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Original Intellectual Record Shop COOL HAND are go!
COOL HAND

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第731269400017号
(広島公安委員会)

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Amusement
Club60's
E-mail
 
Vol. 22
01 Jimmy Hayes & The Soul Surfers - Summer Surfin'
02 Tex And The Chex - Beach Party
03 The Stompers - Quarter To Four Stomp
04 The Relations - Back To The Beach
05 Chick & Rick - Back To School (Summer's Through)
06 The Stylers - Pushing Up Daisies
07 The Visuals - The Submarine Race
08 Don Julian & The Larks - Low Rider Girl You're To Cold
09 The Belmonts - Summertime Time
10 The Regents - Summertime
11 Jim Easter & The Artistics - Summer's Here To Stay
12 The Tren-Dells - Let's Go Steady For The Summer
13 The Prizes - Summer's Here At Last
14 The Travelers - Beach Boy
15 The Danes - Little Summer Girl
16 The Dagenites - Now That Summer's Gone

17 4 Buddies - Lonely Summer
18 The Four Winds - Remember Last Summer
19 The Victorians - Wasn't The Summer Short
20 The Intentions - Summertime Angel
21 The Expressions - Summer Day, Lucky Day
22 The "4" Uniques - Maybe Next Summer
23 The Strollers - One Summer Love
24 Grand Prixs - Late Summer Love
25 Janet Shay - Summer Rain
26 Mike Donato - Summertime Love
27 The Altones - Summer Love
28 The Fleetwoods - They Tell Me It's Summer
29 The Royals - Summertime in Maine
30 The Fabulous Four - The Sounds Of Summer
31 The Lancers - The Warmth Of The Sun
32 The Young Lions - Summertime With You
33 The Four Preps - The Greatest Surfer Couple
34 The Caronators - Long Hot Summer
35 Jordan Brothers - Beach Party

Vol.22
More Vacal Group section
Other stuff with beach pop, summer pop etc

 

The O'Jays
22-01
Jimmy Hayes & The Soul Surfers -
Summer Surfin' / Down To The Beach
(7: Imperial 5986 Promo) 1963
18-04 Ronnie Shaw - Surfin Sam を参照。
The O'Jays イコール Gamble & Huff だの、Philly soul だのと
言う人達を座禅させるためのサーフィンソング。
これは The O'Jays と H.B. Barnum が制作したシングルだ。
彼らは1958年に Ohio 州 Canton で結成した The Triumphs という
R&Bヴォーカルグループでオリジナルラインアップは
Walter Williams, Bill Isles, Bobby Massey,
William Powell and Eddie Levert だった。
その後 Bill Isles and Bobby Massey が脱退しトリオになった。
当時メンバーは Canton McKinley High School に通う高校生だったが
1960年に彼らはオリジナルメンバーが戻り The Mascots と改名して
King からシングルを2枚リリースした。
Lonely Rain / That's The Way I Feel
(King Records 45-5435) 1960.
(Do The) Wiggle / The Story Of My Heart
(King Records 45-5377) 1960.

その後彼らは地元 Ohio 州の Cleveland のラジオDJ
Eddie O'Jay への敬意で The O'Jays と改名し
Miracles / Can't Take It (Apollo Records 759-45) を
1961年に New York の Apollo Records からリリースした。
彼らは Imperial Records と契約する直前に H.B. Barnum の
プロデュースで1963年2月に
The O'Jays - How Does It Feel / Crack Up Laughing
(Little Star 124)
1963年3月に Jimmy Norman Vocal Background The O'Jays -
Love Is Wonderful / What's The Word? Do The Bird
(Little Star 126) をリリースした。
Little Star 124 の音源は Imperial Records が買い上げて
Imperial Records 5942 として1963年4月にリリースされた。
そして1963年6月に録音し、7月にリリースされた Imperial Records
移籍後2枚目のシングルとなるグループ自作曲 "Lonely Drifter"
(Imperial Records 5976) が1963年9月14日をピークに
全米93位の初メジャーヒットとなった。
しかし、このヒットを記録する前に、流行に敏感な H.B. Barnum
は Surfin' music をリリースしたがっていた。
何故なら B. Bumble & The Stingers と "Nut Rocker"
(Written by Kim Fowley) を競作した Jack B. Nimble
And The Quicks とは H.B. Barnum のよるスタジオユニットだった。
それで H.B. Barnum は子飼いの The O'Jays をヴォーカルに使って
Jimmy Hayes and The Soul Surfers 名義のシングル
Summer Surfin' / Down To The Beach (Imperial Records 5986)
を1963年10月にプロモ盤のみ配布させた。
このレコーディングは H.B. Barnum がアレンジャーと
セッションリーダーを担当した。
Plas Johnson on sax,
Ray Pohlman on bass,
Carol Kaye and David Gates on guitars
Rene Hall on piano が参加した。

 

Tex And The Chex
22-02
Tex And The Chex - Beach Party
(7: 20th Fox 411) 1963
彼らは1961年に I Do Love You (Atlantic 45-2116) の
マイナーヒットを持っている New York の Doo-wop グループだ。
で、このご機嫌な(死語)Beach Rocker は波の効果音を
導入し、エキサイティングなギターを配す等、もはや
一級品の Surfin' song である。
しかも作者は "Your Ma Said You Cried in Your Sleep Last Night"
全米24位のヒットを作り後に俳優になった Kenny Dino で
プロデュースが FGG (Feldman, Goldstein, Gottehrer Productions)
こと The Strangeloves, アレンジが The Angels や The Shirelles
のアレンジャーとしても有名な Leroy Glover といった、当時の
流行の最先端をいくNew York 産のプロダクションである。
女の子達との Beach Party の実況を挿入するなど、かなりの
イケイケ(死語)っぷりだが、何故かヒットに至っていない。




Kenny Dino
 

Bobby Pickett
22-03
The Stompers - Surf Stompin' / Foolish One
(7: Landa Records 684 Promo) 1962
The Stompers - Quarter To Four Stomp / Foolish One
(7: Landa Records 684) 1962
18-12 Bobby Pickett - Simon The Sensible Surfer を参照。
Bobby Pickett は Massachusetts 州 Somerville で生まれ
高校卒業後、彼は朝鮮戦争で米陸軍信号隊として韓国で3年間過ごした。
動員解除後、彼は Hollywood に向かい、そこで映画や
スタンダップコメディーに参入したいと考えた。
彼の最初のナイトクラブでの出演には、ホラー映画の物まねも
含まれていた。そして彼は1961年に The Cordials と呼ばれる
ヴォーカルグループに参加した、メンバーは
Bobby Pickett
Leonard "Lenny" Capizzi
Bill Capizzi
Ron Deltorto
Lou Toscano

このグループは Doo-wop のクローズハーモニースタイルに
特化し、Bobby Pickett は時折、The Diamonds のヒット曲
である "Little Darlin'" の話し言葉のセクションを
フランケンシュタイン俳優で有名な Boris Karloff の声を真似て
ショーを盛り上げた。それを由来に彼は Bobby "Boris" Pickett
と名乗るようになった。彼らはすぐに、レコードプロデューサー
兼ソングライターの Gary Paxton にスカウトされた。
The Cordials はメンバーの Capizzi 兄弟が書いたオリジナル
Eternal Love / The International Twist (Reveille 106) で1962年
にデビューした。これは Gary Paxton が持つ数あるレーベルの
一つで、プロデュースも Gary Paxton が行った。

Gary Paxton が彼らのために用意した次のシングルは
The Stompers 名義で1962年にリリースされた。
Quarter To Four Stomp / Foolish One (Landa 684)
A面は Bob Todd-Gary Paxton 作品だが、A面を "Surf Stompin'" と
プリントしたプロモ盤も存在する。
この曲は U.S. Bonds (Gary U.S. Bonds) が歌って1961年に全米1位の
ビッグヒットをなった “Quarter To Three” のパロディーで
1時間遅れで "Quarter To Four" としたダンスチューンだ。
ここでも Gary Paxton のノヴェルティーソング好きが確認できる。
このリリースの直後 Bobby "Boris" Pickett はソロとしてのキャリア
に向けて出発し、The Cordials / The Stompers のメンバーである
Leonard "Lenny" Capizzi と共同で "Monster Mash" を書き、
Mash Potato の Dance movement を利用した。
Bobby "Boris" Pickett の半分話し言葉、半分歌ったナレーションには、
フランケンシュタイン俳優 Boris Karloff の声真似だけでなく、
ドラキュラ俳優で非常にアクセントの強い Bela Lugosi の声真似
が含まれている。リフレインでは「彼はマッシュをやった/
彼はモンスターマッシュをやった/モンスターマッシュ
それは墓地のスマッシュだった」と続けた。


