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Original Intellectual Record Shop COOL HAND are go!
COOL HAND

古物商許可番号
第731269400017号
(広島公安委員会)

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Amusement
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山下達郎さんと私の出会い
山下 達郎(魂の日記)
  
3月20日(水曜日)
今日と明日に達郎さんの広島ライブがある。今日は 2 DAYS の初日だ。
当然、今日には広島入りしているだろう。事務所の人に前もって
ライブチケットを確保してもらっている。私が行くのは2日目の明日21日の
ライブだ。
「達郎さんがお礼を兼ねて COOL HAND に伺うそうですから」と連絡を
もらってから2ヶ月近くなるだろうか。
「光栄です、達郎さんが来られたらサインを貰うつもりです」と答えた。
遂にあの山下達郎が来てくれるのだ。今思えば若い頃にクールスや
ビーチボーイズ、ラスカルズと自分の好きなグループのレコードやCDを
買っていていつも現れる山下達郎って誰なんだろうと思っていた。
恥ずかしながら私はこれまで邦人はクールスと彼らのソロしか聴かないと
いう非常に偏った音楽人生を続けていたのだ。
勿論、クールスからは ROCK & ROLL とスピリッツを教えてもらい、
ビートルズの本でジェームス藤木が「BEATLES の SLOW DOWN も
凄いが YOUNG RASCALS の方も凄いぜ」と紹介されてるのを読み、
一気に YOUNG RASCALS にのめり込むといった無謀な若者だった。
しかしそれら自分を虜にしてくれるグループに必ずといっていいほど
山下達郎の名前が出てきたのだ。
またその後、BEACH BOYS の比較で始まった SURFIN' & HOT ROD に
のめり込み GARY USHER WORKS に夢見ながら過ごしていた。
そんな頃に偶然ダンプカーを運転してた時にラジオで達郎さんの番組を
知り(家屋解体屋をやってた頃はよっぽど運が良くないと達郎さんの
ラジオ番組なんて聴けない)そこでSURFIN' & HOT ROD の特集を
やってるじゃないか。
またしても私の前に立ちふさがる山下達郎の名。

その頃から達郎さんが何者であるか漠然と解ってきて、そして
「いつかはこの人を超えてやる」と幼稚なライバル心が芽生えたものだ。
でも、どうやって達郎さんを超えるんだろう?とか思わずに自分の
知りたい事を頑張って収集したら達郎さんと同じレベルで物が
集められるだろう、ぐらいに思って雲の上の存在の達郎さんを目標に
置いて追いつけ追い越せと頑張っていたのだ。
以前 COOL HAND の主張 OUR TRUE STORY に書いたように私の
周りでは非常に複雑な人間関係と厳しい状況があり強い挫折を覚えた
のも事実だ。でもいつもそこには ROCK & ROLL があり、
ROCK & ROLL に励まされ、それらのパワーに一喜一憂していた。
勿論現在でもそうだ。
その後私は全てのシガラミと過去を清算する為に渡米しそこで多くを
学んだ。そこで知り合った人達は自分の財産であり、国内の友人達も
含む多くの人の支えがあって COOL HAND というレコードショップを
営むまでに至った。
そして店を始めるにあたってCOLLECTOR から退き、全てを責任
持って供給出来るように徹底してきた。
勿論趣味としてSURFIN' & HOT ROD や GARAGE BAND を聴く事は
許されているので収集は止めても聴き続けて楽しんでいる。
そう、全ての出発点、動機は達郎さんの存在にあったのだ。
そして今では達郎さんの依頼を受けてレコードを探して仕入れては、
それを供給させて頂けるという光栄な仕事を与えて貰って感謝している。
それを考えた場合に、当初は達郎さんに追いつけ追い越せと思ってた
自分も、また私の愛したMUSICIANも、そして世界中の友人達も全て
ROCK & ROLL に魂を奪われた人だという事に気づいた。
達郎さんの依頼を作業して仕入れる事が出来、改めて
AMERICAN MUSIC の真髄に触れて、大河のような AMERICAN MUSIC
の歴史を知り、また脈々と流れる継承者の心意気を知る事ができた。
