The Captivations や The Road Runners 等を
手掛けてる。

因みに Dick Dale And His Del-Tones "The Scavenger" (Capitol 5048)
は9月30日にシングルカットされておりファーストプレスで
“The Scavanger” と “ve” とすべき部分を “va”とミスプリントして出荷、
その後回収して正しく "The Scavenger" と印刷された。
結局このシングルは10月26日をピークに全米98位のヒットとなった。

I got a real boss car
Makes all the others look sick
It’s a brand new Dodge dual quad 426
It got a positraction rear
And a four speed on the floor
And if you ever choose me
You never ask for more

‘Cause it’s the scavenger (Scavenger)
Yeah the scavenger (Scavenger)
I said it goes, it goes, it goes…

Well I shut down the beach for in their 409
I was halfway through the quarter
And they were still on the line

Then they tried their Stingray
We were racing just for kicks
But all they saw was the tail lights on my 426

‘Cause it’s the scavenger (scavenger)
Yeah the scavenger (scavenger)
I said it’s mean, it’s mean…

(Instrumental)

So if you ever go out of draggin’
And you got a real hot car
Try me if you want to
But you won’t get very far

You’ll think you’re in reverse
And it might even make your sick
When the slicks start smoking on my 426

‘Cause it’s the scavenger (scavenger)
I said the scavenger (scavenger)
Don't you know it’s bad, It’s bad…

Oh the scavenger
I said it’s the scavenger
I said it’s the scavenger
(Fade out)



Paul Nuckles
 

Chuck Girard
17-35
The Go-Go's - Saturday's Hero / The Wild One
(7 : RCA Victor 47-8435) 1964
The Go-Go's は日本でも前作 "Chicken Of The Sea"がヒット
となった Perry Botkin, Jr. を中心にしたスタジオグループ
だったがこの The Go-Go's名義のセカンドシングルでは
Gary Usher 中心のセッションに変え Chuck Girard をリード
ヴォーカルに据えて製作された。
1964年9月にリリースされたこの The Go-Go's の “Saturday's Hero”
ではSaturday's Hero という歌詞は抜けている。
Saturday's Hero というソングタイトルだが歌詞では一切 "Saturday's Hero"
とは言っていない。しかし The Super Stocks のアルバム
School Is A Drag (Capitol Records T-2190 mono / ST-2190 stereo) は
1964年10月にリリースされたので The Go-Go's のヴァージョンが
この歌では first release になる。
マーチスタイルのイントロでスタートしコーラスに The Honeys が
参加した The Super Stocks version は
Saturday's Hero / School Is A Drag (Capitol 5307) として1964年10月
にシングルカットされる予定だったのだが The Beatles fever をさらに
加熱させたい Capitol Records の意向によってキャンセルされた。

内容は The Beach Boys の "Be True To Your School" と
良く似た曲で Chuck Girard の溌剌としたヴォーカルが
素晴らしい。The Super Stocks のヴァージョンも同じ Chuck Girard の
リードヴォーカルだが意図的にアップビートにして
"Be True To Your School" と差別化したようなアレンジにされた。
しかし本件 The Go-Go's のヴァージョンの方がバッキングも厚く
コーラスアレンジも冴えており出来が良い。
B面は The Hondells や The Super Stocks
でも使用した Gary Usher の自信作で、この The Go-Go's
ヴァージョンも出来が良い。
プロモ盤ではB面の作者クレジットが Garry Usher と
ミスプリントされている。因みにこの The Wild One は
The Hondells のセッションを引き継いだ Mike Curb も
録音しており The Grads - The Wild One / The Cool One
(Mercury 72364)として同じ1964年にリリースされた。
この The Go-Go's のヴァージョンは後半で1小説歌詞を
削っており、The Grads とは印象が異なる。
因みに The Grads は後に The Sandpipers と名を変え
A&M でヴォーカルイージーリスニング部門で成功する。
詳細は弊社サイトの Gary Usher Story を参照あるよ。
http://www.coolhand-records.com/surfin-gary-usher.html