Gary Paxton
 

The Relations (AKA The Kac-Ties)
22-04
The Relations - Back To The Beach
(7: Demand Records D-501) 1967
(7: Davy Jones Presents 664) 1967
このおじさん達は New York は Brooklyn 出身のヴォーカルグループ
The Kac-Ties である。彼らの1966年の変名リリース
Jackie And The Umpires (Sew City SC-107) の翌年にリリース
されているが、彼らは The Relations 名義で1963年から1972年
までに6枚のシングルをリリースしており The Kac-Ties 名義で
1963年にデビューしてからは殆ど交互に The Kac-Ties 名義と
The Relations 名義のリリースをコンスタントに続けていたという
変わり者グループである。
Members are
David Nixon (Bass),
Jennings 'Panama' Blackett Jr. (Baritone and lead),
Robert Burton (1st tenor and 2nd tenor),
Jackie Robinson (Lead and 1st tenor),
James Smalls (Baritone and 2nd tenor)

で、本件波の効果音を配した Rocker tune だが、まずは
Fred Kaplan が所有する New York の Kape Records の
A-1 Recording Studios で録音し同レーベルで1965年に
リリースしていた "Too Proud To Let You Know" とのカップリングで
The Kac-Ties 名義でリリースしようとした。
という事は本件 "Back To The Beach" も1965年録音と思われる。
彼らは Kape Records で The Kac-Ties と The Relations の
二つの名義でリリースをしていたので、どっち名義の録音であっても
同じプロダクション下の制作なので Gary Usher のプロダクション
同様に複数の名義によってラジオプロモーションを探っていたのだろう。
Kape Records のオーナーの Fred Kaplan はこのトラックを
The Monkees のメンバー Davey Jones の叔父で Herald-Ember Records
の共同経営者である Jack Angel に売り込んだ。
Jack Angel は名門の Herald Records にも Ember Records にも
投資を行っていたようで、Herald-Ember Records を設立した人物だ。
レーベル運営をする Fred Kaplan が同業者の Jack Angel に
The Kac-Ties の本件音源を売り込み、Jack Angel は Demand Records
を設立しこれを The Relations 名義で Demand Records D-501
としてリリースした。

しかし発足したばかりの新興レーベルではプロモーションも
弱く、Jack Angel は The Monkees の人気を利用するために
甥の Davy Jones の顔をロゴにした Davy Jones Presents という
ふざけたレーベルを1967年に設立して Demand Records D-501
の音源を Davy Jones Presents 664 として再リリースさせた。
その際賄賂を使ったのだろう、ニューヨーク市の WABC ラジオによる
'Pick Hit of the Week' (今週のピック ヒット) の1つに選ばれた。
Davy Jones の顔を印刷したオリジナルカンパニースリーヴに
入れて販売された本件シングルだが、当時はワッツ暴動が起きた後の
緊張が音楽業界を二分していた。

この暴動は1965年8月11日から16日にかけてロサンゼルスの
黒人居住区ワッツ地区とその周辺地域で発生した大事件で、
白人警察官が酒酔い運転容疑で黒人を逮捕したときに
黒人住民と争いになり警察と群集が衝突、放火や略奪で死者34人
逮捕者4000人弱を出した。それが原因でブラックステーションは
白人の音楽はかけないし、白人の放送局も黒人の音楽はかけないのが
当時の緊張した状況であった。そんな超バッドタイミングで
Davy Jones の白人アイドルとしてのネームヴァリューを利用して
黒人グループの Beach rocker tune を売り出そうとした
Jack Angel は変人かビジネスマンの鏡か評価が分かれるところだ。

 

The Ivy Three
22-05
Chick & Rick - Back To School (Summer's Through)
(7: Kenco Records 5018) 1961
これは Koppelman/Rubin production 初期の作品で
彼らが Don Kirshner and Al Nevins が設立した Aldon Music の
スタッフライターとして契約した頃のシングルだ。
Charles Koppelman と Don Rubin のコンビはニューヨークの
Adelphi 大学で友人の Artie Kaye とトリオ The Ivy Three を結成し
デビューシングルのノヴェルティーソング "Yogi" が Billboard chart
全米8位 (R&B chart でも全米22位) の大ヒットとなった。
この歌は Hanna-Barbera 制作のテレビアニメ Huckleberry Hound
(邦題 : 珍犬ハックル) に登場するキャラクター Yogi Bear (日本では
クマゴローとして知られる。声優は滝口順平)を歌った曲で、
One Hit Wonder いわゆる一発屋ヒットとなった名曲である。
で、彼らは "Yogi" がヒットしたので1961年までに合計4枚シングルを
リリースしたが、1961年6月のラストシングルで潔くグループは解散させた。
本件、Chick & Rick は1961年4月頃のリリースなので時期的に
The Ivy Three の後期のセッションで録音されたように推察される。
サウンドも殆ど同じで、The Ivy Three は解散するがその後の大活躍で
解るように Koppelman & Rubin のコンビは Aldon Music の
スタッフライターとして契約し次々とヒットソングを制作していく。


Charles Koppelman & Don Rubin.
 

The Stylers
22-06
The Stylers - Pushing Up Daisies
(7: Gordy G 7018) 1963
彼らは Pennsylvania 州 Hazleton 出身で初期 Motown には
珍しい白人ヴォーカル・トリオ。
彼らは主に50年代半ば以降に有名になったトリオで
Harry "Borros" Boorosa と Tony and Louis Colombo 兄弟に
よって結成された。1954年11月から1957年4月までに
Jubilee からシングル6枚リリースし (Dorothy Forbes
With Clark Mc Clellan Orch. And The Stylers Jubilee 45-5169 /
Dick Thomas & The Stylers Jubilee 45-5208 も含む)、
その後1958年までに Golden Crest から3枚リリースしてる。
(1954年の同名グループ Gentle As A Teardrop / There Were Others
Kicks Records 2-F は黒人のグループ)
何の縁があったか知らないが、彼らは Detroit の名門レーベル
Motown 傘下の Gordy と契約し、1963年に本件ラストシングル
をリリースした。Warner Bros で営業担当をしていて1963年から
Motown の子会社 Mel-O-Dy の責任者になった Al Klein が
プロデュースを担当しているが、彼は Motown group の
南西部のセールスマネージャーも務めてたので、Al Klein が
The Stylers を見つけて獲得したのだと思われる。

The Silvertones "Seven-Piece Bathing Suit" を想起させるような
サウンドで、スリリングな車の効果音と語りを配して
スピードスターとパトカーのバトルを歌っている。
マーロン・ブランドの1953年の出世作 The Wild One (邦題:乱暴者)
やジェームス・ディーンの1955年の名作 Rebel Without a Cause
(邦題:理由なき反抗)に代表される反抗的な若者路線であるので
Gary Usher, The Beach Boys らが活性化させる Hot Rod movement
とは異なるが、効果音と語りによってドラマティックな
作品と仕上げているのが興味ぶかい。

 



The Visuals
22-07
The Visuals - The Submarine Race
(7: Poplar Record Company 115) 1962
New York 州 Brooklyn 出身の1960年代初頭の Doo-wop
ヴォーカルグループ。
結成当初は4人組カルテットだった。
Robbie Joel Farrow (lead)
Anthony "Rocky" Galante (second tenor)
Stuart Magness (first tenor)
Melvin Maron (bass)
そして2年後に Jay Rose が加入して5人組クインテットとなった。
Stan Seifer が1962年に設立した新興レーベル
Poplar Record Company (後の Poplar Records) と契約した。
本件は彼らのデビューシングル。
夏の夜、カップルのロマンティックシーンを遮る
潜水艦レースをテーマにしたロッカーチューンで、かっこいい。

 

Don Julian & The Larks

Don Julian
22-08
Don Julian & The Larks -
Low Rider Girl You're To Cold / Every Body Let's Cruise
(7: Jerk JERK 101) 1980.
A面タイトルが "Low Rider Girl You're To Cold" のクレジットと
"Low Rider Girl" の2種類が存在する。
B面タイトルはどちらも文法的なミスでプリントされており
"Everybody Let's Cruise" とすべきだが
"Every Body Let's Cruise" と間違ってる。

本件シングルは1980年にリリースされたが、1965年9月に録音
していたトラックにリアレンジが加えている。
Chicano Low Rider をテーマにしたソウルバラードで
彼らの代名詞となったヒット曲 "The Jerk" によるイメージを
変えるようなエモーショナルなチューンだ。
B面は突っ込みどころ満載のロッカーチューンで
熱心な Beach Boys Collector なら収集対象にすべきだ。
Chuck Berry 風のギターで幕を開け、軽快なロックンロールが
始まるのだが Surfin' USA のメロディーで Cruisin' USA と歌う。

 

The Belmonts
22-09
The Belmonts - Summertime Time
(7: Sabina Records SAB 522) 1964
The Belmonts - Summertime Time
(7: Sabina Records SAB 522) 1964
The Belmonts が Sabina でリリースしたシングルの中で
最もレアーな一枚。閉鎖間際に Sabina Records がリリースした
最期のシングルで、この曲は Fred Millano が書いたオリジナル、
夏をテーマにしたヴォーカルグループロッカーで
熱いサックスブレイクを挿入した隠れた逸品である。
Members are
Angelo D'Aleo (Falsetto / Ffirst tenor vocal)
Carlo Mastrangelo (Bass vocal),
Frank Lyndon (Lead vocal),
Fred Milano (Second tenor vocal).