だからこそ全ての音楽に感謝している。知らない事を知りたいという
知的要求が勝っていた若い頃、そして気がつけばそれを伝える側に
なった。若かりし頃に見ていた夢も今こうして達郎さんと言う大きな存在
の中に身を投じる事で改めて自分を知り、まわりを知る事が出来た。
「負けるもんか」と我武者羅になっていた若い頃、そして懸命に何かを
伝えようともがき苦しんでいる現在の自分に対して、達郎さんのパワー
を分けて貰えるならと思っている。
それを意識しだして多くの妄想を抱くようになった。
達郎さんとの会話で質問してみたい事、
「達郎さんのキンタマはでかいのですか?」
「達郎さんの髪はカツラですか?」
「ウンチした時にどっちの手で拭きますか?」
「長州力は新日に残るべきですよね?」
日が近づくにつれて私の妄想的な質問応答の予行演習は高まって
興奮してきた。
それを考えれば考える程恐怖にも似た憶測が脳裏をかすめる。
「もし達郎さんがホモだったらどうしよう」
「もし達郎さんが店内でオナラをしたらどうすればいいのか」
等と IF の最悪仮定ばかりしてしまった。そう、一番最悪な
「もし達郎さんが来なかったらどうするんだ!」にまで至り、
自然と鬱状態になり哀れなレコード屋の死に方まで考えた。
一人で盛り上がり、一人で哀れに落ち込むレコード屋の姿を。

ジョン ケネディーとフランク シナトラの関係を思い出した。
ケネディー大統領が休日をシナトラの家で隠れて過ごすというアイデアが
あった。当時の司法長官だった弟のロバート ケネディーはシナトラに電話
してそれを伝えた。
シナトラは大喜びして「そんな光栄な事はない。どうも有難う」と興奮し
早速シナトラは巨額を投じて大統領専用に離れに豪華な別室を作らせた。
ドアのノブも純金というその別室は急いで建てられた。
しかし当日前になってロバートはシナトラに電話して
「フランク、君はマフィアとの噂があるようで FBI に調べさせた結果、
大統領は君の家に行けなくなった」と連絡してきた。
それを聴き、怒りと屈辱に燃えたフランク シナトラは一生をかけて
ケネディー一家を恨む。もちろんイタリア移民であるシナトラにはマフィア
がバックについている。当時マフィアの大立者だった幾つかの大物も
シナトラを気に入って可愛がっていた。
この事件が原因でシナトラもケネディー暗殺に加担したと言われている
ぐらいだ。屈辱を与えられた積年の恨みがシナトラにはあっただろう。
もし達郎さんが現れなかったら私はシナトラになるのだろうか。
信じる事が大きなエネルギーと変わった今、エネルギーの行く先が
失われた場合に虚無感は訪れ、喪失感と挫折感が大きな重圧となって
私の体に圧し掛かってくるだろう。
放心状態は死ぬまで続き、魂の抜け殻となった
私の体は存在理由すら失うだろう。大きな期待の裏に潜む大きな失望
が現実だった事を受け入れられなくて戸惑い焦るだろう。
強い焦燥感の中、額を走る一筋の冷や汗は下痢をした時の苦い汁にも
似ている。かの偉大なお釈迦様は修行中に悟ったという「荒行では真理
に導かれない」と横着をも超越理解した悟りの眼になった。
そうだ、私に残された道は仏門に入る事だ。しかしここで大きな問題が
私を苦しめる。
そう、私はクリスチャンなのだ。全てを許し、全てを受け入れる事でこの
問題は解決するのか。
どんな荒くれ球だろうが豪速球だろうが癖のある変化球だろうが
ノーサインで受け取れるキャッチャーになれと言うのか。
全ての気まぐれな人達の為に誠意なおもてなしを出来るように構えて
おけと言うのか。
ジーパン刑事は心を許したがばかりに暴弾に倒れ惨めな死に方をした。
刑事ドラマ最高の殉職シーンは惨めで最悪な死に方だった。
「みじめ」と言う言葉は「煮しめ」にも似ているが、その言葉から連想
される状況は正反対だ。
達郎さんが来るのを今か今かと待っていたら、今度は「何故来ない?」の
疑問が浮かび上がってきた。憶測できる「来ない」理由はたくさんある。
「広島に来るつもりで福島に行った」これは考え難いが可能性はある。
「体調が悪く、今夜のライブは中止」これなら私だけでなく多くの人が
ガッカリする。
体調不良の理由は「昨夜、ピーナッツを食べ過ぎて下痢をした」
が私の考えではダントツの1位だ。
因みに2位は「牡蠣を食い過ぎて食あたり」これは広島名産の牡蠣を
プロモーターに勧められての事だ。
「メンバーがリハーサル中に死亡の為に」ならば追悼ライブに早代わり
するだろうが、その理由なら来店する暇はないから許せる。
ただピーナッツの食い過ぎが原因でメンバー死亡だったら私は許さない!
