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COOL HAND

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第731269400017号
(広島公安委員会)

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Vol. 20
01 Bobby And Bergen - "I've Got A" Tiger In My Tank
02 The Embers - I'm Going Surfin' Now
03 Everett Gates & The Jokers - Mean Machine
04 Larry Bright - Surfin' Queen
05 The Four Frogs - Think I'm Losing You
06 The Love Tones - Stop This Thinking Of You
07 The Hit Pack - Summer Fever
08 The Hot Dog Stand - C'mon, Summer's Happening
09 The Crowns - She's Wearing His Sweater
10 Aki Aleong And The Nobles - Mary Ann (Come Surf With Me)
11 Dick Jensen And The Diamond Head Surfers -
Doin' The Tamure
12 The Waikiki Surfriders - Hawaiian Rock
13 Leon Smith And The Basics - Basic Surf
14 Jim Dale And The Comancheroes - VW
15 Bobby Fuller - King Of The Beach
16 The Bobby Fuller Four - King Of The Wheels
17 The Bleach Boys - Wine, Wine, Wine
18 Kassi Lyon - Little Lonely Summer Girl
19 Kassi Lyon - Lonely Surfer (Its Not The Season)
20 The Newbeats - Tough Little Buggy
21 The Tren-Dells - Tough Little Buggy
22 Harry Deal & The Galaxies - I Feel Good All Over
23 The Golden Nuggets - Surf Everybody
24 The Premiers - Daytona
25 The Revelers - 426

26 Pilt Down Five - '32' Ford
27 Pete Cummins And The Redeemers Four - The Surfin' Freeze
28 The Centuries - Beach Umbrella World
29 The Noblemen Four - Beach Umbrella World
30 The Woofers - Down By The Draggin' Strip
31 The Scramblers - Little Honda
32 The Tides - Beach Town Surfers

Vol. 20
Surfin' and Hot Rod
Other stuff with beach pop, summer pop etc

 

Bobby Russell and Bergen White
20-01
Bobby And Bergen -
"I've Got A" Tiger In My Tank / The Whole Summer Through
(7: Spar 750) 1964
The Jalopy Five - (I've Got A) Tiger In My Tank
(7: Hit Records 145) 1964
Jalopy Five - Draggin' And Surfin'
(LP: Modern Sound MS 525) 1964
その実体は Bobby Russell and Bergen White だが
同じトラックを The Jalopy Five 名義でもリリースしてる。
Nashville を拠点とした廉価盤レーベル Hit Records,
Modern Sound, Spar Records, Giant Records は
プロデューサーの William Beasley が設立したレーベル
なので同じ音源をそれらのレーベルで使いまわしていた。
そのレーベルでセッションメンバーとして
雇われていたのが Bobby Russell , Bergen White,
John Preston (Larry Dexter), Herbert Hunter (Johnny Keaton,
Leroy Jones, Jim Porter, Marty on Kenilworth),
Alpha Zoe (Clara Wilson, Dot Hester, Mary Merry, Mary Sue,
Peggy Thompson, Sylvia Richards), そして後にSoul music で
成功する Latimore こと Benny Lattimore らだ。
曲調に応じて一人の歌い手が様々な架空のシンガーを
演じていたのが上記の名義からも解る。
The Jalopy Five というグループ名ですら
The Music City Five, The Tides と異なる名義でリリース
させてるが実体は一緒である。
Bobby Russell and Bergen White は Buzz Cason が
可愛がっていたので彼らも Ronny & The Daytonas の
別働隊として録音参加していた。事実下部に掲載した
Ronny & The Daytonas のグループ写真には Bergen White も
写っている。


Bergen White

Ronny & The Daytonas
 

The Embers
20-02
The Embers - I'm Going Surfin' Now
(7: Suemi Records ST 4553) 1965
Texas 州の El Paso 出身の Surf garage band だ。
同地はテキサス州最西端に位置する都市で
メキシコとの国境となっているリオグランデ川の北東岸、
シウダー・フアレスの対岸に立地し、市の西と北は
ニューメキシコ州との州境に接する。
ヒューストンとロサンゼルスのほぼ中間にあり、
そのいずれからも1,100km前後の距離である。
そんな退屈なエリアから出てきたローカルバンド。
単調なチューンだが彼らがヒューストンに背を向け
ロサンゼルスを見つめていたのが間奏部の
Guitar break からヒシヒシと伝わってくる。

 

Everett Gates & The Jokers
20-03
Everett Gates & The Jokers - Mean Machine / Loved And Lost
(7: Tally 6401) 1964
Indiana 州の Garage band が録音した Hot rod tune で
Vocal background を女性グループ The J-Tones が担当した。
両面とも Everett Gates の自作だがB面のバラードの
出来もなかなか良い。
Members are
Everett Gates - Lead Vocals.
Dave Liles - Lead Guitar.
Harold Miracle - Rhythm Guitar.
Tom Kiefaber - Bass Guitar.
Bobby Johns - Drums.

なお、The Allman Brothers Bandの名ギタリスト
Dickey Betts は「俺は Everett Gates & The Jokers の
リードギター Dave Liles から若い頃に影響を受けた。
彼らの "Mean Machine" の録音前には参加していたが
未成年だったために飲酒できずに彼らの Gig では
演奏できなかった」と公表しており、レコードの録音では
リードギターを Dave Lilesと交代した。
彼らはその後も交友が続き、事実 2002年の
Dickey Betts & Great Southern に Dave Liles は
ゲスト参加してギターを演奏している

 

Larry Bright
20-04
Larry Bright - Surfin' Queen
(7: Del-Fi Records 4204) 1963
Virginia 州 Norfolk 出身で本名を Julian Ferebee Bright と言う。
彼は Pete Roberts 名義で Twinkie Lee / Hold Me
(Rendezvous Records R-124) シングルを1960年にリリースしており、
本名の Julian Bright 義で楽曲の作者やアレンジャーとして
幾つかのレーベルでクレジットされる。
で本件シングルは彼の自作自演によるサーフロッカーで
いち早く The Beatles に反応した西海岸のラジオ局としても
知られる California 州 San Bernardino の KFXM のヒットチャート
で1963年の3月30日から4月5日まで58位を記録しており
ローカルスマッシュヒットとして同地では評価されている。


