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第731269400017号
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災害の歴史、過去から学ぶ新型コロナウィルス対策。
過去の日本の災害歴史に基づきコレラ対策と比べながら
新型コロナウィルス対策について論じています。
人々の不安を煽らないように心がけて記述させて頂いて
いますが、拙な文章故にもし本文の表現等で
ご不快の念をおかけ致しましたら、深くお詫びいたします。

日本が近代化整備されていく背景でどのように感染病が
蔓延していったのか、幕末から明治維新、そして戦前戦後
の日本の歴史も見つめなおしました。各分野の専門家の
方々の論文や書籍から学びながら私は指摘ポイントを
抜粋し、災害の歴史を時系列に編集して解説させて
頂いています。それら全ては対策を探るための一考察
として読んで頂ければ幸いです。
 
 
コレラの対応から学ぶコロナウィルス対策

紀元前からの人類の記憶、例えば100年を祖父、父、自分と
3世代で生きるとして2000年を60世代で生きてきたと
試算できます。2000年間で人類は何を経験して、
それを記憶に刻みながら乗り越えてきたのか。
平安時代の869年に東北は貞観地震(じょうがんじしん)
という大震災がありました。2011年の東日本大震災
1142年後に発生したのです。日本では1000年に1回の
頻度で東北方面を震源地とした大震災が起こると
考える事も可能です。今では活断層の研究も
進んでいますが、その反面原子力発電所の配置等
危険要素も増えています。1000年以上も前です、
いまほど人口密度が高くなかったし、湾岸の産業も
確立してなかったので被害者の数は東北大震災と
比べるほどもありませんが、貞観地震と津波の後に
人々の移動があり疫病が流行しているのも事実です。
これは大局的に見れば、人々の移動による
疫病の拡大リスクを示唆しています。
 
明治から大正にかけて
活動した日本の歴史学者、
地理学者の吉田 東伍
(よしだ とうご)が発表した
貞観地震についての
研究論文が掲載された雑誌
「歴史地理」8巻12号。

防災と災害情報のニュースメディアである
ハザードラボでは防災を促すために貞観地震の
前後の地震年表を掲載しています。
日本では869年に貞観地震が起きた前後に
8度の大きな地震を記録しており、それは当時、
平安時代(794年 - 1190年ごろ)が地殻変動期
だった事を表しています。これはウィキペディアの
地震の年表(日本)」でも同様に記されています。
昔は衛生環境が整っていなかった事もあり
大きな地震が多い時代には感染病の発生と拡大が
頻繁であった事が着目されます。

850年 山形、秋田で地震津波。山形にあった出羽国府
が津波と(もしくは川の決壊)で被害
863年 新潟で地震。圧死者が多数
868年 兵庫で地震。官舎や寺がことごとく倒壊との記録
869年 東北を襲った貞観地震(陸奥海溝地震)
869年 奈良で断層が露出する地震
869年 熊本県で地震津波(もしくは川の決壊)
878年 神奈川、東京、埼玉を中心とする南関東地震。
官舎も民間も建物で一つとして無事なものはない。
880年 島根で地震。神社仏閣に損害多数
887年 南海トラフ地震。大阪湾に津波が襲来する

私の父は医療薬品に従事していながら医療によって
殺された数奇な運命を持った人でした。
私は若い頃から我が家の家系図作成に
とりつかれており、その中で幕末研究を
続けてきました。そして幕末研究の一環として
江戸時代に流行した疫病を当時の人たちは
どのようにして克服したのかを私は調べてきました。
そのきっかけとなったのは
手塚治虫先生の著
陽だまりの樹』で
手塚先生の曽祖父
手塚良仙
さん(てづか
りょうせん。元は良庵
りょうあん。父を継いで
良仙を後に名乗った)が
緒方洪庵適塾で学び、
当時の医療側で活躍
されていた事とその苦労を
知ったからです。

   手塚良仙

過去人類は世界的な疫病をその英知によって
何度も乗り越えてきています。
特に18世紀後半の産業革命以降の生活習慣の
改善に伴い、医療の近代化はそれまでの祈祷や
霊的な療法を淘汰させ、病の原因と解決法を明確に
してきました。

私は過去から学ぶという観点から江戸時代に
流行したコレラとその背景を調べてみました。
『日本の歴史災害』を書かれている歴史地理学における
歴史災害研究のパイオニア菊池万雄(きくち かずお)先生
によるレポート『江戸時代におけるコレラ病の流行
寺院過去帳による実証』によると流行病とは
「流行年ほど死亡率が高い」とのことです。
新型コロナウイルスの感染拡大により、
世界中で衛生管理の徹底や外出自粛などが
叫ばれています。江戸後期から明治期の日本で
発生したコレラの大流行では、どのような社会状況で、
どんな対策が奨励されたのか?

コレラの対応から学ぶコロナウィルス対策
@日本の疫病の歴史

日本の歴史上、疫病として流行したと
考えられているものに、天然痘(疱瘡)、
麻疹(はしか)、赤痢コレラインフルエンザ結核
癩(かったい:ハンセン病)、梅毒コロナウイルス等が
あげられます。こうした病気は元々特定の地域の
風土病でしたが、文明、文化、社会の発展と
異世界との交流拡大による人や文物の往来に伴い、
これまで同種の病が存在しなかった地域にも伝播し、
中には世界的に流行するようになったと考えられています。
しかし、中世に西洋で流行したペストや黄熱病などが
引き起こしたような感染症のパンデミック(世界的大流行)
に日本は19世紀まで巻き込まれていません。
極東の島国で最初に猛威を振るったのが、
江戸時代後期のコレラでした。コレラは日本では
19世紀に初めて発症したとされ、それ以前には
存在しなかったとされています。

まず日本では6世紀に天然痘(疱瘡)が大流行し、
その後も度々感染が広がり、麻疹(はしか)の
流行も発生しました。
日本書紀』には崇神天皇(すじんてんのう)の時代に
疾疫が流行し人口の半数が失われてていた事と、
亀卜(きぼく:カメの甲羅を使う卜占の一種。カメの甲羅に

崇神天皇
熱を加えて、生じたヒビの
形状を観て占う)と沐浴
(もくよく:体を水で洗い
潔めること。宗教的な儀式)
斎戒(ものいみ:ある期間中
ある種の日常的な行為を
ひかえ、穢れを避けること)
を経て神託を得て
大物主大神を祭ることで
疫病が止み民が栄えたこと
が記され、平安時代の辞書
倭名類聚抄』(わみょう
るいじゅしょう)には“疫”の
字の意味について「民が皆
病むなり」とあります。

日本環境感染学会清水喜八郎先生は
「7世紀に書かれた『日本書紀
に疾疫、疫疾、疾気(えやみ、えのやまい)
なる言葉がみられる。この言葉が
疫病 → 伝染病 → 感染症と変わってきた
歴史をみると、この疾病はきわめて長い間、
人類にとって対応が困難であったことが示されている。
近年、伝染病という言葉が感染症に変わった時点では、
その対応はかなり解決されたと考えられているが、
新興感染症、再興感染症の出現、さらには
テロによる生物兵器の登場など人類は再び
感染症の恐怖に怯える時代に入りつつあると
するならば、その対策は早急にたてられなければ
ならないであろう」と報告されています。

日本医史学会理事長である酒井シヅ先生の著書
病が語る日本史』(講談社)によりますと
日本の国家整備と疫病の蔓延が指摘されています。
7世紀後半に成立した中央集権型の律令国家によって、
全国的な交通網がいちだんと整備されます。
その結果、疫病が拡散しやすい社会が作り上げられ、
病原体が持ち込まれると、国内で一気に広まりかねない
インフラができていたことが指摘されていました。
奈良時代は、まさにそうした時代であり、
聖武天皇(しょうむてんのう 701年〜756年)は疫病の

聖武天皇
蔓延や天候不順による
飢餓、大地震などに深く
悩みました。そして
人身一新を図る究極の
国家的プロジェクトとして
東大寺の大仏造営に着手し、
仏法の威霊によって天地が
安泰となる事を祈りました。
神仏に頼る機運は人々の
間にも高まり、「節分」の
「鬼は外」の鬼とは、
「疫病神」のことで、
「感染症は国外に出ていけ」
の意味だったといいます。

という事は外から疫病が持ち込まれるという
人々の意識が強かったことが伺えます。
しかし東大寺の大仏建設に関わらず日本では
平安時代(794年 - 1190年ごろ)に貞観地震を
含め頻繁に大地震が起こりました。
しかしながら人口が増え、都市整備、交通整備に
伴い人々の行動範囲が広がれば一気に感染拡大する
といったメカニズムは昔も今も変わりません。
日本の歴史学者である内海 孝さん著『感染症の近代史
(山川出版社)では、開国を進めるにつれ、国内では
さまざまな感染症のリスクも高まり、「攘夷」の一因
にもなったこと、すでに日本よりも医療が進んでいた
西洋医学の知識がもたらされたことで、結果的に開国が
後押しされたこと、などが記されています。

当時の平均寿命を考える場合に、重要な
留意点があることも再認識できます。
痘瘡(天然痘)について、江戸時代の
美濃国(現在の岐阜県)のある村の宗門改帳を
基にした調査によると、1831年からの10年間
平均で、5歳以下の乳幼児の5人に1人は
痘瘡で死んでいました。ところが種痘が1849年に
日本にも導入され、村の医者が実施したところ、
1851年には100人に3人へと激減しました。
この医者が亡くなると、再び元の死亡率に
なったといいます。こうした子どもの死亡率を除くと、
江戸時代でも平均寿命は約60歳だったといいます。

麻疹(はしか)が怖い病気だということも
報告されています。江戸時代は13回流行し、
1862年(文久2年)には江戸だけで7万人
(各寺の報告では24万人)が死んだといいます。

 
コレラの対応から学ぶコロナウィルス対策
Aコレラの流行の始まり

感染症コレラはガンジス川流域の風土病でしたが、
英国がインドを植民地支配し、アジアでの貿易を
展開していた19世紀前半から全世界に広がっています。
激しい下痢と嘔吐を繰り返し、脱水症状によって死に至る
コレラは日本でも幕末から明治にかけて
たびたび流行しています。
日本で初めてコレラが発生したのは、
最初の世界的大流行が日本に及んだ1822年(文政5年)
のことです。

感染ルートは朝鮮半島あるいは中国(清、しん)経由で
琉球からと考えられています。
九州から始まって本州に渡り、西日本で大きな被害を
出した後、東海道沿いを東進しましたが、関所によって
箱根を越えて江戸には至りませんでした。

1848-1849年のコレラ2回目の世界的流行時に
日本は波及を免れました。

1853年(嘉永6年)に代将マシュー・ペリーが率いる
アメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む
艦船4隻が日本に来航した事件を黒船来航と呼びます。
艦隊は江戸湾入り口の浦賀(神奈川県横須賀市浦賀)
沖に停泊し、一部は測量と
称して江戸湾奥深くまで
侵入しました。結果徳川幕府
ペリー一行の久里浜
への上陸を認め、そこで
アメリカ合衆国大統領国書
が幕府に渡されて
1854年(嘉永6年)日米和親
条約締結に至りました。
日本ではおもに、この事件
から明治維新までを「幕末
と呼んでいます。

  マシュー・ペリー

コレラ2回目の世界的流行時に日本は
被害を免れていたのですがコレラの
世界的流行3回目となった
1858年(安政5年)から1862年(文久2年)の
4年間には日本全国に流行し、江戸で約3万人以上
が死んだといいます。
100万人以上が暮らす当時世界最多の都市人口だった
江戸の町に、コレラの脅威が及んだのは
1858年(安政5年)でした。感染源はペリー艦隊に
属していた米国艦船ミシシッピ号で、中国を経由して
長崎に入った際、乗員にコレラ患者が出たと伝わります。
この年に、日米修好通商条約を含む5カ国との
不平等条約が結ばれ、鎖国政策を続けて来た日本
では国民に不安が広がっていました。
外国から伝来した感染症の流行が重なり、大きな恐怖心を
生んだことが容易に想像できます。

文献によっては江戸の死者数は約10万人とも、
28万人や30万人に上ったとも記録が残り、
浮世絵師の歌川広重も命を落としました。
当時の江戸の人口は100万人以上だから
相当な死亡率となります。
そこから、当時の人々はこの病気を「コロリ」と呼び、
「虎狼痢」「古呂利」などとも当て字をしていました。
3年前の1855年(安政2年)には安政の大地震
あったので幕末は天変地異、感染症の波状攻撃を
受けていた事になります。
このような状況は現在の我々と同じではないでしょうか。

1886年(明治19年)の錦絵『虎列刺退治』では
「狐狼狸」と「虎狼痢」が混ざった妖怪「虎狼狸(コロリ)」
が描かれています。コレラは虎の頭部に狼の胴体、
狸の巨大な睾丸を持つ奇怪な動物として描かれています。

錦絵『虎列刺退治』

コレラは当時の物流の中核だった廻船(かいせん)によって、
東北などの港町にも運ばれました。江戸の死者数のピークが
1858年(安政5年)だったために流行年とされますが、
地域によっては翌年の被害の方が甚大だったとの
報告もあります。コレラの流行まで、日本国内に医学的な
感染症対策はほとんどなかったのです。
加持祈祷
(かじきとう)に頼り、疫病退散のお札を戸口に
貼って家に閉じこもったり、病気を追い払おうと太鼓や
鐘を打ち鳴らしたりしたといいます。
 