「昨夜、乳首が取れた為」と言うこちらが予測出来ない大惨事も考えておく
必要があるだろう。何故なら暇な時に裸になって自分の乳首のかっこ悪さ
が気になって、乳首をいじってる人は多いと思う(個人比)
そんな事で乳首がポロっと取れた悪夢を私は数回見たことがあるのだ。
とかなんとか考えていたら、今夜のライブの時間が迫ってる。
ああ今日は来なかった。と嘆いていたら突然、Kさんが現れた。
この人は広島出身で現在は東京で絵画を生徒達に教えている先生で、
また私の友人でもあり通販会員でもある方だ。
Kさんなら私の気持ちを理解してくれるだろう。もちろんKさんも達郎さんの
ファンクラブの会員だし、達郎さんが来店してくれる事を前もって伝えて
いたからの来店だった。
「達郎さん、来ました?」とKさんに訊かれて
「いやあ、今日は無さそうですねえ。もうこの時間だし」
「僕もこの時間なら大丈夫だろうと思って COOL HAND に来たんですよ。
もし達郎さんが来ててもライブの為に会場に戻ってるだろうと思って。
そうですか今日は来なかったんですね。実は明日法事があるんで広島に
帰って来たんですが、妹の持ってた明日の達郎さんのライブチケットを
奪って行くつもりです」「Kさん、それ妹さんに返してあげたら? 
ちょうど新田が急用でいかれなくなったと連絡があったんで、新田の
チケットをKさんが買ったら?」「いいんですか?」
「もちろん。だから明日は僕と妹さんと一緒に行きましょうよ」
となった。嗚呼、山下達郎は偉大なり。
達郎さんを理由にいろんな人が当店に来てくれる。これも達郎さんの
吸引力なのだろうか、それとも私の妄想が巨大なオーラとなって人を
集めているのだろうか。
私は既に肉体的にも精神的にもボロボロの状態で今を過ごし
ている。信仰心こそないが 執念、情念、希望、願望、興味、好奇心が
自己の存在理由の達成の為に巨大な塊を形成しているのは間違い
ない。そしてそれが自分の体を蝕み、ストレスとなっているのだ。
それに併せてインフルエンザからきた肺炎と極度の花粉症が私を
苦しめる。この際だから、ここまで生きてきた人生の運を託そうと思った。
それがつけになって後日、私を嘲笑うかの失敗談になってもいい。
願わくば、人生の転機となって欲しいだけだ。
 
3月21日(木曜日)
悪い予感が的中した。朝から雨が降っている。私は布団の中で雨音を
聴いた時に人生の敗北を知った。恐らく病床で苦しみながら吐血し
息絶えた新撰組の沖田総司は今の私と同じ気持ちだったのだろう。
極度の虚脱感と同時に自分を戒める緊張感が襲い掛かってくる。
雨音のリズムはそれを増幅して行く。
しかし、そんな時にアントニオ猪木の笑顔が私の脳裏に浮かび
上がった。39度以上の高熱の中で戦ったケン パテラとのNWF世界戦、
極度の糖尿病で危険な状態だったイワン コロフとのNWF世界戦。
どんな時でも猪木は全てを背負って戦った、そして勝利の雄叫びを
あげたのだ。ボロボロになった勝者の猪木を取り囲む記者団、
それでも猪木の眼は死んでなかった。私は這いつくばって布団を出た。
そしてトイレに駆け込み8回ゲロを吐いた。
間違いなく私は猪木と化していた。プロである以上、一歩外に出たら
プロらしくしてなければいけない。それが出来なくなった時にプロは現役
を退くのだ。千代の富士の涙の引退、鉄人衣笠の涙の引退も同じ。
彼らがプロとして見せてきた真摯な姿勢に我々は酔いしれたのだ。
血ヘドを吐いてでもプロのレコード屋とは何かを後世に示さなければ
いけない。全ての人間は自分の生き様を見せる事が出来るのだから。
そしてそれを客に見せ喜ばせる事が出来て一人前のプロと言えるだろう。
私が死んで棺が出される時に聴衆は「よっレコード屋!日本一!」と声を
かけてくれるだろう。
しかし残念ながら私はクリスチャンだから「レコードヤー アーメン」と
神父さんに言われるのだろうか、それを考えると情けなくて涙が出てくる。
レコード屋の人生なんて罪人の獄中手記みたいなものだ。
レコード屋とは滑稽なもので、例えば店に来たお客さんが一枚のレコード
を持ったと同時に素知らぬ顔をしていても内心「よーっし、それを買え!