Larry Bright
 
20-05
The Four Frogs - Think I'm Losing You
(7: The Frogdeath FROTH 2) 1965
New Mexico 州のバンドで、彼らの唯一のリリースだが
この The Frogdeath (カエルの死) というユニークなレーベル名と
そのレーベルデザインによってカルト人気も高い。
プロデュースを担当した Steve Crosno は Texas 州 El Paso の
人気ラジオ局 KELP. の DJ で、彼は "Crosno's Hop" という
テレビの人気ダンスショー番組を1961年夏から1970年まで
持っていた人物としても知られる。
本件シングルはピクチャースリーヴを付けてリリースされており
GS風の曲調で、風呂のようなエコーがかかった Fadeout が妙に
長く、それが印象的でもある。グループメンバーを記述しとく
The Four Frogs members were
Bert Peters, Claude Perilli, Colin Flannigan,
Billy Withers and David Caflan.

 
20-06
The Love Tones - Stop This Thinking Of You / Trust Me Babe
(7: Luci-fer Records 102) 1968
New Jersey 州の Edison / Metuchen エリアのバンドで
地元では The Strat-O-Tones としても知られていた。
A面はサーフスタイルの曲で、所謂 Surfy (サーフィー / サーフっぽい)
好サンプルとして Surfin’ & Hot Rod コレクター達にも認知される。
変なエフェクトの風呂桶太鼓が気になるがメロディーは良い。
ファルセットコーラスが幽霊みたいで素晴らしい。
さらに言えばB面の、シンプルなガレージバラードが
やるせない男の遠吠え系で、とても良い。

 

Robert Staunton - Robert Walker
20-07
The Hit Pack - Summer Fever
(7: Colpix Records CP-745 Promo) 1964
画像を見る限り温泉旅館に泊まりにきた浴衣姿の Robert Staunton,
そして旅館なのにかっこつけてホテルの支配人姿の Robert Walker
といったコントラストの二人である (笑)
The Hit Pack は翌1965年には Motown の子会社 Soul から
Never Say No To Your Baby / Let's Dance (Soul S-35010) を
同じ面子でリリースするので、本件シングルがデビュー盤となる。
ホーンを配して躍動感溢れるビーチポップに仕上げており
プロデュースを担当した Frank Owens は Petula Clark, Lena Horne,
Johnny Mathis, Connie Francis らの音楽監督を務めてきた人物。
The Hit Pack のメンバーは
Charles Jones, Robert Dobyne, Robert Staunton, Robert Walker
の4人で、中核となる Robert Staunton, Robert Walker の二人は
ソングライターチームとして、またはプロデューサーコンビとして
60年代に The Dells, The Artistics, The Monitors, The Headliners,
Brenda Holloway, Sugar Pie De Santo, Jimmy Cliff らの曲を手掛けた。

 

Bob Morriso
20-08
The Hot Dog Stand - C'mon, Summer's Happening
(7: Mala M-12,014) 1968
ソングライタークレジット R. Morrison を見て鼻の穴を
大きく膨らませた人は私以外にもいるだろう。
そう "Hey! Puppet Man" の Bob Morrison だ。
Bob Morrison は Mississippi 生まれで、Nashville を拠点とした
シンガーソングライターだ。なので自身も1957年全米2位の
大ヒット "Raunchy" をもち、後に Ronny & the Daytonas の
マネージャーを務めた Bill Justis がプロデューサークレジットが
されているのは偶然ではなく、南部 Nashville 産の Surf / Summer song
のプロダクションの一環で本件シングルが生産された事を物語っている。
ただ Bob Morrison は独自のユニークな経歴を持っていて
所謂 Buzz Cason 一派とは異なるストリームから Bill Justis 側に
入ってきた。

ミシシッピ州ビロクシで生まれた Bob Morrison は
父がジュークボックスのオペレーターだった。
父はローカルジュークボックスのシングルを補充するため
2週間ごとにニューオーリンズに受け取りに行っていた。
Bob Morrison はそのような音楽的な環境のため早くから
南部音楽に傾倒していった。彼は独学でギターを学び、15歳で
地元のバンドで演奏を始めた。その後ソロフォークシンガーとして
クラブで演奏をしていたが Bob Morrison はアメリカンフットボール
の選手としてスポーツ奨学金を受け取りミシシッピ州立大学へ進学した。
彼はサウスイースタン・カンファレンスのシーズンチャンピオンを
決定するSECチャンピオンシップを獲得した。
在学中に著名プロデューサーの目に留まるも、彼は学位を取得して
卒業した1965年に原子力工学の博士号を取得という
文武両道的活躍で地元のヒーローとなった。Bob Morrison は
Columbia Records のエグゼクティブの John Hammond と契約を
結んで、いくつかのシングルをリリースした。そのシングルの一つで
1965年にリリースされたのが "The Shadow of Your Smile" であり、
この名曲を録音した最初の歌手となったが、彼のヴァージョンは
見向きもされなかった。結局この歌は Tony Bennett やその他の
定評のあるアーティスト達によるヴァージョンがその後の
録音によってヒットした。Columbia Records でチャートヒットを
作れなかった Bob Morrison は1967年に Hollywood へ引越し
Screen Gems の契約俳優として働き、Capitol Records に移籍し
彼のオリジナル曲を含む "Friends of Mine" というタイトルの
アルバムをリリースし、彼はいくつかの成功を収めた。

本件シングルは1968年なので、Bob Morrison としては一番
勢いに乗っていた時期の作品ということになり、夏の躍動感を
現した弾けたサウンドになってる。ただ時代的に1968年では
ベトナム戦争が悪化していた頃なので、所謂 Summer Of Love
に帰属するメッセージが音楽シーンでも必要となっていた。