The Belmonts は1962年のヒット曲 "Come On Little Angel" の後、
彼ら所有のレーベルである Sabina Records の財政をめぐって
グループ内で亀裂が生じた。
その際 Carlo Mastrangelo が去り、後任には Frank Lyndon が就任した。
Carlo Mastrangelo は Laurie Records でソロ活動を試み
"Carlo" 名義で4枚のシングルをリリースした。
彼のソロはクレジットされていない The Tremonts(The Demilles と
しても知られる)によってヴォーカルサポートされた。
1962年彼のソロデビューとなった "Baby Doll" (Laurie Records 3151)
はフロリダでかなりのエアプレイを受けたが、全米チャートには
入らなかった。1963年 Carlo はオリジナルとは大きく異なる
"Mairzy Doats" のアップテンポのロックンロール・ヴァージョンを
録音した。(オリジナルは1958年の Bobby Beers)
Carlo Mastrangelo の最も注目すべき録音は1964年2月にリリースされた
Ring A Ling / Stranger In My Arms (Laurie Records LR 3227) だ。
"Ring-A-Ling"はニューヨークの DJ Murray Kaufman のお気に入りだった。
Murray Kaufman は彼の放送で毎週の "Record Review Board Contest"
でこの曲を特集し、それは明らかに最高の新作として賞賛された。
Flip side の "Stranger in My Arms" は Ernie Maresca によって書かれた。
これは彼のソロリリースとしては最後となった。

本件シングル Sabina Records SAB 522 は、上記のとおり
Carlo Mastrangelo の Laurie Records 上のソロ活動のラストシングル
1964年2月の後に、The Belmonts 所有の Sabina Records が
閉鎖間際に人知れずリリースした最期のシングルだ。
その経緯から推測して、録音自体は1962年までにされていた
未発表音源だったのではないかと思われる。
1964年から1966年の間、Carlo Mastrangelo は Dion DiMucci (Dion) の
ソングライティングパートナー、バックヴォーカリスト、
そして Dion & The Wanderers のドラマーとしても活動する。
Dion & The Wanderers は Columbia Records から3枚のシングルを
リリースし、The Lloyd Thaxton Show や Dick Clarkの有名テレビ番組
Where The Action Is に全国出演した。
1966年後半、初代 Belmonts のオリジナルメンバーの3人
Carlo Mastrangelo, Angelo D'Aleo, Fred Milano は、Dion DiMucci
と再会し、アルバム "Dion & The Belmonts Together Again" を
ABC Records からリリース。
Carlo Mastrangelo はドラムも演奏し、Dion DiMucci はギターを演奏した。

 

The Regents
22-10
The Regents - Summertime
(LP: Gee GLP 706 Mono / SGLP 706 Stereo) 1961
(7: PRIX 45-50) 1964 or later
New York 州 Bronx 出身のヴォーカルグループで
Dion の大ヒット曲 "Run Around Sue", "The Wanderer" の作者で
自らも "Shout! Shout! (Knock Yourself Out)" のヒット曲を持つ
ソングライター Ernie Maresca が在籍していた。
The Regents の最大のヒット曲1961年5月15日をピークに全米13位
となった "Barbara-Ann" (Gee 1065) は1965年に The Beach Boys
がハウス・ライブ アルバム Beach Boys' Party! 用に録音した。
Jan & Dean の Dean Torrence をゲストヴォーカルでフューチャー
した The Beach Boys のカヴァーヴァージョン "Barbara Ann" は
B面に "Girl Don't Tell Me" を収録しシングルカット (Capitol 5561)
をして1966年1月1日をピークに全米2位の大ヒットとなった事でも
有名なロックンロール史上の超名曲である。
私の世代では George Lucas 監督の1973年の名作映画
American Graffiti に挿入された胸キュン・ソングでもある。

で、彼らを一躍有名にした "Barbara-Ann" をアルバムタイトルにして
1961年にリリースされた彼らのデビューアルバムで唯一の
オリジナルアルバムに収録させたのが本件 George Gershwin が
書いた名曲のカヴァーだ。すでに Ernie Maresca はグループから
離れてソロ・プロジェクトに没頭し当時の多くの流行音楽に
彼はアプローチをかけていた。
元々この曲は1934年に書かれ、1935年に公開されたオペラ
Porgy and Bess のための曲だった。
この曲はその後多くのアーティストがカヴァーし、スタンダード化
されたが、この The Regents のヴァージョンはジャズっぽい
アレンジが施されたヴォーカルチューンに仕上げられている。

プロデュースを担当した Milton DeLugg は長いキャリアを持つ
作曲家で、彼は1953年から多くのテレビショーのバンドリーダー
としても活躍した。彼は変ったとこでは Buddy Holly の
1958年曲 "Rave On!" のプロデュースも担当しており、
言わば1950年代後半から1960年代初頭に全米を巻き込んだ
ダンスムーヴメントの中核にいたプロデューサーだった。

彼らのデビューアルバムの収録曲だった "Summertime" は
Royal Plastics Corporation がプレスした (プレス番号 1155-45-50)
King Records 配給のカスタムプレスのシングル PRIX 45-50
としてシングルカットされた。彼らのデビューアルバムが
1961年リリースなので、このシングルを1961年リリースとする
説が多いが、カスタム番号から1964年頃のリリースと深堀できる。

Members are
Chuck Fassert (brother of Barbara-Ann songwriter Fred Fassert)
Guy Villari
Sal Cuomo
Tony Gravagna
Don Jacabucci

 

Jim Easter & The Artistics
22-11
Jim Easter & The Artistics - Summer's Here To Stay
(7: Cha Cha Records C-718) 1962
大都市 Chicago でも有名な Illinois イリノイ州の南部で
そこから南西にミズーリ州のセントルイスへと
東にインディアナポリス、南東にナッシュビルへと
分かれる分岐点的な場所に位置する
イリノイ州チャールストンとマトゥーン (Charleston / Mattoon)
という二つの隣接する田舎町のバンドが、Chicago の名門レーベル
Cha Cha Records から1962年にリリースしたシングル。
本件 Artie Rabin が作者クレジットされてるが、この人物は
Jim Easter And The Artistic's - Here I Go Again
(Cha Cha Records C-720) の作者でもあるので、恐らく
Cha Cha Records のスタッフライターと思われる。興味深いのは
よく聴くとこの曲は Johnny Burnette の1960年ヒット曲である
"You're Sixteen - You're Beautiful (And You're Mine)" の影響下で
書かれたことが解る。私はこのような「あれっ!?」という体験を
1966年リリースの Don Grady With The Windupwatchband -
The Children Of St. Monica (Canterbury C-501)
でもした事がある。言うまでもなく Johnny Burnette の
"You're Sixteen" はそのタイトル通りティーンを賞賛した
名曲である、日本風に言えば「若いって素晴らしい」といった
素晴らしい瞬間を永遠に閉じ込めようとした曲だ。
これは永遠の夏をレコードにしようとする同じ動機であり、
万国共通のテーマである事を改めて知る事ができる。

Members are
Jim Easter - Vocals,
Maggie Bolt - Vocals,
Bo Turner - Guitar, Vocals,
Gus Pedigo - Guitar,
Bob Perry - Bass,
Gail Helton - Drums,
Al Adamson - Sax,
Mike Lee - Sax.

 

The Tren-Dells
22-12
The Tren-Dells - Let's Go Steady For The Summer
(7: Boss Records 9921) 1967
20-23 を参照。
Kentucky. 州 Louisvilleのヴォーカルグループ。彼らは
The Trend-Els (Tilt 779), The Corners Four (Philips 40488)
の変名リリースもあるが、まず1960年に The Four Frantics
として結成された4人組だ。
Johnny Hourigan (Lead)
Joe Bergman (Tenor)
William Summitt (Baritone) replaced by Jim Settle in 1961,
replaced by Charlie Schuck in 1965,
Bill Mathley (Bass)

本件はオリジナルは Ohio の兄弟ヴォーカルグループ
The Three G's (AKA Dickie And The Gee's. Dick Glasser,
Bob Glasser, Ted Glasser) が1958年にリリースし同年8月4日を
ピークに全米55位となったワンヒットワンダー曲。
Dick Glasser は Dick Lory 名義のクレジットもあるが
後にソングライター、プロデューサーで成功した人物で
The Ventures のもう一人の育ての親でもある。
The Tren-Dells のカヴァーヴァージョンは1967年に
地元 Louisville のローカルヒットとなった。

 
22-13
The Prizes - Summer's Here At Last
(7: Parkway P-917) 1964
作者のクレジット C. O. Smith (Clarance Oscar Smith) 以外に
全く詳細が掴めないシングルだが、1963年11月22日のケネディ大統領
暗殺事件によって多くの業界が自粛ムードにあったアメリカの1964年に
リリースされたために埋没されてしまった悲運の名盤シングルである。

 