買うんだ!」と願っている。しかしそれを客が戻すと「ちょっと待ったあ!
駄目、戻しちゃだめええ。頼むから、それを買ってえ!」と内心では
グチャグチャの顔になっている。顔に出してはいけないが、気ままな客の
瞬時の行動に喜びと悲しみを味わうのだ。
まるでストレスの拷問にかけられている様なものだ。拷問が重なるごと
に罪人としての意識が芽生える。そんな事をよく釣りに例える人が
いるが、魚も賢いから滅多な餌では喜んでくれない。私は釣りが苦手だし
どちらかと言えばプロレススタイルと言えるだろう。場を読み、客を読み
そして相手の技を引き出し過ぎて意外な展開になっても両者にとって
最高の結末を考えなければいけない。いつも私は今お客さんに対して
出来る最高の仕事とは何かを考えている。
無くて当たり前の中古レコードの世界で、どこまでサーヴィスが出来るのか
考えているのだ。限りある資源、限りあるレコードと言われるが想像力に
限りはないと思ってるから、いろんなサーヴィス方法を発想している。
 
気が付けば雨はあがっていた。これも達郎さんの魔力なのだろうか。
これが雪へと変わったらホントに達郎さんの魔法だろう。
私の目の前で DINAH WASHINGTON の ALBUM が私を嘲笑うかの
ようにこちらに向いている。いかりや長助のように下唇だしてマイクを
見つめる彼女の顔はある種の逞しさを感じる。
それはまるで「あんたねー、長く生きてりゃ辛い事なんて山のように
あるんだから」と私に言ってるようにも見える。
腹がたったから DINAH WASHINGTON の ALBUM をDの前列から
後ろに下げてやった。見渡せば店内の全ての ALBUM が私の方を
見つめている。LITTLE STEVIE WONDER なんぞは子供のくせに
サングラスかけて、こっちに向いて笑ってやがる。
しかし祭日の為か、雨があがってから売れ行きが良い。
普段は相手にもされない物が次々と売れて私は鬱状態から脱出出来た。
そして店内には SWING JAZZ を流しているから来客はウキウキした
リズムを保てる。ストレスから開放されたい時は SWING JAZZ や
BOP SWING の SAX PLAY は最高だ。
その後「お前は絶対無理だろっ!」と言いたくなるような金田一少年風の
ガキばかりが入って来た。
やっぱりレコードとは知的な人達が愛好する物だ。世間知らずのガキの
来るとこではない。やはり当店の場合は「未成年立ち入り禁止」の札を
貼った方が良いのだろうか。
東京から来たらしき幾つかのおじさん達も来店して沢山買ってくれた。
「花粉症がひどくて」とマスクをしていた人はどこかで見た事のある上品
な佇まいをした人だった。
どこかで見た事のある人だが思い出そうとしても思い出せない。
仕方ないから私はインド人の一生について考える事にした。
私は記憶が蘇らない時にはいつもインド人の一生について考える。
宗教的な戒律の厳しいインド人は北アメリカに多く移住していて多くの
成功者もいる。あのタイガージェットシンもその一人だ。
ターバンを巻いた金持ちの事を考えると不思議と心が安らぐのだ。
インド人の不思議さを考えたら私の思い出せない謎なんて小さな事だ。
と言う訳で山下達郎は今日も現れなかったし、そんな事はインド人の
不思議さに比べれば大した事ではない。
何か釈然としないまま私は今夜達郎さんのライブに行ってくる。
こんな状況で何を楽しむ事が出来るのだろうか。
天罰を受けに行くようなものだ。
刻一刻とライブ会場に行く時間が迫って来た。
それを魂のカウントダウンと人は言う。
 
3月22日(金曜日)
山下達郎は偉大だった。昨夜の感動の余韻は今も私の中にある。
どんな気持ちで達郎さんのライブを観ればよいのだろうかと、どこか
釈然としないモヤモヤを持って会場に入った。一緒に行った人達は
純粋にワクワク、ドキドキしながらライブが始まるのを待っていただろう。
会場の幕は最初から上がっていて、その AMERICAN OLDIES の玉手箱
から飛び出してきたジュークボックスやネオンを大きくしたセットが所狭しと
ステージ上に並んでいる。ステージライトはまだついていないがそこを
行き来するシルエットでミュージシャン達が用意を始めたのが解る。