1967年夏にアメリカ合衆国を中心に巻き起こった、文化的、
政治的な主張を伴う社会現象。最大で10万人がサンフランシスコ
のヘイト・アシュベリー周辺に集まったといわれる。
サンフランシスコ以外にも膨大な数のヒッピーがニューヨーク、
ロサンゼルス、フィラデルフィア、シアトル、ポートランド、
ワシントンD.C.、シカゴ、カナダのモントリオール、トロント、
バンクーバーやヨーロッパの各都市に集った。
当時のサンフランシスコは音楽、ドラッグ、フリーセックス、
表現、政治的意思表示の中心地、ヒッピー革命の本拠地と
見做された。

因みに1968年の夏までのヒット曲を簡単に記しておく
Otis Redding - (Sittin' On) The Dock Of The Bay
The Beatles - Lady Madonna
The Zombies - Time Of The Season
Simon & Garfunkel - Mrs. Robinson
The Rolling Stones - Jumpin' Jack Flash
Steppenwolf - Born To Be Wild
The Doors - Hello, I Love You
The Rascals - People Got To Be Free
The Beatles - Hey Jude

 
20-09
The Crowns - She's Wearing His Sweater
(7: TIP Records 1015 Promo) 1964
"She's Wearing His Sweater" 「彼女は彼のセーターを着ている」
この曲のタイトルで股間をもっこりさせてはいけない。
彼女が彼の家に泊まって彼のセーターを着ようが、もっこり
させず、ほっこりさせるのが大人である。うふふふ
で作者の E. V. Hollins-B. Buchanan (Veril Hollins-Betsy Buchanan)
は Bob & Earl "Oh Baby Doll", The Furys "Cover Girl",
H.B. Barnum "Dance With Me" 等を書いており、このレーベルは
The Allisons - Surfer Street / Money (Tip Records 1011) 8-23 参照
Bob & Earl - Oh Yea (Have You Ever Been Lonely) /
As We Dance (Tip Records 1013)
この流れからして、恐らくこの The Crowns は黒人のユニットだと
思われる。

 

Aki Aleong
20-10
Aki Aleong And The Nobles - Mary Ann (Come Surf With Me)
(7: Vee Jay Records VJ 520) 1963
(LP: Vee Jay Records LP 1060 mono / SR 1060 stereo) 1963
Track from album Aki Aleong And The Nobles "Come Surf With Me"
Aki Aleong 読みとしては Hong Kong (ホンコン) のように
末尾の G は発音せずに アキ・アレオンと発音する。
アキのオッサン興奮して “Hangin Ten Now!” って言ってるとこがミソ
アキさんはトリニダード・トバゴ出身のアメリカ人俳優で
歌手、パーカッション奏者、プロデューサー。
テレビドラマ「ベン・ケーシー」(Ben Casey)や「ドクター・キルデア」
(Dr. Kildare) なんかにも俳優として出演してたので古い人には
懐かしいだろう。でアルバムからシングルカットされた本件は
作者が Stan Ross (Gold Star Studios のオーナー) なので
当然ながら録音は名門 Gold Star Studios となる。
しかしアルバムに書かれているクレジットとは違う
セッションミュージシャン達 The Wrecking Crew
によって録音されてるので記述しておく
Produced by Aki Aleong.
Arranged by Bunny Botkin (Perry Botkin Jr.)
Engineered by Larry Levine.
Session mambers are
Aki Aleong on vocal.
Lyle Ritz on ukulele.
Billy Strange, Glen Campbell on guitar.
Ray Pohlman on bass.
Hal Blaine on drumms.
Frank Capp on percussion.
Leon Russell on keyboards.
George Tipton conducted.

 

Dick Jensen

Tom Moffatt
20-11
Dick Jensen And The Diamond Head Surfers - Doin' The Tamure
Tom Moffatt With The Diamond Head Surfers - Surfin' In Hawaii
(7: Mahalo Records 1012) 1963
Hawiian surf music の中でも云々、と言うより Dick Jensen が伝統的な
Hawiian music の持つ装飾美を捨てて新化させようとしたのが
良く解るプログレッシヴな内容だ。1960年代の多くの録音で普及した
The Tamure タムレは、タヒチとクック諸島のダンスであり、
世界の他の地域では最も人気のあるタヒチのダンスだ。
通常、男の子と女の子のグループとして踊り、全員がより多くの服
タヒチの草のスカートで、草ではなく、プラウ、「ハイビスカス」の
樹皮からの繊維で作られているものを着ている。
そもそもこの Dick Jensen は身長も190センチ以上の大男で
奇妙なレコーディングの経歴を持っていたハワイの異端児だった。
彼はハワイから、ロサンゼルス、ニューヨーク、フィラデルフィアと
進出しており、Mercury, Epic, Philly International 等でも
録音を残している。彼は初期には Lance Curtis という芸名で
ハワイのティーン・ミュージック・シーンで活動し始めた。
その後アメリカ本土に移り、レコーディングアーティストとして
の地位を確立する前に彼は Ed Sullivan Show に早くから出演した。
本件シングルは1963年なので、アメリカ本土進出前夜の、彼が
最も尖っていた頃の作品である。その後Dick Jensen は
1960年代から80年代にかけて Vegas でレギュラー出演をする
ようになり、そこで彼は Tom Jones のクローンになり James Brown
の音楽的な影響を受けたエンターテイナーとして活躍した。
彼は1970年代半ばにホノルルに戻り、地元のショールームで演奏し、
地元の Tom Moffatt の Bluewater レーベルからシングルを録音し、
自身のレーベルからアルバムをリリースした。 しかし彼のキャリアは
予想外の展開を見せる。1983年に麻薬密売容疑で逮捕された彼は
コカインの罪で有罪となり、5年間の保護観察を受けた。
その後、Dick Jensen は生涯と音楽的才能を教会に捧げた。
で、本件B面でクールなサーフロッカーを聴かせる Tom Moffatt だが、
彼はハワイのコンサートプロモーター、起業家、
有名ラジオDJとしてハワイでの Elvis Presley のライヴや
イヴェントをサポートした人物で自身の Paradise Productions
のオーナーだった。