コレラの対応から学ぶコロナウィルス対策
B幕末のコレラの対応策

中間まとめ コレラは1822年から1862年まで40年間
で3度のパンデミック(世界的流行)をつくっていた。
1回目の1822年(文政5年)は九州から始まって
東海道に及んだものの、関所によって箱根を越えて
江戸に達することはなかった。
2回目の世界的流行時1848-1849年に日本は波及を免れたが
3回目は再び日本に達し、1858年(安政5年)から
1862年(文久2年)まで4年にわたり大流行となった。
長崎で発生したコレラは数ヵ月後に江戸へと至り、
8月下旬から数ヵ月で10万人以上の死者を出したと
伝えられています。加えて江戸にとどまらず、
京都や大阪にも被害が拡大し深刻な打撃を与えています。
コレラ菌に汚染された水や魚介類を飲食することなど
によって引き起こされる感染症「コレラ」は、
感染後2〜3日の潜伏期間を経て、激しい下痢や
嘔吐などの症状が出ます。進行すれば、脱水症状に陥り、
けいれんや意識障害を起こすほか、
場合によっては死に至ることもあります。

1822年(文政5年)における1回目のコレラの
世界的流行時では九州から始まって東海道に
及んだものの、箱根を越えて江戸に達することは
なかったという文献が多い一方、江戸だけで
10万人が(一説には26万人とも)死亡したという
文献も存在しますが、後者の死者数については
過大で信憑性を欠くという説もあります。
1862年(文久2年)には、残留していたコレラ菌により
3回目の大流行が発生、56万人の患者が出ました。
この時も江戸には入らなかったという文献と、
江戸だけでも7万3000人〜数十万人が死亡した
という文献がありますが、これも倒幕派が政情不安を
煽って意図的に流した流言蜚語だったと見る
史家が多いようです。

この頃には漢方医学の治療法と比較して、
蘭方医学(らんぽういがく)のそれの方が
優れていると評価されていました。
出島オランダ商館には、複数のオランダ人医師が
駐在していました。彼らは長崎奉行の許可を得て、
限定的ながら日本人患者の診断を行ったり、
日本人医師との医学的交流を行ったりしていました。
蘭方医学とは主に長崎出島のオランダ商館医(医師)
などを介して、江戸時代の日本に伝えられた医学でした。
開国後の1857年(安政4年)、江戸幕府は
長崎海軍伝習所の医学教師として
ヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールトを招聘
しました。これ以降、日本でも自然科学を土台にする
体系的な近代医学教育が行われ、4年後には
蘭方専門の医療機関である長崎養生所創設に
至りました。こうして、蘭方医学は近代日本における
西洋医学導入の先鞭を果たすこととなったのです。

緒方洪庵や長崎のオランダ医師ポンペの治療法が
一定の効果をみせたこともあり、江戸幕府は
1862年(文久2年)に洋書調所に命じて
『疫毒預防説(えきどくよぼうせつ)』を刊行させました。
オランダ医師のフロインコプスが記した『衛生全書』の
抄訳本でして、「身体と衣服を清潔に保つ」「室内の
空気循環をよくする」「適度な運動と節度ある食生活」
などを推奨しています。
コレラは日本に衛生観念を
植え付けた感染病でした。

緒方洪庵

  ヨハネス・ポンペ

長崎大学
が資料公開をしていますが長崎出島の
オランダ人医師、ヨハネス・ポンペは、
「コレラ患者にキニーネとアヘンを服用させ、温浴させる」
治療方法を行いました。また、長崎奉行所へ生鮮食品の
禁止等の予防方法の提言、コレラの解説書
『転寝の夢』の作成、全国配布など、コレラの
感染拡大防止に努めました。
これは日本医療機器協会広報でも記されていました。
日本仏教の医療史』の著書もある北里大学名誉教授の
新村拓(しんむら たく)先生『日本医療史』(吉川弘文館)
によりますと、適塾の緒方洪庵はキニーネの使用に
対して賛成ではなく、モストら複数のオランダ医学書
からコレラ対策方法を抜き出した「狐狼痢治準」を記し、
キニーネ以外の対策方法を示したとの事です。
新撰組のサポーターで幕末から明治期の医師
(御典医、軍医)だった松本良順(まつもと りょうじゅん)
の伝書でも当時ポンぺが行ったコレラの対策方法が

松本良順
記載されています。
一方適塾の門人だった
矢田敦は、別府でポンぺ
処方と同様な水薬を処方
して治療を行い、別府では
死者が出ませんでした。
しかし完全な治療方法や
薬はなく、民衆の多くは
神仏に頼り、お札や加持祈祷
などでコレラ退散を願った
そうです。 不幸中の幸い
というべきか、当時は箱根
の関所が機能しており、
九州で発生したコレラが
江戸に波及することはなく、
一時的な収束へと
向かっています。
 
コレラの対応から学ぶコロナウィルス対策
C幕末から明治維新

尊皇攘夷論を掲げ、京都政局を主導していた長州藩
ですが1864年(元治元年)7月19日に
禁門の変(蛤御門の変)で長州藩の急進派達は
天皇を長州(後の山口県)に連れ去ろうとして失敗し
長州藩は「朝敵」となりました。それ以来、深い遺恨と
ともに長州藩は天皇を長州へ連れて行く野望に
燃えていました。明治維新後に新政府は完全に
薩摩と長州出身者で主導したのを期に、新政府の
一部の人達は首都そのものを長州に移して、
日本の中心を西日本にしたかったのかもしれません。
300年かけて徳川幕府がインフラ整備した江戸ですが、
最後の将軍となった徳川 慶喜(とくがわ よしのぶ)

徳川慶喜
大政奉還や新政府軍
への江戸開城を行なった
後に王政復古の大号令が
されました。事実上日本の
政権が徳川家から天皇家
に戻ったのですが、当初
大久保利通は、総裁
有栖川宮熾仁親王
対して、天皇が石清水
八幡宮に参詣し、続いて
大坂行幸を行って、その後
も引き続き大坂に滞在する
ことを提言しました。

私は今まで新撰組を調べていてずっと思って
いた事があります。近藤さん(近藤勇)と
土方さん(土方歳三)を分けた背景です。
近藤さんは戊辰戦争でこれは勝ち目のない
戦と悟り「幕臣として死にたい」と主張し、
敵方に出頭しようとします。
土方さんは「近藤さん、ここで死んだら犬死だ、
ここは死に場所ではない」と近藤さんを必死に止めます。
土方さんは勝海舟によって新撰組が捨て駒扱いに
された事に気づいていたのでしょう。
しかし近藤さんは「もう好きにさせてくれ」と官軍へ出頭し、
結局は武士としての切腹を許されず、斬首刑に処され、
そして塩漬けにされた近藤さんの首は京都へ運ばれ、
「勝手に幕臣を名乗って官軍に手向かいした」という
罪状の立札がそこに立てられ晒し首にされました。
これを知った土方さんの気持ちを考えると
涙が出ますが、その後土方さんは徳川幕府再興
蝦夷共和国の樹立を願って蝦夷地(北海道)まで
流れ着き、自身もここが死に場所と悟って
猛然と戦い散華(さんげ:花と散るの意で、
戦死を美化して言う語)されました。

近藤勇

   土方歳三

そして私は幕末のコレラとその背景を調べていて
大きなことに気づきました。
近藤さんも土方さんも盟友沖田総司が当時の不治の病
だった結核で倒れたのもあり、当時の疫病の怖さを
知っています。彼らは風雲急を告げるあの時代が
疫病によって明日も判らぬ天変地異の
真っ只中であった為に、殺伐とした戦い以外に
疫病に感染する死をも本能的に悟っていたのだろう
と言うことに私は気づきました。
当然な事ですが「幕末」というピリオドネームは
その後につけられたのですから、彼らは自分たちの
生きた時代が末日だと言うようなセンチメンタリズム
は持ってません。しかし今で言う警戒レベル4の
アラートが鳴り響いていたのですから彼らは
武士道として「如何に死ぬか」を優先順位の
最上位に置いていたのでしょう。

錦絵 甲州勝沼驛ニ於テ近藤勇驍勇之圖

沖田総司結核で死にましたが、沖田の大ファンでもある
作家の森 満喜子先生は医者だったので「今の医学なら
結核で死ぬことなんかないのに」と嘆いてました。
医学の進歩というのもある程度の時間は要すもので
昔は今のような情報化社会じゃなかったし医療も
確立されてなかったので、外国から日本に持ち込まれた
コレラによって日本人数万人が成すすべもなく死んで
いったのです。それでも日本はそのような困難を
幾度も乗り越えてきました。

1868年(明治元年)1月23日には、
太政官の会議において浪華遷都(大坂遷都)の
建白書を提出するに至りました。その中で宮中の
「数百年来一塊シタル因循ノ腐臭ヲ一新」するために
遷都が必要で、遷都先としては大阪が適していると
主張しています。早い話が「徳川政権下での
数百年の古い慣わしを一蹴するために都も一新
するべきだ」との主張です。
しかし、大坂が京都に隣接しているとは言え、
遷都を行えば千年の都である京都を放棄すること
となるとして、これに抵抗の大きい公卿ら保守派の
激しい反対を受け、同年1月26日にその意見は
廃案となりました。続いて大久保は、副総裁だった
岩倉具視を通して、保守派にも受け入れられやすい
親征のための一時的な大坂行幸を提案し、
同年1月29日これが決定しました。

上野戦争後、江戸が平定されると江戸市民から
天皇江戸行幸の期待が高まり、8月には明治天皇
江戸を改称した東京へ行幸することが発表されました。
10月13日東京城(旧江戸城)へ天皇が入城し、
ここを新皇居と定められました。
この江戸開城の直後、薩摩藩洋学校(開成所)の
教授だった前島密(まえじま ひそか)による
「江戸遷都論」なる建白書が大久保利通に届けられ
ました。遷都しなくても衰退の心配がない浪華(大坂)
よりも、世界の大都市の一つであり、帝都に
しなければ市民が離散して寂れてしまう江戸の方に
遷都すべき。帝都は国の中央にあるべきで、大阪は
小さく道路も狭小、江戸は諸侯の藩邸などが利用でき
官庁などを新築する必要がないことなどを江戸遷都の
理由としています。早い話が「都を西へ移せば
江戸市民が落胆するし、都じゃなくても浪華(大坂)
は栄えてるんだから、新たに江戸を東京と改名して
都を残したほうが藩邸も使えるのでコスト面でも得策」
との意見でした。後に、大久保利通も徳川氏を駿府
に移し「江戸を東京とすることが良策」であるとし、
東京遷都を支持していくことになりました。

東京奠都(とうきょうてんと)は、明治維新の際
江戸が東京とされ、都として定められたことです。
京都との東西両京としたうえで、1868年9月3日
(慶応4年7月17日)に江戸が東京と改称され、
同年9月に元号が明治に改められ、同年10月13日
に天皇が東京に入り、1869年(明治2年)に政府が
京都から東京に移されました。

コレラが空気感染しないこと、そして江戸時代には
徳川幕府が箱根その他の関所で、旅人の動きを
抑制することができました。それが江戸時代を通じて
その防疫を容易にした最大の要因と考えられています。
事実1868年(明治元年)に徳川幕府が倒れ、
明治政府が箱根関所を廃止すると、
その後は2〜3年間隔で数万人単位の
患者を出す流行が続いていきます。


明治新政府は積極的に西洋医学を受容しました。
漢方医の影響下にあった徳川幕府とは対照的でした。
戊辰戦争で貢献した英国公使館医の影響もあり
新政府では従来のオランダ医学に代わって
イギリス医学から学ぼうとする雰囲気がありましたが
一方で長崎医学校で学んだ若い蘭方医達は当時の
世界の医学界をリードしているとしてドイツ医学の
導入を提案しました。そして議論の結果、ドイツ人
医学教師の招聰が決定し、その後日本の医療制度を
作り上げるにあたってドイツ医学が大きく取り入れ
られました。

昔からコレラのような世界的な疫病はある一定の
間隔で流行しており、現代の我々はまさに幕末
生きた人達と同じ境遇の中で生活しているのだと
私は考えています。
そしてこの手の疫病の収束はなく、むしろ拡大の
ペースダウンという表現が適切かと私は思います。
そしてそれが一時的に落ち着くまでに10年から30年が
かかる事を過去の歴史が物語っています。

コレラの対応から学ぶコロナウィルス対策
D明治時代の対応策

廃藩置県が行われた後に本格的な人口統計が
はじまったのは1872年(明治5年)でした。
当時の本籍人口はおよそ3311万人でした。
人口1位は東京ではなく、広島(廣島)県で、
当時91万9047人でした。2位は山口県で、82万7536人。
当時の東京府は77万9361人と3位でした。
安芸の国(広島)は江戸時代から瀬戸内海航路沿いの
拠点として知られてました。近畿地方で消費される綿や
日用品、食品などの一大生産基地となり栄えていたのが
広島でした。広島は街単位でも江戸・大坂・京都・
名古屋・金沢に次ぐ大都市として君臨していました。