Saturday's Hero (The Go-Go's version)
He doesn't wear fancy clothes like other guys do
And he doesn't have blond hair and eyes of blue
oh when it comes to football well, you better watch out
'Cause when Saturday comes You're gonna hear 'em shout

Everybody knows we're gonna win today

He the envy of the guys he can really throw a pass
When it comes to touchdowns He shows really class
all the girls go crazy just hear 'em scream
He's the undisputed captain of their football team
Everybody knows we're gonna win today

(Instrumental)

He could get any girl if he wanted to
But he goes to practice eveyday after school
Now when he gets on that field He'd different kind of guy
for he hits 'em real hard He never lets 'em get by

Everybody knows we're gonna win today
Everybody knows we're gonna win today
(Repiet and Fade out)

The Wild One (The Go-Go's version)
Wild one, Wild one, Wild one, Wild one
They said he'd do anything just for a thrill
But reckless as he was he always drove with skill
Yeah he always drove alone 'Cause he never had a friend
And every one said he'd meet a tragic end

He was a wild one, wild one
Wild one, Wild one
Wild one, Wild one
Wild one, Wild one

Yes He had beaten the best from all over town
He'd given them a length and always shut 'em down
Those who raced with him always finished last
'Cause he drove real hard and he drove real fast

He was a wild one, wild one
Wild one, Wild one
Wild one, Wild one
Wild one, Wild one

(Instrumental)

Then one night it happened on a steep windin' hill
He was passin' cars like they were standin' still
He crossed the double line Yes, he took his last ride
He didn't see the semi comin' up the other side

He was a wild one, wild one
Wild one, Wild one
Wild one, Wild one
Wild one, Wild one
(Repiet and Fade out)


Gary Usher


Roger Christian
 

Dick Dale
17-36
Dick Dale And His Del-Tones -
Surfin' And A-Swingin' / Secret Surfin' Spot
(7: Capitol 5010) 1963
1963年5月にFrankie Avalon が Gary Usher の曲 Beach Party
(Chancellor 1139) をリリース。これは Gary Usher と Roger Christian
の共作で1963年8月に劇場公開される映画 Beach Party の主題歌の
先行発売シングル。この曲は後にリリースされる名曲 "Competition Coupe"
のプロトタイプとなる曲で、"Beach Party" は劇中では Annette と
Frankie Avalon の二人によって歌われた。二人はそれぞれにこの曲を
レコーディングして発売している。Frankie Avalon 盤 "Beach Party"
のB面には Gary Usher 作ではないがやはり映画で使われた曲
"Don't Stop Now" が収録された。B面は Russell Faith と
Frankie Avalon のマネージャー Bob Marcucci の書いた曲。
Gary Usher によれば両面とも彼と Dick Burns 率いる The Troops
がバックコーラスでレコーディングに参加しているとのこと。
出来は良かったが Frankie Avalon のレコード面での人気に陰りを見せていた
時期のレコードであったためにチャート上のリアクションは
小さいものだった。因みに Frankie Avalon はこのレコードを
リリースした後間もなくしてレーベル を United Artists へと移籍している。
Frankie Avalon のB面となった "Don't Stop Now " はファズギターが
効果的なアップテンポなダンスナンバーだが、映画 Beach Party で使用
された曲のセッションと同じく Sunset Studio と Gold Star Recordings
Studio で録音された。実は Frankie Avalon のリードヴォーカル
(劇中では Annette とのデュエット)を後からトラックダウンしたのだ。
Gary Usher らはクレジットされていない事に不服を感じながらも
チャージを受け取りこれら業界の風習を知った。Gary Usher はこの契約社会
においてバックミュージシャンの The Troops を契約下に登録して
いなかった事を後悔した。事実 Gary Usher は Frankie Avalon の
為のマスターテープを作成するまでに Dick Burns らと何度もセッション
を行っている。映画での曲の使用権、またそのセッションで録音された
演奏は異なるレコード会社に所属する Frankie Avalon のシングルで
使用されたのだ。複雑な事にこの映画にも出演した Dick Dale も劇中で
使われた2曲 Surfin' And A Swingin / Secret Surfin' Spot
を録音する事になる。注意しなければいけないのはこれらの曲が
最終的に誰の功績になるのかだ。