 
20-12
The Waikiki Surfriders - Hawaiian Rock
(LP: Design Records DLP 243 mono / SDLP 243 stereo) 1965
Design レーベルは1957 年に Pickwick Sales Corp の
子会社として立ち上げられた。
1965 年まで、すべての Design のリリースはモノラル
だったが1965年からステレオ盤のリリースが始まった。
他の多くの低予算レーベルと同様に、Design Records は
社内のスタッフを使って曲を書き、一般的なオーケストラ
のアレンジを行った。
The Velvet Underground 以前に Lou Reed はスタッフシンガー、
ギタリスト、ソングライターとして、60 年代半ばの
Design のコンピレーションやアルバムのいくつかに登場した。
もちろん本件アルバムは Lou Reed の関与は確認されていない、
しかし奇妙で革新的なハワイアンアルバムである。
見事に Hawaiian Music のロック化に成功した本件トラックを
聴けば頭の切れる人物が曲を書いて、アレンジを行ったのが
解るだけに、Lou Reed の関与すら疑いたくなる。

 

Leon Smith

Leon Smith And The Basics
20-13
Leon Smith And The Basics - Basic Surf
(7: Lavender R-1851) 1964
Oregon 州 Portland 出身のバンドで、リーダーの Leon Smith は
The Orbit Sound と Willamette レーベルのオーナー
Lloyd "Pappy" Smith の息子だったので、特に Willamette の
録音の多くに本件バンドは関わっている。
プロデュースを担当した Pat Mason は Lavender レーベルの
A&R で、彼はカルトな Boogie R&R で人気の高い
Judy Sword - Please, Don't Squeeze My Jimmy のプロデュースも
行っている。
Leon Smith And The Basics のメンバーを記述しておく。
Leon Smith - Guitar, Vocals
Wayne Marshall - Bass, Vocals
Gary Van Ornum - Drums, Vocals

 

Jim Dale
20-14
Jim Dale And The Comancheroes - VW
The Comancheroes - TP
(7: Teen 1052) 1963
Kansas 州出身のロッカーで、彼は学生時代の1959年に Jimmie Dee
名義でデビューシングルをリリースした。
その後 Kansas 州 Madison で教師として働きながら本件シングルを
リリースし、地元でローカルヒットとなった。
本件シングルは Jim Dale がビッグネームになる第一歩である。
VW (Volkswagen フォルクスワーゲン) を題材にしたユニークな
カーテーマロッカーで派手なギターブレイクを有する。
1963年に地元で約16週間のチャートインとなったこの曲の成功によって
Mid Continent Entertainment との契約につながった彼は
中西部全体での活動をスタートした。
その後 Nashville へ引っ越した彼は Ray Stevens, Jimmy Bryant,
Charlie McCoym, Jerry Reed らとレコーディングするチャンスを得た。
そして若き Hank Williams Jr. のために“Stampede”を共同執筆し
Jim Dale は最終的にカリフォルニアに上陸し、そこで
彼は業界のトップネーム Buck Owens Group との契約に至った。

 

Bobby Fuller
20-15
Bobby Fuller - King Of The Beach
(7: Exeter EST 122) 1964
Bobby Fuller は人気絶頂の1966年7月18日、テキサス州エルパソ
で死亡した。おそらく殺害されたのだが、彼の死について語ると
本100冊書いたところで意味はないので割愛する。
Bobby Fuller はテキサス州ベイタウンで生まれた、母方の兄の
Jack と弟の Randy を持つ 3 人の男の子の真ん中として生れた。
彼は幼少期にユタ州ソルトレイクシティに移り、1956 年に
家族とともにテキサス州エルパソに移るまでそこに住んでいた。
彼の父はその時、エルパソ天然ガスに就職した。
Elvis Presley が人気を博したのと同じ年で、Bobby Fuller は
新しいロックンロール・スターに魅了された。
彼はすぐに仲間のテキサス人 Buddy Holly のスタイルを採用し、
4 人のコンボの前に立ち、しばしばオリジナル曲を歌った。

1960 年代初頭、彼はエルパソのクラブやバーで演奏し、
テキサスの独立系レコードレーベルで常にラインナップを変えながら
レコーディングを行っていた。
バンドの常連メンバーは Bobby Fuller とその弟の Randy Fuller だけ
だった。これらの独立したリリース (Clovis の Norman Petty の
スタジオで録音された2曲を除く) と、同じくニューメキシコ州
にある Yucca Records への出張は、Bobby Fuller 自身の
ホームスタジオで録音され、Bobby Fuller がプロデューサーを務めた。
彼は裏庭に原始的なエコーチェンバーまで作り、いくつかのマイクと
地元のラジオ局から購入したミキシングボードを使用したレコーディング
の品質は非常に印象的だったので、彼は自分のスタジオの使用を
地元のミュージシャン達に無料で提供し、彼自身も制作スキルを
磨くことができた。
本件シングルはその頃の作品で、自らが行った自宅録音だ。
Bobby Fuller はその1964年に彼のバンド Bobby Fuller Four と共に
Los Angeles に移り、Ritchie Valens を発見し多くのサーフグループ
をプロデュースしたことで知られるプロデューサー Bob Keane の
Mustang Records と契約した。

 

20-16
The Bobby Fuller Four - King Of The Wheels
The Bobby Fuller Four - The Phantom Dragster
(LP: Mustang Records M-900 mono / MS-900 stereo) 1965
Bobby Fuller はその1964年に彼のバンド Bobby Fuller Four と共に
Los Angeles に移り、Ritchie Valens を発見し多くのサーフグループ
をプロデュースしたことで知られるプロデューサー Bob Keane の
Mustang Records と契約した。
Bobby Fuller Four は地元エルパソに戻り、彼らのデビューアルバム
KRLA King Of The Wheels を制作した。
本件2曲はそのアルバム収録曲で、"King Of The Wheels" は
Bobby Fuller がソロでシングルリリースしていた "King Of The Beach"
の Hot Rod ヴァージョンである。