コレラ被害に関してある程度、具体的な数字が記録
されるのは1877年(明治10年)になってからのようです。
この年の9月8日、厦門(清国)を出発した船が
長崎に到着しました。この航海の途上でひとりの
水夫が死亡。長崎の外国人墓地に埋葬されます。
それからしばらくして、船と陸との間の外国人の
往来を世話していたひとりの日本人水夫が、
病気になったと思ったらその日のうちに亡くなります。
またしてもコレラの発生でした。
しばらくしてコレラは長崎を超えて九州全土に広がります。
折悪しく、九州の一部では当時、「西南戦争」が
起こっていました。この西南戦争の混乱が、より一層、
コレラの感染拡大に拍車をかけました。
この大流行を受けて内務省(内務卿) 大久保利通
が1877年(明治10年)「虎列刺病豫防(よぼう)心得書」
(8月27日付、達乙第79号)を府県に発しています。

大久保利通
そこで濃厚石炭酸水
フェノール)による消毒
や便所、下水溝の清掃
などの予防対策を記載
しています。第13条では、
「『虎列刺』病者アル家族」
で看護に当たる者以外は、
他家に避難させて
「妄(みだ)リニ往来」
する事を許さずとあります。

その後もコレラ感染が度々発生し、特に1879年(明治12年)
と1886年(明治19年)にはコレラの死者が10万人の
大台を超え、日本各地に避病院の設置が進みました。
その致死率は65%にも達しています。
その頃には『疫毒預防説』の予防法に加え、
コレラは水による感染が多く、夏に活発となることから
「井戸水をむやみに飲まない」
「換気によって部屋を乾燥させる」
「生ものや傷んだものを食べない」といった、
より具体的な対策が広まっています。

では当時、どのような消毒法が行われていたのか、
その一端が、1882年 (明治15) 6月に布告された
「第31號布告虎列刺病流行地方ヨリ來ル船舶検査規則」
に見られます。

第4-1コレラによる死者、もしくは患者に直に接する
衣類、手ぬぐい、寝具等は焼却するか、
濃厚石炭酸水に浸すか、または熱気煮沸等、
適当な方法で消毒する
この「濃厚石炭酸水」(フェノール)は、
注釈でこのように説明されています。

結晶石炭酸四分ヲ水百分二溶解シタル者

この措置がどれほどの効力を発揮したのか、
いまとなっては知るすべはありませんが、
当時、濃厚石炭酸水(フェノール)への信頼は厚く、
コレラ患者の発生した船室や厨房の消毒にも
「結晶石炭酸水ヲ以テ十分二洗滌」し、
かつ「亜硫酸瓦斯ノ蒸留法ヲ行ウベシ」と書かれてます。

また、コレラによる死者や患者がいない
船舶の場合にも「四十八時間以内(消毒二必要ナル時間内)
適宜碇泊セシメ消毒法ヲ行ウベシ」と定めています。
 
「日本の細菌学の父」と呼ばれる北里柴三郎先生が、
1887年(明治20年)に、第6回万国衛生会議で行った
口頭発表をまとめた「日本におけるコレラ」によりますと、
「長崎とジャワ島との間を往復する一隻のオランダ船が
この伝染病を最初にわれわれのもとへもたらした。
長崎は当時の日本において異国人、
すなわち清国(中国)人とオランダ人と貿易取引を
行うただひとつの都市であった。
コレラはまずそこで発生し、長崎を取り囲む
日本の南西部に広がったが、数ヶ月後に
日本の内陸部へと到達し、間もなく大流行となった」
と記しています。特に長崎での流行は激しいものが
あったようで「ほぼ全ての家庭がその病に苦しみ、
家族全員がその犠牲に陥るケースもあるほどであった」
と、その惨状を伝えています。
当時の被害の詳細な数字
も残されています。
「1878年にコレラの流行は
あらたに猛威を奮い始めたが
かつてほどひどいものでは
なかった。日本全体では
患者数967人、そのうち死者
が275人であった。
1879年、この伝染病は3月
はじめに四国の松山で発生し
九州の大分へと至った。

   北里柴三郎

流行の最終地点は、そこを超えて神戸、大阪、横浜、
東京へと至り、ついには本州全域(日本全体)に
広がった広域流行の出発地点である九州である。
それは近年で最大の大流行だった。
162,637人が罹患しそのうち 88,319人が男性、
74,318人が女性だった。死者数は105,786人(65%)
にのぼった。流行に襲われた町や村の総人口は
16,024,106人であるため、罹患率は 1.015%と
いうことになる」(「日本におけるコレラ」より)
これは「コロリ」とあだ名されたその恐ろしさが、
決して大げさではなかったことを物語っています。

この1878〜1879年の大流行には
次のような逸話があります。西日本でのコレラ大流行
を受けて、日本当局は1879年7月にドイツの汽船
「ヘスペリア号」に対して検疫を要求するも、ドイツ船は
無視して出航。砲艦の護衛のもと横浜港に強行入港
しました。(ヘスペリア号事件)この年は横浜、東京を
はじめ関東地方でもコレラが大流行し、
患者は全国で約16万8,000人、コレラによる死者は
1879年だけで10万400人にも達しています。
国民は「コレラが流行していた清国から来た
ヘスペリア号のせいで、関東で被害が拡大してしまった」
と捉え、「すべては海外列強と結んだ不平等条約
のせいだ」との認識を広めるきっかけとなり、
条約改正要求の高まりをもたらした原因のひとつ
となったと言われています。

決め手は「濃厚石炭酸水」(フェノール
1885年(明治18年)に当時の内務省衛生局が発行した
「虎列刺病流行紀事」という資料が残されています。
こちらには、当時の政府がどのようにコレラに
対抗しようとしたのか、記録されています。

たとえば1885年(明治18年)8月29日、
長崎港、横浜港、赤間関(山口県)に対し、
「船舶検査規則実施為致候條此旨告示候事
(船舶検査をするように)」と、内務卿伯爵
山県有朋(やまがた ありとも)名義で発しています。
同年9月8日には「消毒法ヲ施ス可シ」として、
消毒を必須とする船舶として次の船舶を指定しています。
航海中に数名の下痢病者
またはコレラの疑いがある
患者が発生した船舶。
コレラ患者の死者が
出た船舶で、消毒が不十分
だと認められるとき。
コレラの流行地から、
古着やボロ、その他コレラが
伝播する恐れのある荷物を
積んでいるとき。
原因不明の死体を
積んでいるとき。

   山県有朋

当時の防疫知識を総動員して対応にあたってはいた
ものの、コレラの猛威には対抗できずに
1886年(明治19年)にも、10万人を超える死者
が出ています。
 
コレラの対応から学ぶコロナウィルス対策
E日本の近代化と大日本帝国

近代にかけての日本の帝国化と感染病。
今もトルコと日本の絆を物語る美談として知られる
1890年(明治23年)のエルトゥールル号事件ですが
和歌山沖で遭難し地元の人達によって救助され
日本に寄港していたオスマン帝国の軍艦
エルトゥールル号の海軍乗員の多くが
コレラに見舞われました。
ちなみに、日本がようやく海港検疫権を獲得するのは、
1894年(明治27)に陸奥宗光外相の下で結ばれた
日英通商航海条約などの改正条約が発効した
1899年(明治32年)まで待たなければなりませんでした。
また1895年(明治28年)には日本の軍隊内で流行し、
死者4万人を記録しています。

当時の総理大臣伊藤博文(山口出身)は明治天皇
長州(山口県)へ連れて行く野望を持っていたかも
知れません。1894年9月2日 伊藤博文 参内し大本営を
下関に進めることを奏上、
明治天皇
をまず広島にと
言われています。最終的に
明治天皇
を下関に迎え入れ
たかったのでしょうが、
先に日本最大の軍事拠点
として宇品港を開港させて
いた広島へ明治天皇
迎え入れられました。
1894年(明治27年)に勃発
した日清戦争の戦争指揮
のために広島県広島市
の広島城内に設置された
大日本帝国軍の最高統帥
機関である大本営明治天皇
は指揮をとられました。

    明治天皇

首都の定義は一般的に皇居のある場所という
解釈が有力ですが、行在所のある場所
という解釈もあり、日清戦争時の約7ヶ月間、
最高司令官である明治天皇が移った広島が首都
あったという説もあります。広島大本営での議会開催
は広島におられる明治天皇のリーダーシップに
よって日清戦争が進められている印象を国民に
与えました。

広島大本営

日本の歴史学者の岸田 裕之(きしだ ひろし)先生が
編集された「広島県の歴史」(山川出版社)では
近代史として興味深い指摘をされています。
1901年(明治34年)に山陽鉄道が開通し、軍事輸送
の必要から山陽鉄道広島駅と宇品(うじな)港を結ぶ
軍用鉄道の工事が始まり2週間後には開通しました。
第二次世界大戦前の広島は二つの顔を持っており、
一つは軍事県であり、もう一つは移民県です。

明治維新の兵制改革によって師団司令部条例が
公布され全国の六大軍事拠点の一つとして広島に
第五師団司令部が設置されました。
この広島の第五師団は日本の大陸進出の拠点と
して、その中核的兵力として兵員の増加と軍事
施設の拡充が行われました。広島市が陸軍の軍事
拠点となり、呉(くれ)市が海軍拠点となり帝国海軍
最大の造船所が作られました。

日清戦争からの帰還兵士は23万人以上でした。
その中にはコレラ、腸チフス、赤痢などにかかった
兵士達もいました。国内での感染拡大を防ぐために
水際対策として帰還兵の検疫が必要となりました。
広島宇品の沖合にある似島(にのしま)など3つの
離島に検疫所が設置され、大型の蒸気式消毒缶が
設置されました。細菌学者北里柴三郎先生の
技術指導もあり3カ月以内に検疫を完了させました。
3箇所での罹患が証明された兵士は、真性コレラ369人、
疑似コレラが313人、腸チフスが126人、赤痢が179人
と記録されています。

その際、日清戦争での広島県出身者の
戦没者数。派兵した軍人5294人の約一割(9.1%)に近い
483人、内訳が戦死者114人、戦病死者326人、
戦傷死者20人、その他23人で、戦病死者が全体の
67.5%を占めるのが注目されます。戦病死者と
戦傷死者が分けられているので戦病死者の原因が
衛生条件の悪い戦地での風土病、コレラ、腸チフス、
赤痢等の感染病によるものだったのが分かります。

コレラを防ぐために帰還兵23万人余の検疫を行った
医師が後藤新平でした。臨時陸軍検疫部事務官長
という役職でもあった後藤新平は似島(にのしま)の
敷地2万3000坪に消毒部14棟、停留舎24棟、避病院
16棟、さらに事務所、兵舎、炊事場、トイレなど139棟を
建てました。下関にちかい彦島には全153棟、大阪近郊
の桜島は109棟を建てました。その建設に与えられた
期間はわずか3か月だったと言われてます。
感染症の最前線は死にもの狂いの状況だった事が
伺えます。後藤新平はほぼ3か月で大検疫事業を
終えました。その間に検疫を通過した帰還兵の数は
23万2346人、検疫船舶数687隻、そのうち患者を
乗せてきた船258隻との記録が残っています。
 
この年、日本のコレラ患者数
は5万5144人でそのうち
4万154人が亡くなりました。
日清戦争がコレラを流行
させたと言えるでしょう。
しかしこの5年前には平時で
ありながら3万5227人が
コレラで亡くなっており、
後藤新平
の大検疫事業が
実施されていなかったら、
死者数はさらに増えていた
事が容易に想像できます。
実際、翌年からコレラ死者数
は数百人台に激減しています。

   後藤新平

以後、1890年(明治23年)、1895年(明治28年)、
とたびたび国内で大流行し、ようやく落ち着くのは
1920年代に入ってからのこととなります。
このような状況が改善され、患者数も1万人を切って
コレラの脅威が収まるのは、1920年代になってからです。
それは1822年(文政5年)における1回目のコレラの
世界的流行から100年経過してからのことです。
ここまでに人類はコレラを封じ込めるのに
100年を要したのです。


日清戦争の勝利によって広島は軍事施設の
拡充がはかられ日本中の軍師達が集まる軍都広島
として成長していきます。
広島の第五師団日清戦争をはじめ、北清事変
日露戦争第一次世界大戦シベリア出兵などに
参加し、戦闘能力の優秀さを示した師団でして、
この師団は広島県出身者を中心に編成されました。
広島の民衆のエネルギーは大正デモクラシーへと
受け継がれ、広島と呉を中心に軍事力が増加され、
満州事変を契機に広島から出兵される軍人が
ブランド化されたかのようになりました。それが広島
へ原爆投下された大きな要因になるのですが。。。

移民県としての広島は間引、堕胎を認めない
安芸門徒(あきもんと。安芸国《広島県西部地域》の
浄土真宗門徒の総称)の習慣によって明治維新後
の急激な人口増加がありました。廃藩置県の時の
人口統計
では全国で人口1位だった広島県ですが
川洲の多い広島市は農民一人当たりの耕地面積が
少なく、農業で生活が出来ないので他県への出稼ぎが
増えていきました。資本主義の発展に伴う労働力、
人手不足を広島からの出稼ぎ移民達が補う事に
なりました。我慢強い広島県民の労働力によって
日本はおろか世界中の開拓が進んだのです。
彼ら広島からの移民達が日本中へ、北海道への
移住開拓、また当時日本の移民政策によって
海外へ出ていき、その屈強なマンパワーを持つ広島
からの移民達は各地で強い労働力として歓迎されました。