やがて徐にブザーが鳴り響き観衆の意識は急激に頂点に達した。
そこで眩いばかりのステージライトが燦燦と輝く中に達郎さんが現れ
歌い始めた。気がつけば私の涙は瞼の堤を超えて、涙は頬をつたって
流れ落ちていた。
これと同じ経験をした事はある。私が高校を留年し一緒に入学した筈の
仲間達の卒業式の時に解ってはいたが式中で私の名前は
読み上げられる訳でなく、ただただホントの同級生達の名前が読み
上げられて私の名を飛ばして次の男の名が呼ばれた時に、ステージを
見つめながら私は溢れる涙を止める事が出来なかった。
その時は悔しくて声をあげて泣いた。
その時は悔し涙だったが、達郎さんの登場を見て涙が溢れてきたのは
何なのだろうか。
達郎さんと私の間に存在する距離を確認できたから、
そしてスターとしての眩い輝き、そして自分の存在理由を見出そうとする
一方的な私の想い。その対象である達郎さんが多くの観衆に迎えられて
楽しそうに歌っている。そこに全てを見て、納得出来たからの安堵感が
私の涙腺を刺激したのだろう。
達郎さんのライブに集まった観客は老若男女に問わず幅広い。
そしてそれら多くの人々に愛されているのは達郎さんの人柄だろう。
感謝の念、愛情の全てが達郎さんの一挙一動に表れている。
ホントにタフな人だ、お客さんを喜ばす為にこれでもか、これでもかと
パフォーマンスを繰り広げる。予定時間が過ぎてなお行われるこのライブ
は達郎さんの気持ちの表れだろう。
矢沢永吉のような派手なアクションがある訳ではないが、客の集中力を
途絶えさす事なく心地よい緊張感を保つところは矢沢さんに共通した
巧みがある。それは土岐さんの HORN のアクセントが上手いからだろう。
達郎さんは意外というか等身大を伝え易いほどの身長で、普通ぐらいの
背丈で足元が細く感じるぐらいに痩せていた。
長髪だが後頭部は薄くなっていて「ザビエル」「河童」「落ち武者」
「ローランドボック」「頭ホタル」「後頭部ミステリーサークル」等、どんな
ハゲ形容詞でも可能なヘアースタイルにオタマジャクシみたいな
微笑ましくも愛嬌のある顔をされていた。皮肉っぽく自身のハゲに
対する弁論をされている姿は子供の言い訳のような微笑ましさがあって、
みんなも笑って聴いていた。
素晴らしいライブパフォーマンスだった。アンコールも終わってみんな
HAPPY な気持ちで会場を出た。
その後、会場の外でみんなと感動を語り合って各自が帰路についた。

私は会場裏の駐車場に行き自分のバイクの前まで歩いた。
駐車場料金の支払機の前には長い列が出来ていたので直ぐには
帰れそうにない事が解った。それを遠巻きに見つめながら考えていた。
気がつくと「これでいいのか、これで自分の気持ちは整理できたのか」と
自問自答していたのだ。すると脳裏に浮かんだアントニオ猪木が
「迷わず行けよっ!」と励ましてくれた。
雷に打たれたように全身からメラメラとした気が発生してきた。
気がつくと私は駆け足で今出てきたばかりの会場に戻っていた。
再び会場内に入り一目散に関係者入り口に入って行った。
この控え室までの通路は覚えている。なんせ高校在学中の4年間、
この会場は合唱祭で4回も使用している。
20年近くも前の記憶通りに控え室まで難なく辿り着いた。
自分の道は自分で切り開き、自分が納得出来る答えを追い求めなければ
いけない。いくら待っていても答えは来ない。ましてや自分を納得させる
事なんか出来やしないのだ。
さっきまで達郎さんのバックを務めていたミュージシャンがいる。
難波さんや佐橋さんが私を見て会釈してくれる。誰かと勘違いしたのか、
それとも私の体から発散する自信のオーラがそうさせるのか解らない。
ステージマネージャーらしき人物が「何か用ですか?」と尋ねてきたので
「私は COOL HAND の竹内といいます。達郎さんにレコードを供給して
いる者です。達郎さんに伝えたい事があるのですが」と言うと
「少しお待ち下さい」と階段を下りていった。
しかしこの下に控え室があるとは知らなかった。
ミュージシャンの大部屋とは違うのだ。間もなくして戻ってきた男は
「どうぞ、達郎さんがお待ちしています」と私を通してくれた。
ここから達郎さんの待つ控え室までの間、階段を下りながら私はプロの