American International Pictures の Al Simms は「第一に、君の曲が
Les Baxter のスコアに加えてサウンドトラックに組み入れられるので、
君にとって多くの利益を出すだろう。さらに、フィルムの中で注目される歌、
および追加ボーナストラックを収録するだろう、よって君のスクリーン上の
功績がさらに認められるだろう。Annette と Frankie Avalon による
これらの歌がレコード化され、君にとってよいチャンスを得ることが
できるだろう」と Gary Usher に言った。Gary Usher と Roger Christian は
この映画のサーファーが水に潜るシーン等の撮影に参加してみたが、
アシスタントディレクターの Clark Paylow にメガフォンで怒鳴られ
「お前ら邪魔だから退け!」と言われた。
冬場の撮影ながら主演の Annette と Frankie Avalon がNG を出す度に
水に濡れた体を震わせながら浜辺で待機していたと言う。
また「今度はそこを歩け」と指示され通行人役ながら二人は散々な目にあっている。
しかし Gary Usher は映画に出演できた喜びとともにこれら映画制作の
舞台裏を知る。Gary Usher はスタジオを見学しながらもアイディアが浮かべば、
どこでもノートに書きこんで曲を作っていた。
それは彼ならではのユーモアと特有の観点から構成したサマーヴィジョンだった。
この映画はカリフォルニアサウンドの先駆けで視覚的にビーチライフスタイルを
全米に公開したと言う意味でも重要なポイントとなる。
映画の中で収録された6曲の歌のうち、サーフィン&ビーチに関連する3つの曲は
Gary Usher と Roger Christian が書いたものだ。タイトルソングの
"Beach Party" "Secret Surfin' Spot" "Surfin' And A Swingin"
その3曲はすべて新鮮で、活発的で、当時のアメリカの平均的
ティーンエイジャーが捜していたヴィジョンを集約していた。
このアルバムでは当時 A.I.P. のビーチムーヴィーの為の
専属ソングライターコンビだった Guy Hemric & Jerry Styner の書いた曲も
収録されており、彼らもまた Gary Usher らと同様に Gold Star Recordings
のスタジオで録音していた。因みに Guy Hemric & Jerry Styner はその後
Jack Keller と共作で The Westwoods "I Miss My Surfer Boy Too" と言う
The Trade Winds へのアンサーソングを書き、Gold Star Studio で録音した。
オリジナルサウンドトラックアルバム Beach Party は映画公開に
合わせてリリースされる。(Buena Vista BV-3316 Mono / ST-3316 Stereo)

因みに日本ではシングルカットがされている
Beach Party / Swingin' And Surfin' (コロムビア Disneyland LL-558-BS)
映画は日活映画配給で Beach Party は公開されたのだが
邦題「やめないでもっと」と言う凄まじいタイトルが付けられていた。
因みにB面の Swingin' And Surfin' は Gary Usher-Roger Christian の
書いた曲で、その後7月にアメリカでは Dick Dale - Swingin' And Surfin'
としてシングルカットリリースされた。