明治時代の広島県人の海外移民

当初広島からの移民はあくまで出稼ぎが主目的でした。
その初期に移民した人物が、海外で苦労して稼いで
故郷に錦を飾ったあるいは親族に多額のお金を送金した、
という話が評判となって血縁者や近隣のものがそれに
続いたことで年々渡航が活発化していきました。
こうした限られた血縁者・地域の人達がまとまって
移民していったため、結束力が高く結果として脱落者
が少なくなり、勤勉な県民性もあって、雇用者側から
「真面目によく働く」と歓迎されました。今でもアメリカの
ハワイでは日系人のルーツに広島出身者の移民
最も多く、同地の和製英語は広島弁がベースとなって
いるのです。それはハワイの日系人達のあいだで
話される日本語は広島弁が標準語であった事が
物語っています。
広島出身の小林克也&ザ・ナンバーワン・バンド
「うわさのカム・トゥ・ハワイ」で歌われている
「わしらはの その時の ベリーハッピーでのジャパンの
ホントの 百姓魂 みせてやったんじゃ」が有名ですね。
ハワイ、アメリカ西海岸、カナダ、メキシコ、南米諸国、
東南アジアへ広島出身者達が移民となり渡航しました。

1882年(明治15年)から始まった北海道への開拓移住
においても広島県からは多くの移住者が出ています。
しかし1885年(明治18年)以降は人数が減少して
いきます。これは同年から始まったハワイ王国への
官約移民に関係しています。官約移民とは日本と
ハワイ王国との協約に基づき、3年契約でハワイの
サトウキビや砂糖の生産のための労働者として
送り出された移民のことです。これは当時の外貨の
高さにも影響しており、この制度のもと1894年(明治27年)
6月まで26回にわたり日本政府主導で全国から
約3万人が送り込まれました。県別にみると広島県が
最も多く、全体の38 .2%を占めていました。
官約移民の制度廃止後は、政府の許可を受けた
移民会社の斡旋によることになりましたが、ハワイが
アメリカに併合されたのを機に、1900年(明治33年)に
契約移民が廃止され、移民先の主流はアメリカ本土
へと移りました。明治時代末にはアメリカが移民を制限
したために、主な移民先はブラジル等の南米へと
変わっていきました。JICA横浜海外移住資料館作成、
資料館が収蔵するデータから1885年-1894年と
1899年-1972年の旅券発行数の累計によると、
海外移民数トップ5は1位広島県109,893人、
2位沖縄県89,424人、3位熊本県76,802人、
4位山口県57,837人、5位福岡県57,684人。
これは逆説的に帰国者達が移民地の風土病、コレラ、
腸チフス、赤痢等を持ち帰ってくるリスクとなりました。
つまり、いつの時代でも人々の移動には感染病の
リスクが伴うのです

満州に積極的に進出してきたロシアと日本は
対立し1904年(明治37年)2月10日に日本は
宣戦布告をして日露戦争が始まりました。
日露戦争日清戦争を上回る規模、期間となり
近代的な総力戦としての意味が強かったのですが、
当時最新鋭の銃火器、軍艦による海戦を背景に
戦没者は日清戦争の5.7倍に達しました。
広島県出身者の戦没者数が2735人、
内訳が戦死者1419人、戦病死者が869人、
戦傷死者381人、その他39人でした。
ここでも戦地の風土病、コレラ、チフス、赤痢等の
感染病によって多くの軍人達が死んでいます。

明治時代のコレラによる日本人の死者総数は
37万人に上りました。それは日清日露戦争
死者約13万1500人の3倍ちかくになります。
明治45年の日本の全人口が2800万人程度ですから
いかにコレラが恐ろしい感染病だったのか解ります。

コレラの対応から学ぶコロナウィルス対策
F近年の感染病状況

コレラの脅威が収まるのは1920年代に入って
からのこととなります。
日本の衛生状況が改善され、コレラの患者数も
その頃に全国で1万人を切ってきました。
厚生労働省のレポートによりますと明治後半からは
結核の感染が一気に増えたようです。
結核菌は飛沫(ひまつ)感染するため、肺結核を
発病した患者の咳やくしゃみを通して、人から人へ
感染していきます。ただし、結核菌に感染したから
といって、必ずしも肺結核を発病するわけではない
のです。たいていの場合は、体の免疫機能が働いて
結核菌を抑え込むことができます。抑え込まれた
結核菌は、活動を停止しそのまま体内にとどまった
状態となります。感染するだけで発病していなければ
人に結核菌をうつすことはないのです。
感染者のうちで発病する確率は、およそ1割から2割
程度といわれています。発病する場合も基本的には
感染直後というより、数ヵ月
から1、2年の時間が経って
からのことが多いです。
加齢など何らかの理由に
よって免疫機能が低下すると
冬眠状態だった結核菌が
活動をはじめ、感染から
数十年が経過していても
発病することがあります。

   結核菌

明治中期の頃からは、都市労働者間での結核の
流行など慢性感染症対策が問題とされ始めました。
1899年(明治32年)年より、政府で死亡原因別
死亡者数の統計が得られるようになり、結核による
死亡の実態が次第に解明されるようになりました。
このような状況の下、政府は結核予防に関する
法令の整備に乗り出し、1904年(明治37年)に
法令「肺結核予防ニ関スル件」が公布されました。
この法令は、日本で初めての結核予防に関する
法令でした。しかし、その後も結核死亡者数は
10万人以上で推移し、大正中期頃までは増加傾向
にあったのです。1919年(大正8年)には、統一的な
結核予防法規の制定を望む声の高まりを受けて、
法律「結核予防法」が制定されました。この法律の
考え方は、急性感染症の予防対策に近く、感染源
除去対策に重点が置かれたものでした。
また、1937年(昭和12年)には、「結核予防法」の
改正が行われ、初めて結核患者の届出制度が
設けられましたが、届出対象者は「環境上結核を
伝染させる恐れのある患者」に限定されていました。

関東中央病院の健康管理センター長である
宮尾 益理子(みやおまりこ)先生によりますと
1938年(昭和13年)の厚生省の誕生まで
衛生行政分野は、主として内務省が担当しました。
日本の死亡原因は、戦前は肺炎や胃腸炎、
気管支炎などの感染症で、1930年代から戦後
しばらくは結核が死因第1位でした。BCG接種に
よる予防、ツベルクリン検査と全国民対象の
胸部X線検査による早期発見、化学療法による
治療の浸透で結核死は大幅に減少し、その後は、
脳血管疾患、心疾患、悪性新生物が3大死因と
いわれる時代が続いていきます。

その後は、第二次世界大戦直後にアジア各地から
日本軍復員兵や引揚者の帰国が始まると、彼らに
よって持ち込まれたコレラで、多数の死者を出しました。
やはり日清日露戦争の時と同じで戦地から
戻ってくる帰還兵は風土病、コレラ、腸チフス、赤痢等の
感染病を日本へ持ち帰ります。
コレラ患者が出ると、検疫のために40日間沖に留め置かれ、
この船を俗に「コレラ船」と呼び、これは当時の俳句や
川柳で夏の季語にもなるほどで、1960年代頃まで
この季語は使われていました。
現在でも全世界のコレラ患者数は毎年3〜5百万人でして
年間28,800〜130,000人の死者を出しています。

「伝染病は公衆衛生の母である」といわれるように、
日本ではコレラ流行によって衛生観念が一気に
高まったのです。現代の新型コロナウイルスとは
病気の特性や医療体制、社会環境が大きく違いますが、
当然ながら予防対策には多くの共通点があります。
幕末から明治前期の人々は風聞に惑わされながらも、
身辺を清めて換気をし、外出を控えるなどの努力をして、
感染の流行が過ぎ去るまで耐え忍ぶしかなかったのです。
情報社会で生活する現代人に求められるのは、
正しく新型コロナウイルスを理解し、
冷静に正しく対策をすることでしょう

 
 
ここまでは史実を時系列に並べ編集しました。
ここからは私の主観を交えた新型コロナウィルス対策を
探る考察となります。
頭が固くなるような話に絶妙のバランスで馬鹿げた話を
挿入してみたり、してなかったりしています。うふふふ

新たな世界に飛び出す前に自分自身を見つめなおした。
髪は伸び放題、目は充血し疲れ気味、
午後8時以降に飲酒しないと決めてはいるが
自宅で好きな時間に好きな物を食べてたので
そっちのほうが自信なし。
体重計が睨んでるので両足で踏んずけてやったら
メタボゾーンだと教えてくれた。

新たな世界に飛び出す予算。
エンタメ¥0、衣料¥0、食費¥8000
愛猫の毛が抜け変わる季節だったので、
毎日着替える必要がない楽チンスタイルは
今日も毛だらけで3日連続。
自慢するつもりはないが、運動してないので汗臭くもなく
他人の目も気にならない。社会的距離を練習してないが、
誰も近寄らないだろうと一人安心する。
欲しい物はないが、嫁から不足品を購入してこいと
命令されてる事を忘れるだけの楽しい事に出会える
とは思えないので不足品を購入するだけの
外出になりそうだ。

車会社のコマーシャルでは道路に1台しか車が
走ってないが、最近はそれがとても現実的な
シーンになってる。交通渋滞も排ガス汚染もなく
空気は綺麗でも、ウィルス感染を防ぐために
マスクが必要な新たな世界。
外出にこれほど恐怖を感じるとは皮肉なもんだ。
ゴミのない綺麗な街、人工密度について考えたのは
いつだっただろうか。

新たな世界ではマスクが眼鏡と一体化し、
眼鏡のレンズ越しに見るものは全て記録される。
飛沫に含まれるウィルスですら見分ける事が出来、
それは連動したスマホに保存されるし、スマホで
得る情報は全てレンズに投影されるだろう。
マスクは進化して宇宙人のような仮面になるだろう。
宇宙人だってその下には本来の姿があるに違いない。
あらゆる危険を防御するために奇妙なスーツと
仮面を被ることで人類の外観は変わってゆくだろう。

新たな世界がこんな事になると、既に星新一先生
のショートショートを読んでで想像してたので
驚くこともない。むしろ愉快だ。
さあ、新たな世界で、あなたの一日をお楽しみください。
私もそれなりに楽しくやってみます。

 
コレラの対応から学ぶコロナウィルス対策
Gウィルスと人間の共存

コレラに関して言えば1822年から1862年まで40年間で
3度のパンデミック(世界的流行)をつくっており
100年経っても多くの人々を殺し、現在でもコレラは
1年に3万人から13万人の人を殺し続けています。
それでも我々人類はコレラと共存できるように
進化したのです。

これらを考慮すると如何に現代医学ですら
新型コロナウィルスを完璧に封じ込める事は不可能です。
ですので今回の新型コロナウィルス問題は
2〜3年で収束という事はありませんし
体制維持に努めて緩やかな回復を繰り返すでしょうが
社会も経済も完全に元には戻りません。
人間は成長欲求と退行欲求を併せ持っていると言いますが
同調するかのように社会も経済も振り子のような運動性を
持って活動しているのです。
人類が新型コロナウィルス
の抗体をつくって感染拡大
のペースダウンをするに
応じて経済指数も揺れ幅を
小さくさせながら少しずつ
成長と減速を繰返すでしょう。
そして新型コロナウィルス
今後何度も何度も繰り返し
パンデミック(世界的流行)を
定期的に作り多くの人々を
殺していくでしょう。

  新型コロナウィルス

とは言え、原爆投下後に「今後100年は草木も
生えないだろう」と言われた広島も長崎も
緑豊かな街へと復興しました。
私は自分が生まれ育った広島で暮らしながら
差別と戦う市民、病魔と闘う被爆者の皆さん、被爆に関する
正しい理解を訴える医療関係者達から多くを学んでいます。
当然復興には、そこに住む人々の覚悟と懸命な
努力がありました。
たとえどんな困難な状況でも情熱を持って生活する
バイタリティ(生命力や活力、活気)が人々にありました。
いま世界中の人々が問われているのはそういう事です。
人類が新型コロナウィルスを克服するためには、
長期的な戦略、そして医療と共に人々の不屈の精神と
努力が必要なのです。
新型コロナウィルスだって感染媒体の人類に滅亡されたら
元も子もないので、人類と共存したい筈です。
新型コロナウィルスと人間が共存できるように
全く新しい生活を我々は模索し見つけなければ
いけないでしょう。

パンデミック(世界的大流行)は人類の歴史を進めます。
中世のヨーロッパではペストによって教会権力が衰退して、
国家の在り方を変化させました。
科学の発展は教会の権力や信頼をも失墜させました。
今回の新型コロナウィルス問題によってテクノロジーと
プライバシーのバランスも見直されるでしょうから、
それによって社会は大きく変わらざるを得ないでしょう。
人類は今まで慣れ親しんだ習慣、常識、固定観念から
早く脱却して新型コロナウィルスと共存できる
社会システムとライフスタイルを作らなければいけません。
これは人類の文化の衰退ではなく、
人類の英知、応用力を用いた文化の繁栄です。

 
現在までに幾度となく映画化されたウェルズ
宇宙戦争」では地球侵略に来た宇宙人達を倒したのは、
人間の武器や策略ではなく、太古に神が創造した
病原菌でした。生物または生き物とは、動物、植物、
菌類、古細菌、細菌などを総称した呼び方です。

細菌より小さなウィルスは生物に入って繁殖を
するために、繁殖拡大しやすい媒体として人間を
選ぶのですから、ウィルスは人間と共存したいのです。
糖尿病患者なら知ってる
と思いますが糖尿病患者
の尿ですら栄養にして繁殖
を続ける「粘菌」は地球最古
の生物です。
新型コロナウィルスも地球で
生活するべくして古来から
進化を続けているのです。