Bobby Fuller Four は The Crickets による1960年の "I Fought the Law"
をカヴァーし、ローカルシーンで話題となった。
1964年末までに Bobby Fuller は Los Angeles に進出する事が
全国ヒットにする選択肢と考えた。
この時までに、グループはそれぞれ Bobby Fuller のヴォーカルと
ギター、彼の兄弟 Randy Fuller のベース、Jim Reese のギター、
DeWayne Quirico のドラムで構成されていた。
オリジナルメンバーだったドラマーの Dalton Powell のみが家族の
事情で Los Angeles に引越しできなかったので、ドラマーは
Bobby Fuller が直接指導した DeWayne Quirico と替わった。

このラインナップで "I Fought The Law" を録音したが実際には、
ヒットした 45 rpm シングルヴァージョンと、再録音された
アルバムの2つのヴァージョンがある。アレンジは同じだが、
Bobby Fuller によるヴォーカルは若干異なる。
British Invasion と Folk Rock がミュージックシーンの支配的な
ジャンルだった時代に、Bobby Fuller は Buddy Holly のクラシックな
ロックンロールスタイルと Tex Mex (Texas と Mexico 音楽の融合)
の繁栄に固執した。
Bobby Fuller Four が歌った "I Fought the Law" は1966年1月29日
をピークに全米9位の大ヒットとなり、Buddy Holly の死後に
The Crickets がリリースした "Love's Made a Fool of You" を
Bobby Fuller Four がカヴァーしたヴァージョンは1966年4月16日
をピークに全米26位のスマッシュヒットとなり、彼らの最後の
チャートヒットとなった。

 

The Bleach Boys
20-17
The Bleach Boys - Wine, Wine, Wine
(7: Studio City Records SC 1030) 1965
South Dakota 州 Sioux Falls 出身のガレージバンド。
この曲 "Wine, Wine, Wine" の歴史を簡単に説明すると
先ず Floyd Dixon が1952年6月に Jump blues version で
(Aladdin 45-3135) をリリース、その後 R&B のスタンダード
として普及していったのだが、Texas 州 Dallas のガレージバンド
The Nightcaps がサーフスタイルの R&R へと改造に成功し
(Vandan VR-7491) を1960年10月にリリースした。
The Nightcaps のヴァージョンは中南部や南部のガレージシーン
で人気を博し、Colorado 州 Boulder のサーフバンド
The Astronauts が1964年に彼らのアルバム "Everything Is A-OK!"
(RCA Victor LPM-2782 mono / LSP-2782 stereo) にライヴスタイルで
The Nightcaps のヴァージョンのカヴァー曲を収録した。
本件 The Bleach Boys - Wine, Wine, Wine は The Astronauts の
カヴァーヴァージョンを参考にしたサーフガレージチューンで、
ガレージバンドファンの間でとても人気が高い。
The Bleach Boys のメンバーを記述しておく
Dave Rettig, Jay Stout, Rick Yarnall, Ron Odson.

 
20-18
Kassi Lyon - Little Lonely Summer Girl
(7: S&M Records G S K L #1 Promo) 1964
Buddy Holly の死後しばらくの間、The Crickets のリードシンガー
としての地位を確立した David Box の1964年のヒット曲を
スタジオユニットでカヴァーしたのが本件である。
詳細は 5-27 David Box - Little Lonely Summer Girl を参照されたし。
で、ストレイトなカヴァーチューンだが、作者のクレジットすら
印刷してないこのシングルに南部の帝王 Huey P. Meaux (ヒューイ・モウ)
がクレジットされてる。
Huey P. Meaux はアメリカのレコードプロデューサーであり、
Crazy Cajun Records, Tribe Records, Tear Drop Records,
Capri Records 等のレーベルや SugarHill Recording Studios 等
さまざまなレコーディングスタジオの所有者だった。
Louisiana 州生れの彼は "The Crazy Cajun" のあだ名を持ち、
Cajun (ケイジャンあるいはケージャン)とは、祖先が北米東部の
アカディア地方(カナダ南東部のノバスコシア地方)に入植した
フランス人の直系で、イギリス人によってアカディアから追放
されたのち、最終的に主にアメリカ合衆国ルイジアナ州南部に
永住した人々を指す。その名 Meaux の通り、彼はフランス系移民で
イギリス人によってカナダ北部から追放されルイジアナ州南部に
永住した家系であり、しばしば荒々しい行動から "The Crazy Cajun"
と揶揄される。彼はそのニックネームを使って Texas 州 Houston
を拠点にCajun-country をリリースする自身のレーベル
Crazy Cajun Recordsを設立し Dan Penn に Abel の変名で
サイケデリックソウル My Far Away Cow / Ain't It Weird
(The Crazy Cajun Records 518) をリリースさせたのだから、
やはり狂った人物だ、
しかし Huey P. Meaux の功績は南部から全米ヒットとなった
多数の名曲があり
The Sir Douglas Quintet "She's About a Mover"
Roy Head "Treat Her Right"
B.J. Thomas "Are You Lonesome Tonight?"
Freddy Fender "Before the Next Teardrop Falls"
Freddy Fender "Wasted Days and Wasted Nights"
Barbara Lynn "You'll Lose A Good Thing"
Sunny & The Sunliners "Talk To Me"
Gene Summers "Big Blue Diamonds" 等が有名、
また Huey P. Meaux とレコーディングしたミュージシャンは
Jerry Lee Lewis, Johnny Copeland, T-Bone Walker,
Rockin' Sydney, Lowell Fulson, Chuck Jackson, Doug Kershaw,
Doug Sahm,Rod Bernard, Sonny Landreth, Clifton Chenier,
Little Royal, Ronnie Milsap, Mickey Gilley, Delbert McClinton,
Dr. John, Clarence "Frogman" Henry, Bob Wills, Lightnin' Hopkins,
Tommy McLain, Joe Barry, Johnny Winter と枚挙に上がる。

1996年、彼のオフィスが警察に強制捜査され、何千もの
ポラロイド写真と、ほとんどが未成年で性的な状況にある
少女のビデオが見つかった。彼は子供への性的暴行、薬物所持
の罪、児童ポルノの罪、および保釈金を払ってメキシコの
フアレスに一時的に逃亡した罪の2つの罪状について
有罪を認めた。彼は懲役15年の判決を受け、2007年に
釈放されて、2011年4月23日に 82 歳で亡くなった。
やはり彼の狂気を物語る終焉だった。
  