更に7月にはもう一枚 Capitol から Gary Usher 関連の本件シングルが
リリースされた。Dick Dale & The Del-Tones -
Surfin' And A-Swingin' / Secret Surfin' Spot
(Capitol 5010) 両面ともに Gary Usher と Roger Christian 作で、
映画 Beach Party に出演した Dick Dale 自身によって劇中で歌われている。
レコーディングには Gary Usher や彼のミュージシャン仲間達が
ノンクレジットながら参加しているとのこと。
A面のタイトルは当初 "Swingin' And Surfin'" として完成されていた。
Dick Dale は友人の Leo Fender (Fender 楽器のオーナー) に注文し
携帯用リヴァーヴユニットを開発させた経歴を持つ。左利きギターリストの
Dick Dale はフェンダーストラトキャスターを小刻みに奏でる
スタッカート奏法で強烈なリヴァーヴをかけた。このへヴィーなサウンド
で彼は人気を博していた。その凄まじいサウンドは大きなうねりと
迫力を持ったもので、彼の素晴らしいピックさばきはサーフギター
のみならずギタープレイスタイルにおいて革命的な存在だった。
Gary Usher はこう語っている「私と Dick Dale の最初の出会いは、
彼が映画 Beach Party の中で私と Roger Christian が書いた曲を
歌うことになった時でした。私は彼と映画のセットの上で会いました。
彼は当時西海岸ではビッグな存在だったので、彼のボディーガードもしました。
当時彼は黒いキャディラックに乗ってました。その後、私と彼は一緒に
スタジオに入り彼が映画で歌う2曲をレコーディングしました。
私は彼と出会うちょっと前にプロデューサーになったばかりだったので、
彼のようなビッグなアーティストと仕事ができるなんて信じられませんでした。
しかも私がプロデュースをし、バッキングに加わったそのレコードは
L.A. のチャートのトップ10に入ったのです」
そして King Of The Surf Guitar と呼ばれていた Dick Dale も
Gary Usher との出会いによってヴォーカルナンバーを多く
取り上げるようになった。
因みにフランス盤の EP ではバックコーラス無しの "Secret Surfin' Spot"
が収録されている (France Capitol EAP-1 20554)

Dick Dale And His Del-Tones - Surfin' And A-Swingin'

Well, I looked at the heavies, they were rollin' in fast
I knew I'd better make it, 'cos I just don't blast
I'm surfin',
Surfin', swingin' and a-surfin'
Oh, the sand and the sea - the only life for me
I'm surfin'
Yeah, I'm surfin'

I'm hot-doggin' on my board, gonna have me a fall
Gotta good ride and that was all
I'm surfin',
Surfin' and a-surfin'
Oh, the sand and the sea - is the only life for me
Just surfin'
Yeah, just surfin'

Well, I looked at the beach, there was nothin' but chicks
Rolled breakin' in, gonna get my kicks
I'm surfin',
Surfin' and a-surfin'
Oh, the sand and the sea - the only life for me
I'm surfin'
Yeah, I'm surfin'
Just surfin'

Great guitar break

I met a little blond and asked her for a date-er
She said "c'mon, honey, you can watch the board later"
I'm surfin',
Surfin', surfin' and a-surfin'
Oh, the sand and the sea - is the only life for me
I'm surfin'
Yeah, just surfin'
A-ha

Drum break

Yeah, surfin', baby, just a-surfin'
Oh, the sand and the sea - is the only life for me
I'm surfin'
Just surfin'
Just surfin'

Surfin'
C'mon surfin'
Well, I'm surfin'
Oh, sufin'
Let's surf...


Dick Dale And His Del-Tones - Secret Surfin' Spot

Well, along the coast past Malibu
I make it everyday after school is through
My secret surfin' spot where only I know
The gremmies and the hodads never go
I said, the gremmies and the hodads never roam

Well, I'm hot-doggin' on my board 'til the sun goes down
I jump into my woodie and I make it back to town
My secret surfin' spot where only I know
The gremmies and the hodads never go
I said, the gremmies and the hodads never roam

My secret surfin' spot is the talk of the school
When they ask me I play it real cool
My secret surfin' spot where only I know
The gremmies and the hodads never go
I said, the gremmies and the hodads never roam

Yeah, I'm hot-doggin' on my board 'til the sun goes down
I jump into my woodie and I make it back to town
My secret surfin' spot where only I know
The gremmies and the hodads never go
I said, the gremmies and the hodads never roam

Great guitar break

I'm hot-doggin' on my board 'til the sun goes down
I jump into my woody and I make it back to town
My secret surfin' spot where only I know
The gremmies and the hodads never roam
I said, the gremmies and the hodads never go
I said, the gremmies and the hodads never roam
I said, the gremmies and the hodads never roam
I said, the gremmies and the hodads never roam
I said, the gremmies and the hodads never roam




Gary Usher


Roger Christian

 