     粘菌

この地球上で数十億年にわたって熾烈な生き残り競争を
繰り返すことによって形成された生物の営みの1つが、
細胞の集団化、多細胞化です。結局、生物の強さを
測るのは進化しながら絶滅をしない繁殖力です。
生き残れる生殖系列(胞子:遺伝情報を次世代へ伝える
役割をもつ細胞)と体細胞(柄細胞:分裂を繰り返し
繁殖する細胞)とが役割分担するからこそ、
単独では生き残りにくい厳しい環境を克服してきたのです。
ですので人類は遺伝情報を次世代へ伝えるために
新型コロナウィルスが体内にはいったとき、特異的に
反応する抗体(免疫物質)を持って繁殖をして
いかなければいけません。それを助けるのがワクチンです。

ワクチンとは疾患の発症や重症化を予防するために
投与する、弱毒化あるいは無毒化した抗原
(病原体や、病原体の一部等)のことを指します。
病原体に感染する前にあらかじめワクチンを投与
しておくことで、病原体に対する免疫を獲得できるのです。
因みに私は西武からロッテへFA移籍した涌井投手の
子供のころのあだ名は「ワクチン」だったのではないかと
昔っから思ってるのですが、もしそうなら女優の
和久井映見さんも「ワクチン」と呼ばれていた
のではないかと想像すると「わくいえみ」だけに
私は笑みがこぼれます。うふふふ

それはさておき、生物進化の過程で人類は
「全ての人々の共存」を選択しなければいけません。
人類は「感情」によって人類同士が殺し合いになるのを
回避するために「理性」でそれを抑制しようとします。
その場合、人類が集団としての生き残るための戦略は、
個人にとっては葛藤をもたらすもので、
当然ながら個人の自由度は大きく制限されます。
サバイバル生活において最も重要な事は安全な場所を
確保する事で、危険に遭遇するリスクをなくすことです。
人間の本能である「生存欲求」が強い人でしたら
サバイバルの長期戦でも忍耐強く生活するでしょう。
我々人類は生物進化論の大事な局面を迎えており
これは進化の上で避けようのない事です。
この地球上で生きていくためには、進化を続けながら
定期的に流行する病原菌と共存できるように
人類も同様に進化しなければいけないのですから。
 
コレラの対応から学ぶコロナウィルス対策
H人類の進化

人類の進化は自然の摂理とも言えるでしょう。
自然の摂理とは、自然界のいろいろな生き物たちが
織り成す生態系の法則です。
よく、弱肉強食と言いますが、強者でも空腹時だけ
自分の空腹を満たすだけの食料として
弱者から取るだけでして、それ以上の殺戮はしないのです。
植物はお互いに助け合いながら生命を維持しています。
この地球上で36億年もの長い時間をかけて進化して来た
私達を含めた全ての生命体は、幾度ものきっかけで
地球上でその都度過ごしやすい形に進化してきました。

地球上の生物は過剰に繁殖していけば何らかの原因で
他の生物とバランスをとるように数が制御されます。
人類とて自然界の中で人口は制御されます。
何故なら地球上の生物のなかで最も危険で
厄介なのが人類です。地球にとって人類はガン細胞
のようなものなのです。人類は原爆実験をし、
水爆実験をし、山や海底にトンネルを掘り、
石油採掘のために穴を掘り、森林破壊をし、
海や川を汚し、行き過ぎた資源開発によって
地球を破壊し続けています。
また人類は雑食で、居住区を絶えず拡大させながら
各地で不燃ゴミを作り、地球上の生態系を壊し続けています。
恐竜が生きてた時代の中生代には弱肉強食の殺し合いで
1000年間に1種のペースで生物が絶滅していました。
恐竜同士の殺し合いですら1000年間に1種だったのです。
しかし近代文明期の1900年には約1年間で1種が絶滅し、
1975年〜2000年の間では約4万種が絶滅しました。
現在は約13分に1種のペースで生物が絶滅しており
人間がつくりだす環境汚染が原因と考えられています。

人類による環境破壊

哺乳類は同族の中の異種や亜種を認めず、
純血種(異種の動物または異民族の血が混じらない
純粋の血統)だけを残そうとする習性があるためにイジメや
殺し合いが絶えたことはありません。フランスの精神科医
ニコル・カトリーヌは「アイデンティティー(自己同一性や
主体性)が確立していない10代の若者は集団への
帰属意識が強い。集団から抜けたり集団のルールに
従わない人間はスケープゴート(仲間外れ)にされる」と
していますが人間だけに関わらず犬、猫やイルカ、シャチ
や鯨ですら見た目の異なる個体や集団ルールに
従わない固体を見つけると集団でイジメをして、その挙句
に殺しています。人間だけはその高度に発達した知能
によって考え方の異なる固体に恐怖を感じて、排除、
殺そうとします。人口が増加すれば考え方の違いから
喧嘩やトラブルが増えて殺し合いや戦争が起こるのも
それが理由でしょう。特に人類は不景気によるストレス
に弱く、景気が悪化している時にイジメや差別をする事が
多いです。恐らくそれは捕食するために異種や亜種、
考え方の異なる固体を邪魔に感じる群集心理からでしょう。
しかしこれらの行為は生態系のバランスに役立っており、
地球上では定期的に何らかの原因によって
生物の淘汰と復元が繰り返されています。
何が言いたいのかというと、昔っから人類は定期的に
大規模な戦争やウィルス感染によって淘汰され続けていて
世界の総人口、人類の繁殖数はコントロールされてるんです。

イルカの集団によるイジメ(攻撃される右下イルカ)

生物の分類および存在の基本的な単位である「種」は
形態的特徴から、亜種・変種・品種などに分けられます。
適性のない人や基礎疾患によって免疫の低い人、
高齢者等が定期的に蔓延するウィルスによって死ぬことで
哺乳類の人間は抗体を持った強い種が、もしくは
英知による医療によって救われる種だけが生き残って
後世に記憶と共に遺伝子を伝えています。
人間一人ひとりに、髪や肌の色、血液型などが違い
それぞれに個性があるように多くの生きものは同じ種類でも
それぞれが異なる遺伝子を持っています。
これは長い年月で変化してきた地球環境に適応したり、
その種が生き延びていくために他種に抵抗したり
といった大切な情報が遺伝子に含まれているのです。
それは生息する地域が異なると、地域によって
異なる遺伝的特徴を持っていることにもなります。
ウィルス感染を未然に防げればそれに越したことは
ありませんが老若男女、世界中の全ての人々が
この地球という星の上で他の生物と共存している
1種の生物であるという自覚を持たなければいけません。
そして我々はこの地球が未来永劫に安定した
安全環境を持ち続けないという事実を理解すべきです。

46億年前には多数の微惑星や惑星胚が地球に衝突して
いました。今後もこのような事が群発的に起こらないとは
限りませんし、地球自体の地殻変動期だけに限らず、
上記のような外からの衝撃で地球の大規模な環境変化が
起こる可能性すらあり得ます。
人間の都合で考えている100年ですら、地球が太陽の
周りを100回まわったにすぎません。
地球上の大陸の形成は40億年以上前から始まってますが
地球の内部には中心の核を形成するマントル周辺に
高熱でドロドロと溶けたマグマが存在していて、
我々が住む地球の表面プレートを動かし続けています。
現在平均気温が15℃の地球ですが、人類など多くの
生命体が生存する事ができる地球の表面の温度ですら
今後の地殻変動によってどうなるかは分かりません。

医療の検証というのもある程度の時間は要しますし
臨床実験の結果、薬事法を変えるにしても
それ相当の時間がかかるものです。
その反面、テクノロジーの進化は一気に加速し
それは我々の旧態依然とした生活常識を
次々と刷新していくでしょう。
現状のような液体やジェル状の消毒剤は原料コスト
がかかる上に、原料の高騰等も予測されますし
手の消毒を限定したものですから効率が悪いので
光や光線のような方法で全体を殺菌する手段を
考えるべきです。それで入り口なりゲートを潜ることで
人々の表面に付着したウィルスを殺菌できれば
体内にウィルスが入るリスクも減少できます。
逆説的にはテクノロジーによってそれは光線のように
遠隔的な攻撃をする武器の進化も加速させるでしょう。
将来、人間は固体で空を自由に飛べるような技術を
手に入れるでしょう。そうすれば社会的なルールや
プライバシーに対する考え方等を刷新しなければ
いけなくなるように、人類によるテクノロジーの進化は
人々のモラルですらビフォー&アフターのように
考え方や価値観を分けてしまうのです。

バイオテクノロジー
を応用する技術も期待できる
でしょう。遺伝子組み換えや細胞融合などの技術
を利用して品種改良を行い、医薬品・食糧などの
生産や環境の浄化などに応用すれば、新しい
社会システムとライフスタイルを我々は実践できます。
しかし遺伝子組み換え等のテクノロジーの進化は
生死の価値観にも抵触するために従来の人間の
モラル(倫理、道徳、習俗)や宗教的な倫理観をも
壊すでしょう。極論を言えば、今後人類が生きていく
ための理想的な形が現在の人類のスタイルである
とは限らないので、テクノロジーによって指の数を
増やしたり、耳のサイズを変えたりといった人間の
品種改良まで人間が行うのかどうかといった「倫理」
人間生活の秩序つまり人倫の中で踏み行うべき
規範の筋道を考え直す時期はもうすぐやって来る筈です。

哲学者達は定期的に「これでよいのだろうか?」と
世界へ問い掛けをしてくるでしょう。
何故ならば哲学者とは社会のブレーキであり、
人々に立ち止まって考えさせるのが役目なのです。

人間が生きるという事はどういう事か、
時代には固有の課題があり、その問いかけに対して
我々はどのような課題を背負い、どのような方法で
それを解決、実現させるのか。そこにはいつも新たな
創造があります。それが人類の歴史と連続性であり
これを続けなければいけません。

私の個人的な主観ですが、大局的に見てこの手の騒ぎ、
究極のところ人類の進化過程で必ず訪れる局面の
ように思います。と言いますのも、今から60億年後に
太陽は内側にある水素が燃え尽きて赤褐色の星となり
太陽系は終了してしまいます。
その際に太陽は今より100倍近く膨張して土星も金星も
飲み込むほど巨大化するらしいですが、何にせよ60億年で
ピタッと太陽が終了するのではなく、その数千万年前から
徐々に太陽は燃えなくなり、当然ながら地球上は人類が
生きていけない氷河期状況になります。
となると高度に知能が発達した人類は空気と水を
確保して、生き延びるために太陽系から飛び出して、
他の星で生活できるように進化するか、それとも
スペースコロニーの中で自給自足して生きていけるように
進化しなければいけません。
となると細菌やウィルスをシャットアウトしながら
他の星に脱出し、それらに強い抗体を得ていくのが
生命体として人類が生き残る方向なのでしょう。

それを仮定とすれば、現在地球上に蔓延る諸問題、
移民問題、気候問題、地震や火山の問題、
宗教問題、人種問題、経済問題、すべてが来るべき日に備え、
60億年後の太陽終了までに人類が克服するべくして
体験しているのだと私は思ってます。
世の中の政情不安や天変地異などを含めたものを
末法」というものではなかったとしても、不安感、民衆の
仏教への理解不足などが相まって、次第に末法観念
終末論的に転化されていったという意味での
仏教における末法思想も含めますが
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が共有する
世界の週末論ノアの方舟(はこぶね)論は
民衆の不安を煽るので私は好きじゃありません。
しかし遠い未来に人類が地球から脱出するのであれば、
その際のノアの方舟は各地の各人種で多種多数存在
すべきだと思っているので、何も世界中の人々が同じ考えで
同じ規則に統一される必要はないと私は考えています。
 
コレラの対応から学ぶコロナウィルス対策
I人類学や民族研究の視点で考える今後のリスク

「人種」とは人類を骨格、皮ふの色、毛髪、血液型などの
特徴によって生物学的に分類したものです。
「民族」とは言語、宗教、生活様式、歴史、価値観など
文化的特徴を共有するひとかたまりの人間の集団のことです。
「人種」が生物学的特徴で分類しているのに対して、
「民族」は文化的特徴で分類しています。
日本人はモンゴロイドという人種です。

大和民族(やまとみんぞく)とは、日本列島の住民の
大半を占める民族で、ほとんどが日本語を母語とし、
日本列島に居住する民族です。
しばしば和人・倭人(わじん)とも呼ばれます。
日本列島の住民のうち古代の大和朝廷や中世の
武家政権の施政下にあった人を指し、
近世に幕藩体制下に組み込まれた
琉球諸島の住民(琉球民族)を含む

民族的日本人を指す場合は日本民族と呼称されます。

大和民族

民俗学者の沖浦和光(おきうら かずてる)さんは
日本の民族分類について仰っています。
日本民族には6つの源流が考えられます。
1つめはアイヌ系と南島人で古モンゴロイド系の
縄文人の末裔です。
2つめは倭人で、彼らの多くは稲作農耕民と海の近くで
舟運に従事し、漁をして暮らす海民です。
3つめは南方系海洋民で、その主力は黒潮に乗って
北上したマレー系海民とみられています。
今日のフィリピン人、インドネシア人の源流に
連なる人々です。
4つめは、朝鮮三国からの渡来人ですが、
その主力は倭人系です。
5つめは、中国の江北地方から朝鮮半島を経て
北九州に渡ってきた新モンゴロイド系で、
大陸の北方に住む漢人系の人々です。
6つめが北方系騎馬民族新モンゴロイド系、
ツングース族)で、ヤマト王朝を建国した天孫族にも
この流れが入っています。
このように、日本民族は、異なる時期に、相次いで
この列島にやってきた、さまざまなモンゴロイド系の
混交によって形成されました。いくつものモンゴロイド種の、
数万年以上にわたる複雑な混血の結果が今の現在の
日本民族なのです。純粋かつ一系(ひとつの流れ)の
日本民族というものは存在しません。」との事です。