The Travelers
22-14
The Travelers - Beach Boy
(LP Prism PR-1966 Mono) 1966
From V.A. - WONE The Dayton Scene.
Ohio 州西部に位置する都市 Dayton 出身のガレージバンド。
同地は Miami Valley マイアミバレーと呼ばれる地域の中心都市で、
同州 Montgomery County モンゴメリー郡の郡庁所在地である。
彼らは The Travelers IV 名義とあわせて2枚のシングルを
リリースしたバンドだが、Dayton のラジオ局 WONE が開催した
バンドバトルに参加し、その際地元のレーベル Prism からリリース
されたサンプラーアルバム "WONE The Dayton Scene" に
収録されたのが本件である。
メンバーの Robbie Buell (Robin Buell) が書いたオリジナルソングで
彼らの得意としていた The Beach Boys スタイルのハーモニーを屈指して
Mega-Sound Recording Studio Inc Dayton, Ohio で録音された。
五大湖周辺で当時のローカルガレージバンドの多くが The Beach Boys
に影響を受けたことを物語る逸品である。

 

The Danes
22-15
The Danes - Little Summer Girl
(7: Charay Records C-303) 1965
(7: Charay Records C-303) 1969
1st pressing Little Summer Girl / Teresa
(Charay Records C-303) 1965
2nd pressing Just A Dream / Little Summer Girl
(Charay Records C-303) 1969
同じカタログ番号 Charay Records C-303 を用いて
片面の収録曲の異なるシングルが存在し、
B面 "Teresa" が1965年の初版、
A面 "Just A Dream" が1969年のセカンドプレス。
Texas 州 Fort Worth の6人組バンド。
5-12 を参照して欲しいのだが、
The Danes - Lost Love (Charay Records C-33) 同様に
Charay Records のオーナーの Major Bill Smith
が Paul & Paula でも有名な Ray Hildebrand と
共同でプロデュースを担当していると推測される。
Classics 4 (Gaylo Records) の Bob Osburn が書いた曲で
Buddy Holly の影響が伺えるサマーソングの隠れた逸品だ。

Charles Jester (Vocals)
Jerry Jack Terrell (Vocals)
Rick Bandas (Bass)
Bill Huddleston (Guitar)
John Reagan (Lead Guitar)
W.R. Lynch (Drums)

Texas Christian University の友愛クラブの
メンバーが中心となっており家族として行動を
する間柄のメンバーも含まれている。
しかし The Danes は1965年の春には解散しており
このグループの残党と Jay Langhammer が新たに
The Gnats と言うビートバンドを結成した。
彼らのマネージャー Sam Coplin が Fort Worth
のプロモーターと懇意にしていたために
マネージャーは $300ドルで 1965年12月下旬
に行われた The Yardbirds のライヴのオープニング
アクトを彼らは務め、そこで8曲演奏したらしい。

 

The Dagenites
22-16
The Dagenites - Now That Summer's Gone
(7: Pixie MCR-204) Mar 1965
(7: Heigh-Ho 620-45) Sep 1965
Washington, DC に近い Maryland 州の Oxon Hill で結成された
ガレージバンドで1965年から1966年にシングル4枚をリリースした。
当時 Maryland 州に住んでいた著名なギタリストで1958年の
ヒット曲 "Rumble" を持つ Link Wray のマネージャーと
彼らは契約した。彼らは地元のクラブでは毎週 Link Wray と一緒に
ブッキングされ共演し、大音量のパフォーマンスで有名になった。
リズムギタリストの Bruce Kennett の父親は Ohio 州 Dayton の
Pixie Records のオーナー Ivan Freemanを知っており、
彼らはそこに行ってレコーディングすることが手配された。
本件はメンバーの Bruce Kennett が書き、J.F. Bardi (John Bardi)
がアレンジをした曲で彼らのデビューシングルとして、
まず1965年3月にPixie からリリースされた。
I Don't Want To Try It Again / Now That Summer's Gone
(Pixie MCR-204)

レコードのプロモーション用コピーの初回プレス盤には、誤って
グループ名が The Joy Boys、レーベル名が "Fencoe" と印刷されていた。
慌てた製造業者は、古いラベルの上に新しいラベルを貼り付けることで
これらのエラーを補ったが、正しく訂正して生産される前に
これらの誤ったプロモ盤が数百枚プレスされて出回った。

バンドのベーシスト兼リードヴォーカルの Geoff Robinson と
リズムギタリストの Bruce Kennett が1965年の春に高校を卒業した後、
彼らはグループを脱退し、新しいメンバーに置き換えられた。
John Bardi の弟 Julian Bardi がベースで、Jon Rowzie が
リズムギターで参加した。グループにはリードヴォーカリストが
必要だったので、バンドの名簿に Jimmy Musgrove を加えた。
1965年の夏、バンドは Ron Barnett が経営するレーベル Heigh Ho Records
の人材発掘オーディションを受けた。John Bardi と弟 Julian Bardi は
バンドを代表して応募し、オーディションに合格し Heigh Ho Records と
契約を結んだ。Ron Barnett は当初、グループの名前を The Dagenites から
The Howling Wolves に変更し、訓練されたオオカミをグループの
パフォーマンス中に登場させることを望んでいた。
John Bardi によれば「もちろん我々はそのアイデアを嘲笑したが、
Ron Barnett は自分自身について非常に確信を持っていて、
実際にレコーディング契約を結んでいたので、我々はそれに同行した。
Ron Barnett がプロデューサーとして成功したと聞いたことがあるが
(それは信じられる)、短い間 Ron Barnett と一緒に過ごしたが、
私は彼のことについて他に何も聞いたことがないので、やはり
Ron Barnett を最終的に信じることができなかった。」
その斬新なアイデアは最終的に破棄され、バンドは The Dagenites として
演奏とレコーディングを続けた。

彼らはフォローアップシングル "I'm Gone Slide" をレコーディング
するためにニューヨークへ旅行し、Wilson Pickett の "Mustang Sally"
のレコーディングに参加したセッションマンが "I'm Gone Slide" の
オルガン・パートを演奏するために雇われた。B面のために
バンドは “Now That Summer's Gone” の新しいヴァージョン
を録音し、このシングルは1965年9月にリリースされた。
I'm Gone Slide / Now That Summer's Gone (Heigh-Ho 620-45)

Members are
John Bardi (lead guitar)
Bruce Kennett (rhythm guitar)
Geoff Robinson (bass and vocals)
Roger Fallin (drums)

 

Van McCoy
22-17
4 Buddies - Lonely Summer
(7: Philips 40122) 1963
(7: Power 16 Red Vinyl were repro bootleg
from Orlando, Florida's label)
美しく感傷的なサマーバラードを聴かせる
Connecticut 州 Stamford のヴォーカルグループだが
4 Buddies と名乗っていながら5人組という不思議なグループ。
しかも録音には Allen Davis こと若き Van McCoy と Van McCoy の兄
Norman McCoy, そして当時の Van McCoy のガールフレンドだった
Kenni Woods こと Kendra Spotswood (別名 Sandi Sheldon,
Alice Presley)が参加している。
この3人は1964年に The Pacettes 名義でシングル
(Regina Records R-306) をリリースしており、Van McCoy と
Kenni Woods の二人は Jack & Jill 名義でデュエットシングルを
1964年から1966年にかけて3枚リリースしている他
The Fantastic Vantastics 名義で1965年にシングル1枚 (Tuff 406)
をリリースした。
彼女は The Vonettes のメンバーとして1968年に Van McCoy の
プロデュースによるシングル (Cobblestone CB 703) もリリース
してるので、長きに渡って Van McCoy と良好な関係を築いた
歌姫であった事が解る。

話戻してこの 4 Buddies だが、同名異グループはいるが彼らは
本件シングル1枚を1963年7月にリリースしただけであるので
グループメンバーの名を列記しておく。
John Vaughn (lead)
brother Richard Vaughn (baritone)
Richard Witherspoon (tenor)
David Kenyon (falsetto)
Eddie Jetter (bass)

 

The Four Winds (AKA The Tokens)
22-18
The Four Winds - Remember Last Summer
(7: Swing Records 45-100) 1964
1963年、The Tokens はプロダクション会社 Big Time Productions
と出版会社 The Bright Tunes を設立し自身のレーベル
B.T. Puppy Records とその子会社レーベル Swing Records を
スタートした。彼らは B.T. Puppy Records では The Tokens と
クレジットし、Swing Recordsで The Four Winds や
The Buddies と名乗った。しかし結局1969年にリリースしたシングル
Let It Ride / One Face In The Crowd (B.T. Puppy Records BTP 555)
でも The Four Winds をクレジットする事になるのだが
当初は B.T. Puppy Records と子会社の Swing Records で
リリースする際にキャラクター分けがしたかったのだろう。
双方からリサーチするプロモーション活動も兼ねてこのような
リリースはよくある。しかも The Tokens が実体だけに
曲が良い、歌が上手い、全てにおいてセンスが良い。