Bobby Hart


Paul Johnson


The Woodies
17-37
The Quads - Surfin' Hearse / Little Queenie
(7: Vault V-907) 1963
(LP: Vault 104 mono / S-104 stereo) 1963
1963年8月には Vault Records から The Grand Prix というグループのシングル
Candy Apple Buggy / 41 Ford (Vault 906) がリリースされた。
これはこれは表面上は The Challengers のドラマーでコンポーザーである
Richard Delvy の作品という事になっているが、レコーディングには
Gary Usher もバックヴォーカルで参加したと言われている。
これは後に Boyce & Hart として人気作家となる若き Bobby Hart が
リードヴォーカルを務め The Belairs の Paul Johnson がギターで
参加している。A 面は B.Harris-S.Riddle-R.Delvy
(Bob Harris-Sam Riddle-Richard Delvy)
B面は R.Heiss-T.Hughes (Ron Heiss-Tex Hughes)
両面とも Paul Johnson の派手なギターがフューチャーされており
プロデュースは Richard Delvy

奇妙な事に日本では1965年にザ・リチャード・ブラザース名義のシングル
のB面に「キャンディ・アップル」という邦題にて Candy Apple Buggyを
収録。A面では Bobby Goldsboro のヒット曲をカヴァーしており
それをリリースする為に The Grand Prix で録音していたトラックを
B面に使ったものだと推測できる。
ジャケット写真はRichard Delvy (左), Bob Harris (右)が使用され
ているが Bob Harris は "Candy Apple Buggy" の共作者である。
この歌の作詞を担当した Sam Riddle は KHJ の人気DJで、以前
Richard Delvy が番組CMを録音した事から Hollywood A Go-Go や
Ninth Street West の人気テレビショーのプロデュースを Richard Delvy
に依頼した事がある。
Richard Delvy が携わった Surfin / Hot Rod 系のヴォーカルトラック
についてここで簡単に説明しておこう。

ヴォーカルグループ The Dell-Coeds のメンバーの Richard Georgeは
自作 "Love In Return"を1961年にリリースしており、このグループは
3人の女性ヴォーカルをフロントに立てたグループで
The Pendletones 時代の The Beach Boys と共にパーティーで
パフォーマンスする仲だった。
当時 Hermosa Beach に住んでいた Richard Georgeは
Dennis Wilson や Al Jardine と親交があり、The Beach Boysの
成功の影響を受けて彼も Surf music を書き始めた。
1963年の夏に Richard George がThe Beach Boysのために書いた
"Surfboard for Christmas" を彼自身が録音した。
結局この歌は The Beach Boys によって録音されなかったが
そこで Richard George の仲のよい友人達 Ray Duron, John Mead,
Jim Crouch が集められ The Woodys を名乗ったのが始まりだった。
Ray Duron と John Mead は高校のクラスメイトで The Waves
というサーフィン映画のショーに出演した際に Richard George
と出会ったのがきっかけでグループを結成した。
彼らはまず1963年に The Woodys - Red River Valley /
The Saints (Go Surfin' In) (California Records 304) サーフインスト
シングルをリリースしている。その後も Richard George は自身が
書いた曲を熱心にプロモーションし出版社、レコード会社、ラジオ局
にクリスマスの挨拶として送ったところ、反応したのが Surf Vocal
Group を物色していた Richard Delvy だったのだ。