「民族」とは生活様式、歴史、価値観などの
文化的特徴を共有する人間の集団ですので
集団行動の基準でもあり、先天的な性質や
後天的な性格を区別できます。ですので
行動予測をする場合に他民族と区別しやすいです。

考古学や人類学を中心として「狩猟採集社会」や
狩猟採集民」という概念が頻繁に使用されてきました。
狩猟採集社会(しゅりょうさいしゅうしゃかい)とは、
主に人類学上の言葉で、野生の動植物の狩猟や採集を
生活の基盤とする社会のことです。
農耕が開始された新石器時代まで全ての人類は
狩猟採集社会だったと考えられています。

マンモス狩りをする古代人の壁画

狩猟民族
農耕民族という文化的な分類に基づいて
縄文人が元々日本列島に居住していた
農耕土着民族で、弥生人は大陸ないし半島から
来て征服を目的とした狩猟民族で抑圧的だ」
との俗説がありますが、それは間違いです。
人類は石器時代に見られるように、
狩猟を生活の手段にしている点では共通しており、
牧畜、農耕は人類文化の発展とともに生まれた
合理的な生活様式であると考えるのが自然です。
ですので時系列で分類するならば、
日本においても縄文時代狩猟民族で、
弥生時代に農耕を覚えて農耕土着民族へと
発展したと考えるべきです。
当然ながら肉食の縄文人の顎が発達しており、
農産物を主食にした弥生人は顎の骨が退化して
東洋人特有の凹凸の
少ないノッペリとした顔に
なりました。遺伝子研究の
結果ではアイヌ含む
縄文人
には、海洋民族と
シベリア、東欧等からも
やって来た狩猟民族
遊牧民族
も含まれる
ことが分かっています。

  弥生時代の日本の農耕

国立遺伝学研究所集団遺伝研究室の
斎藤成也教授等によると、「縄文系弥生人
渡来系弥生人の混血は古墳時代から始まり、
その後に現代日本人が誕生した。
現代日本人には14パーセントから20パーセント
ほどしか縄文人の血が入っていないという
推定値が出ている。」との事です。

日本の文化人類学者で国立民族学博物館
岸上伸啓(きしがみ のぶひろ)さんは
『文化人類学的生業論』で記述されています。
人類学では狩猟採集や園耕、牧畜、農耕などの
食糧生産を生業活動としてカテゴリー化し、
社会を分類することが行われてきました。
岸上さんは下記のように警鐘を鳴らされています。
「人間が生きていくためには食糧の採取や
生産が不可欠である。文化人類学(民族学)が成立した
19世紀後半から多くの研究者は、進化論的な
視点から個々の人類社会の基盤をなす食糧採取、
生産活動を指標として人類社会を狩猟採集社会
園耕社会、牧畜社会、農耕社会へと分類してきた。
さらに初期の文化人類学がこれまで研究
対象としてきた社会の多くは市場経済以前の
社会や市場経済から相対的に独立した自給自足的な
社会であったために、それらの社会の経済活動は
サブシステンス活動(subsistence activities:地域の
民衆が生活の自立・自存を確立するうえの
物質的精神的基盤)と呼ばれることになった。
近年このサブシステンスに基づく社会のカテゴリー化
や概念は、野蛮な狩猟民と文明化した農耕民という
社会進化的な考え方に由来しており、人類学や考古学
において有効な概念でありえるのかという疑問が
呈され、生業以外の社会文化的な特徴や差異を
考案して社会を記述する方法を見つけ出す必要
が叫ばれている」

人類の進化により古代から近代に変わって、特に
19世紀から20世紀にかけては文化的な分類方法である
社会進化論に基づいて狩猟採集社会から農耕社会
という進化論を世界的に適用しています。
過去の歴史を遡ると19世紀以降、世界は
狩猟民族農耕民族に分けられると
言われています。「狩猟採集民」の研究では、
どういう状況下で狩猟民農耕民との混血、共生関係が
みられたのか、植民地形成にともない狩猟民
どのように対応したのかが論じられ続けています。

狩猟民族は文字通り生活の基盤を狩猟に置き、
森や平原、海などに生息する動物や魚を狩り、
生活の糧を得てきた。彼らは一つの地に定住せずに、
小集団で移動しながら生活していたと言われています。
狩猟民族は自分の意見や将来やりたいことを
みんなの前で堂々と発言して行動に移すことが
できるという特徴があります。一方で勢い任せの部分もあり、
とにかくやり始めたのは良いものの行動しながら
軌道修正をこまめに行わないと、失敗する可能性が
高いと考えられています。
また、狩猟が食料確保の主な手段になるため、
獲物が取れれば満腹、そうでなければ空腹を
我慢するといった、計画性がなく、いわば偶然性に
依存する暮らし方をしていました。そのため、徐々に
武器が発達して、武器を操る能力が高い戦士が
誕生しました。その後、罠を仕掛け相手を騙して
捕らえるといった高度なテクニックを得ました。
狩猟民族はかつてのゲルマン諸国
ノルマンアングロサクソン)やスラブ系諸国
(ロシア、東欧など)、アフリカなどが該当します。

一方の農耕民族は、主に河川流域に住んで
麦や稲を育てて日々の生活を営んできました。
作物を育てるために一箇所に定住したと言われています。
徐々に耕作用の道具や保管用倉庫ができ、
河川の増水や収穫時期を知るため天文学や
地政学が発達し、計画的に作物が育てられる
ようになりました。農耕民族は失敗するのが怖くて
人に言うのは控えて、本当に言える時になるまで
言わないでおこうと考える傾向が多いとの事です。
まずはとにかく計画を立ててから行動しようとする。
緻密な計画であれば実効性も高いが、
計画倒れになる可能性もあります。同時に作物や
知識を独占する階層が生まれ、集団は国家へと
変化していきました。農耕民族には古代エジプト

日本の農耕
(現在のアラブ地域)や
メソポタミア、ペルシャ、
スペインなどヨーロッパの
一部、東南アジアの大半、
そして日本が含まれると
されています。

霊長類研究の第一人者で日本の人類学者の
山極 壽一(やまぎわ じゅいち)さんは
指摘しています。「狩猟採集民農耕民では
自然観が違う。狩猟採集民は移動生活を
前提としていて、土地を所有しない。
自然界のものに手を加えずにそれを自分たちの
食料とし、自らの手で食物になるものを栽培しない。
一方で農耕民は土地に投資をし、栽培したものを
守らなければならない。狩猟採集民が森の友と
思っていたものを、農耕民は畑を荒らす害獣として
排除しなければならない。
食べるために殺すのではなく、土地、作物を守る
ために殺す。悪いものを殺すということはやがて、
人間に対しても行われるようになります。
たとえば、土地を侵害してくる人間を排除するとか。
そして、投資した土地で作物を収穫したら
未来にまた投資する。これはまさに資本主義
根本原理ですよね。収穫物をすべて食べてしまえば
それで終わりですが、そこで種を残しておいて
次の年に蒔く。さらには、土地を広げて種を蒔く。
これは産めよ殖やせよという自然観、人間観です。」

と言うことは狩猟民族農耕土着民族では
時間と収穫、利益に関する概念が異なることに
なります。狩猟民族は結果を得るために長い時間
を要すことを好まず、農耕土着民族は結果を得る
には長い時間を要すこと理解しています。
一箇所に定住することなく、居住する場所を一年間を
通じて何度か移動しながら主に牧畜を行って
生活する遊牧民と異なり、アジアなどのモンスーン気候
の地方に多く見られる農耕民族は定住する地を
耕し農作物を収穫します。そして定住する土地の
風土(気候・気象・地形・地質・景色)により民族特有の
生活習慣や性格が育まれます。

フロンティア精神によって未開の地を開拓する事を
夢見て、狩猟民族をルーツに持つ白人アングロサクソン
ゲルマン系西洋人はアフリカ大陸へも積極的に
介入していくでしょう。彼らは発展途上国や貧困地の
発展インフラによる利益を求めているのです。
客観的に見ていると彼らはその土地の文化を破壊し、
地元土着民の利益を搾取している事に気づかず、
開拓こそが最高の喜びと感じてる節があります。
衛生的ではない地域で生物由来のウィルスは人に
感染し、利益を求めてそこに出入りする人達によって
感染拡大をしていくでしょう。そのリスクはアジアや
アフリカにも潜んでいるでしょうから、今後も新種の
ウィルスによる世界的な感染は定期的に発生するでしょう。
人類が必要以上に居住区を拡大すれば、未開地に
潜んでいたウィルスは人類と共存しようとして
人間に感染してくるのです。

ここからはトップダウンの指導力が強制的な共産国
ほうが国民の生活改善の徹底は凄まじいので
中国やロシアのほうが今回の新型コロナウィルスの1回目
世界的流行からいち早く脱する可能性が高いでしょうね。
ベトナムのような共産国が新型コロナウィルス感染の
リスクから回避できたのは仲が悪い中国をけん制して
いち早く国境封鎖をしたことと同様にトップダウンの
指導力が強制的だったからです。
その反面、民主主義国家の国民達は不満が溜まって
その都度スケープゴートを見つけて誰かに責任を
なすりつけて非難するぶんだけ問題解決に遅れるでしょう。

第二次世界大戦時のイギリス首相だった
ウィンストン・チャーチルはナチスとの戦いに勝つために
ペシミスト(悲観論者)が多い英国民を鼓舞しようと
悲観論者はあらゆる好機の中に困難を見つけ、
楽観論者はあらゆる困難の中に好機を見つける」と
励ましましたが、私のビジネス経験で申しますと
日本人と比べて西洋人、特に狩猟民族をルーツに持つ
白人アングロサクソンゲルマン系西洋人は成功できない
ストレスにとても弱く集団的なパニックになりやすいです。
戦勝国の人々は何事にも勝たないと不安に怯え、
敗戦国の人々は失敗から冷静に分析し学ぼうとします。
この世界の片隅に」でも描かれていますように
日本では戦時中、空襲警報に怯えながらもみんなが
冷静に行動し、慎ましくも賢明な生活をおくっていました。
私が父母から聞いてきた戦中、戦後の生活も同様です。
日本人は戦後多くの事に耐えながら復興してきたのです。

西側は体制維持に努め、東側は新体制に躍起になるでしょう。
その混乱に乗じて秩序を乱そうとするグループも
出現するでしょう。
または危機感から本来人類が哺乳類動物として
備えていた本能が作動し、現代人の常識に捕らわれず
本能的な行動に出たり、スピリチュアルな生活スタイル
を目指す人達も出てくるかも知れません。

ピースサイン(Vサイン)を初めて公式の場で使って
有名にしたのはウィンストン・チャーチルです。
大戦時にウィンストン・チャーチルや当時フランスの
大統領だったシャルル・ドゴールが勝利を意味して
用いていたVサインが始まりだったと言われていますが、
ウィンストン・チャーチルは第二次大戦終戦直後

ウィンストン・チャーチル
記者団に対し、Vサイン
をしました。記者団から
「得意のVサインですね
"Victory" (勝利)の"V"
ですか?」と問われて
「いや、広島と長崎だ。
世界の平和はこの二本、
広島と長崎に落とした
原爆によって完成された」
と述べました。ピースとは
日本へ落とした2つの原爆
という意味なのです。
日本人はそれを知って
おくべきでしょう。

歴史的に西洋では疫病が流行すると魔女狩りが始まります。
所謂スケープゴート(集団内の不平や憎悪を他にそらすため、
罪や責任をかぶせられ迫害される人)を探しはじめます。
ヨーロッパ中世末の15世紀には、悪魔と契約して
キリスト教社会の破壊を企む背教者という新種の「魔女」
の概念が生まれるとともに、最初の大規模な魔女裁判が
興ったのです。15世紀から18世紀までに全ヨーロッパで
推定4万人から6万人が処刑された」と考えられています。
現在では「魔女狩り」が社会不安から発生した西洋人特有
の集団ヒステリー現象であったと考えられています。

アメリカの一部の個人と企業が中国政府の初期対応が
悪かったからと中国政府に集団訴訟すると言ってますし、
アメリカ政府は中国政府の発表した感染者数が事実より
少なく発表してることによって他国の対応に悪影響を
与えたと言ってます。
一部では誰かの責任だと言いたいがために
「事態を過小評価していた世界保健機関(WHO)
テドロス事務局長の責任だ」とテドロス事務局長の
辞任を求める署名活動が展開されて、最終的に
100万人以上から賛同を得たと公表しました。
これこそが群集心理を利用した西洋人による
魔女狩りですよ。そんな事しても何も解決しないのに。

1612年、英国のランカシャーであったペンドル魔女裁判

近年ではインターネット上で悪意のある人達が
なりすまして誘導的な世論操作を行ってますが
日本人とてそれにまんまとひっかかってます。
また実生活では大人しい人に限ってネット上で
攻撃的なコメントばかりしてるので、ストレスとは
相手に見抜かれ、それは利用されやすい
要因だってことです。