RECORD DEALER へと変身していく。
「わしはプロじゃ。わしは RECORD DEALER としてレコードを販売する事を
生業としているプロなんじゃ。RECORD DEALER はレコードを操れて
ナンボじゃ」と偉大なるプロフェッショナルミュージシャン山下達郎の待つ
部屋まで歩いていった。
扉を見つけてノックをし「失礼します」とドアを開けた。
すると達郎さんはドアの前に立っていて「いつもお世話になっています。
さあどうぞお入り下さい」と腰を折って私を招き入れてくれた。
私が立っていた入り口のところは廊下と同じ高さのフロアーで、
達郎さんのいる控え室内部のフロアーはそれより一段低くなっていた為に
私が達郎さんを見下ろすような格好になっていた。
私は恐縮して「スイマセン恐縮です」と中に入った。
部屋には達郎さん、WARNER の関係者、ツアーマネージャー、
広島FMのDJの清野君がいた。机には紙皿に軽く盛られた裂きイカと
ピーナッツがあった。私が前日に危惧していた「ピーナッツの食い過ぎで
来店出来ない」の理由の張本人のピーナッツだ。
達郎さんは「どうぞお掛けになって下さい」と椅子を用意してくれて私を
達郎さんの隣に座らせてくれた。「どうも有難うございます」と私は椅子に
腰を下ろした。
机を中心に右奥が達郎さん、隣に私、私の隣が清野君。
そして左側の奥にWARNER のお偉いさん、ツアーマネージャーといった
並びだった。私は達郎さんに自己紹介をした。
達郎さんと私の距離は30センチほどだ。遂にやった、自分の力で
達郎さんとの距離を縮めたのだ。
「COOL HAND の竹内と申します。今夜は最高のライブを見せて頂き
有難うございました」と伝えた。
達郎さんはニコヤカな笑顔を見せ「いえいえ、こちらこそライブに来て
頂いて有難うございます。何人で来られたのですか?」と訊かれて
「8人です。チケットを用意して頂いて有難うございました」と伝えた。
明らかに私は緊張していた。入り口に立っていたマネージャーの
若い男が「ビールは如何ですか?」と促してくれたので「スイマセン、
お言葉に甘えて頂きます」とビールを受け取った。
既にその時、控え室の中は私一人を取り囲んで私の話を聴きたいという
状況と独特の空気が流れていた。恐らくそれはアントニオ猪木がソ連に
交渉に出向き、相手側から真意を確認する為にウォッカを出された時の
状況に酷似していたのではないだろうか。出されたビールの毒見をする
事など出来ない状況で「毒を食らわば皿まで」と私も躊躇なくビールを
飲んだ。
しかし良く考えれば達郎さんと膝を合わせてビールを飲める機会なんて
滅多にない事だと後になって思った。
達郎さんは先ず私に「広島FMの清野君です」とプロレス好きの広島FM
の若手DJを紹介した。
私は「私もプロレスが大好きですからいつも清野君の番組は聴いてい
ますよ」と会釈した。清野君は「ありがとうございます」と緊張した赴きで
会釈してくれた。明らかに清野君の方が私より緊張している。
清野君は達郎さんのサンデーソングブックの放送でも自分のリクエスト
のラッシャー木村の入場曲をかけて貰った事があるし、過去達郎さんに
インタビューした事もあるはずだ。しかしこの場では完全に主役はゲスト
である私になっていた。
私は達郎さんから尋ねられた軽い質問応答に答えた。
「竹内さんは年齢はお幾つなんですか?」
「お店はどこにあるのですか?」
とかだ。達郎さんはライブパフォーマンス中に怪我したのか右の唇の上
に赤茶色の傷があった。「達郎さんはタフな方ですね。あれだけのライブ
でしたらぐったりとなるでしょう。MCでも言われていたように痩せて
おられるようだし」「いやあ、ホント痩せましたよ。でもタバコをやめてから
声が良く出るようになりました。体脂肪率も下がりましたし。
でもライブツアー中はホントに忙しくてお店に伺う事が出来ない。
こんどの秋に私用でこちらに来ますから、その時にお店に伺いますよ。
前から一度行きたかったし。で、お店の場所はどこなんですか?」と
尋ねられたら WARNER のお偉いさんが
「あっ俺知ってるから。NTTの前だよね?」と私に言ってきた。
やっぱり間違いない「花粉症がひどくて」とマスクをつけて来店してくれた