Richard Delvy は当時 Surf Vocal Group のプロデュースと管理に
興味を持っており、これら Vault Recordsでの一連の
リリースもその一環だった。そこで Sam Riddle はテーマソングを
作ってほしいと Richard Delvy に依頼したところ、それを許諾した。
Richard Delvy は自身もサブメンバーとして参加しながら
自身の The Challengers の Vocal Tracks を担当させていた上記の
The Woods (The Woodiesとも言う) で多くのヴォーカルセッションを
当時録音していた。これは Tony Harris With The Woodies -
Go Go Little Scrambler (Triumph TR-60) も含まれる。
The Woodies には若き日の Jim Crouch も参加していたが彼は
ソロデビューする前にグループから離れている。
Tony Harris With The Woodies でリードヴォーカルを担当した
Tony Harris は1958 年公開の SF ホラー映画「The Blob」の
プロデューサーで有名な Jack H. Harris の息子で、1965年に
Hollywood の Dee Gee Records と契約した。
そして1969年に Chartmaker レーベルで有名なサイケデリック
アルバムをリリースする Darius の1965年の Dee Gee Records での
デビューシングル (Dee Gee 3001) で作曲、プロデュース、アレンジを
担当した。そして自らも (Dee Gee 3002) でソロデビューをし、
同レーベルでもう1枚シングルをリリースした後に、Triumph Records で
Tony Harris With The Woodies 名義のシングルをリリースした。
その後1968年から Tony Harris は VMC (Vance Music Corporation)
レーベルの専属プロデューサーとなった。
彼は同レーベルの Eastfield Meadows のメンバーとしても活動し
彼の名を一躍有名にした Duke Baxter の "Everybody Knows Matilda"
ではプロデュースを手掛け、この曲は1969年7月26日をピークに
全米52位のスマッシュヒットとなった。彼は1970年初頭には
Larry Norman (The Zombies の "I Love You" のカヴァーヒットが有名な
People の元メンバー) や Randy Stonehil (Contemporary Christian
Music のパイオニアー) と共作を続けた。

話を戻して The Woodies に Sam Riddle を参加させて歌わせたのが
Aloha A Go-Go のテーマ曲の "Hawaii" だった。
所詮セッションによってメンバーは変わるので録音によっては
Hal Blaine がドラムを担当する事もあり録音は主に Hollywood の
Sunset Sound で行われていた。The Woods / The Woodies は
The Challengers のヴォーカル曲以外にも多くの TVジングルを
歌っており、それらは Richard Delvy の利益となった。
例えば The Challengers at the Teenage Fair (GNP 2010)で
ヴォーカルトラックを担当しているのが The Woodies である。
Richard George をリードヴォーカルにしたセッションでは
Richard George & The Woodies 名義で録音しておりバックアップ
で Richard George, Ray Duron, John Mead, Jim Crouch そして
Richard Delvy がヴォーカルを担当した。そのトラックが日本では
Polydor から The Spartans 名義で1965年にリリースされている。
それは "Count Me In" でこの曲は Gary Lewis And The Playboys
と同年に競作となったので日本のみ The Spartans 名義でリリース
させたのだろうと思われる。このシングルは Polydor DP-1442 で
上記のザ・リチャード・ブラザースが Polydor DP-1447 だ。
両方ともラベルに Original Recording By Sabrina, U.S.A.
とクレジットされてるのでセットで売り込まれたものと推測される。
因みにこの曲は The Astronauts の1967年のアルバム "Travelin' Men"
にも収録されており人気の高いサンシャインポップである。

10月に入ると Vault Records から The Quads というグループ名義で
本件 Surfin' Hearse / Little Queenie (Vault 907) がリリースされた。
Surfin' Hearse とは「サーフィン葬儀車」の意味。葬送行進曲のフレーズを
ピアノでフューチャーした作品で、引きずるようなミドルテンポで歌われる。
これも同レーベルの The Grand Prix と同様に若き Bobby Hart が
リードヴォーカルを務めておりバックヴォーカルが The Woodies,、
The Belairs の Paul Johnson がギターで参加している。
Paul Johnson はルックスも良く、以前 Al Jardine が
The Beach Boys を一時期脱退する時に穴埋めとして The Beach Boys
に参加を打診されているがそれを断っている他にも
その後 Gary Usher が The Hondells のヒットに合わせてツアーメンバー
の参加を打診したが、それも断り Dave Allan 率いる
The Arrows に参加したという顔に似合わず硬派なギタリストだ。

The Quads のレコーディングだが、これは元 The Belairs のメンバーで
The Challengers を結成させた Richard Delvy のプロダクション
で前記の The Grand Prix と実質的には同じグループに Gary Usher が
参加した。因みにB面の "Little Queenie" はその後リリースされたアルバム
には未収録の Chuck Berry のカヴァーのロッカーヴァージョン。