まあ誰かに責任転嫁する背景には政治的な人気稼ぎ
みたいなのがいつもありますが。人気取りのために
スケープゴートで中国を責め、群集心理を煽って
国民から「そうだ、そうだ」と票を取ろうとしています。
アメリカの国民意識の60%以上が今回の
新型コロナウィルス問題は中国の責任とメディアで
発表させて、さらに世界中からシンパシーを得ようと
してました。現代の魔女狩りは、よくあるメディア
コントロールによるスケープゴートですね。

では日本では疫病が流行するとどうなるのかというと、
日本はモンゴロイドによる単一人種国家なのと、
宗教習慣から生贄がないので鎮守の神様に祈ります。
私が知っていた鎮守の神様とは
生存時に悪行を重ねた大悪党が亡くなった場合に、
また目覚めて悪行をしないようにその大悪党を神として
崇めておとなしくしておいてもらおうと祈るもの、
またはその大悪党をまた静かに寝かせてくれる神様と
思っていました。しかし鎮守の神様はその土地に住む
地主神を押さえ込んで服従させるために新たに
祀られた神のことらしいです。
人間がしでかした罪に対してその土地に住む地主神が
怒って人々に危害を与える祟りを、さらに霊力の高い
鎮守の神によって封じ込めてもらおうとするのです。
人間に怒る地主神が祟って疫病を流行させようとするのを
鎮守の神に「たすけてえ〜」とお願いするのが
日本人です(笑)
鎮守の神は氏神と同じ意味で扱われてるので、氏神とは
氏の神(同族、同姓のための神=その集落の神)
ということは同じ民族のためにしか働いてくれないのです。
鎮守の神様は地元民のためにしか働かない。
ということは拡散した流行性ウィルスになってしまえば
もはや鎮守の神様は役立たずになるという、とても
コミカルかつ無責任な神様です。ダメだこりゃ(大笑)

コレラの対応から学ぶコロナウィルス対策
J注視しなければいけない事

私は時代に逆行して、抗うようにと言ってもよいでしょう
中古レコード販売という温故知新を探りやすい作業を
通じて鳥瞰俯瞰的な視点と客観的立場で世界中の
人々とコミットしています。世界中の様々な考え方を持つ
人達と毎日毎晩会話をしながら多くを学んでいます。
そんな中でいつも私が思うのは「なぜ人々は先に
進もうとするのか」です。
先に大きな穴があるのに「便利、簡単、安全」という言葉を
使って先導しようとする資本家達の後を追うのだろう。
なぜ危険な先を回避して後ろに戻ろうとしないのだろう
といつも考えています。

我々が研究開発を専門化達に許しているテクノロジー
の発達が向かうところは、究極のところ
「人々が働かなくてよい世界」です。
「便利、簡単、安全」というキーワードで発達し続ける
テクノロジーは最終的には我々から仕事を奪います。
「危険な事はロボットが人間に代わって行う」という発想は
兵器開発の理念ですし、人工知能は世界共通のデータベース
を必要としており、インターネット上を支配したい
西洋資本体制は日本製品上の日本文化や特性を無視して
判別カテゴライズを西洋スタンダードに強制させています。

Discogs と言うユーザー執筆参加型のデータベースサイトを
見ていて「法律、文化や習慣によって異なる規制を持つ
各国の製品基準を、彼らはなぜ西洋基準に無理やり統一
させたがるのだろう?」と私は疑問を持ちました。
私がこの西洋資本のサイトの主催者に異を唱えると
Discogs のデータベース最高責任者のNikから返事あり
「日本だけを特別扱いできないので、データベース化が
進む上で日本は犠牲になるべきだ」と高圧的な態度で
強制してきました。インターネットの普及により
日本製品のアイデンティティを欧米のユーザー達が
積極的に書き換えてます。それはネット上の縄張り拡大が
西洋の利益になることを彼らが知っているからです。
彼らは西洋スタンダードを基準にしたインフラ作業を
世界中のユーザー達を騙しながらさせているのです。

日本人ユーザー達も自身の執筆投稿が
西洋の利益になってる事に気づくべきです。
そしてアメリカの法律 fair use (フェアユースとは、
アメリカ合衆国の著作権法などが認める著作権侵害
の主張に対する抗弁事由の一つである。
同国の著作権法107条 によれば、著作権者の
許諾なく著作物を利用しても、その利用が4つの
判断基準のもとで公正な利用に該当するものと
評価されれば、その利用行為は著作権の侵害にあたらない)
によって日本人ユーザーの執筆投稿やアップデートした
画像は全てアメリカ資本のサイトによって「公共の利益
のため」と言う名目でアメリカの利益として利用され続ける
のです。一度その手のアメリカのサイトにアップデート
した情報は全てアメリカの利益として搾取され続け
日本人の意向で情報削除を依頼しても削除されません。

侵略的な西洋人ユーザー達によって彼らの思想や
西洋スタンダードがインターネット上で占拠していますが、
征服欲の強い西洋人達によって日本人の思想や
日本文化ですら虐待を受け続けています。
既に記述しましたが、狩猟民族をルーツに持つ
白人アングロサクソンゲルマン系西洋人は
発展インフラによる利益を求めています。
彼らは各国の文化を破壊し、利益を搾取している事に
遠慮もせず、開拓こそが最高の喜びと感じてるのです。

ネットを見ていると民主主義社会に混乱を起こさせるために
中国側も意図的にスケープゴート論をネット上で拡大させ
自由をはきちがえた民主主義国民が「そうだ、そうだ」と
同調し、身勝手な行動に出ているのがよく分かります。
これは世界連邦共和国共産化計画に拍車をかけてますね。
なんにせよ、新型コロナウィルス騒ぎによってテクノロジー
の進化は加速して、働けない世界、働かないでよい世界は
世界連邦共和国に向かって行きます。その際の首長国を
巡って、新たなグローバルスタンダードの主導権のために
西側と東側がバトルをしてるのです。

私はやたらと外国の友人達から彼らの生死に関わる
大事な時間で話し合いを求められる事が多いのですが
それは、ウチのルーツが古代から天皇家相手に
現在で言うホスピスのようなことをして来たと私は
以前叔父から聞いていたので、そういう事も関係
してるのだと思います。民族性や文化、習慣等を
超えて人間の本質論ばかり私が外国の友人達に
いつも語っているので彼らは「不思議な奴だなあ」と
思ってるのでしょうね。過去私は会話している最中に

Alzo Fronte
相手が6人亡くなりました。
その中には私の友人で
私と会話中に心臓発作で
亡くなったアメリカの
ミュージシャン Alzo Fronte
(Alzo & Udine) も含み
ます。友人達の最期を
看取るタイミングがいつも
会話中に突然襲って来る
のです、私はいつもそれに
悩み苦しんで来ました。

私は自分自身が持って
生まれた特殊な能力を
受け入れて生きていく事を
決心しました。

私は以前家族が大きなトラブルに巻き込まれて
家庭崩壊寸前に至った時に、自分自身が今まで
努力して抑えてきた本能がコントロール出来ずに
発動してしまいました。危険回避から予知能力が
高まり、それによって私の行動はモラルや法律をも
飛び越えてしまいました。私は熊本地震を予知してしまい
同地を宿泊予定にしていた子供達の修学旅行を
中止させようと引率の先生を軟禁して学校側と
対立してしまいました。それはモラルを超えた非常識な
行為だったかも知れませんが、実際修学旅行の後に
熊本地震が起こったのです。

冒頭で記載しました日本の大地震年表にありますように、
あの貞観地震(じょうがんじしん)の
あった869年に熊本でも大地震があったのです。
869年 東北を襲った貞観地震(陸奥海溝地震)
869年 熊本県で地震津波(もしくは川の決壊)
私の遺伝子情報は危険回避から予知能力を
発動させてしまったのでしょう。2016年の熊本地震の後に
日本のある地質学者が「貞観地震のすぐ後に熊本で
大地震があった過去の記録から今回の熊本地震
予想することは出来ましたが、もしそれが外れた場合に
予想を公表してパニックになった人々から責められる
事になるので地質学者として公表できませんでした」と
テレビ番組で仰ってました。

現代の常識や法律ってものは危うく、それは安全な
社会を前提にしている事に私は気づきました。
またその当時、信じられない現象や大きな事態が
私を中心に連発し、私の体内から出てくる
大きなオーラが人々を飲み込んでいくのです。
路上に私が出た途端、通行人達がマンガのように
バタバタと私を中心に輪のように倒れていったり、
私のオーラに飲み込まれた女性が失神してしまったりと
当時は自分の業の深さを恨んだものです。

以前、アメリカの友人ディーラーが末期がんで
最終ステージの手術を受ける前に是非君と
話し合いたいと言って私に連絡をくれたことがありました。
彼は「俺が子供の頃は家の中でお母さんが作るレモネードを
子供は小遣い稼ぎに家の前にテーブルを並べて売っていた。
でも、今それをしようとするならば市の衛生局に許可を得て
しなければいけないし、病気の感染が疑われるので許可は
でない。いつからこんな世の中になったんだろう」と
嘆いていました。私はウチのルーツの話をこのアメリカ人
の友人に伝えて「一部の悪意のために法律は書き換えられ、
多くの善意はその迷惑を被ってきた。その結果、個人の
権利の主張を認めるアメリカでは人々の習慣の変化が
加速したんだろうね。今の世の中で人々がどちらに向いて
どこに行こうとしているのか、それが人々が望んでいる
方向じゃないとしたら、それは生命体の本能として
正しいのか考えなきゃいけない」と私は彼へ伝えました。
今回は新型コロナウィルス以前と以降では全て体制が変わる
でしょうから、世界中の人々がこの問題を乗り越えて
地球規模のターニングポイントになるのでしょう。

身の回りを清潔に保つ社会習慣がない国々には
経済的な理由によって衛生管理ができずに
感染病が拡大しやすい背景があります。
貧困層の多い東南アジア、南米やアフリカの発展途上国
の一部では下水道普及率も低く、糞尿等の衛生管理の
状況も悪いので、その地域でクラスター(感染者の集団)
ができると、拡大連鎖はとまらないでしょうね。
医療制度、保険制度も充分に確立されていない
発展途上国では貧富の差も大きく、その不衛生な
生活環境でウィルスの感染拡大も早いでしょうから
第2、第3のパンデミック(世界的流行)発生源は
それらの地域になる可能性が高いです。

人々を不安にさせて、宗教に勧誘する人も増えるでしょう。
特に受動態の人達は自分の意思が弱く、
混乱期に何かに頼りたくなってしまいます。
心のバランスを失うと自己啓発セミナー、
人の不安を聞くふりして宗教の勧誘、
水晶を買えだの壺を買えだの、ありとあらゆる勧誘の
話がやってくるので、そういったものは人の弱みに
付け込んでくるものだから注意してください。

人間はバランスの動物で、傷つけられたら傷つけかえす、
失えば補おうとする、人はプラスマイナスがゼロでないと
苦しくて生きていけません。
貸借対照表のように左右が対称でつりあわないと
人はストレスを感じるのです。
「平等」という言葉を信じて、平等を理想とする社会に
多くを委ねている人がバランスが崩れた時に
とても弱いのです。しかし生物の生存競争は「平等」と
いう理念を持っていません。
ある人は仕事であったり生活であったり過去のように
戻れないと大きなストレスになるでしょう。
人は失くした事が大きければ大きいほど何かを求める
気持ちは同様に大きくなります。
思いが深い分寂しさや喪失感も深いものになるので
バランス上のバーター(交換)作業は依存症を
作ってしまいます。
テレビで過去映像を見てもつらいし、ドラマを見てもつらい、
受け入れ難い事を受け入れるのは大きなストレスを
感じるので気がつけばアルコール依存症や過食症
になったりします。

私は世界中を相手に販売をしているために
完全に朝と夜が逆となっているので偉そうな事は
言えませんが、在宅であっても努めて朝起きて
夜寝る生活をしないと交感神経は壊れてしまい
それは睡眠障害を作ってしまいます。
睡眠障害からキッチンドランカーになったり、
アルコール依存や過度に糖分摂取をしていて
糖尿病になったり生活習慣病は気がつかないうちに
なってしまうので仲間内で互いに観察指摘をして、
注意をしあいましょう。
それは人と人との結びつき、支え合いや助け合いを
確認しながら生きていくライフスタイルです。

西洋主導型の資本主義経済なんて100年と続いた
ことはないですし、定期的に戦争で破壊して、
その後に再構築を繰り返して復興インフラから
利益を稼いでるだけです。
「人が移動すれば疫病は拡散する」これは
中世ヨーロッパのペスト菌然り、江戸時代のコレラ然り。
それら疫病を医学が封じ込めるよりも早く
渡航者が拡散させ、情報化社会が恐怖を拡散させています。
このペースでさらに拡散したら、医療体制の崩壊から
治療して生かす人間を選択しなければいけなくなるでしょう。