作曲は Ernie Maresca, Joe Collins, Rusty Lane で
Ernie Maresca はすでに The Regents から独立して
ソロ活動していた。Rusty Lane は1950年代後半に
Laurie Records の所属シンガーだったのだが Ernie Maresca 同様に
“Hushabye” で有名な Laurie Records のヴォーカルグループ
The Mystics を彼自身のソロシングルでコーラスで参加させており、
恐らくクレジットはないが Ernie Maresca と Rusty Lane は
Laurie Records 上で既にコラボレイトをしていた間柄だろう。
興味深いのは R&B グループ Frankie Beverly And The Butlers の
メンバーだった Joe Collins だ。
Ernie Maresca, Joe Collins, Rusty Lane この3人は1964年に
Slim Jim - Love Me (Like You Said You Would)
(Laurie Records LR 3253) で共作しており、本件も Laurie Records
のスタッフライターとして Ernie Maresca が活躍していた時期の
産物であった事が推察できる。

The Four Winds members
Hank Medress (Tenor)
Jay Siegel
Mitch Margo
Phil Margo

 

The Victorians
22-19
The Victorians - Wasn't The Summer Short
(7: Bang Records B-550) 1967
New York のホワイトヴォーカルグループだが
Charlie Calello と The Four Seasons の Nick Massi が
深く関係している。
同名グループが Liberty records にいるがそちらは関係は無い。
このヴィクトリア王朝の人々を名乗るグループの歴史は長く
複雑である。彼らは1955年の結成以来、音楽的才能を
知らしめる繊細なセンスの良さ、そして抑制のきいた
グループマナーは New York City からスタートし
Miami Beach や Las Vegas へとツアーを続けた結果
ショービジネス界で良く知られるようになった。
グループメンバーには若き Charlie Calello がいた。
彼らの努力の頂点はテレビ番組 Ed Sullivan Show への
出演で訪れた。

The Four Seasonss と様々な形でつながっているこのグループは、
Bob Crewe と The Four Seasons の"お下がり"を受け取ったようだ。
後のトッププロデューサーで元 Four Seasons の Charlie Calello が
グループに所属していた。彼は Frankie Valli と、後に The Four Seasons
となる Four Lovers の初期グループと活動するために The Victorians は
解散させずに残していた。実際のところ、Charlie Calello は1959年に
Bob Crewe and The Four Seasons (Pre Frankie Valli and
The Four Seasons) で働き始めた後、思うように稼げずにいた。
グループはツアーに出る必要があると感じ、しばらくの間
Bob Crewe and The Four Seasonsを離れた。
Frankie Valli のリードヴォーカルで "Sherry" が録音されてリリース
される前の1961年に彼らは小規模なツアーを行った。
こうして Bob Crewe の友人の Sid Bass が The Four Seasons の
初期の曲やクリスマス・アルバムのアレンジも手がけることになった。
Frankie Valli たちは、Sid Bass は自分たちのスタイルには古すぎると考え、
Charlie Calello に戻ってくるよう懇願した。
Charlie Calello は "Walk Like A Man" のアレンジに間に合うように
The Victorians のショービズツアーから到着した。
このことは、なぜ Sid Bass が1962年末から1963年初頭にかけて
Bob Crewe production の他の曲 Smash records の Matthew Reid,
Lenny O'Henry, Vee Jay records の Hedy Sontag, そして Bob Crewe
が設立した Vivid records の Kevin McQuinn をアレンジした理由でもある。

Charles Calello の大学時代からの友人である Nick Massi と
Tommy De Vito (The Four Seasons の前身 The Four Lovers の
メンバー Nicolas DeVito の弟) の二人の The Four Seasons メンバーは
The Victorians のレコーディングに参加した。
Charles Calello は当時のことをあまり覚えていないがこう
語っている「The Victorians について覚えていることは、私が
アレンジャーになるという夢をかなえているのを見て、彼らが
座っているのを見て、彼らが非常にイライラしたということだ。
傍観者。私がやりたかったことはただ一つ、The Victorians に
チャンスを与えることだった。彼らはポップミュージックに興味が
なかったので、彼らにはチャンスがないと心の中で分かっていた。
彼らは本当にジャズミュージシャンであり、カヴァー曲を歌う
ステージバンドであり、それだけだった。リードシンガーは
Tony Bennett のように歌い、私たちグループは The 4 Freshmen の
ように歌った。レコーディングしたとき、私はただいい人で
あろうとしていた。」

つまり1964年の The Victorians - C'mon Dream / Catrina (Hercules 101)
このシングルは Charlie Calello によってプロデュースされた。
その後、Bob Crewe の弟 Tom Crewe が The Four Evers の
バックアップコーラスを得てほぼ同じように録音した。
Tom Crewe - Come On Dream (Bell 602) Produced by Bob Crewe,
Arranged by Charlie Calello, この曲は、イギリスの作家 Chris Andrews
が持ち込んできた数作品の1つで、Bob Crewe の子飼いの
シンガーソングライター Eddie Rambeau に歌わせた
"Come Closer" (20th Century Fox Records 491)
Produced by Bob Crewe, Arranged by Charlie Calello も含まれている。

で1964年以後は Nick Massi が The Victorians の名をレコーディング
グループとして復活させた。その際彼はこれらのシングルのために
新しいメンバーを採用したようだ。
The Victorians - I Saw My Girl / Baby Toys (Reprise Records 0434)
は1966年1月に慌てたようにプロモ盤のみ配布された。
A面曲は The Four Seasons の Nick Massi が書いた曲で、
B面は Bob Crewe が The Toys にも歌わせる事になる
あの曲で The Toys version が1966年8月リリースなのだが
The Victorians は1965年には既に録音していた。
両面とも Nick Massi Productions がプロデュースを担当した。

実はこの "Baby Toys" には興味ぶかい逸話がある。
先にリリースされた The Victorians version には作家のクレジットが
Decilis-Layton (Tom DeCillis-Richard Layton) となっているが
The Toys version には Linzer-Randell-Decilis-Layton となっており
The Four Seasons の "Rag Doll" でも有名なソングライターコンビ
Sandy Linzer & Denny Randell が追加クレジットされている。
作者の Tom DeCillis 曰く「この曲は元々は The Four Seasons に
歌わせる曲だった。私の友人であり共作者である Richard Layton と
私はニュージャージー州ブルームフィールドで
私 Tom De Cillis と Nick Massi の二人で Tommy & Nicky という
録音スタジオと制作会社を経営していたときにこの曲を書いた。
Frankie Valli からレコーディング用に曲を書いて欲しいと
何度か頼まれた後、私はまさに "Baby Toys" を書いた。
The Four Seasons はそれを聴き、録音することに同意した。
その間、私はいくつかのリハーサルに参加し、そのうちの1回は
ニュージャージー州モントクレアにある私の家で行われた。
Nick Massi がヴォーカルアレンジと楽器編成を担当した。
しかしどうやらセッションの夜に私に内緒で Nick Massi が Bob Crewe
と Bob Gaudio に電話をかけて、Nick Massi がこのトラックに関して
別のアイデアを持っていて「Toy Soldier. Tom again…….」という
おもちゃの独自の解釈を書き加えたことを Bob Crewe と Bob Gaudio
に伝えたようだ。Nick Massi は謝罪し、新しい契約を結ぶと約束して
くれた。彼は The Victorians の録音現場に行き "Baby Toys"
を使用してレコード契約を獲得した。それは The Four Seasons と
リハーサルしたときと基本的に同じアレンジで行われた。
その一方、Nick Massi はその曲を Sandy Linzer & Denny Randell
に渡し、Nick Massi のオリジナルのアレンジメントにさらに装飾を
加えて The Toys に録音させた。レコードが発売されたとき作家は
Linzer-Randell-Decilis-Layton としてクレジットされていた。
彼らは作家および出版者のクレジットを主張していた。
私は BMI に抗議し、Nick Massi もラベルを修正するために
Sandy Linzer & Denny Randellに連絡した。
彼らはクレジットを変更し、レコードはヒットした。

The Four Seasons がリリースする筈だった "Boby Toys" を下に
書かれた1965年3月リリースの The Four Seasons "Toy Soldier"
(Written by Bob Crewe-Bob Gaudio) は構造やハーモニーが似ている
ものの、コンセプトの異なる歌詞とメロディーを持っている。
しかしこの曲 "Boby Toys" が The Four Seasons "Toy Soldier"
に与えた影響が解る。The Four Seasons がリハーサルをし "Baby Toys"
をレコーディングしたときのセッションのマスターがまだ存在していたら
再発コンピの目玉ボーナストラックになるだろう (笑)

で、本件シングル The Victorians -
Wasn't The Summer Short / Merry Go Round
(Bang Records B-550) が1967年9月にリリースされた。
A面は Ohio 州出身のラジオおよびテレビの女性司会者で
作曲家、オルガン奏者の Ruth Lyons が書いた曲のカヴァーで
オリジナルは 1960 年に彼女の友人の女性ジャズシンガーの
Ruby Wright によって Columbia 4-41807 で録音された。
アレンジは New York の楽団指揮者として有名な Irving Spice
が担当。B面は Nick Massi と Ralph Parla が書いた曲。
Ralph Parla は Vi-Tose Record Co. records のオーナーで
Cal Richards (The Ovations) -
Small Town Girl / Let Him Get His Own Girl
(Vi-Tose Record Co. # 100) の作者として知られる人物。
こちらはアレンジを Nick Massi が担当した。
両面とも Nick Massi, Circle Five Productions がプロデュースを
担当しているので、これも Nick Massi の参加と言える。