Poor little lonely summer girl
vacation’s made you blue
Poor little lonely summer girl
wish I was there with you

Poor little lonely summer girl
your friends are havin’ fun
They’re too busy laughing
to see you’re only one

They’re so happy school is out
but they don’t understand
hearts that are a summer apart
won’t be happy until school starts again

Poor little lonely summer girl
go on and join your friends
and make yourself smile until
we are together again

They’re so happy school is out
but they don’t understand
hearts that are a summer apart
won’t be happy until school starts again

(Instrumental)

Poor little lonely summer girl
vacation’s made you blue
Poor little lonely summer girl
wish I was there with you


Huey P. Meaux
 
20-19
Kassi Lyon - Lonely Surfer (Its Not The Season)
(7: S&M Records G S K L #5) 1964
プロデュースを担当した Huey P. Meaux については
上記を参照のことあるよ。
スタジオセッションユニットではあるが
語り系のメロディアスなサーフチューンで
バッチグーッ(死語)あるよ。.
 
 

The Newbeats
20-20
The Newbeats - Tough Little Buggy
(7: Hickory Records 45-1269) 1964
(7: Hickory Records HG 1001) 1964
(LP: Hickory Records LPM 120 mono) 1964
(LP: Hickory Records LPS 120 stereo / ST-90701 stereo)
Club Edition stereo copy in 1965
Louisiana 州 Shreveport 出身のバンドなので
南部の名プロデューサー Shelby Singleton と同郷である。
本件は彼らの最大のヒット曲1964年8月15日をピークに
全米2位となった “Bread And Butter” のシングルB面曲
なので重版を重ねられた結果多くのラベルヴァリエイション
が存在する。さらに特筆すべきは1964年にリリースされた
彼らのデビューアルバムにこの曲は収録されたが
そのアルバムはモノラルだけのリリースで、翌年になって
ステレオ盤がクラブエディションとして限定リリースされている。
 
My little Corvair
My little Corvair

I had a little Corvair
And it's really tough
Four on the floor and that was enough
I took my baby ridin'
Now we're goin' for green
There's no doubt about it
It's a goin' machine

It was a tough little buggy
A tough little buggy
A tough little buggy
My little Corvair
My little Corvair

I was out ridin' one Saturday night
And then I saw a terrible sight
My old buddy had a corvair too
And who's my baby with but you know who

It was a tough little buggy
A tough little buggy
A tough little buggy
My little Corvair
My little Corvair

I told him he'd better move out of my way
For I was there first and I was there to stay
He dumb it down and I did too
We both peeled rubber 'til the was blue

It was a tough little buggy
A tough little buggy
A tough little buggy
My little Corvair
My little Corvair

Now we're both walkin'
And it's plane to see
No more girl for him
No more car for me
The boys went down
Oh, wouldn't you know
She's got her own wheels
And a bless my soul

It's a tough little buggy
A tough little buggy
A tough little buggy
My little Corvair
My little Corvair

My little Corvair
My little Corvair

My little Corvair
My little Corvair

 

The Tren-Dells
20-21
The Tren-Dells - Tough Little Buggy
(7: Jam Records 45-111) 1965
上記 The Newbeats の1964年の曲をKentucky. 州 Louisville
のヴォーカルグループがカヴァーしたのが本件。彼らは
The Trend-Els (Tilt 779).The Corners Four (Philips 40488)
の変名リリースもあるが、まず1960年に the Four Frantics
として結成された4人組だ。
Johnny Hourigan (Lead)
Joe Bergman (Tenor)
William Summitt (Baritone) replaced by Jim Settle in 1961,
replaced by Charlie Schuck in 1965,
Bill Mathley (Bass)

The Newbeats のオリジナルヴァージョンは車の効果音が
印象的だったが、The Tren-Dells のヴァージョンは
歌声勝負って感じで、効果音を入れていない。
The Newbeats のオリジナルヴァージョンと意味は一緒だが
歌詞が若干異なる部分があるので聴きながら書いた
歌詞を記述しとく。

My little Corvair
My little Corvair

I had a little Corvair
And it's really tough
Four on the floor and that was enough
I took my baby ridin'
Now we're goin' for green
There's no doubt about it
It's a goin' machine

It was a tough little buggy
A tough little buggy
A tough little buggy
My little Corvair
My little Corvair

I was out ridin' one Saturday night
And then I saw a horrible sight
My old buddy had a two plus two
And who's my baby with but you know who

It was a tough little buggy
A tough little buggy
A tough little buggy
My little Corvair
My little Corvair

I told him he'd better move out of my way
For I was there first and I was there to stay
He talkin on about it gassy and I did too
We both peeled rubber 'til the was blue

It was a tough little buggy
A tough little buggy
A tough little buggy
My little Corvair
My little Corvair

Now we're both walkin'
And it's plane to see
No more girl for him
No more car for me
The boys went down
Oh, wouldn't you know
She's got her own wheels
And a bless my soul

It's a tough little buggy
A tough little buggy
A tough little buggy
My little Corvair
My little Corvair

My little Corvair
My little Corvair

My little Corvair
My little Corvair

 

Harry Deal & The Galaxies
20-22
Harry Deal & The Galaxies - I Feel Good All Over
(7: Laurie Records LR 3338) 1966
(LP: Lotus Records 6-7116) 1966
North Carolina 州で長いキャリアを誇るグループで
Harry Deal and Jim Deal の兄弟自らが所有する Galaxie III Studios
のクレジットはよく同地のバンドのレコードで確認されるので
North Carolina の名門スタジオとして機能したのだろう。
で、本件は彼らのメジャーリリースシングルなのだが
彼らの自主盤アルバムにも収録されてる。
で、当初は赤いジャケットだけだと思っていたら
黒いジャケットで裏写真も異なるヴァージョンが存在していた。
グループメンバーを記述しておく
Harry Deal, Jim Deal, Bob Marshall, Lynn Barker, Mike Carrigan.
 