新型コロナウィルスのワクチンが完成した場合。
資本家達の投資は薬品会社に集まってるので
もう少し、ある程度の人間に死んでもらって
人減らしをした後に「新薬完成っ!」とでも
世界中に大々的に公表したら、その後は
資本家の思い描くままの世界になるでしょうね。
今回の新型コロナウィルス問題、もしこれに陰謀説のような
ものがあるなら、西洋の資本家達が世界の秩序を
再構築するために予めワクチンを作らせておいて
意図的に新型コロナウィルスと言う名の細菌兵器を
中国に投下したという論法が成り立つ訳ですよ。
西洋資本による資本主義の最大の利益論は
戦後のインフラ整備とそれによる主導権の確立です。
ならば新型コロナウィルス後のインフラ整備による
主導権の確立も同じです。
もしもこれが中国が意図的に新型コロナウィルス
感染拡大をさせて、中国がワクチン開発で大稼ぎしたら
史上最高のマッチポンプ(利益のための偽善的な
自作自演の手法・行為を意味する和製外来語)ですよ。
現代の情報社会において本当に必要なワクチンの
開発情報を世界中でシェアできるか、
それとも相変わらず利益のために西側と東側が
騙しあいをして利益を勝ち取ろうとするのか。
世界、人類のためにという大義名分によって
誰の利益になる薬品会社が新薬やワクチンを
発表するかよく観察しておいたほうがよいですね。

私、昔っから疑問というか違和感を感じて
たんですけど、オリンピックって差別的だと思いませんか?
競技によって国の優劣、国民の優劣をはっきりさせ
優越感に浸ろうとする。
例えば今でも国によってはオリンピックのメダリストに
なれば金銭を与える国、メダリストの一生を補償したり、
韓国のように兵役免除したりとしてアスリートに
餌を与えて、それで金メダルでもとれば国家や民族性が
素晴らしいとでも言ってるような態度をとります。
じゃあ、発展途上国はそんな事できるのか、
ましてや発展途上国ではオリンピック開催すら無理です。
で、技術も進歩してるのでそろそろオリンピックの定義
を変える、もしくはオリンピックに変わる
スポーツイヴェントでアスリート個人の能力の高さを
数値化してそれを競わせる。そうすればそのデータは
人類の進化に伴う「強さ」であったり「免疫の高さ」で
あったり、「理想的な生活環境」の目標値になります。
そうする事で、病原体や風土病や新しいウィルスに
対する抗体を持つ人類の研究になり、それは人類共通の
財産になるでしょう。だから、オリンピック競技で
競技ルールによって差はあれど、例えばゲーム性の高い
ゴルフやカーリングなんかはアスリート能力の高さの
数値化がし難いので、それらの競技ばかりは観て楽しむ
スポーツとして分類し、肺活量や持久力に関わる水泳や
陸上競技はアスリートの新陳代謝や汗の量等を数値化して
人類が生き延びるための目標値とするんです。
それは民族性や食生活等の生活習慣にも関わるでしょうから
遺伝子研究も進むでしょう。優秀なアスリートの練習量や
睡眠時間等も数値化して世界中で共有するんです。
現状のテクノロジーであれば、それは可能だと思うし、
なんでこんな馬鹿げた利害関係で継続するオリンピック
世界中が支持するのか、凄い違和感を私は感じます。
 
コレラの対応から学ぶコロナウィルス対策
Kケーススタディーによるリスク回避

私は今回の新型コロナウィルス騒ぎによって人々が来るべき
ライフスタイルの実験をしてるような気がします。
外に出ない在宅生活です、以前私が子供のころに鉄腕アトム
を見ていてケーススタディーをして怖くなったのです。
それ以来、ウルトラマンウルトラセブンのように近未来を
描く特撮ヒーロー番組ですら怖くなってしまった(笑)

鉄腕アトムで描かれていた未来世界

そこでは何でも自宅から注文できて、家にいるだけで
食べ物を注文して食べられる、
ということは外出しなくてよい、
ということは交通機関に頼って外出する理由が激減する、
ということはそれら交通に関わる仕事が淘汰される。
ここまでは私が小学生当時で想像できました。

ということは人が運転しなくてよい乗り物が発達し
自宅にいながら教育ができるシステムになる、
ということは人間が先生をしないでプログラム化が進む、
ということはコンピューター人工知能が子供達に教育する、
ということは権力者達が自分達の都合のよい方向で
人々を洗脳しやすい。
ここまでは私が中学生当時で想像できました。

ということはそれ以前とそれ以降の人々のモラルや
価値観が対立する、ということは抵抗勢力と革新勢力が
ぶつかり合う。
ここまでは私が高校生当時で想像できました。

ということは宗教が持つ意味が今と違って
イデオロギーの普及へとつながる、ということは考えの
異なる人達の対立から多民族国家や異なる民族が密集してる
地域から民族的な大移動が始まる、
ということはそれを受け入れる国とそれを嫌がる国は
対立する。
これは現在我々が体験していることです。

私は新型コロナウィルス問題について
ケーススタディーを続けながら、気づきました。
この新型コロナウィルス騒ぎって夏場の空冷家電の
電力自粛次第では地球温暖化にストップかかるかもですよ。
予測しておいて万事に備えようと思い
私は得意の妄想シュミレーションをしました(笑)
これは一つの例ですらひっかかると、他の例に
連鎖する可能性も高いのですよ(怖っ)

新型コロナウィルスによる長期による外出規制、
と言う事は公然とマスク外出者のために
顔認証システムが進化する、
と言う事は犯罪抑止のための監視がしやすくなる、
と言う事はテロ活動を未然に防ぎやすくなる、
と言う事は監視社会へと一気に変わりやすくなる、
と言う事は思想家が増えることで反社会勢力の
在り方が変わる、
これは生活スタイルに影響を与える

生活スタイル
と言う事は人々は時間を急がなくなる、
と言う事は外出しないので家のセキュリティが向上する、
と言う事は泥棒や空き巣が減る、
と言う事は外出しないので衣料、化粧、美容等の
売り上げ低下、
と言う事は髪の毛が伸びる、
と言う事は成長期に運動不足のため子供の成長率が低下する、
と言う事は在宅授業により子供達の集団競技離れが進む、
と言う事はジャイアン型の体格差によるリーダーシップ
は無くなる、
と言う事は理論派によるリーダーによりグループ形成される、
これは健康問題に影響を与える

健康問題
と言う事は外出規制により花粉症患者の減少、
と言う事はストレスから自律神経失調症の低年齢化が進む、
と言う事はストレスから精神疾患病患者が増える、
と言う事は家飲みが増えキッチンドランカーや
アルコール中毒が増える、
と言う事はストレスや運動不足から糖尿病他
成人病患者が増える、
と言う事はハウスダストアレルギーが増える、
と言う事はパソコンやスマホの見すぎで視力が低下、
と言う事はマスク生活の普及と共に呼吸確保と喫煙率の低下、
と言う事は癌死亡率が下がる、
これは社会インフラに影響を与える

社会インフラ
と言う事はネット通販の依存度が高まる、
と言う事は世界的にキャッシュレス化が進む、
と言う事は通販宅配業の拡大が進む、
と言う事は観光業の低下が進む、
と言う事は地域のボーダー化と産業のボーダレス化
が加速する、
と言う事は企業の合議制が進む、
と言う事は外出規制により自動車、鉄道、飛行機便
の大きな減少、
と言う事は都心部でも通勤ラッシュが無くなる、
と言う事は山村部の道路開通約束で票取りしていた
政治家が減少、
と言う事は不必要、不適切な公共工事が減少する、
と言う事は自給自足率の向上により農業、水産業の
就労者が増える、
と言う事は社会インフラの見直しが進む、
と言う事は古い道路や橋のメンテナンスがしやすくなる、
と言う事は交通事故や飛行機墜落事故による
死亡率は減少する、
交通量の大きな減少はエネルギー問題にも影響を与える

エネルギー問題
と言う事は外出しないので自動販売機の売り上げ低下、
と言う事は自動販売機の数が減る事で電力消費の大きな減少、
と言う事は企業によるテレワークで電力消費の大きな減少、
と言う事は下町工場も含め長期的な生産停止、
と言う事は排ガスや電力消費の大きな減少、
と言う事は原子力発電への負担が軽減される、
と言う事は旧型の原子力発電所の廃炉が進む、
と言う事は世界的に燃料消費量が減少する、
と言う事は原油生産量が低下する、
と言う事は石油価格が暴落し世界的な金融不安になる、
と言う事は投資家達の投資先がバイオ関係に向けられ始める、
と言う事は原油埋蔵量が維持される、
これにより中東問題に影響を与える

中東問題
と言う事はアメリカがオイルマネーのリスク回避をする、
と言う事はアメリカが中東から撤退しはじめる、
と言う事は冷戦が中断し、各国の軍事費が低下する、
と言う事はイスラム国らテロリストが対米国や同盟国との
戦いを止める、
と言う事は中東での紛争が減少する、
これにより従来の生産コストに影響を与える

生産コスト
と言う事は燃料費が下がる、
と言う事は運送コストが下がる、
と言う事は商品生産コストが下がる、
と言う事は石油燃料生産よりも石油由来成分の
製品生産が増える、
と言う事は納豆、ペットボトル等のプラ系パッケージ
商品が安くなる、
と言う事は食品を中心にプラスティック溶剤の
在り方が見直される、
と言う事はカラスがゴミを散らかし難くなる、
と言う事はケミカル製品の価格が下がる、
と言う事は薬品の価格が下がる、
と言う事は塗料の価格は下がる、
と言う事は車や建築物の価格は下がる、
と言う事は全般的に生産稼働率が高くなり商品価格が下がる、
と言う事は人件費が下がる、
これにより環境問題や地球温暖化問題に影響を与える

環境問題、地球温暖化問題
と言う事は車の外出減少によりアスファルトの温度が下がる、
と言う事は車のタイヤの磨耗が低下し道路粉塵が減少する、
と言う事は人が外出しないので野生動物や昆虫の
生息域が広がる、
と言う事は川や海の水がきれいになる、
と言う事は地球全体で緑化が進む、
と言う事は地球全体が空冷化し温室効果ガスの減少が進む、
と言う事は成層圏のオゾン量を増加させる、
と言う事はオゾン層の回復が早まる、
と言う事は皮膚がんの発生が減少する、
と言う事はヒートアイランド現象や猛暑日が無くなる、
と言う事は地球温暖化による暖かい海水温の分布が変わる、
と言う事は海流の変化が元に戻る、
と言う事は世界規模での異常気象が減少する、
と言う事は世界規模での豪雨やハリケーンによる
大災害が減少する、
これは日本の食料事情に影響を与える

日本の食料事情
と言う事は海流の変化によって漁獲高が下がったマグロや
サンマが大漁になる、
と言う事は醤油の需要が高まる、
と言う事は大豆の需要が高まる、
と言う事は味噌汁の素晴らしさが見直される、
と言う事は千昌夫の「味噌汁の詩」がリバイバルヒットする、
と言う事はアメリカから大量に大豆を購入するように
日本は圧力をかけられる、
と言う事は日米首脳は新たな枠組み「DAIZU-7」を結成し
中国をけん制する、
と言う事は中国が大豆戦争を仕掛けて大豆の価格は暴落する、
と言う事は世界中で健康食として納豆の
素晴らしさが見直される、
と言う事は納豆菌が世界中に流布される、
と言う事は「新型コロナウィルスに勝った納豆!」と
日本食文化は世界から賞賛を得る。
これは納豆たんぱく質の見直しと納豆菌バイオ開発
に影響を与える
 
コレラの対応から学ぶコロナウィルス対策
L納豆

ゴッドハンドこと極真会館館長だった故大山倍達先生の
生前のありがたいお言葉があります。
「ネバネバしたものを食べなさい!」
大山先生、私はネバネバした納豆を食べてますよ!
と思わず出た心の叫びとともに天国の大山先生に
私は敬礼をしてしまいました。

納豆はイノキイズムの原点です。
1976年2月6日、アントニオ猪木
ミュンヘンオリンピックで重量級、無差別級を制覇した
柔道家「オランダの赤鬼」ことウイリアム・ルスカ
格闘技世界一決定戦を行いました。
この試合に先立つ1月7日、両者は帝国ホテルで
記者会見を行いました。ルスカが「俺はオランダのチーズを
食べてこんなに強くなった。お前にも少し分けてやろう」と
大きなチーズを持ってきてアントニオ猪木を挑発しました。
これに対しアントニオ猪木は「そんな臭いものが食えるか。
俺は納豆を食べて強くなった。今でも毎日納豆を食べて
いるからじゅうぶん強いんだ。そんなもの必要ない」と
言い返しました。アントニオ猪木の発言に納豆の
製造者組合の人達は感動しました。
殺気立った日本武道館格闘技世界一決定戦
行われました。納豆製造者組合の人達は
「納豆がんばれ!チーズに負けるな!」
というホノボノ庶民感を漂わす垂れ幕をもって
納豆代表となってしまったアントニオ猪木を応援したのです。
農耕土着民族ならではの、とても心温まるエピソードです。
今では納豆学会という謎の組織が
アントニオ猪木氏推薦納豆」という商品の
広報活動をされています。

アントニオ猪木 vs ウイリアム・ルスカ

猪木詩集『馬鹿になれ』(角川文庫)より「心の扉」
今日はいい天気
いつまでもすねていないで
心の扉を開いておくれ
窓のカーテンを引けば
心の奧へと光が射し込んでいく
さっきまであんなにこだわっていた
心の凝りが溶けだして
君の笑顔が輝いた

ほら今日はいい天気
冷蔵庫の納豆食べちゃってごめんね

この言葉に心が震える思いをするのは
私だけではないでしょう。。。。
納豆から得るバイオテクノロジーは地球を救う!
では御唱和お願いします。 1,2,3、ダーッ!
Cool Hand 竹内義彦
 
さらに深い森へ
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