Charlie Calello
 
22-20
The Intentions - Summertime Angel
(7: Jamie 1253 Promo) 1963
The Intentions はペンシルバニア州フィラデルフィア出身
のヴォーカルグループ。
The Four J's / The Fabulous Four のメンバー Bob Finiz が曲を書き
アレンジも担当、プロデュースは Joe Wissert が担当している。
因みにこの二人は Jan & Dean の1963年アルバム
Surf City And Other Swingin' Cities に収録された "Soul City" を
書いたソングライターコンビでもある。
Bob Finiz (Real name Robert Finizio Jr.) はプロデューサー兼ソングライター
として長年 Jamie Records に携わっていた。
彼は60年代半ばに California に引っ越すまで主に
Charles Koppelman and Don Rubin の作品で作業していた人物だ。
元々エンジニアーだった Joe Wissert はプロデューサーになってから
The Turtles, Gordon Lightfoot, Earth, Wind & Fire, Boz Scaggs,
Helen Reddy らを手掛けて有名になった。

Ernie And The Halo's 名義で Ernie Spano がバックで参加してるが
彼は The Four Dates のメンバーで (The Four-Evers 名義で1枚
リリース Jamie 1247) 、The Four Dates は Fabian のバックを
担当していたグループだった。
1959年、Fabian のバックアップグループを担当していた
The Four Dates がバックから退いて解散したので、代役を探していた
Chancellor Records のオーナー Bob Marcucci が元 The Four J's の
Joseph Pirollo と Robert Finizio に尋ねた。
彼らは Jimmy Testa と Ernie Spano (元 The Four Dates)
の二人をを採用し、新たに The Fabulous Four を結成し
Chancellor Records のアーティスト Fabian, Sonny Vito, Maureen Gray
らとツアーに出て彼らの作品でサポートし、録音アーティストとしても
契約するに至った。

The Intentions は、フィラデルフィアのローカルグループで、
Richard Mignola (lead), John Montmare (first tenor),
John Poloney (second tenor) and Thomas Inzilla (baritone)
Bill Lerario (Bass) の5人で構成されている。
Bob Finiz は本件のセッションでプロデューサーの Joe Wissert
ところへ行き。Finiz と Wissert もバックに参加し
Ernie And The Halo's 名義のクレジットにした。
Ernie Spano はレコーディングセッションのためにニューヨークの
Bell Soundに出かけた。
本件のセッションでは Four Dates こと The Four-Evers (Jamie 1247)
も参加しており、Ernie And The Halo's はこのセッションでは
9人のバックシンガーズとなった。

The Intentions のグループメンバーを再度記述しておく。
Richard Mignona (Lead)
John Montmore (First tenor)
John F Poloney (Second tenor)
Tom Inzillo (Baritone)
Bill Lerario (Bass)
Backed Ernie Spano as Ernie And The Halo's
(AKA The Four-Evers on Jamie 1247)


Joe Wissert

Bob Finiz
 


The Expressions
22-21
The Expressions - Summer Day, Lucky Day
(7: Spectra S-707-2) 1966
Jay Ramsey (Gerald Hugh Ramsey)と Kirby St. Romain
が在籍したテキサス州ダラスの5人組ヴォーカルグループ。
素晴らしいサマーバラードを聴かせる名盤。
Jay Ramsey が曲を書いて、"Susie Q." でも有名な Dale Hawkins が
プロデュースを担当した南部産の傑作シングルだ。

1963年、Jay Ramsey, Bob Kelly, Frank Cole そして Jerry Brown の
4人はヴォーカルグループ The Expressions を結成した。
彼らはシカゴの Smash Records から1枚のシングルでデビューした。
The Expressions - Thrill / (Come Back) Karen (Smash S-1848)
1964 年から彼らはは全国ツアーを開始したが、その際 Kirby St. Romain
が加入している。
翌年には Reprise Records に移籍して
One Plus One / Playboy (Reprise 0360 Promo only) を
1965年4月にプロモ盤のみ配布している。
その後も彼らは10年以上もメンバーを変える事なく、全国ツアーを
16年間も続け、Playboy Club のサーキットを初め、アメリカとカナダでの
ライヴツアーを行ない、1968年からは Nevada 州 Las Vegas の
Casino のレギュラーバンドになった。

Gerald Hugh Ramsey (Jay Ramsey) はレコーディングアーティスト
として50年代から70年代までに United Artist Records,
Reprise Records, Casablanca Records, ABC Records,
Hanover Records と渡り歩き、彼が書いた曲は Elvis Presley,
Conway Twitty, Roy Clark, Johnny Tillotson, Billy Mize らによって
歌われた。特に Elvis Presley のアルバム Elvis Now に収録された
"We Can Make the Morning" はシングルカットもされ Jay Ramsey
の名を広く知らしめた。


Jay Ramsey (Gerald Hugh Ramsey)
 

The "4" Uniques
22-22
The "4" Uniques - Maybe Next Summer
(7: USA Records 753) 1963
シカゴ出身の白人ヴォーカルグループが残したレアシングル。
語りを挿入した美しいサマーヴァラードで人気が高い。
ソングライターのクレジットに誤植あり
Bellac-Brando とプリントされてるが正しくは Belloc-Brando であり
メンバーの Dan Belloc-Mike Brando である。

グループメンバーを記述する
Ken Riccardo, Drew Rezula, Lonnie Weil,
Mike Brando, Dan Belloc.

 

The Strollers
22-23
The Strollers - One Summer Love
(7: 20th Fox 226) 1960
ニューヨーク州ブルックリン出身のティーンヴォーカルトリオ
Joe Prisco, Alex Giordano, Joe Orlando.
作者が Johnny Cale-Joe Price となってるが、Johnny Cale が
J.J. Cale こと John Weldon Cale なのかはいまだに不明。
もし J.J. Cale ならば当時 22歳の作品ということになる。

The Strollers は当時ニューヨーク周辺のナイトクラブで活動しており
MGM と契約し、子会社の Cub からデビューシングルを1960年
1月11日にリリースした。
Dee Dee Brown / Favors (Cub K9060)
そして当時人気のテレビショー The Clay Cole Show に出演して歌っている。
彼らは同年に 20th Fox から本件シングルを1960年9月にリリース。
女性コーラスグループをバックにしたこの美しいサマーバラードは
今でも多くのオールディーズファン達から高い支持を受ける名作である。

 
22-24
Grand Prixs - Late Summer Love
(7: Poncho Records 10) 1963
Tinny & Lum Grand Prixs と関係があるのか未だに不明だが
女性リードをフロントにした素晴らしいサマーバラードを聴かせる。

 
22-25
Janet Shay - Summer Rain
(7: Lin Records L-45-1003) 1958
Janet Shay のソロ名義だが Janet Shay With The Four Jacks 作品だろう。
Janet Shay With The Four Jacks 名義で本件の後の1960年に
If and When / Busy Bee (Alcar Records 1502) をリリースした。
Janet Shay はジャズ系フィメールヴォーカリストで、 Don & Neal との
共演盤や The Janet Shay Trio 名義のシングルを1960年と1964年に
各1枚づつリリースしている。
The Four Jacks は1954年に3枚のシングルをリリースしており
主に Herbie Layne's Orchestra と関係し、廉価盤レーベルでヒット曲
カヴァーをしていた。
この経緯から判断出来るように、Janet Shay はロックンロール黎明期
のポピュラーミュージックシーンでジャズオーケストラを
バックに歌っていた女性シンガーであったようだ。

本件は美しく夢見心地なサマーバラードで、この歌は Dick Tosti Trio
が歌うヴァージョンが彼ら唯一のアルバム
Dick Tosti Trio At The Mar-Mac Lounge (Marquis Records MLS 2001)
にも収録されているが、そちらはリリース時期不明だ。

この歌の作者は Gladys Gallahan がクレジットされている。
この人は1950年の Kitty Kallen & Richard Hayes の "Our Lady Of Fatima"
(Bob Johnstone も時期不明だがSPレコード録音してる) ので
蓄音器/SPレコード時代から活動してた作家である。
本件アレンジを担当した Bob Miketta はソングライター、編曲家、
トランペット奏者で、この人も1950年代に活躍しており Lee Allman と
頻繁にコラボレーションし、Louis Prima, Gene Krupa, Ted Weems 等
とツアーをしていた。

 

The Tridels (Pre Larry Banks & The Servicemen)
22-26
Mike Donato - Summertime Love
(7: PM Records 0101) 1964 or 1965
語りを挿入した美しいティーンポップ系サマーバラードの傑作で
R&B グループ The Tridels をバックに従えている。