12月には Gary Usher 関連のアルバム Hot Rod City (Vault V/VS-104)
がリリースされた。アルバムジャケットでは俳優でレーサーの Tommy Ivo
と彼の愛車の Barnstormer が使われている。
このオムニバスアルバムでは The Customs 名義の Gary Usher の
グループが RPM, Competition Coupe, Hot Rod City,
54 Corvette, Nifty Fifty の5曲を収録。他にも先に紹介した
The Quads, The Grand Prix らの4曲が収録されている。
The Customs 名義で収録した曲はどれも Gary Usher が過去に別名義で
リリースしてきた曲だが、この The Customs ヴァージョンは荒々しく
ワイルドなガレージサウンドとなっており、こちらも評価が高い。
元 The Belairs のドラマー Richard Delvy とキーボードの Jim Roberts が
The Challengers を結成させて Vault Records の契約グループとなった。
Richard Delvy は早速プロダクションを設立し本件アルバムの
企画を作りレコーディングの指揮をとっている。その人脈で The Quads と
The Grand Prix の録音では The Belairs のリードギタリスト Paul Johnson
が参加している。
この The Quads と The Grand Prixでは後に Boyce & Hart として
人気作家となる Bobby Hart と Woodies がリードヴォーカルを務めている。
彼は後の The Ventures メンバーで James Burton に憧れて西海岸に
出てきたばかりの Gerry McGee とも当時行動を共にしていた。

Richard Delvy が作家&投資家の John Marascalco と共同出資していた
他のレーベル Princess Records だが、そこには若き Harry Nilsson や
Bobby Hart らがセッションシンガーとして出入りしていた。
そこで John Marascalco から紹介されたのが Bobby Hart だった。
John Marascalco は Little Richard 他多くのヒット曲のソングライターで、
当時幾つかのレーベル運営もしていた。

Vault Recordsは、このアルバムの数か月前に Jack Lewerke と Ralph Kaffel
によって設立された新興レーベルだった。1952年にカリフォルニアでレコード
配給会社を設立した Jack Lewerke と Ralph Kaffel は4つの小売店経営も
していた。Jack Lewerke は Jazz Producer として Atlantic Records で
仕事をした経験もあり、その当時から Phil Spector とも共同作業をした
間柄だった。産業と配給のノウハウを知った Jack Lewerke と Ralph Kaffel
は Atco での全国配給権を得て Vault Records を設立した。
Richard Delvy は Vault Records へ出資をし、同レーベルの最初の
プロデューサーとなった。Richard Delvy はその際 Gary Usher を
引き連れて来て、このコンピレーションアルバムを Shut Down または
Hot Rod Rally タイプのレコードとしてパッケージ化することを計画した。
この Hot Rod City は Vault Records から発売される5番目のアルバム
になったのだが同レーベルのメインシリーズでリリースされた最初の12枚の
アルバムのうち、7枚は The Challengers によるもので、2枚を除く
すべてが Surfin' Hot Rod 関連だった。


Richard Delvy


Sam Riddle

 

P.J. Proby


The Rituals
17-38
The Rituals - Surfers Rule / Gone
(7: Arwin MM-128-45 Promo only) 1964
Arnie Ginsburg who formally of Jan & Arnie had left
The Rituals at the time of this recording.
This version was recorded by a band that came fron
Swanley in England.
"Gone" was recorded together the other side "This Is Paradise"
and produced by Kim Fowley in London in 1964.
Only the five band members and P.J. Proby were on the recording.
Band from Swanley in the county of Kent, England
formed by Bernard Finch,Eddie Hayes,Bob Griffiths and Geoff Hughes.
Lead vocal by P.J. Proby (Uncredited)
Written by Kim Fowley.
Flip The Rip Chords also recorded on their 1964 album
Hey Little Cobra And Other Hot Rod Hits.
Written by Bruce Johnston-Terry Melcher.
Both sides Produced, Recorded by Kim Fowley (Uncredited)
Arwin Records owed by Marty Melcher and Doris Day.


Kim Fowley
 
戻る】【続く】
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