人だ。やっぱり業界人だったのか。
私は店の説明をした「私の店は 60'S の SUB CULTURE が
中心の輸入レコードショップなんです。そちらからの連絡で達郎さんが
20年も探されている DOO-WOP SINGLE があるんだけどと依頼を受けた
時には正直言って私も戸惑いました。これは NEW YORK の友人達に
頼むしかないなと思って彼に打診したんです。すると最初の段階で
まとまった数の物が見つかって、直ぐに達郎さんに供給できたでしょ。
達郎さんがレココレで仰っていたように、あるところにはあるんですねえ。
私もビックリしましたよ」
達郎さんは子供の様に身を乗り出して「僕もビックリしましたよ。いやね、
ボロなら何とかなる物もあるんですよ。でも竹内さんから供給して
貰ったのは全部 MINT や EXCELLENT でしょ。僕の友人の宮治君
なんかもボロは幾つか持ってるんですが、皿がボロボロの FAIR って
言うやつばかりですから(苦笑)ROB ROYS なんてホントに綺麗で
驚きましたよ」
「ですよね、僕も LENNY MILES の SCEPTER のラベルを見て、
こんなラベルカラーの SCEPTER なんか初めて見たぞ!って興奮
しましたよ」すると達郎さんは子供の様な笑みを携えてウンウンと
うなずいていた。私はその時に思った、やっぱりそうなんだ、どんな人
だってレコードの前では子供のように無邪気に喜べるんだと確信した。
するといきなり脳裏に菅原文太が現れて
「飲む時はただの人じゃけんのお!」と太い声で言っていた。
「アメリカの友人にも前回達郎さんがレココレの私の収穫で掲載された
号を送ってあげて、君達の活躍でまた貴重盤を紹介出来たよ と
伝えたんです。すると彼も喜んでくれて TATSU YAMASHITA をサポート
する事ができて俺も光栄だよ と言ってました。実は9月11日に
NEW YORK のテロ爆破事件がありましたよね。あの時も彼が達郎さん
に供給するレコードを持ってたんです。でも事件当初はNEW YORK は
こちらからの電信電話も遮断するエマージェンシーが出ていましたよね。
私は NEW YORK に住む全ての友人達に安否の確認を入れたんです
けど彼だけは連絡取れなかったんです。その間も他の友人の友人が
NEW YORK で被害に遭われたとか連絡が入って。暫くしてから彼から
連絡が入り今レスキュー隊と一緒になって被害者の捜索活動している
から、あとで連絡する。俺は大丈夫だよって言ってきたんです」
達郎さんは「ああ、そうだったんですか」
「ええ、だから今日の達郎さんのライブも彼らにレポートを送って
あげようと思っているんです」「そうですか、よろしくお伝え下さい」と
RECORD DEALER としての言葉をダイレクトに伝えた。控え室にいた
みんなも興味深く聴いていた。
「竹内さんは、どうやってレコードを仕入れているんですか?」と訊かれ
「僕は長くアメリカで放浪生活しながらレコード屋になろうと思って
ましたし、出会った旅先での友人関係を持って、今じゃあ幸いな事に
世界中に友人がいまして相互供給をしているんです。誰かが儲ける為
にじゃなくて、必要だと言う物を供給しあっているんですよ。僕の友人
にイギリスの NORTHERN SOUL の TOP DEALER がいるんですけど
彼らのレベルになるとホントに見た事も聴いた事もない物に対して
熱心で、発掘が進めば進むほどに誰も知らない物に辿り着くんです。
彼なんかアメリカに来て1枚の見た事も聴いた事もない SOUL SINGLE
を手にして、これ1枚で採算がとれる!って大騒ぎしてましたよ。
先日も僕が発掘したやっぱり見た事も聴いた事もないけど素晴らしい
内容の1枚を彼に送ってやったら、こりゃ凄い!まだ在庫にあるんなら
何枚でも使えるからまだ欲しいって大喜びしてました。それで見返りと
してレコードを要求したらドサッと沢山の NORTHERN SOUL SINGLE を
送ってくれたり。でもそれらの RARE な NORTHERN SOUL のMARKET
VALUE が解ったところで僕にはあんまり関係ないんです。どこどこなら
幾らって言うのはあんまり広島では関係ないですし、清野君なら知ってる