Mike Donato について。
ラベルには両面に作家クレジット M. Adornato が記載されているが
Mike Adornato はニューヨーク州北部のグループ Carmen and the Vikings
でベース奏者だった人物で、1965 年には17歳で高校に通っていた。
本件このシングルのB 面の "Dora" の登録著作権は 1959 年に
Mike Adornato となってる。
おそらく Mike Donato の本名が Mike Adornato だろう。
つまり、Mike Donato が本名 Mike Adornato で11歳の時にこの曲を
著作権登録し、リリースしたのは1964年か1965年ということになる。

伴奏をした The Tridels について。
Larry Banks は1950年代初頭から1953年まで朝鮮戦争のために
軍役に服しており、Larry Banks と James Mitchell の出会いが
全ての始まりとなった。Larry Banks はヴォーカルグループを
結成しようと思っていた James Mitchell にテナーヴォーカルができる
Mitchell Edgar “Goody” Goodman、そしてバリトンシンガーで
R&B music に精通してる Victor Gussew を紹介した。
その後何度かのメンバーチェンジを得て1964年から1965年に
アリゾナ州の Luke 空軍基地において The Tridels は結成された。
このグループが発展的に Larry Banks & The Servicemen となる。
The Servicemen 期のメンバーを記述しておく
Larry Banks, Roscoe Halloway,
Ronald Johnson, Edgar Goodman (Mitchell Edgar “Goody” Goodman)

 

Tony Mastry of The Altones
22-27
The Altones - Summer Love
(7: Archer 104) 1961
Albert Mastry と Tony Mastry の兄弟を中心にした California 州
Los Angeles のヴォーカルグループで、彼らは後に
The Beverly Hills Painters 名義でもシングルを2枚リリースした。
彼らは 1959 年頃に The Altones として活動を開始し、
グループの名前は AL と TONY の Mastry 兄弟、つまり Altones とした。
Members:
Albert Mastry (Guitar / Vocals),
Tony Mastry (Guitar /Bass / Harmonica / Vocals),
Ray Sharkey (Drums), Jack Freeman (Keyboards)

本件シングルはティーンポップ系の夢見心地なサマーバラードの
隠れた傑作で、オールディーズファンに人気が高い。

彼らは本件をリリースした後に
Cileen / Love Me Love Me (Gardena G-121) をリリースしたのだが
彼らは The Altones というグループ名の著作権を持ってなかった。
何故なら既に The Altones という黒人のヴォーカルグループが
存在しており、彼らによってクレームがついたのだ。
結果、すぐさま Gardena のレコードは回収されて新たに
The Craftsman と名義を訂正してリリースされている。

1956年から1963年まで Tony Mastry は Beverly Hills Hotel の
塗装職長だった。ホテルオーナーの Hernando Courtwright がもう一つの
Beverly Wilshire Hotel を購入した際に Beverly Hills Hotel は売却され
Tony Mastry は Albert Mastry と同ホテルに残って改築塗装を
手掛ける事になった。
そのホテルは Beverly Hilton として開業するが、彼らは塗装工の
仕事を通じて、グループ名を The Beverly Hills Painters と変更し
Los Angeles を拠点に3枚のシングルレコードをリリースした。
Model A Heap (Jalopy Beat) / Believe Me (Garex 700) 196?
Believe Me / Model A Heap (Jalopy Beat)
(Gateway Records 700) 1966年
Five Foot Three / I Know Why (Gateway Records 701) 1966年

Garex は "Surf Fever" でお馴染みの The Cornells のシングルを
1962年から1963年にかけて100番台と200番台でリリースしているが、
この The Beverly Hills Painters のリリースだけが独立して700番台の
番号がクレジットされている。
Gateway Records は Los Angeles のマイナーレーベルで
Patty Jones - I'm In A Hurry / Rosy (Gateway Records 301) を
1961年4月にリリースしただけの倒産同然のレーベルだった。
恐らくホテルの改築塗装工事で儲けた Tony Mastry と Albert Mastry が
なかば幽霊会社となっていた末期の Garex Records だが、そもそも
このレーベルは Hollywood Celebrities の息子達、所謂お子ちゃまバンド
The Cornells のデビューシングルのリリースでスタートしたが
"Wak-A-Cha" を作曲した Scott Engel (後の Scott Walker) が
The Cornells の録音に演奏も参加したというセレブのレーベルだった。

The Cornells - Wak-A-Cha / Mama's Little Baby (Garex 100) 1962年
The Cornells - Agua Caliente (Hot Water) / Malibu Surf
(Garex 102) 1962年12月
The Cornells - Lone Star Stomp (Deep In The Heart Of Texas) /
Beachbound (Garex G-203)1963年4月
Ray Sharpe - Hey, Little Girl! / The Day You Left Me
(Garex G-201)1963年
Ray Sharpe - I'm In Misery / The Day You Left Me
(Garex 104)1963年7月
The Cornells - Do The Slauson / Surf Fever (Garex G-206)1963年12月

つまり Duane Eddy や Al Casey のギターをバックに Lee Hazlewood
がプロデュースして1959年に全米46位のヒットとなった "Linda Lu"
で有名なテキサス出身の黒人シンガー Ray Sharpe 以外はすべて
The Cornells のリリースだった。セレブの税金対策と彼らの息子達バンド
への出資だけのために設立されたであろう Garex Records に Beverly Hills
のホテル業界で金儲けに成功した Tony Mastry と Albert Mastry が
金を払ってこのレーベルで録音リリースしたので、他のリリースと
カタログ番号の異なる700番台なのだろう。
The Beverly Hills Painters - Model A Heap (Jalopy Beat) / Believe Me
(Garex 700) 196?

Gateway Records は1961年4月に1枚シングルをリリースしただけの
Los Angeles のマイナーレーベルだが、仮にそれが同じ出資者の下で
発展的に設立したのが Garex Records だったとしたら、Tony Mastry と
Albert Mastry は Garex 700 の音源を利用して Gateway Records を
再興させて
Believe Me / Model A Heap (Jalopy Beat)
(Gateway Records 700) 1966年

Five Foot Three / I Know Why
(Gateway Records 701) 1966年
をリリースさせたと推測できる。

なにはともあれ、The Beverly Hills Painters は短期間に人気を博し
1960年に若いながらも定評のある Aretha Franklin の前座を務めた。
1960/61年頃に中古車ディーラーの Cal Worthington が出資した
スター発掘タイプのテレビ番組で彼らはチャンピオンにもなった。
彼らは歌うことに加えて、作曲家や編曲家としても頻繁に活動した。
16-5 Rogues - Barracuda (7: Bing Records 4900 Promo) 1964 を
参照して欲しいが、この Rogues - Barracuda のB面に収録された
"Jezebel" だが、この曲はオリジナルは1951年の Frankie Laine の
ヒット曲だが、Rogues がカヴァー録音した際に Tony Mastry と
Albert Mastry によってプロデュースされた。
この曲には "If ever a devil were born..." (もし悪魔が生まれたら…)
という歌詞が収録されているが、リハーサル中に偶然やってしまった
のでユニークさのため、カットの一部をそのままにしていた。
この Rogues は Columbia Records の Bruce Johnston の同名グループ
とは無関係で、Phil Spector のセッションミュージシャン、ソングライター、
プロデューサーの Al Hazan (Ali Hassan) の数多い変名プロジェクトの
一つである。

 

The Fleetwoods
22-28
The Fleetwoods - They Tell Me It's Summer
(7: Dolton Records No. 62) 1962
ラベル画像最後の Liberty 62 は Dolton の番号 62 を使った
1970年にのリイシューである。

Gary Troxel, Gretchen Christopher そして Barbara Ellis による
ヴォーカルトリオ。"Come Softly Me" と "Mr. Blue" の全米1位ヒットを
持つ所謂メジャーヒットグループで、本件もA面の
"Lovers By Nkght, Strangers By Day" が全米36位のスマッシュヒット
となった。しかし意外に知られていないがB面である本件
"They Tell Me It's Summer" は彼らのアルバム未収曲で、
若き Randy Newman が書いた美しいサマーバラードの傑作である。
プロデュースは Bob Reisdorff (Dolton Records 創設者)
クレジットはないがアレンジは Hank Levine だ。


Randy Newman
 

The Royals
22-29
The Royals - Summertime in Maine / Teenage Dreamer
(7: Croydon Records no number) June 1966
(7: Croydon Records U4KM-6776 Yellow label) May 1967
彼らは1950 年代半ばから後半にかけてMassachusetts 州 Haverhill
で結成されたバンドで1970年頃に解散した。
ジャズヴォーカルグループスタイルで歌われる素晴らしい
サマーバラードで、ローカルグループ然としたステージマナーが
伺えて心地よい。
メンバーを記述しておく
Robert Krikorian - Vocals, Tambourine.
Rick Krikorian - Guitar.
Joe Villanucci - Keyboards.
Dennis Villanucci - Bass.
Jim Hideriotis - Drums.