 
20-23
The Golden Nuggets - Surf Everybody
(7: Hawk Records H-106) 1963
The Golden Nuggets は "Papa-Oom-Mow-Mow" でお馴染みの
The Rivingtons のようなスタイルの R&B vocal group だった。
彼らは1963年3月22 〜 24日の週末に Santa Monica の
Deauville Castle Club で開催された"Surf Battle" に参加した経歴を持つ。
この Hawk Records はサックス奏者で投資家の Jimmie Maddin
が所有するレーベルで、本件シングルで熱いサックスプレイを
聴かせているのは Jimmie Maddin 本人と思われる。
Jimmie Maddinは George Motola と彼の妻でスーパーセッション
シンガー Rickie Page (11-15 を参照。The Majorettes, The Bermudas
等が有名) が書いた "Jeannie, Jeannie, Jeannie" を1958年に
リリースし Eddie Cochran のヴァージョンと競作となった
事でも有名 (12-16 Jeff And The Gino's を参照)

Jimmie Maddin は1940年代には様々な劇場に出入りしていて
Duke Ellington, Clyde McCoy や Benny Carter ら当時の多くの
ビッグバンドのトップミュージシャン達と出会い、彼らと交友を
持っていた。その後1946年に軍に入隊し、日本で陸軍楽隊で
演奏した。退役後に彼は Los Angeles のクラブで演奏し始め
"Nighthawk Bandstand" と言うラジオの生放送番組を主催し、
“Honking” と呼ばれる通称「鳴き声」スタイルを開発し
ロックンロール上のサックスのスタイルに貢献した。
1951年に Jimmie Maddin は自身のナイトクラブを購入し、
1958年から1961年にかけて、彼はハリウッドの有名な
ナイトスポットである The Summit を所有していた。
Jimmie Maddin は後に 6507 Sunset で Sundown Club を所有し、
Wilshire の The Mardi Gras, The Sanbah Room, The Trojan Room,
そして Hot Toddies ら有名クラブを所有した。
Jimmie Maddin の最初のリリースである “Boogie Boo" には、
ジャズの偉大なサックス奏者 Benny Carter が参加した。

また Jimmie Maddin はショービジネスにも介入しており、
American International Pictures による1959年のカルト映画
The Ghost of Dragstrip Hollow に出演した。
因みにこの映画はモンスターコメディーのカルトムーヴィーで、
映画で使用されたインスト曲は The Renegades 名義でシングル
カットされている。そのグループは俳優志望だった若き Kim Fowley,
Bruce Johnston, Sandy Nelson の3人を母体とし Nick Venet と
Richard Podolor が参加している。それは Bruce Johnston の
初期ワークスとしても知られる。
ついでに記述すると Jimmie Maddin 本人曰く「私は The Seeds の
1967年のヒット曲 “Pushin’ Too Hard” のクレジットされていない
プロデューサーである」と言っているが、恐らく彼はセッションに
投資してたのだろう。


Jimmie Maddin
 
20-24
The Premiers - Daytona
(7: RRR 100) 1963
The Premiers と言うバンドはアメリカに多数存在するが、
こちらはジョージア州アトランタのガレージバンド。
“Farmer John”で有名なカリフォルニアのバンドとは関係ない。
女性コーラスグループを配した所謂 Beach Rocker で
熱い Sax break が決まった隠れた逸品だ。
 
 
20-25
The Revelers - 426
(7: LRV Records 640J-8456) 1963
Texas 州の Dallas 近郊の Pleasant Grove にある高校
W. W. Samuell High School の生徒達が結成したバンドで
所謂、卒業記念みたいなものだったのか、それとも地元で
活動してたグループだったのかは定かではない。
オリジナル曲で、なかなかかっこいいので Teen Garage マニアと
Surfin' & Hot Rod コレクター達からラブコールを受けるレア盤。
一応メンバーを記述しておく。
Phil Phelps, Donny Lee, Milton Powell,
Larry Vines, Thomas Vines, David Nelson.
 

W. W. Samuell High School
 

Eddie Carrozza (AKA Eddie Carr, Little Eddie)
20-26
Pilt Down Five - '32' Ford / The Tick
(7: Parliment Records, Inc 102) 1964
Pennsylvania 州 Coatesville のガレージバンドで作者のクレジット
Eddie Carrozza を見て反応した人は Northern Soul やファンクマニア
だろう。Eddie Carrozza は Eddie Carr, Little Eddie とも知られ
Eddie Carr & The Navajos (A&M Records 933) やレアなソウルアルバム
のリリースでも名を馳せる。
彼自身は子門真人のようにハイトーンで粘っこいヴォーカルの
持ち主だが、本件シングルはまだ若く、車の効果音を上手に
挿入するなど、Surfin’ & Hot Rod のムーヴメントに参加した
ローカルバンドとしての躍動感に溢れている。
また東部のローカルシーンを伺えるロックンロールチューンと
場末のクラブを想起させる Lo-fi が心地よい。
B面で聴かせるサーフインストも出来が良く Eddie Carr の
才能が伺える好盤だ。

 
20-27
Pete Cummins And The Redeemers Four - The Surfin' Freeze
(7: Raelex 45-50) 1963
Lansing, Michigan label.
Nice lo-fi surf rocker with cool piano break.
Written by Jerman, Cummins (D. Jerman, P. Cummins)

 

Gary Marlow & The Centuries
20-28
The Centuries - Beach Umbrella World
(LP: Numero Group 074) 2018
A track from compilation album "Teen Expo: The Cleopatra Label"
Limited to 2000 copies. Also released on CD.