と思うんですが広島には広島の価格がありますし」と答えた。
達郎さんは「なーるほどねえ。いや、僕の知ってるレコード屋でも
いるんですよ。これ見た事ないやろ?値段?値段は高いでえって言う
人が」すると WARNER の人が「ああ。。。だろ。あそこはひどい。何でも
言い値だから」と言われた。
私は続けた「たしかに発掘の場合は言い値になりますよね。そこまでに
コストが掛かっているんだから。でも広島じゃあそれではやって
いけませんよ」と答えた。
そこで達郎さんは「でも、竹内さんは世界中の御友人の協力があって
レコード屋さんをやってんでしょ?立派じゃないですか」と言ってくれた。
そしてとても気さくに自分のお話まで聴かせてくれた。達郎さんは続けた
「僕達の回りにはそんなにレコードコレクターばかりいる訳じゃないん
ですよ。特にレコードコレクターって世間が小さいですから。
SURFIN' & HOT ROD にしても SOUL にしても。でもみんなそれが好き
なの。昔っからそれだけでみんな一喜一憂しているんですよね。
だから友人達にはホント少ないけど熱心な人達がいまして、宮治君も
7年ぐらいあっちに行ってたでしょ。その時にダウニーで PIPE LINE の
オリジナルシングルの DEAD STOCK が沢山見つかって僕も1枚
貰ったんですが」
「ええお話は伺っています。僕も書籍で木崎さんや宮治さん、鈴木さんの
文章を読んでいて、ああホントにいい時代だったんだなあって思います」
「宮治君なんて¥3800以上のレコードは買った事がない人ですから。
LPだってそう。だからボロばかりならあるんですよ」
「でも達郎さんあの頃の為替換金レートって幾らでしたっけ?」
「あの頃はねえ、$1が¥360の固定時代だったからねえ」
「そうですよね。あの頃$10って言われたら¥3600ですから$20で
¥7200はキツイですよね」
「鈴木さんなんか今でも NORTHERN SOUL のCOLLECTOR 達と凄い
値段でトレードしてる。本人もバカげた値段だって解っているんで
しょうけど」
私は「達郎さんホントにいいレコードってどこの国でも都会にはないんです
東京なんかでも文化があって中央線に住む人達が自分の趣向に応じた
物を買って持ち帰るでしょ。選ばれた物は郊外に持ち帰られるんですから。
それは外国でも一緒ですよ」「なーるほど、それは言えてますねえ」
すると WARNER の人が「それはホントだね。アメリカだってロスや
ニューヨークには綺麗でいい物なんてないよね」
達郎さんは「確かに。ロンドンだってろくな物を並べてないからね」
私も続けた「でしょ?ニューヨークのマンハッタンのレコード屋なんてボロの
汚いのを高い値段で売ってるでしょ。結局レコード屋も供給して貰わなきゃ
いけないんですから郊外にあるレコードを供給して貰おうとする。
だから外国にいる僕の友人達も郊外に足を運んで選ぼうとしてるんです。
僕は広島でそれを地元に還元出来るのかどうかを真面目に考えて
やっているんです」
とまあ、山下達郎大先生を前にしてよくもここまで話しが出来たもんだ。
今振り返れば緊張の方が勝っていたけど達郎さんが作って下さった
和やかな雰囲気の中でレコード屋の資質から供給の苦労まで簡単では
あったが伝える事が出来て嬉しかった。
最後に私は「今日はどうも有難うございました。またお会い出来る事を
楽しみにしています」と伝え握手してもらった。達郎さんは出口まで私を
案内してくれて「竹内さん、名刺はお持ちですか?」と尋ねられたが
「スイマセン僕は名刺を持って歩かない人なんです」と苦笑いするしか
なかった。それではとマネージャーの方から名刺を頂いて会釈して私は
会場から出た。バイクを置いていたところまで走って戻りタバコに
火をつけた。

あああああサイン貰うの忘れてたあ!!
レコード屋としては正解だったが、ファンとしては失格だったようだ。

では御唱和お願いします。 1,2,3、ダーッ!
アントニオ 竹内 
(本編をアントニオ猪木ファンと山下達郎ファンに捧げる)
 
深い森へと続く
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