 

The Fabulous Four
22-30
The Fabulous Four - The Sounds Of Summer
(7: Chancellor C-1078) 1961
ペンシルバニア州フィラデルフィア出身の白人ドゥーワップ
ヴォーカル・グループで The Four J's としても知られる。
22-20 The Intentions - Summertime Angel も参照されたし。

涼しげなアイランドヴォーカルで歌うエキゾチックなアレンジの
サマーバラードの逸品。
ソングライターは Sid Wayne-Sherman Edwards.
プロデュース Russ Faith, Robert P. Marcucci.
アレンジが Russ Faith.
先にメンバーを記述しておこう。
James Testa, Joe Milaro, Joseph Pirollo, Robert Finizio (Bob Finiz).

1957年、南フィラデルフィア地域の4人の仲間がヴォーカルグループ
を結成し、彼らはグループを The Four J's と名付けた。
Jimmy Testa, Joe"Judge"Milaro, Joseph "Junior" Pirollo, Joe Paparella
メンバーの4人が "J" で始まることから名づけられた。
彼らは地元のタレントコンテストで優勝し、マネージャーとして
Buddy Greco と契約、Buddy Greco は1958年にグループを
United Artists Recordsに送り込んだ。
そこでグループは Rock & Roll Age / Be Nice,Don't Fight を
録音したがレコーディングセッションの前に Joe Paparella が
脱退し、後任には Joseph Pirollo の妹の夫である
Robert Finizio (Bob Finiz) が就任した。
Robert Finizio (Real name Robert Finizio Jr. こと Bob Finiz) は
プロデューサー兼ソングライターとして長年 Jamie Records に
携わっていた人物だったので The Four J's はコンスタントに
Jamie のスタジオプロダクションに参加するようになった。
このデビューシングルは United Artists Records UA 125 X として
1958年5月にリリースされた。同年9月に彼らは
Dreams Are A Dime A Dozen / Kissin' At The Drive-In (Herald H-528)
をリリースし、1959年に John Capri - When I'm Lonely / Love For Me
(Bomarc 306) のバックを担当した後にグループは一旦活動を停止した。

その間 Joseph "Junior" Pirollo と Robert Finizio (Bob Finiz) は
The Four Naturals (Red Top Records) のメンバーとなりシングル2枚を
1959年にリリースした。
1959年、Fabian のバックアップグループを担当していた
The Four Dates がバックから退いて解散したので、代役を探していた
Chancellor Records のオーナー Bob Marcucci が Joseph Pirollo と
Robert Finizio に尋ねた。
彼らは Jimmy Testa と Ernie Spano (元 The Four Dates)
の二人をを採用し、新たに The Fabulous Four を結成し
Chancellor Records のアーティスト Fabian, Sonny Vito, Maureen Gray
らとツアーに出て彼らの作品でサポートし、録音アーティストとしても
契約するに至った。

因みに Bob Finiz は Jan & Dean の1963年アルバム
Surf City And Other Swingin' Cities に収録された "Soul City" を
書いたソングライターでもある。

 

The Lancers
22-31
The Lancers - The Warmth Of The Sun
(7: Vee Jay Records VJ 654) 1965
(LP: Lancelot 8170 Promo) 1971
御存知 Beach Boys の名曲カヴァーで、プロデュースは
Hank Levine が行った。シングルは1965年にリリースされたが
曲を収録したプロモオンリーアルバムが1971年に無地のジャケット
にスタンプクレジットとプロモステッカーを貼って配布された。
ある人は「史上最悪の Beach Boys Cover」と言い
ある人は「素晴らしいサマーポップ」と言う。
先にメンバーを記述する。
Bob Porter, Corky Lindgren, Dick Burr, Jerry Meacham.

アニメの「ウッドペッカー」やテレビ番組「名犬ラッシー」の
音楽アレンジ等を手掛けた事でも知られる Bob Porter が参加した
白人ヴォーカルグループ。Bob Porter が参加する以前に
The Lancers は1953年 Van Alexander Orchestra をバックに
Sweet Mama Tree Top Tall / Were You Ever Mine To Lose (Trend 45-63)
1954年に Mister Sandman (Coral 9-61288) でチャートヒットさせた
ことがあるが、これらはSP盤も同時リリースしており
ポピュラーチャート黎明期のことだった。

後にリーダーになる Bob Porter はカリフォルニア州バークレーで育ち
the University of California Berkeley を卒業後、
Westlake Music College, Los Angeles の大学院で修了。
その後、Mills College に通い、フランス人の作曲家 Darius Milhaud
からオーケストレーションを学んだ。
Bob Porter はミュージシャンになりたくて父親に相談すると
「そんなもの金になるのか?」と言われたが、1950年に結成された
The Lancers に加入した。彼らは Charles Walters 監督の1957年映画
"Don’t Go Near the Water" のテーマ曲を Doris Day と録音し、
前記したように Bob Porter はアニメの「ウッドペッカー」や
テレビ番組「名犬ラッシー」の音楽アレンジを行った。彼は有名な
アレンジャー兼オーケストレーター Russ Garcia から
オーケストレーションを深く学び、Bob Porter は Russ Garcia が指揮
する中米グアテマラのバハイ教の聖歌隊 “Voices of Baha’i.” の
リードシンガーになった。Bob Porter はそこからキャリアを一変させる。
Bob Porter は商業用音楽のキャリアを諦めるつもりでグアテマラに行った。
しかし、偶然の出会いにより Discos Dila Records のオーナー
Diaz Duran を紹介され、Tanya Zea, Elizabeth of Guatemala,
Alvaro Torres, Paco Caceres, Vicki Carr, Cesar de Guatemala らを
アレンジする事になった。
そして Bob Porter Coros Orquesta を結成し、ラテンジャズを
普及させる事になった。


Hank Levine
 
22-32
The Young Lions - Summertime With You
(7: United Artists Records UA 177) 1959
ホワイトヴォーカルグループ、恐らくカリフォルニア州ハリウッド出身。
当時 Duane Eddy の作業をしてた Lester Sill と Lee Hazlewood の
プロデュースによる初期の無名シングルの1つ。
こちらは Denny Rockwell の同名グループ The Young Lions (Loma 2022)
とは関係ない。
ティーンポップ系ヴォーカルグループのサマーポップで
作者は Pomcher-Colburt とクレジットされている。
Colburt は Steve Gold と Billy And The Kids
(Lute L-6016 in Jun 1961 / Triangle No Number in 1962) でコラボレート
していた人物で、Lute Records はベテラン・バンドリーダーで
音楽出版社も持つ Al Kavelin が1960年に設立したレーベルで
Los Angeles の Beverly Boulevard にオフィスを構えており、
Triangle は Hollywood のレーベルなので、この The Young Lions は
Billy And The Kids となんらかの接点があると思われる。


Lester Sill


Lee Hazlewood
 

The Four Preps
22-33
The Four Preps - The Greatest Surfer Couple
(7: Capitol Records 5074) 1963
カリフォルニア州ハリウッド出身のアメリカン・フォーク・カルテット。
12-13 The Four Preps - The Girl In The Shade Of A Striped Umbrella
も参照されたし。
Surfer をテーマにした美しいヴォーカルバラードで
作者はメンバーの Bruce Belland-Glen Larson.
プロデュースは Frank Sinatra や the Kingston Trio のプロデュース
でも知られる Capitol Records の Voyle Gilmore が担当。
オーケストラは Ed Cobb の盟友で Capitol Records のスタジオグループ
The Piltdown Men のメンバー Lincoln Mayorga.

Members original lineup
Bruce Belland (lead vocals)
Ed Cobb (bass)
Marv Ingram (high tenor)
Glen Larson (baritone)

 

The Caronators
22-34
The Caronators - Long Hot Summer
(Clock C-1045) 1961
ミシガン州デトロイト出身の R&B ヴォーカルグループが
残したイカシタ (死語) ダンスチューン。

 

Jordan Brothers
22-35
Jordan Brothers - Beach Party
(7: Mer-Bri 101) 1965
アメリカの東海岸、ニューヨークの右隣の
ペンシルヴァニア州の田舎町 Frackville 出身の兄弟グループ。
当然ながらハーモニーはお得意、彼らは15の異なるレーベルから
24枚以上のシングルレコードをリリースし、その中には1957年から
1984年までセルフプロデュースしたものも含まれている。

Members are
Joseph "Joe" Jordan - keyboards and vocals.
Frank Jordan - saxophone and bass, vocals.
Robert "Bob" Jordan - drums and percussion.
Lewis "Lew" Jordan - lead guitar, vocals.

Neil Sedaka "Happy Birthday Sweet Sixteen" meets Dion といった
感じのビーチロッカー。
興味深いことに、このビーチロッカーは Philly Soul singer の
John Bowie (The Philadelphians, Big John & The Philadelphians)
が書いており、プロデューサーの Pancho Villa こと Charles Miller
は Philadelphia の Pee Vee Records のオーナーだ。
と言うことは、この自主盤シングルはフィラデルフィアのダンスブーム
に乗り損ねた彼らが、サーフィンムーヴメントにあやかろうと
リリースしたものの、時流に気づかず昔に流行ったサウンドスタイル
で録音したといったところだろう。当然ながら当時は無視されたし
自主盤だけにプロモーションも弱くプレス枚数も少なく埋没したが
永遠のティーンポップという意味では重宝されるレア盤である。

 
戻る【続く】
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