Harriet Rogers & The Centuries


D'Amato brothers The Centuries


Gary Marlow & The Centuries


Tommy Falcone
 

The Noblemen Four
20-29
The Noblemen Four - Beach Umbrella World
(7: Mercury 72828) 1968





Leon Carr
 

The Dovells (The Woofers / The Scramblers)
20-30
The Woofers / The Scramblers - Down By The Draggin' Strip
The Woofers / The Scramblers - Mister Hot Rod

The Woofers - Dragsville
(LP: Wyncote W-9011 mono / SW-9011 stereo) 1964
Surfin' & Hot Rod コレクターには The Dovells - Dragster On The Prowl
が有名なフィラデルフィアの Vocal Quartet の The Dovells だが
彼らを一躍有名にしたのは1961年に全米2位となった彼ら細大の
ヒット曲 "Bristol Stomp" である。
因みに1位は Dion の "Runaround Sue" だった。
The Dovells のグループメンバーは以下
Leonard Borisoff (Aka Len Barry: Lead and Tenor)
Jerry Gross (Aka Jerry Summers: Lead and First Tenor)
Mike Freda (Aka Mike Dennis: Second Tenor)
Arnie Silver (Aka Arnie Satin: Baritone)

The Dovells はその後数年間にわたって一連のシングルをリリースした。
その中には1963年にビルボード・ホット100のトップ・ヒットとなった
"You Can't Sit Down" も含まれていた。グループメンバーの Len Borisoff は
1963年末に脱退し、Len Barry という名前でソロ活動を始めた。
彼のソロキャリアの最高点は、1965年のヒット曲 "1-2-3" と
それに続くヒット "Like a Baby" だった。
そんなビッグネームの The Dovells だが彼らは Cameo/Parkway 系の
ハウスバンドとして同レーベルの人気アーティストのバックコーラスを
担当するという役もこなしていた。そんな彼らが時流に乗って
Cameo/Parkway 系の廉価盤レーベルである Wyncote より
変名ユニット名義でリリースした中には
The Liverpools - Beatle Mania! In The U.S.A. (Wyncote W 9001)
1964年の、あのひでえビートルズパチモンアルバムも含まれる。
そして Surfin' & Hot Rod ブームに便乗し二つのグループ名義の
アルバムをリリースしたのが本件で、名前を使い分けてるが同じ音源である。
The Woofers - Dragsville (Wyncote W/SW-9011)
The Scramblers - Little Honda (Wyncote W/SW-9048)
互いの異なる収録曲は両面の1曲目
The Woofers A-1 "Drag City", B-1 "Little Deuce Coupe"
The Scramblers A-1 "Little Honda", B-1 "G.T.O."
で、B-1 "G.T.O." に関してはエレクトリック・ステレオ・リチャネリング
による初期録音の収録となる。True Stereo ではなく初期の擬似ステレオ。
さらに細かい事を言えば、"Dragster On The Prowl" の Mono version は
The Dovells のシングルと同じだが、Stereo version はそれより20秒長い。

 

The Dovells (The Scramblers / The Woofers)
20-31
The Scramblers - Little Honda
The Scramblers - G.T.O.

The Scramblers - Little Honda Featuring GTO
(LP: Wyncote W-9048 mono / SW-9048 stereo) 1964
Surfin' & Hot Rod コレクターには The Dovells - Dragster On The Prowl
が有名なフィラデルフィアの Vocal Quartet の The Dovells だが
彼らを一躍有名にしたのは1961年に全米2位となった彼ら細大の
ヒット曲 "Bristol Stomp" である。
因みに1位は Dion の "Runaround Sue" だった。
The Dovells のグループメンバーは以下
Leonard Borisoff (Aka Len Barry: Lead and Tenor)
Jerry Gross (Aka Jerry Summers: Lead and First Tenor)
Mike Freda (Aka Mike Dennis: Second Tenor)
Arnie Silver (Aka Arnie Satin: Baritone)

The Dovells はその後数年間にわたって一連のシングルをリリースした。
その中には1963年にビルボード・ホット100のトップ・ヒットとなった
"You Can't Sit Down" も含まれていた。グループメンバーの Len Borisoff は
1963年末に脱退し、Len Barry という名前でソロ活動を始めた。
彼のソロキャリアの最高点は、1965年のヒット曲 "1-2-3" と
それに続くヒット "Like a Baby" だった。
そんなビッグネームの The Dovells だが彼らは Cameo/Parkway 系の
ハウスバンドとして同レーベルの人気アーティストのバックコーラスを
担当するという役もこなしていた。そんな彼らが時流に乗って
Cameo/Parkway 系の廉価盤レーベルである Wyncote より
変名ユニット名義でリリースした中には
The Liverpools - Beatle Mania! In The U.S.A. (Wyncote W 9001)
1964年の、あのひでえビートルズパチモンアルバムも含まれる。
そして Surfin' & Hot Rod ブームに便乗し二つのグループ名義の
アルバムをリリースしたのが本件で、名前を使い分けてるが同じ音源である。
The Woofers - Dragsville (Wyncote W/SW-9011)
The Scramblers - Little Honda (Wyncote W/SW-9048)
互いの異なる収録曲は両面の1曲目
The Woofers A-1 "Drag City", B-1 "Little Deuce Coupe"
The Scramblers A-1 "Little Honda", B-1 "G.T.O."
で、B-1 "G.T.O." に関してはエレクトリック・ステレオ・リチャネリング
による初期録音の収録となる。True Stereo ではなく初期の擬似ステレオ。
さらに細かい事を言えば、"Dragster On The Prowl" の Mono version は
The Dovells のシングルと同じだが、Stereo version はそれより20秒長い。

 

Tom & Jerry (Tommy Tomlinson and Jerry Kennedy)
20-32
The Tides - Beach Town Surfers
The Tides - Surfin' Along
(LP: Mercury Wing MGW 12265 mono / SRW 16265 stereo) 1963
From album "Surf City / Surfin' USA And Other Surfin' Favorites"
They also released Promo only 7inch EP:
Australia Philips DJ "Rush!" DJ-124 in 1963
And LP: Australia Philips PD-124 mono in 1963.
The Tides were one of Jerry Kennedy's studio groups on Mercury Records,
and they had been recording under this name since 1962.
Surfin' Hot Rod album by studio session unit
with Jerry Kennedy and Tommy Tomlinson.
Song by The Merry Melody Singers (Part of The Jordanaires of Elvis Presley)
At the time they were making low budget albums on Mercury.
This album is one of them.
US album released in November 1963.
Written by M. Singleton, J. Kennedy (Margie Singleton-Jerry Kennedy)


Margie Singleton


Tommy Tomlinson


Jerry Kennedy



 
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